随談第194回 相撲・野球随談

千秋楽の白鵬朝青龍戦に堪能した。がっぷり四つに渡り合う相撲の醍醐味というものを、近頃滅多に味わうことがないが、去年の名古屋場所千秋楽の一戦にせよ、これからは彼らによって四つ相撲の面白さを楽しめそうだ。突っ張り合いから右四つになって、まず朝青龍が、ついで白鵬が上手を取って吊り合いになり、さささっという感じで西方寄りに動いたあたりの呼吸というものは、ちょっぴりだがかつての栃若戦を思い出した。

外人力士のことがよく問題になるが、少なくともモンゴル力士のお陰で、久しく影をひそめていた、往年の相撲にあって近年の相撲に忘れられていた類いの面白みが、幾分なりと甦ってきたと、私は思っている。時に過激に過ぎること少なくないとしても、朝青龍の気迫は、荒ぶる男の気っ風から生まれる色気というものを土俵に甦らせた。最近の相撲は少し尤もらしくなりすぎていたのだ。(のし上ってきた頃の千代大海にもややその味があったのだが、土俵上の低迷とともに充分に魅力となって開花せずにしまった。しかしかつて柏鵬の反逆児と称した若羽黒に似たところがあって、捨てがたい味を持ってはいる。)

対照的な白鵬の柔らか味が大鵬を思い出せるという声を聞く。同感だが、今度の朝青龍との一戦を見ながら、私の生まれる前の話に聞く、双葉山と玉錦の再来ということを思い浮かべた。気っ風といいタイプといい、風貌までも、その対照の妙によって、その後に併称されたどのペアよりもこの二人の大力士を彷彿させる。朝青龍には縁起でもないことになるが、双葉山と年配に差のあった玉錦は、双葉山が連勝を始めたその場所の敗戦を境に、二度と双葉に勝つことのないまま執念を燃やしながら現役中に盲腸炎で急逝したのだという話を、子供のころ私はいろいろな大人たちから聞かされて知っていた。その最後の決戦となった大熱戦のフィルムも、何回か見たことがある。朝青龍もうっかりするとそうならないとも限らない。そんな危惧をもふと感じさせるところに、白鵬の持つ奥深さがある。

土俵入りは不知火型だそうだが、(前にも書いたが)何といっても羽黒山の不知火型というのが素晴らしかった。私にとっての横綱イメージの原点である。金剛力士といわれた羽黒山に対して、羽二重餅か博多人形のような照国の雲竜型と、好対照という意味でも最高だった。豪快な不知火型が、白鵬によって、新しく優美な風に染め変わるかもしれない。

相撲は角力とも書くように、角逐の中に、気っ風や色気や覇気や粋やいなせや優美やらを感じ取るところに醍醐味があるのであって、つまりは芸を楽しむものである。今場所は私のひいきの安美錦も味のある相撲を見せたが、北の湖時代に活躍した出羽の花とか、栃若の頃の信夫山とか、技に味のあるやさ男の系譜というのも、相撲の美学の上で欠かせぬ水脈である。

ところで、野口二郎の死亡記事を新聞で読んだときは不思議な気がした。(まだ生きていたんだ!)87歳という歳は、日本のプロ野球の歴史の若さを物語っている。戦後まもなくに野球を知り初めた私などの知る、おそらく最も神話伝説時代の空気を伝えるひとりだった。阪神の御園生とか、近畿から中日に移った清水秀雄とか、川上や鶴岡のようなビッグな名前とはまた別な、かすかだが鮮明な、もしかすると私が墓の中まで持ってゆく記憶というのは、親兄弟よりむしろ、彼らの記憶であるのかもしれない。

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随談第194回 今月の一押し(その13)梅玉のバランス感覚

團菊祭の評は、『演劇界』がリニューアルまでの3ヶ月間をカバーするために発行する「月報」に書いたが、目に触れる機会も少ないだろうから、やや繰り返しにはなるが、『勧進帳』と『め組の喧嘩』で、團十郎と菊五郎の間に入って、役者の格と、程のいいバランスの妙を見せる梅玉のことを書いて、合わせて今月の一押しに代えることにしよう。すなわち、その義経であり、焚出しの喜三郎である。

團十郎が、突如の病気休演で海老蔵襲名の興行半ばに姿を消して以来の歌舞伎座での『勧進帳』は、菊五郎の富樫と並ぶといかにも「團菊祭」にふさわしい壮観である。團十郎以上の弁慶、菊五郎以上の富樫ということを言い始めたら、おそらく百家鳴争、かまびすしいことになるだろう。

しかし團菊祭という「祭事」の場に見合う弁慶・富樫ということになれば、当代團菊に如くはない。単にその名跡を襲っているからという意味ではない。初日に先立つつい先月末、旧井上外相邸の跡地で行われた天覧歌舞伎百二十年という催しで天皇皇后来臨の席で、やはり團菊が『勧進帳』を見せたというが、つまりは、当代歌舞伎の象徴としての弁慶であり富樫である。(もっとも菊五郎の富樫は、シャープな二枚目の官僚風でない、武人としての富樫という意味で、当節興味深い富樫ではあった。)

ところでその中にあって、梅玉のつとめる義経というものが、じつに程がいい。たとえば仁左衛門をもってきたら、それは三横綱土俵入りみたいな壮観であるだろうが、少々大々しくて、座りがよくないような気がする。かといって、團菊と三幅対に収まるには誰でもいいというわけにはいかない。梅玉の品格、大きからず小さからぬ役者としての格といったものが、團菊の間に置くと、見事に坐るべきところに坐っていることが知れる。

かつて前名の福助時代、弟の魁春の松江といつもお神酒徳利だったころ、歌右衛門が、巧い拙いより、大きい役者、格のある役者になるようにと、判で押したように言い続けていたのを思い出す。なるほど、大きい役者とは言いかねるにしても、格のある役者にはたしかになったのである。

同じことが、まるで『勧進帳』を世話にもどいたかのような『め組の喧嘩』でも、菊五郎の辰五郎と團十郎の四ツ車の間に梯子から降り立って両者を捌く焚出しの喜三郎についても言える。大々しくなく、それでいて格と、程のいい貫目がある。かつてこの役は三代目左團次の役であり、その後に見た誰の喜三郎より喜三郎らしかったのは、先々代松緑の辰五郎と十一代目團十郎の四ツ車の間へ割って入るのに、ふたりに比べ役者ぶりはひとまわり小さいが、それを補ってあまりある、先輩役者としての風格がまさに喜三郎にぴたりだったからである。それとの相似形が作り出す舞台上の均整美が、梅玉の身上である。

かつての菊五郎劇団なら三代目左團次、吉右衛門劇団なら勘弥が、そういう位置にいたわけだが、但し梅玉の喜三郎がこれらの先達に及ばないのは、町奉行と寺社奉行の二枚の半纏を脱いで、印の紋を鳶と角力の双方へ見せる、きっぱりとした手つきやこなしが醸し出す、「いなせ」なるものを眼前に見せてくれるかのごとき役者の味である。

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随談第193回 今月の歌舞伎から(9)「め組」と「を組」の辰五郎

前進座が国立劇場公演でひさしぶりに「新門辰五郎」を出している。前進座の青果劇の中でもとりわけ前進座色の強い、それだけに、もっと宣伝してもいいものだ。

大歌舞伎では勘弥がやったほかは、萬屋錦之介のを見た程度。勘弥のは、晩年の渋味が利いてからの勘弥らしい、イナセにいぶし銀をかけたようで、なかなかいいものだったが、青年歌舞伎が壊滅してからの若き日のいっとき、二代目左團次の一座にいた時代に蓄えた薀蓄の一端を見せようとしたものに違いない。またこのときは猿之助が小鉄をやっていて、これは猿之助若き日の俊秀ぶりを示す、なかなかの秀作だったと思う。大歌舞伎でも、誰かこの青果劇中の異色作に取り組まないかと思うのだが、群集劇としての半面が、上演を難しくしているのだろう。

ところで今度の『新門辰五郎』は、現在の前進座の持てる力を発揮した好もしいものだった。群集劇であることが、逆に前進座らしいよさを発揮する。翫右衛門から梅之助を一代飛ばして梅雀の辰五郎と、小鉄の矢之輔という配役は名案といっていい。傑出した大親分としての辰五郎より、群集劇の結節点の二人、というぐらいの方が、青果臭ともいえるある種のものものしさをあまり感じさせず、むしろ現代的な行き方ともいえる。

鳶の群集劇といえば、偶然とはいえ、歌舞伎座でやっている『め組の喧嘩』と重なり合う。「め」組と「を」組ととんだ二人辰五郎だが、菊五郎・時蔵の辰五郎夫婦、團十郎の四ツ車・海老蔵の九龍山の錦絵の如き両力士、左團次の江戸座喜太郎、梅玉の炊出しの喜三郎などと揃ったところは、何といってもいい。安定感がもたらす豊かさは、とりわけ菊五郎劇団ならではの、永年築き上げた信頼感の賜物でもある。

もっとも團菊爺イめいたことをいうなら、「め」組の鳶の面々の勇ましさといい、身の軽さといい、なんとなくヤワになったような気がしないでもない。花道から駆け出してきて小屋の屋根へ駆け上がるところで、鳶らしからぬ身ごなしや、体重の重さを感じさせた鳶が、幾人かいたようでもある。

一方、「を」組の辰五郎率いる江戸の鳶と、会津藩抱えの小鉄配下たちの、前進座一流のマスゲームは、こういう芝居だと充分に効力を発揮する。同じ面々が、もうひとつの演目『毛抜』に出ているときとは別人のごとくである。(八重菊でよき風情を見せる菊之丞あたりにして、小野春風では格段の差が出る。)辰五郎が火事場装束に着替える間をつなぐ木遣や、揃って押し出す男っぽさは、好悪は別として、その統率の見事さと手づよさという点で、歌舞伎座の「め」組たちを凌いでいる。思えばこの『新門辰五郎』こそ、前進座版の『を組の喧嘩』なのだ。

そう思って見れば、冒頭の新門側と会津側の衝突、激突するのが芝居小屋と娘義太夫、両辰五郎の逡巡、ついに決意しての激突と、作者はかなり意図的に『め組の喧嘩』を書き換えていることがわかる。それにいま改めて見ると、作としては少々アラも気になる。辰五郎側に比べ、会津側があれではいかにも敵役のようで、理屈をいえば、小鉄の統率者としての力量が問われそうだ。もっとも「め」組の作者も鳶に甘く角力には辛いようだが。

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随談第192回 今月の歌舞伎から(8)吉右衛門の四役奮闘

この月の新橋演舞場は去年に引き続き吉右衛門の奮闘する公演だが、これが吉例・恒例となってゆくかどうか、なるとすればどういう形があらまほしいか、それが問われる、また問われねばならないのが、今回以降だろう。

そこで吉右衛門の勤めるのは、昼の部の主軸として『鬼平犯科帳』、歌昇以下の後進につき合う感じで『釣女』の醜女、夜の部のメインの『法界坊』、一番目物として福助のお三輪に鱶七でつき合うという四役。ほぼ出ずっぱりに近い大奮闘であることには違いないとして、気になる節々もないでもない。

まずこの公演の狙いとして、単なる吉右衛門奮闘公演ではなく、中堅・若手の後輩たちを引き具して、彼らにも場を与え、育てていこうという構想と姿勢のもと、「吉右衛門一座」といった趣きが、去年今年、二回の座組みと演目にも見て取れる。それは大いに賛同したいところだが、一方、そのための無理や不具合(この言葉、IT関係の用語として俄かに見かけるようになったが、なんとなく「生煮え」で、それこそ「不具合」なような一方、なにかと便利に応用できそうな言葉でもある)も垣間見られる。

昼の部の第一に染五郎が『鳴神』を出す。染五郎にしてみれば、二世左團次の系列外で大歌舞伎に導入したともいえる祖父白鸚ゆかりの演目として、抱負も意欲も多々あるのはよくわかる。絶間姫が鳴神を破戒堕落させる場面をあっさり簡略にすませた演出上の疑問、とりわけ前段の染五郎の仁や柄が役に添い切らないことなど、不満もないわけではないが、好印象をもてる舞台であったことは確かで、まずまずの成果と意義はあったといえる。

染五郎はもうひとつ、『法界坊』で野分姫の上に、『双面』では法界坊の霊も勤める。染五郎の意欲はいまは措こう。しかしここでも、単独の舞踊劇として出すならともかく、通し狂言の最終幕として出す限り、あのハンサムボーイの染五郎が法界坊の霊になって凄んでみせても、お嬢吉三のセリフではないが効かぬ辛子となんとやらみたいで、あまり面白くない。吉右衛門が楽をしたくて半不精を決め込んだわけではないのは分かっているが、それまでと『双面』が別々の狂言のように、色も重みも違ってしまったことは否めない。

似たようなことがもうひとつある。福助のお三輪で『妹背山』の「御殿」を出しながら、姫戻りからで、せっかくの吉右衛門の鱶七が、金輪五郎としてお三輪を刺しに出てくるだけしか出番がない。姫戻りから出すというやり方は以前からあることには相違ないが、歌舞伎の「常識」を観客に期待できた昔は知らず、『寺子屋』を首実検もすんで千代の戻りから出すようなもので、筋がわかるのわからぬの以上に、ほかならぬ吉右衛門が鱶七をやりながら興味を半減させるものだ。(かつて玉三郎のお三輪で、姫戻りから出して勘弥が求女と金輪五郎の二役をやったりしたのとは、似て非なるものである。)

これも、別に吉右衛門が、不精をしたのでも芸の出し惜しみをしたのでも、多分ないだろう。鬼平はなかなか面白かったし、醜女も悪ふざけせず、なかなか色っぽくってカワイカッタ(!)し、半端な出し方とはいえ金輪五郎もさすがだったし、法界坊も素敵だった。だが少なくとも夜の部、何か不完全燃焼の感が残ったのも事実である。

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随談第191回 今月の歌舞伎から(7)海老蔵の与三郎について

團菊祭の昼の部を見たのは連休中の一日でもあったが、ロビーは溢れ返るほどの混雑だった。人の波でふくれ上がるような感じで、これほどの活況というのは、最近ではちょっと思い出せない。團十郎ひさびさの「勧進帳」ということもあるだろうが、おそらくまず、海老蔵の与三郎が最大のお目当てに違いない。なにはともあれ、ロビーを歩いていてついこちらも煽られそうになるこういう活気は、悪いものではない。

おそらく今度も、結果は賛否両論かまびすしいに違いない。私はあまり他の方々の批評を丹念に渉猟する方ではないが、想像するだに、どんなことが言われ、どんな賞賛と、どんな批判が交わされるか、わかるような気がする。結局、要は「それ」を受け入れるか否かにかかるのだ。

買いか、買いでないか、ずばり一言でいうなら、私は買いである。理由はひとつ、紛れもない与三郎がそこにいた、からである。

私の限られた観劇経験だけからいっても、これまでに見たどの与三郎に照らしてみても、この与三郎は変てこである。ツボはほとんどはずれる。セリフのトーンは不安定だ。ぶきっチョかと思うと、羽織落しが案外すらりといったりする。しかしそれは、たまたまその日はうまくいったまでであって、別の日に見たら、とんでもないほどもそもそやっているかも知れない・・・といったことを数え立てていったら、たちまち両手の指が足りなくなりそうだ。

では下手か、というと、そうとも言えない。まず最大の難点がセリフにあることは衆目の見るところだろうが、変なところを伸ばして言ったり、ツボにはまらなかったり、音程が不安定だったりするのが、普通の意味で「下手」というのと、どうも違うらしい。もう時効だと思うから言ってしまうが、お父さんの海老蔵時代の与三郎は、もうすこし普通の意味で、「下手」だった。当時海老蔵といえば、セリフに難がある、という批評が判で捺したようにされたものだった。セリフの難ばかり言わないでもう少し別のことを批評すべきだ、などと利いた風なことを若気のいたりで書いたこともあったほどだ。

少なくとも、当代海老蔵はそういう意味での「下手」とは違う。私の見るに、海老蔵のあのセリフの言い方、あのやり方は、ある計算があってしていることと察しられる。いうなれば確信犯である。

ただそこから先が、私にも読めないのだが、その計算がどの程度的中し、どの程度的を射はずしているのか、問題はそこである。レッドソックスの松坂もこないだ中だいぶ荒れていたが、剛球投手の球がしばしばうわずったり、すっぽ抜けたりするように、海老蔵も、確信犯的に計算してやったことが、すっぽ抜けたりうわずったり、かなりしているのではないかと察しられる。困るのは、その率がどのぐらいなのか、私にも見当がつかないことだ。

言えるのは、この与三郎は、これまで見てきたどの与三郎とも違う与三郎だということ。それにもかかわらず、これはまぎれもない与三郎だ、ということである。そうである以上、これはやはり、「買い」ではないかということである。

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随談第190回 観劇偶評(その87)文楽ばなし・住大夫の「杉の森」

この月の文楽は「絵本大功記」の昼夜の通しというちと渋い演目だが、そのお陰で住大夫の「杉の森」という傑作に出会う幸運に恵まれた。これぞ天の配剤。まず単独で出ることはないであろう段だからである。

ここに至るまでは、正直なところ、やや辛抱にも耐えなければならなかった。こういう折でもないと滅多に見られない場面を見る興味もある一方、所詮はブッキッシュな意味での興味以上のものにはならないし、初日のせいもあるのだろうが、やや生煮えの感や、演者の衰えの感もある演奏もなくはない。咲大夫の「妙心寺」にやや渇を癒したのがせめてもといえた。

住大夫も高齢である。このところ、腕に年は取らせていないとしても、さすがに声と、それに伴なう艶に、以前の潤いを求めることは、もうむずかしいかと思わせられる舞台がこのところ続いていた。こんども、「尼ケ崎」は島大夫と十九大夫にゆずっている。が、結果的には、それがわれわれに幸運をもたらしたのだ。

浄瑠璃とは、人物と情を語るということに結局尽きるとすれば、今度の住大夫はまさにそれである。肩の力というものがまったく抜け、重成、孫市、雪の谷、慶覚、重若丸といった人物たちをくっきりと、またしっとりと語り分け、それぞれの情を、過剰でも過小でもなく、ああでもこうでもなくそう語る通り以外にはないというところを、おのずからそうなったという風に語る。円熟というべきか、それをも越えた境地というべきか。一語一語、一音一音が、なんの無理もなく語られ、何の無理もなくこちらの胸に届いてくる。1時間25分という時間を、われわれはすこしも長いと思わず、また少しも疲れたとも思わずに聞いた。一音一音、一語一語がきわめて明晰であったからである。

これまでも、住大夫の名演というものは幾度となく聞いてきたが、この「杉の森の段」の住大夫は、それらのどれとも違う。いまの、この境地に至ってはじめて到達した芸のあり方なのであろうと思わせる。この「杉の森の段」は、竹本住大夫晩年を飾る傑作といって間違いない。

その他では、さっきも言った、「妙心寺」を語った咲大夫と、「尼ケ崎」の前段を語った嶋大夫がさすがというところを見せた。「尼ケ崎」というと、かつての津大夫のような剛直豪腕の大夫の持ち場のようについ思い勝ちだが、もうひとつ前の「夕顔棚」(津駒大夫が寛治の好リードでわるくない)にせよ、光秀が夕顔棚のこなたから現われ出でるまでは、三世代の女三人に前髪の若衆の織り成す、なるほど、艶語りの大夫の持ち場ともいえるのだ。

三業それぞれ世代交代のはなはだしい中でも、人形陣の様変わりには改めて感じ入るが、この場ばかりは、文雀の皐月に蓑助の操、紋寿の初菊とそろい、勘十郎の光秀はいまやこの手の役は他にいないし、十次郎の清之助も殊勲賞ものだし、やっぱり見た目の厚みと、大夫三味線の厚みと、相俟ってこその文楽という、しごくアタリマエのお話である。

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随談第189回 今月の歌舞伎から(その6)二つの新作と二人のバイプレーヤー

今月は新橋演舞場と歌舞伎座と両座から、双方合せ鏡にして眺めてみよう。

両座ともに新作が出ている。演舞場は、吉右衛門の鬼平だからむしろ昼の部の眼目の演目である。「鬼平犯科帳」から「大川の隠居」、歌舞伎座は昼の部の開幕で「泥棒と若殿」。どちらも、池波正太郎に山本周五郎という原作小説からの劇化である。もっとも「泥棒と若殿」の方は、新作物といっても三演目、筋書の上演資料を見ていてにわかに記憶がよみがえった。再演のを見ていたのだった。

去年、中村源左衛門になって死んだ中村助五郎が、さらにその前名の山左衛門時代、主役に抜擢されるというニュースを知って、一幕見で見に行ったことがあったが、あれがそれだったのだ。ざっと30年前、萬屋錦之介公演で、若殿役の中村嘉津雄を相手の大役だった。当時源左衛門は、有吉佐和子の創作劇に声をかけられたり、彼の役者人生の中での華やいだ一季節だったのだ。

(それにしても、源左衛門の後を追うように四郎五郎までいなくなってしまうとは。勘三郎一門もとんだ不幸つづきだが、偶然にもこの月の演舞場に「法界坊」が出ている。「〆このうさうさ」のくだりを見ながら、ひそかに四郎五郎の冥福を祈った。あの、桜餅の折詰を駕籠に見立てて「〆このうさうさ」を鸚鵡でくりかえす役は四郎五郎の傑作だった。)

さてその「泥棒と若殿」は、山左衛門の泥棒以外はほとんど記憶になかったが、今度の、三津五郎の若殿に松緑の泥棒というコンビで見ると、結構面白い。三津五郎のセリフの巧さについ引き込まれるのと、松緑の仁に合った好演とで、なかなか見られるのだ。 だがそうであればなおさら、この作の弱点も見えてくる。

若殿という身分の者と、泥棒にでもなるしかないしがない身分の者と、人間としての自己を実現しようとすれば、結局は、それぞれの「分」(つまりそれが「自分」である)の中で実現するしかないという、山本周五郎らしい辛口の人間認識がこの原作小説の根底にあるに違いないが、そう気づいたのは、三津五郎の卓抜なセリフの力によってである。だが矢田弥八の脚本は、そこをもっと甘口の人情劇に作ってある。そうすると、秀調のやっているあの重役の説得だけで、われわれ観客も納得しなければならないというのにはちょっと無理がある。同時に、秀調以下の若殿擁立派の家臣たちの行為は、随分と持って回ったあざといものになってしまう。

(ついでだが、対立派の重役の名の滝沢図書助を「としょのすけ」と言っている。この名前は「ずしょのすけ」と読むのが普通だが、それとも、何か根拠があるのだろうか?)

「大川の隠居」はなかなかいいと思った。これも吉右衛門と歌六の二人の応酬で見せる(聞かせる)芝居だが、こちらは、池波正太郎の原作を越えて歌舞伎の脚本として練り上げてあり、ふたりの苦味の利いた芸とよく反りがあっているのが成功の因である。歌六の老盗賊が鬼平の枕元に忍び込んで親の形見の煙管を盗むという行為自体が、話としても面白いし、それをめぐるふたりの意地の張り合いが大人の芝居としても面白い。それにしても動き回る芝居がもてはやされる昨今、どちらもセリフの芝居であるのが興味深い。

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随談第188回 ちょっと一服無駄話

先月来恒例の各劇場の評判・噂を始める前に、ちょっと一服して、昨今のニュース世相をネタに無駄話をしたい。そういえばこのところ、野球や相撲の話もしていなかった。

本命・対抗馬とも映画俳優みたいな美男・美女対決だったフランスの大統領選挙で、勝ったサルコジというのが誰かに似ていると思っていたが、勝利のあと、反対派のデモ騒ぎを前に立板に水のごとく一席ぶっている映像を見て、そうだ、広岡達朗だったと気がついた。広岡のことをしばらく忘れていたので、気がつくのに手間取ったのだ。ひろい額の生え際のあたり、濡れたような感触、ハンサムを自認し、冷徹な理論家であることにみずから酔うがごときところなど、そっくりである。サルコジの人物や、大統領としてのこれからを見る上で、この見立てはかなり有効であるに違いないと私は直感する。

広岡も、たしかに一代男であったし、長嶋批判など、傾聴に値する理論家であったことも疑いない。しかし自ら求めて敵を作り、冷笑を好むシニシズムの愛好者は、遂にしの冷笑の対象たる愚者に及ばないという、「彼」が最も冷笑する自家撞着に陥る実例を、これほど絵に描いたように見せた例もざらにはないだろう。サルコジはどうかな? 少なくとも、 自尊心の強い冷徹家の自惚れというのは、興味深いテーマになるだろう。

サルコジのお陰で思い出したが、少年時代を回顧して、広岡もまた、私の中でこよなくなつかしいヒーローの一人であったことは間違いない。早稲田での小森との三遊間などというものはまことに颯爽たるものだったし、あれほど早稲田のユニフォームの似合った選手も滅多にない。(早稲田の野球というのは、通念と別に、実は慶応などよりはるかに、やさおとこの名選手の系譜を作っている。こんどの斎藤王子も、いかにも早稲田流やさおとこを絵に描いたようなのは唖然とするほどだ。)

昭和も20年代までの六大学野球というものは、野球音痴だった私の従姉など、プロ野球を見に行った留守に遊びに来て、「どっちが勝った? ワセダ? ケイオー?」などと知ったかぶりをしたぐらい、存在感をもっていた。いまどき、そんな野球音痴はいないだろう。つまり、この場合の「ワセダ? ケイオー?」というのは、「どっちが勝った? 巨人? 阪神?」というのと、まったく同じ文脈で読み取るべき内容をもっているのである。

いつのまにか野球の話になってしまったが、昨秋以来の松坂騒動のことなど、書きたいと思っていて、ついまだ一度も触れないまま、時機を逸しかけている。新庄などと違って、野球の外にまではみ出してくるものがない分、書きにくい人物ともいえる。まあ、いましばらくは静観して、お手並みを見極めることにしよう。(それにしても、新庄の噂がこのところぱたっと聞こえなくなってしまったのは、ちょっと面白い。そういえば、中田の噂もあまり聞かないね。まあ、それぞれ「自分さがし」というのをやっているのかしらん。)

相撲の噂も久しくご無沙汰してしまった。八百長問題が訴訟問題になるというのが、いかにも現代という時代を映していて、あまり感心した話のように思えない。栃東が引退したのはいかにも気の毒である。彼のことは前にいろいろ話題にしたが、いまの相撲のある一面を彼が最も体現していると見たからで、現代での好力士であったことは間違いない。

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