随談第187回 観劇偶談(その86)新国立劇場『CLEANSKINS/きれいな肌』

新国立劇場の『CLEANSKINS/きれいな肌』に感心した。アジア系英国人作者シャン・カーンの新作、世界に先駆けての初演である。「国際演劇人交流」という新国立の企画で、これまで世界の現代作家の書き下ろし上演を続けてきた中で、今度が断然いい。

作者はパキスタン系イギリス人というが、場面はイギリスの地方都市の貧しい公営住宅の一室のみ、暗転で局面を仕切るという手法で、人物も父親不在の家族、母親と息子、そこに家を出ていた姉娘が帰ってくるという三人のみという設定。地味なことこの上ない。

息子は、熱心にやっていたサッカーに挫折したとき精神的に救ってくれた人物を尊敬し、その男が進めている反イスラムのデモに参加することに、せめての生きがいを見つけている。そこへ突然帰ってきた娘がなんとイスラム教徒になっていて、不在だった父がじつは、母親から聞かされていたような白人ではなく、イスラム教徒のアジア人だったということを明かすというのが、筋というなら筋である。舞台はほぼ三人の罵り合いに終始する。「世話狂言」として、もっともしんどいタイプである(はずだ)。ところが、不思議にも、そうはならない。いや、しんどいには違いないのだが、目を覆い耳をふさぎたくなるような不快感とは無縁である。そこが、不思議であり、魅力でもある。

このテーマは、常識的には、まず大方の日本人の苦手とするものだろう。大方はイスラム音痴で、今日のグローバルな問題の相当部分をこの問題が占めていることは知ってはいても、正直なところ、肌に感じて身につまされるということには、なりにくい。しかし作者は、そんなこと(を知ってか知らずか)には頓着せず、母子三人にすさまじいトーク・バトルを展開させる。それが見事に、イスラム音痴であるはずのこちらに届く言葉になっている。

もちろん訳者の小田島恒志の功績でもあろうが、それ以前に、作者の戯曲の言葉としての力が物を言っている。イスラム教徒がヨーロッパの、イギリスの社会で置かれている状況についてほんの貧しい認識しか持たない者にも、「差別」という一語をテコに、すくなくとも3時間のドラマの世界を凝視し、耳を傾け続けさせるだけの、説得力をもっている。無手勝流の勝利というべきか。あるいは、自分の戯曲的世界を信じて揺るがない作者の無垢な大きさに帰すべきか。訳者の小田島恒志が作者シャン・カーンのユーモアということを言っているが、おそらくそれが正解なのであろう。つまり、作者はよき理解者をよき訳者に得た、ということもまた、言えるわけだ。(ここで「普遍性」という言葉を使ってしまえば楽なのだが、それはちょっと留保すべきだろう。)

三人の役者もいい。息子役の北村有起哉も母親役の銀粉蝶も、冒頭間もなくは、近頃よくある手の、鉄砲玉のようにセリフを投げつけ合い、一見それがリアリズムでもあるかのように(自身も信じ、他にもそのように)錯覚させるが、じつは現今の演劇界の流行のスタイルでしかない類型芝居かとやや失望させたのだが、娘役の中嶋朋子が登場したあたりから、そこから突き抜けて、ただ事ならないものを感じさせ始めた。しかしそうさせたことといい、また、その声を魅力あるものに感じさせるセリフの説得力といい、殊勲の第一は中嶋に帰せられるべきだろう。

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随談第186回 観劇偶談(その85)劇団若獅子『国定忠治』

劇団若獅子とは、劇団としての新国劇が解散した後、当時若手ホープだった笠原章が中心になって、志あるものが集って結成した劇団である。今年、劇団結成20周年を迎える。(つまり、新国劇が解散してから、二十年がたったということになる。私のような、決して新国劇のよい観客だったとはいえない者でも、ある感慨を抱かずにはいられない。)

敢えて言うが、苦闘を続けているに違いないことは、その公演日程を一瞥しただけでも知れる。今回は二十周年という特別な年だから、東京での公演は国立劇場を使わせてもらったが、それも土・日二日間、昼夜四興行に過ぎない。3月末から6月末まで、各地を巡っているが、じつは巡っているというより、断続的に公演を行なっているといった方が正しい。大阪では松竹座、名古屋では御園座のような一流の大劇場も含まれるが、多くは各地の文化会館のようなところである。秋には、二十周年記念の第二弾として、『沢田正二郎物語』を三越劇場で五日間、その他各地で行うというが、公演の日程は限られている。

中心となる笠原章にしても、そのほかの座員も協力者たちにしても、普段はいろいろな芝居の脇をつとめている人たちである。自分たちの劇団のために割ける時間もエネルギーも、黙っていればどんどん分散してしまいかねない。よほどの強い意志の持続がなければ、到底できることではない。それを思うだけでも、敬服せざるを得ない。こういう地道な努力を続けている人たちもいるのだということを、せめてこの場でなりと訴えたい。

『国定忠治』を赤城山から、山形屋、大詰の土蔵の捕物まで通しで出すのは、かつての極め付辰巳柳太郎のも見ているが、第三場の「植木村の庵室」の場というのは、じつは今度はじめて見るまで知らなかった。それにしても、久しぶりにこうして通し狂言として見ると、この作がなまじ有名作であるがゆえにかえってその真価を充分に知られずにいる名作であることを、改めて思わずにはいられない。極め付の有名作というものが、それ故に信奉者も出来る半面、それが故に、食わず嫌いや半可通の無視や蔑視の対象となりがちなことは、往々見ることだが、まるで型物のような赤城山から、世話狂言として卓抜な山形屋、新歌舞伎にも比すべき土蔵の場と、近代演劇史を三様に取り込んで絶妙の様式の均衡を示すばかりか、こんど「植木村庵室」を見て、食わせ者とはいえ尼僧という身分のものを斬った忠治が、釘を踏み抜くというアクシデントから運命の歯車が皮肉に逆転してゆく暗示の巧妙さは、ちょいとしたシェイクスピアであることに気がついた。その尼僧の妙真を演じる南条瑞江など、いつもの若獅子の公演で新作を演じるときには気がつかない、これぞ新国劇を支えた脇の役者の底力と唸らざるを得ない。

二十周年の今回は、緒形拳と朝丘雪路が山形屋夫妻の役で賛助出演しているが、もうひとり、川田屋惣次の役で九十二歳という清水彰が出ていて、終りの挨拶で緒方に促されて、役者に歳はありませんと「時代」で言って胸を張ってから、もうすこし頑張りますと「世話」に落として言ったのが、卓抜だった。ご存知ない向きのためにちょいと蛇足を加えると、雷蔵の映画などを見ていると老やくざなどの役でよく見かける老巧な脇役者だが、思えばざっと四十年余のむかしから、この人のちっとも変わっていないことが、胸を突く。

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随談第185回 今月の歌舞伎から(5) 附・今月の一押し(その12)

錦之助襲名ということで、萬屋一門の若い俳優たちが、「口上」の席など、中村屋一家と播磨屋も合わせれば中央から下手側を独占する形でずらりと居並んでいる。とりわけ、隼人と種太郎の姿に目を奪われた。

隼人はよくも似たもので、祖父(と、四代目のことを書くのはなんとも妙な気持ちがする。四代目時蔵というよりむしろ、先代の「芝雀」という名こそ、私のなかの「その人」のイメージにいちばんしっくり来るほどなのだから)と父と、三代にわたってこれほど、顔立ちだけでなく、その持っている雰囲気まで、まるで一子相伝とでもいうかのように伝わっている例というものは、そうあるものではない。

親子というものは、あんまりそっくりだと、他人から見るときはちょっと笑いを誘われたりするものだが、隼人の場合は、『菊畑』の腰元白菊の姿で登場したときは、むしろ涙をさそわれるのに近かった。こんなに可憐な若女形ぶりというものは、そうざらにあるものではない。(もっとも『角力場』では取的の閂になるのだからおどろく。)

種太郎は、さすがにもう子供の域を抜け出して、役者としての輪郭を描きはじめている。開幕舞踊の『春駒』に少年茶道の役で出てきたとき、目をみはった。幼さを残しながらも、すでにある種の雰囲気を漂わせている。『二人道成寺』の所化のような役をしてさえ、先輩たちの中に埋没してしまわずに、その身体から発するものが、存在を主張している。何もわざわざ目立つようなことをしているのではない。むしろ本人はまだ無自覚かもしれないが、役者としての存在感の核になるものを備えはじめているのだ。これは、いままで見たときには、べつに感じなかったものである。昨秋の『元禄忠臣蔵』の大石主税が、ひとつのポイントになったのか。(それにしても、梅枝が姿を見せなかったのはなぜだろう。せめて口上だけでも出ればよかったのに。)

ところでこの開幕劇『當年祝春駒』に、私は思いもかけず心を惹かれた。じつに清新の気に溢れている。一日の観劇の扉を開く一幕として、まことにすがすがしい。

獅堂の五郎は、白塗りに剥身の隈がよく乗って、顎のしゃくれた具合といい、こういう扮装をすると、河内屋と声を掛けたくなるほど、死んだ延若にそっくりだ。やはり、捨てがたいものを持っている才幹なのだ。自他ともに、いまという大切な時を大事にしてもらいたいと切に思う。

勘太郎が十郎のような役をしっくりと身に添わせていることにも感心した。若手が五郎で喝采を浴びるのは、比較的やすいことだが、いまの若さで十郎をしっかりとつとめる勘太郎を二十年後、三十年後を見てみたいものだ。七之助の舞鶴もいい。神妙につとめながら、存在感を失わないところに非凡さを感じさせる。

そして、歌六の工藤。いつも副将格に置かれがちな役回りだが、こうした顔ぶれの中で当然のように座頭役をつとめると、見事に工藤になっている。どうして、ニクイ役者ではある。プロフェッショナルであり、播磨屋一族の血の濃さを感じさせる役者である。

というわけで、今月の一押しは歌六を頂点とする『春駒』一幕としよう。

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随談第184回 今月の歌舞伎から(その4)魚宗を我が物にした勘三郎

 勘三郎の『魚屋宗五郎』がいい。四演目だというが、こんどで遂に我が物にした感がある。自分は決して、よくそう思われがちなような器用な人間ではない、と勘三郎自身語る通り、ここまで来るのにずいぶん曲折があった。初演はたしか八月の納涼歌舞伎で、もう十年余になるか。うまいのだが、何故かこちらの胃の腑に落ちてくれない、といった感じだった。『髪結新三』が、未成の部分はあっても初演のときからはまるべきツボにははまっていたのと、対照的だった。

月並みな解釈のようだが、新三が父先代ゆずりであるのに、宗五郎は二代目松緑のものだ。しかも、六代目菊五郎ゆずりの黙阿弥物の、先代と松緑の間で棲み分けと共生がほぼ成立していた中で唯一、これは父先代が手掛けようとしなかった役だ。そこらあたりに、微妙な問題があるのか、などと思ってもみたこともある。

もちろん、仕どころは酒乱の様にあるが、松緑のは、それ以前の、律儀な市井人としての宗五郎が余人の及ばぬ傑出したものだった。皆が騒ぎ立てるのをたしなめながら客席に背を向けて位牌に手を合わせる、その背中が、この生真面目な男のすべてを無言のうちに語って見事だった。元よりひとつの言い方としてだが、松緑の全業績からひとつを挙げろといわれたら、この宗五郎の背中を挙げてもいいかと思うほどだ。

これは芸でもあるが、それ以上に仁に関わる問題だった。十七代目が遂に演じなかった理由もそこにある、と私は勝手に解釈している。

十八代目の京都での再演は見なかったが、数年前の三演目は見た。悪くなかったが、勘三郎としてとくにすぐれたもの、という風には思わなかった。が、今度はいい。自分の宗五郎を築き上げている。

松緑ゆずりというなら、すでに三津五郎が秀作を見せている。(いま、菊五郎のことはちょっと措いておこう。)松緑もそうであったように、芝居として、芸として演じる宗五郎であり、律義な市井人としての姿もすぐれていた。当代での宗五郎として、優にその存在を主張するものだ。

勘三郎のはそれとは違う。律義な堅気の姿もきちんと演じ、いいのだけれども、勘三郎ならではのものが出たのは、酒乱のさまである。酒に呑まれていく中で見せる、一種の狂気といおうか。このまま行ったらどうなるだろう、とちょっとそんなことまで頭をよぎる。おそろしいような凄み、といおうか。もちろんそれは芸でもあるのだが、それだけに留まらない何かを感じさせる。

血かな、とも思う。これまで、一卵性父子?のようによく似ていながら、ひとつ、勘三郎二代論をする上で、ふたりの違いを分けるのは、十七代目にあって当代にない、おそろしいようなものすら感じさせる「闇」の部分、とでもいうもので、そのことを私はこれまでにも方々で書いてきた。それは先代当代それぞれの人間形成の過程でのさまざまなことが、複雑微妙な因果関係をなしている結果なのだが、今度の宗五郎は、この問題について、さらにむずかしい宿題の一問を私に課したようでもある。

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随談第183回 観劇偶談(その84)新橋演舞場、直美・沢田の『桂春団治』

歌舞伎座の噂はまだ続くが、ちょっと一服して新橋演舞場の話。今月の一押しにしようかとも思ったが、それは他にとっておくとして、芝居も面白い、藤山直美も沢田研二もよかったが、それよりなにより、感心したのは松竹新喜劇その他の脇役の面々である。

小島慶四郎、小島秀哉の両小島あたりはいまさら言うまでもないとしても、大津嶺子、中川雅夫、井上恵美子、西岡慶子などといった新喜劇の出汁昆布で煮染めたような役者たちの、なんと生き生きしていること! とりわけ、車夫役の曾我廼家文童には感服した。とくに、一度死んでから、あの世から白装束に白い人力車を引いて春団治を迎えに来る、おかしさがそのまま涙に直結する呼吸というものは、まさしく新喜劇の真骨頂だ。

売れない落語家から漫才師に転向する役をやっているレツゴー長作とかいま寛太といった人たちのことを私はほとんど知らないが、その他のもっと小さい役をやっている人たちまで含めて、まさにプロフェッショナルの集団がここにいる。春団治の臨終を看取るために集まっている面々の、なんと個性的な顔ぞろいであることか。いかにも大正から昭和初年の寄席芸人の苦味や匂いを醸し出している。苦味と、大阪弁でいうところの阿呆らしさと、屈折と能天気がいっしょくたになったようなやるせなさと・・・。

思えば昭和四十年前後、まだ御大の渋谷天外が健在で、藤山寛美がハチャメチャな勢いでのし上がったころ、新喜劇の舞台はほとんど毎週、テレビで見ることができた。両小島はそのころ売出し中のホープで、大津嶺子は娘役だった。貫録のある女将役者の石河薫や、なんとも達者な酒井光子が女優のトップ、男優も、顔を見ただけで大阪の街の匂いや、夏の芝居なら町埃や暑気までが、ブラウン管のむこうから漂ってくるような役者がぞろぞろ出て来た。その頃に比べれば、などと團菊爺イ風なことを言い出せばいろいろあるだろうが、しかしざっとそれから四十年たったいまも、なおこれだけのレベルで集団として独特の写実芸を保っているというのは、考えれば驚嘆に値する。

主役のふたりもいい。藤山直美はやっぱり舞台の役者だ。朝ドラの『芋たこなんきん』は私もご多分にもれず楽しんだが、テレビだと巧くはあってもやはりちょっと鼻につくところがある。新喜劇独特のある種の「芝居の嘘」(つまり、離見の見をパタ-ン化するという)が、テレビだと少し浮くのだ。それに、舞台で見るほうが女っぷりもいい。

沢田研二には感心した。歌手として全盛だったころの、いやらしいぐらいの色気やオーラが、いまの年配になって有効に生きている。かつて先代の門之助が、ジュリー時代の沢田の色気を上方和事だといったことがあるが、こういうのを見ると、いまにして腑に落ちる。実際の春団治がどんなに華やかな芸人だったか、正直なところ私にはもうひとつよくわからない。残された写真や音盤で聞く声は、おそらくその真骨頂を伝えていないのではあるまいか。破天荒なことを企てた芸人であることはわかるが、その芸の色も艶も凄みも、私にはもうひとつ感じられない。ホントかなァという気さえ、しないでもない。沢田研二の春団治が実物にどれだけ似ているかは想像の外だが、このドラマを通じて、どういう芸人だったかはよくわかる。いや、解らせる。これは、大変なことではあるまいか。

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随談第182回 今月の歌舞伎から(その3)仁左衛門の実盛

今月の見ものはといえば、まず仁左衛門の実盛である。仁左衛門としても、何度も手掛けた中でも今度が最も滋味深く、十五世羽左衛門の昔は知らず、私の観劇歴に限っていえば、最もすぐれ、最も感動の深い実盛であったと言い切って差し支えない。

いったい、通称『実盛物語』というこの作が私は好きでたまらないのだが、実は、ひと通りの域を超えて、これならという舞台にはなかなかお目にかからないのも事実だ。B級古典としてわりに気軽に上演されるが、じつは人を選ぶ狂言なのだ。

まずこの劇を成立させている、シュールリアリスティックな時間と歴史の感覚にふさわしい爽やかな軽みのある仁の持主でなければならない。実盛は、物語で小万の腕を切る「過去を再現」し、ついで太郎吉にむかって、20年後に篠原の合戦でおれは成人したお前に討たれるのだよと語って「未来を再現」する。この超現実は、義太夫狂言という時間の形式と様式があって成立する。なまじな現実感覚を持ち込んで失敗する例が多いのは、この劇のシュールな構造をよく理解しないためである。熊谷や盛綱に成功したからといって、実盛にも成功するとは限らないのも、そのためである。

さらに実盛は、村の名を「手孕み村」と命名したり、太郎吉を手塚太郎光盛と名付けたり、「命名」という歴史の始原に関わる祭司のような役割を自らすすんでつとめるが、この劇ほど、「歴史を語る」という浄瑠璃という祭祀のロマンチックな本質を備えているものはない。ここには民俗のロマンが、小さくかわいらしく、それ故に純粋な形で語られている。

実盛は、現実には源氏に心を寄せながら平家に従っている二股武士かもしれない。未来を予言したり、死人の腕を接いで蘇生させたり、奇蹟の由来を語ったり、命名したり、超能力者みたいなことをするくせに、世の現実の中で生きていくためには心ならずも二股武士として生きていくしかない浮世の哀しみを知ればこそ、実盛は限りなく、九郎助一家の人々にやさしい。颯爽として軽く、同時にやさしく、慈愛に満ちている。

そういう実盛を演じるのに、末梢的リアリズムは禁物である。物語は過去を再現するための異次元であり、一人芸に終始すべきだし、角々の見得やキマリも大きく身を揉んできっぱりと演じなければならない。糸に乗るべきところはたっぷりと乗って、照れたりしてはならない。それでいて、小万や太郎吉や、モドリになった瀬尾やへの情愛も肚を充分にもってつとめなければならない。要するに、中途半端な近代主義を持ち込んではならない。

現代の実盛たちの中で、こうした私の実盛観にもっともふさわしいといえば、仁左衛門を擱いてはない。芸としての充実という意味では、前回十六年十月のときの方が勝ったかも知れない。だが今回は、それに代わって余りある滋味がある。太郎吉の鼻をかみ、馬に乗せてひと回りするところで、私は涙を禁じ得なかった。もちろん入れ事だが、あれほど、少年の憧れというものを万人の前に具現してみせる情景はないのではなかろうか。

最後に、わたくしごとを白状しておこう。仁左衛門が東京での初演として旧新橋演舞場で実盛を演じたとき、それを劇評に書いたのが『演劇界』の劇評募集に当選したという因縁話である。ちょうど三十年前、孝太郎が太郎吉だった。

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随談第181回 今月の歌舞伎から(その2)新・錦之助のために

中村錦之助という名前には、その字を見、音(おん)を聞くだけでも私には甦ってくるものがたくさんあるが、前に「時代劇映画50選」にも書いたように、初代錦之助について私は世評とは少し違う考えを持っている。のちに萬屋錦之介という名前になったりしてからよりも、この人の本質もすぐれた仕事もむしろ若いころにあり、高名な『宮本武蔵』あたりから以降の錦之助には、自身で自身の仁を変えようとして苦闘を続けながら、ついにその外へ出ることのできなかった、ある種の痛ましさを覚える。若き日の『笛吹童子』などで見せた秀麗な二枚目としての美しさに仁と柄の根本があり、そこから出発して『ゆうれい船』を経て『宮本武蔵』にいたる成長と成熟のなかに、その最も余人にないすぐれた資質と成果があらわれている、というのが私の考えである。映画クロウトの間に評価の高い『瞼の母』にしてもその延長線から出るものではないだろう。永遠の少年の魂に宿る哀愁。初代錦之助は、まぎれもなく、人の心を動かす役者であった。ここで映画俳優中村錦之助論をはじめるつもりはないが、こんどの新・錦之助のことを考えるに当って、このことはまったく無縁の問題でもないように思うので、ちょいと「こだわって」おきたい。

新しい錦之助が今月つとめる四つの役についていえば、一番は放駒、二番が虎蔵、ついで与五郎、だいぶ離れて四番目が磯部侯ということになる。放駒は、前回書いたように、幕切れの美しさが余人にないものがあったのに興味を感じたので、それを非凡とみて第一位にしたのだが、全体として見ればすこしおっとりしてもう少し、生意気とか激しさとか、鋭いものを秘めた感じがほしい。これは演技よりむしろ仁に関わることであって、だから虎蔵の方を上位と見る人がいても不思議はない。亡父四代目時蔵に、単に見たさまだけでなくそっくりである。役者の仁としてこのあたりが父と重なり合う、本来的な役どころなのだろう。 与五郎はむしろ努力賞としての評価である。この人の人としての素直さがストレートなぐらいよく出ていて、それがおのずと与五郎という役に通じているのがポイントとなる。磯部侯はこの際、あえて評なしとしよう。

さて問題は、この新・錦之助が、どのあたりを自分の役どころの本領と見極めるかである。今度の虎蔵に見るように、父の四代目時蔵と共通する仁を持っていることは疑いない。その点では、兄の現・時蔵よりも色濃いものを感じさせる。しかし柄からいえば、女形は所詮加役として以外には考えにくい。いまの年齢・立場からいっても、いろいろな役が回ってくることも想像される。大事なことは、そのときに、さまざまな役をこなしつつも、単なる便利屋にならず、どれだけ「本領」を持つ役者としてのひと筋のものを貫けるかということだろう。

さっき、今度の磯部侯をあえて評なしといったが、あそこには新・錦之助としての「自分の色」が、私には見えなかったからである。ある意味では、時に拙い役があってもいいのだ。その代わりには、余人にない何ものかをもって光を放つ役者でなければならない。錦之助の名にふさわしい第一歩として、虎蔵以上に、放駒の幕切れの輝きを敢えて第一位に挙げた理由もそこにある。

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随談第180回 今月の歌舞伎から(その1)襲名の「口上」に涙ぐんだ

『演劇界』が休演に入った、その補いというのでもないが、こういうタイトルで新企画を始めることにする。劇評というほど大袈裟なことでもない。また網羅的に扱うこともしない。とくに触れておきたいこと、一言ありたいことなどなど、「一押し」とどう棲み分けをするかなど工夫もいるが、あくまでも「隋談」の内、回数も随時ということにしよう。

さて錦之助襲名のこの月、その「襲名披露口上」が格別な感動があってよきものだった。坂田藤十郎や勘三郎のような大物俳優の襲名の口上とひと味違う、最近ちょっと忘れていた新鮮な感動である。

もっとも、舞台にずらりと並んだ人数からいうと、藤十郎や勘三郎の時よりずっと多い。舞台下手寄りは親戚一同、しかもその多くは子供たちである。大元は三代目時蔵、その孫とひ孫たちだ。三代目時蔵は野球チームができるといわれたほどの子福者(という言葉、少子化とともに古語になってしまった)だったのに、四代目が早世し、錦之助と賀津雄(嘉葎雄という難しい字に変えたのはかなり後のことだ)が若くして映画に行ってしまったりで、歌舞伎界にひとりもいなくなってしまうという運命の皮肉に見舞わる。それが孫、さらにはひ孫の代でこうして、子福者三代目時蔵の夢が甦ってきた感がある。小唄好きだった初代吉右衛門が、上機嫌なときに唄ったという「ひいじいさん、ひいばァさん、おじいさんにおばあさん、おとっつァんにおっかさん、おじごにおばご、息子と娘、お兄さんに弟御、姉に妹、孫ひこやしゃご」という自作の小唄を思い出した。(こういう言葉にも注釈が必要な時代だが、「ひこ」は孫の子、「やしゃご」はそのまた子である。)

信二郎の新・錦之助は、二歳のときに父を亡くしたから顔も覚えていないという。そのことを、一座している年配の諸優はみな知っている。ことさらなことは言わないが、おのずから、それが懇篤な言葉になってあらわれる。先代の思い出話ひとつ語るにも、ひと通りでない思いがこもる。普段はこういうときあまり饒舌でない芝翫が、いつにない長話をしたのも、その人柄をもしのばせて心に染みた。いまの師である富十郎の、先代とは「ただひとりの親友」という言葉には、取りようによっては不用意とも取られかねない、迸る思いが察しられた。(これぞ富十郎である!)それにしても、これだけ大勢が並んでいて、先代より年嵩なのは、もうひとり雀右衛門ぐらいなのも、時の移ろいを改めて痛感させる。

信二郎といえば、先代勘三郎が『法界坊』の通しを国立劇場で出したとき、永楽屋の丁稚を、たぶんはじめての大役であろう、やっていたが、勘三郎が笑わせるものだからセリフが言えなくなってしまい、後ろの席の紳士が「あの子役はダメだなあ」と呟いたのを思い出す。その折ロビーで、まだ中学生ぐらいの時蔵が、母堂(つまり四代目未亡人である)をエスコートするように歩いていたのが、今なお瞼に焼きついて忘れがたい。その姿が、時蔵さんは弟思いで、という口上の中で誰だったかの言葉とともに私の中で甦った。

新・錦之助は、とりわけ「角力場」の放駒の幕切れ、思い切り大きく足を割って低く体を沈めてお定まりの形に決まったとき、白面が桜色のように紅潮するのが、役の性根と相俟ってじつに美しかった。この花こそが、錦之助の身上だろう。

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随談第179回 ‘50年代列伝(その13)昭和30年の死

*今回から「昭和20年代列伝」を表記のように改題します。

思いつくままに、まず青島幸男、船越英二、高松英郎、根上淳、丹波哲郎、それから植木等・・・。まだいたはずだ。このところ、昭和三十年前後に映画・テレビで売り出した面々の死が目立つ。大正末から昭和初年の生まれだから、ざっと八十年配、まあ歳に不足はないわけだが、いかにも時代の終りを感じさせる。月並みな言い方だが仕方がない。

社会的には「もはや戦後ではない」という言葉が流行した時代であり、個人的には中学・高校時代の「もはや子供では」なくなろうとしていた季節だった。思えば、この「季節」に目に飛び込んできたものが、その後の自分の世界を形づくる一番の基盤になっているような気がする。(いまに於いてさえ、なお。)

上に挙げたような名前とともに甦るのは、リーゼント・スタイルという安ポマードと安チックで前髪を盛り上げ、左右の髪を後ろに撫でつけたヘアスタイルで、これがいかにも「戦後的」な匂いを発散する。丹頂ポマードと丹頂チックの、スターではあったがまだ大家ではない三船敏郎を使った広告を雑誌の裏表紙などでよく見かけた。(石原慎太郎・裕次郎兄弟が出現して慎太郎刈という短髪のヘアスタイルを流行させたのもこの時期だが、あれは、なんとなく軟派っぽいリーゼント・スタイル文化に対する批評だったような気がする。一方返す刀で、坊主頭の古めかしさに対しては逆に軟派っぽく見せるという、明治の散切り頭以来の男のヘアスタイル史上、画期的な出来事だというのが私の解釈である。)

歌舞伎畑でいうと、大川橋蔵、先代門之助、岩井半四郎、今の富十郎の坂東鶴之助、今の坂田藤十郎の中村扇雀、そして誰より今の雀右衛門の大谷友右衛門という人たちの、雑誌のグラビア頁で見た素顔の写真が目に浮かぶ。リーゼント・スタイルで二十代・三十代を生きた人たちの独特の匂いである。雀右衛門も富十郎も、植木等も船越英二も、大家になった後の姿しか知らない世代の人には、おそらくわからないかもしれない共通の匂いだ。

ひと言でいうと、「安っぽい」のである。誤解されると困るからすぐに言い添えておくと、それは「若さ」ということとほとんど同義であり、もっともらしい円熟や貫禄といった、前時代の価値観を拒むものを秘めている。いまにして断言できるのだが、それこそが、この「季節」を短いがそれ独自の意味と価値をもつひとつの「時代」であったことを示すメルクマールなのだ。植木等が死んでその無責任男を高度成長期の逆説的シンボルという論評が方々で聞かれたが、あの軽々と飛び回る植木等演じる無責任男の身の軽さが、じつはこの括弧つきの「安っぽさ」から生まれ、培われていることを、実は言い落としてはいけないのだ。戦前派や戦中派から見ていかにも「軽薄」で「安っぽく」見えるがゆえに、それは新しい価値でありえたのだ。そうしてその「軽薄さ」「安っぽさ」が、それを批判し軽視した前代の人々の知らない批評性を秘めていたことは、いま思えばあきらかだろう。

雀右衛門にせよ、富十郎にせよ、歌舞伎の芸ということを離れて私が彼らに感じるのは、瞬時に消えてゆくようなはかなさであり、それゆえの哀切さである。それは私にとって、父よりも若く兄よりも年嵩の、この世代の人たちに共通して感じる、涙ぐむほどに懐かしい何ものかなのだ。

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