随談第142回 観劇偶談(その71)映画『太陽』

話題の映画『太陽』を見る。怪作にして快作である。

アレクサンドル・ソクーロフという「異国人」(しかもロシア人だ)が「昭和天皇」という人物の、しかも1945年8月15日をはさんだ何日間かを、密着取材以上の至近距離から追い続ける。しかも、記録映画ではなく、『日本のいちばん長い日』式の重厚な「時代物」でもなく、天皇個人の日常を追う、ときにヒョウキンでさえある「世話物」として、一篇の劇映画に仕立て上げるなどということを、日本人の誰が考えたろう?(日本ノ映画人ハナニシテルンダ?)

しかも(という言葉はこれで四度目だ)ポツダム受諾の可否を前にしての防空壕内での御前会議から、敗戦国の元首としてのマッカーサーとの会見というハイライト中のハイライトを捕らえ、人間宣言に至る心の揺れを追うという、普通なら腰を引いて、客観的・記録的な「硬派」の映画にするところを、イッセー尾形を天皇役に起用して「軟派」風の仕立てにする大胆不敵さ。この配役が、映画の成否の鍵を握っている。

マッカーサーに会う前、皇太子に自分の考えを手紙に書き(皇后も皇太子も天皇ファミリイはみな疎開していて皇居内で天皇は孤独の生活をしている)、アルバムを広げて家族の写真を見、つづいてハリウッドのスターの写真に見入る。ページを繰り、やがてチャップリンが現れる。マッカーサーと会見する天皇のモーニングにシルクハットの姿がおのずから重なり合う。

天皇の姿をはじめてみるアメリカの兵士たちも、さらにはマッカーサー自身も、やがてそれに気づく。チャーリーだ、と兵士は叫び、マッカーサーもにんまりする。このところが、実に利いている。イッセー尾形でなければ、この卓抜なアイデアは実現不可能であったろう。(天皇がチャップリンに似ていなかったら、日本の戦後史はどうなっていただろう? ということまで、ふと考えてしまう。)

もうひとつ秀逸なのは、ラスト近く、疎開先から桃井かおり扮する皇后が帰ってきて夫婦ふたりだけになるシーンである。皇后の帽子を留めたピンが髪にからんでうまく取れないのを、「夫」たる天皇が手伝ってやる。「妻」である皇后の胸に顔を埋めた「夫」が、人間宣言をする意志を告げる。「妻」が、きっとそうなさると思っていましたと答える。「夫」が、「あ、そう」とうなずく。「妻」も「あ、そう」と応じる。この「夫婦」の会話。昭和天皇の有名な口癖、「あ、そう」をこれほどうまく使った例があるだろうか?

その他にも、天皇の緊張して硬直した口調と不器用な身のこなしや、ご下問を受けてガチガチになっている学識経験者にむかって、突如、やさしい言葉をかけてやるときの、いまでも園遊会などのニュースなどで見かける、列席者と言葉を交わす現天皇にも伝わっているあの雰囲気を、じつにうまくつかまえている。ああ、そうか、と見るこちらは思う。

イッセー尾形の物真似をほめているのではない。そうした細部を積み重ねて、やがてわれわれの胸に突き刺さってくるのは、昭和史の、いや日本史上最もスリリングなあの日々の持つ、重い意味である。

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随談第141回 観劇偶談(その70)稚魚の会・歌舞伎会合同公演

他に書く場がないので、第12回の合同公演の評判記を書くことにしよう。

まず『修禅寺物語』。田之助指導とある。A班のかつらは歌舞伎会のベテラン徳松、B班は稚魚の会11期生の由蔵とキャリアからいっても仁からいっても対照的な配役。徳松は仁より芸で見せる行き方だが、新歌舞伎のこういう役も見事にこなしてしまう力量には感心する。感触からいうと、現在の第一線の人よりも、むしろもうひとつ古い時代の新歌舞伎を思い出させるような味があるのが面白い。ねばりのあるセリフの力強さがそう思わせるのだろう。由蔵は柄と仁が役によくかなっている。面を付け手負いになって登場するところなど、綺堂好みの怪奇趣味の面白さがあった。

歌舞伎会の坂東悟と13期生の尾上松五郎が、A班とB班で夜叉王と修禅寺の僧という対照的な役を交替するのは面白い配役だ。どちらもよくやっているが、夜叉王の芸術至上主義の頑なさは松五郎の方があった。僧の方は悟にいい味があった。こういう役はまだ若い松五郎にはかえって難しい。 頼家はともに14期生の蝶之介と梅之。高く張った謳うセリフがふたりとも立派。A班のかえでと春彦が喜昇と獅一、B班が竹蝶と隆松。指導の薫陶よろしきが察しられる。まだ芸名のない18期生が鎌倉方の軍兵の役で出演している。

中幕は舞踊三段返し。『廓三番叟』のような格と味と風情で見せるような踊りは若い彼らには一番の難題であることがわかる。まつ葉の振袖新造がいい風情をしている。

『願糸縁苧環』は常磐津による「妹背山道行」。国久のA班のお三輪と伊助のB班の求女がいい。国久はなかなかの研究熱心と見える。B班の京三郎のお三輪も、可憐な風貌も味があるし、哀れがあっていい。A班の春花の求女も二枚目への可能性が見える。橘姫の京珠と福緒はともに17期生。サマになっているだけでもえらい。

『三社祭』は段一郎・富彦のA班、国矢・左字郎のB班ともに、『修禅寺物語』では金窪兵衛の郎党コンビという隠し味のような配役。両コンビともよく踊って敢闘賞ものだが、とりわけ左字郎の悪玉が秀逸だ。この人、普段でも目につく存在だが、踊りのセンスがこの中では抜群だ。

『引窓』は、与兵衛・お早・お幸をA班が橘三郎・仲之助・嶋之亟の歌舞伎会組、B班が猿琉・春之助・歌女之丞の稚魚の会組、濡髪は12期生の吉六・13期生の茂之助。稚魚方は歌女之丞以外は若手揃いである。

橘三郎は、前身をとくに匂わせない地味なやり方で、ベテランらしい安定感と要所を盛り上げる緩急が巧い。猿琉は研究熱心らしく、細部にまで気を配った努力賞もの。もう少し緩急が出るといいが、16期生とは思えない。13期生の仲之助、16期生の春之助は、世話女房は一種の後見役といわれるようなこまかい気配りの身に付き方は三期分だけのキャリアの違いはあるが、ともに初々しい女房ぶりが好もしい。お幸は技術的には歌女之丞が勝るが、巧さがかえって平板に通じるのが巧者のベテラン故に陥りがちな難。嶋之亟は「濡髪の長五郎を召し取った」をきっかりと言うなど、全体の構成を考えた芝居がいい。

ふたりの濡髪はちゃんと役になっている。やや甘いが敢闘賞。

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随談第140回 観劇偶談(その69)映画『トランスアメリカ』

評判の映画『トランスアメリカ』を見た。女性割引の日だったせいもあるが観客の95パーセントは女性だった。女性への性転換目前の男が息子と対面するなどという話は男性向きでないのかもしれない。が、なかなか面白かった。

非常に面白かったのは、女優フェリシティ・ハフマン(不明にして私はこの大変な女優の存在をこれまで知らなかった)の演技であり、もうひとつは、アメリカ映画という一定のパターン(この非常にすぐれた作品といえども、そのパターンの約束事の中で作られている)に沿いながらでも、こういう映画が作れるのだなという感慨であり、ひいては、そこから敷衍される、型や約束事と劇のテーマや演出の関係という問題である。

ハフマン演じる主人公は、性同一性障害のために女性への転換を目前にしているという状況の中で、(弁慶ではないが)生涯ただ一度の女性との性交渉から生まれた息子と対面する破目になる。予期せぬ衝撃に呻きながら思わず股を開いて座り込んでしまったり、女になり切れない姿を演じるハフマンは、とうてい女優とは思えないほどだが、面白いのは、じつは父親であることを知らせないまま息子と旅を続ける過程で、女らしく装うときほど男であることが透けて見えてしまい、ヒッピーに車ごと一切を持ち逃げされてTシャツにジーンズの腰巻スカートという普段着くさい姿になってから、かえって女らしく見えはじめることである。

もちろんそういうことは、演出にも演技にも織り込み済みの緻密な計算の成果でもあるわけで、まだ父親とは気づいていない息子から、綺麗だ、お前とやりたいと真剣に迫られるところなど、まさに性の境界の狭間に揺れている、底光りのする美しさがある。(美しさ、といわねばなるまい?)トランスアメリカというタイトルは、おのずからトランスジェンダーを重ね合わせ、暗示するという仕掛けになっている。つまり、往年の有名なロマンス映画の題名ではないが、心の旅路、なのである。

ところで、さっきも言ったように、これだけの巧妙な仕掛けがありながら、この映画といえども、はじめに問題提起があり、途中それをめぐるドガチャガがあり、最後はめでたしめでたしという、アメリカ映画のお定まりパターンの定石に忠実に従って作られている。こういう風に作られていれば、アメリカの観客は、ああ、よかったねと家族や友人とほほえみを交わしながら映画館を出てゆくのだろう。ときにそれが鼻についたり、食いたりなく感じたりすることはあっても、この定石は、時代とともに次第に手が複雑になっては来ても、基本的にはハリウッド成立以来変ることはない。

つまり、それこそが「型」であり、アメリカ映画はまさしく「型の文化」なのであり、もうひとつ「つまり」をいえば、「型」の文化であるという点で、アメリカ映画は「カブキ的」なのだ。「型」を成立させるのは、一方ではストーリイ・テリングの巧妙さだが、半面、「型」があればこそ、巧妙なストーリイ・テリングが可能になるのだ、とも言える。

この映画を見ながらつくづく思ったのは、これだけの問題やテーマを持ち込んでも、呑み込み、咀嚼できる「型」の胃袋の強さである。

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随談第139回 今月の一押し(その4)

今月は候補が三人いる。

ひとりは市川亀治郎である。観劇偶談の(64)にも書いた先月末京都の造形芸術大での「瓜生山歌舞伎」に引き続いての「亀治郎の会」で演じた『奥州安達原』の袖萩・貞任の二役である。くわしい評は今月末に出る『演劇界』に書いたからそれをご覧願いたいが、演技の良し悪しに留まらず、プロデュース的な意味合いまで含めて、これはおそらく年間を通じての問題作となるであろう。

この「今月の一押し」は、第一回のときにも書いたように、ときには洒落や、劇評などでは触れている機会がなかったり、うっかり見落ちしがちな小さな役や、あまり人が言わなかったりする存在など、ともかくなんらかの「遊び」のあるものにしたい、というのが狙いである。もちろんこんどの亀治郎を選んだって差し支えないのだが、じつはこの『安達原』を見ながら、これだ、と思っていた役者が別にある。

安倍宗任の中村亀鶴である。その躍動感、剽悍さ、これぞまさに「奥州のあらえびす」である。まつろわぬ民の荒ぶる魂を、主役の貞任以上に、舞台の上に躍動させる役である。ある意味で、作者がこの作に籠めた真意を体現するのはこの役だと言える。

もちろん、この役はもうけ役である。だれがやっても拙かったという記憶はない。しかし、この役に限ったことではないが、儲け役をひと通りの儲け方しかしてくれないときのもどかしさというものは、なんとも歯がゆいものだ。

これまでに見た宗任というと、まず思い出すのが、どちらも故人になってしまったが、延若であり、羽左衛門である。ふたりとも、片方は壮年期の、片方は円熟期の十七世勘三郎の袖萩・貞任で演じたのだったが、貞任とのバランスといい立派な、錦絵のような素晴らしい宗任だった。今度の亀鶴は、そうした立派さという意味では二人の大家のようなわけにはいかないのは当然としても、舞台の上にまるで一陣のつむじ風が来たっては去り行くような猛々しさと臨場感の点で、この二人と並べて置いても遜色ない。すなわち、これが今月の随一である。

だがもうひとり、三人目の候補としてせめて名前だけでも挙げておきたい素晴らしい役者が誕生した。今月の歌舞伎座で初舞台を踏んだ坂東小吉である。

先達て惜しくも亡くなった坂東吉弥の孫だそうだが、今月第一部の『たのきゅう』で狂言半ばに三津五郎から披露があった。『たのきゅう』でもちゃんと役があって、目がしっかり定まっていていい子柄だと思ったが、これは、と思わせたのは、第二部の『駕屋』で三津五郎(これがまた、大和屋代々独特のすっきりといなせな小品舞踊で素敵である)にからむ犬の役で、三津五郎とちゃんと渡り合う、そのセンスのよさである。(三津五郎はきっと、『鳥羽絵』を小吉と踊りたくなったに違いない。)

吉弥の孫だから小吉、というわけだろうが、勝海舟の父親、つまり「父子鷹」の「父」の名が勝小吉である。いかにも江戸の勇みを感じさせるいい名前だ。祖父の吉弥も、曽祖父の好太郎も、いい孫、いいひ孫をもった。泉下の彼らのためにも喜びたい。

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随談第138回 観劇偶談(その67) 芝居ってなんだ?

三越劇場で『鶴八鶴次郎』を見ながら、ああ、芝居というのはこういうものだったんだな、といまさらながら胸を突かれた。一定の形式(いまはあえて様式とは言わない)と日常性に基づいた確かな写実とが、押しくらをしながら均衡と調和を保っている。古臭いようでいながら鮮度が落ちていないのは、形式と写実という相反するものが相せめぎながら、ひとつの様式にまで達しているからである。あとは、新派の演技者たちの熟達の技芸がそれを具現化する。

それにしても、こういう芝居をしているときの波乃久里子というのは、もう人間国宝になったっていいのではないだろうか。有楽座支配人の役の柳田豊など、人物とともにこの戯曲の時代そのものを切り取ってきたみたいな存在感をもって、いまそこにいる、といった風情である。生きながらの文化財みたいなものだ。

やや旧聞になってしまったが、7月末に東京芸術劇場で東宝現代劇の『恍惚の人』を見たときにも、やはり同じようなことをつくづくと思った。こちらは初演以来まだ二十年で、この劇によって老人介護の問題が提起された、いまも切実なテーマをもつ内容だけに、芝居の形式と日常性と写実とが、一層さしせまった緊張感とともに、劇としての均衡をみごとに作り出している。

主役の児玉利和をはじめ出演者全員が、かつて菊田一夫が芸術座などの現代劇路線を打ち出す一方で、それを支える演技者を育成するために作った「東宝現代劇」の俳優たちである。普段は、芸術座や帝劇などで、スター俳優たちが主要な役を演じる陰で、さりげない役をさりげなく勤めている俳優たちである。顔は馴染みでも、名前は知らないという観客も少なくないだろう。現に児玉も、主役を演じたのはこれがはじめてらしい。

しかし永年つちかった彼らの確かな写実演技は、じわじわと見るものの心を捉え始め、作のはらんでいる訴えは粛々と見るものの胸に染み入っていった。スター芝居にともないがちな自己主張も、また逆に、社会劇にとかくこびりついた過度なメッセージ性もなく、淡々としかし確実に訴えるべきものを訴えた。

もちろん、演劇はひとつではない。多種多様、いかなる形態も演技法も許容される。しかし『鶴八鶴次郎』を見、『恍惚の人』を見るにつけ、芝居というのは結局、写実にはじまり写実に返るのではないかと思わざるを得ない。どんな反写実も、超現実も奇想天外も、荒唐無稽も、写実を離れ切ることはできない。歌舞伎のはじまりが物真似狂言尽しであったように。シュールレアリズムのすぐれた画家であるほど、卓抜のリアリズムの技術を土台にしているように。

この前書いた『夢の痂』にしても、作者の天皇責任論の主張と演劇としての均衡がばらばらになりそうなぎりぎりで、何とかそれを繋ぎとめ、作者の訴えを見るものの胸に届かせることができたのは、核心の部分を演じる角野卓造と三田和代の演技が、練達の写実の芸を踏まえているからだ。もしふたりの芸がなかったら、作者が自身で講演会を開いた方がよかったということになっていたかもしれない。

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随談第137回 観劇偶談(その66)舟木一夫と風間杜夫

新橋演舞場で恒例になっている舟木一夫の公演が今年で10回目になった。この公演のことは、前にもこのブログに書いたことがあるし、今月の公演のプロフラムには舟木一夫掌論みたいなものを書いたから、ここではちょっと別なことを書こう。

今月、舟木は野口雨情を演じている。第一回の演舞場公演のときも雨情だったから、いわば再演だが、四回目には竹久夢二を演じている。(この『宵待草-夢二恋歌』は脚本もなかなかよく、過去10回の中でも出色だった。)こういった、明治から大正・戦前の知識人や文化人の役をするときの舟木というのは、じつはちょっとおすすめといっていい。

演舞場公演では、『沓掛時次郎』や『雪の渡り鳥』『瞼の母』といった長谷川伸の有名作や『月形半平太』『狐の呉れた赤ん坊』『薄桜記』といった時代劇の有名作も演じていてそれも悪くはないが、それよりも雨情や夢二を演じる舟木の方が、演技者としての資質からいっても、わたしには興味がある。

まだアイドルだったごく若いころに、川口松太郎や先代水谷八重子から新派に誘われたという話も聞いた。やはりアイドル時代に、『佐々木與次郎の恋』という脚本を演じている。いうまでもないが、佐々木與次郎というのは漱石の『三四郎』に登場する、熊本から上京した生真面目な田舎者の三四郎と対照的な町っ子で、教室を出て町へ行こう、などとそそのかしたり、小さんという名人と同じ時代に生まれ合わせたことはわれわれだけに恵まれた幸運である、などと三四郎を煙に巻いたりする男である。

漱石は三四郎と対比させ、狂言回し的な役割を演じさせるために、軽薄なシティボーイぶりをやや強調しているが、時代の新思潮の空気を吸って軽やかに生きる都会派青年という、近代の日本がはじめて持った新しいタイプの人間として興味深い存在でもある。(明治十五年以後の生まれ、という世代論を漱石は與次郎の口を通してさせている。)そういう人物を主人公として描いた脚本を、アイドル当時の舟木に与え、演じさせるということを考えた企画も端倪すべからざるものがあるが、そういう企画を考えさせた舟木という才能もまた、ただの鼠ではないというべきだろう。

それから幾星霜、妙な大家などになり遂せず、いまも瑞々しさを保っている舟木一夫という才能に、私は関心を抱くようになった。

同じこの月、三越劇場では新派がかかり、波乃久里子の鶴八を相手に風間杜夫が鶴次郎を演じている。前にも既に『風流深川唄』を共演しているから、こんどまた無事つとめ遂せたことで、これは今後のひとつの路線と成り得るであろう。

まだ発声にちょっと疑問が残るものの、『鶴八鶴次郎』という新派古典をさほどの違和感なく勤められるというのは、つまるところ、身体に新派と馴染み得る雰囲気を持っているからだ。舟木が若き日に誘われたというのも、そこを見てのことだったに違いない。それをいうなら、すっかり新派俳優になり切ってしまった菅原謙二だって安井昌二だって、もとは映画俳優だったのだ。(それにしても、風間杜夫がかつて大友柳太朗の『怪傑黒頭巾』の子役だったというのは、ちょいとしたトリビアである。)

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随談第136回 観劇偶談(その65)松井誠の芝居

明治座で「松井誠・劇団誠特別公演」というのを見た。ちょいとややこしいが、「松井誠公演」と「劇団誠公演」とをドッキングさせた公演ということであるらしい。「梅沢兄弟」に比べると、良し悪しとは別に、行き方にはあきらかに時代の違いが見える。梅沢兄弟の、よくも悪くも、バッチさがない。つまり、「3K」が排除された時代以後のセンスで統一されている。

「生きる博多人形」とみずから称する整った二枚目ぶりは、先達たちの例でいえば長谷川一夫と共通するものが多い。いわゆる「おつゆのたっぷりある」タイプで、水のしたたり方の「水量」とその水の「水質」が長谷川と共通するのである。あれで、流し目をいま以上に意識的に(いまだって相当意識的だが)たっぷりと「くれてやる」ようになれば、かつての長谷川一夫並みの人気を獲得するのも夢ではないかもしれない。

ところで、第二部の『新・四谷怪談』がなかなかよくできていて、いろいろ考えさせられることも多い。何しろ鶴屋南北のあの『四谷怪談』を、三部構成の一日の公演の内の第二部として、100分でやってしまうのである。もちろんそのためのアレンジがあるわけだが、『四谷怪談』というドラマの必要にして充分なポイントはほぼもらすことなく押さえてある。脚本=小池健三・吉村ゆう、お岩伊右衛門二役原案=岡本さとる、演出=吉村ゆう・松井誠とあるが、その手際はまことにたいしたものだ。

「地獄宿」と「三角屋敷」と小仏小平にかかわるくだりは省いてあるが、お袖と与茂七と直助の関係は押さえてある。(直助がお袖とじつの兄妹と知って死ぬことまでちゃんとやる。)小平が出ないから「隠亡堀」の戸板返しはお岩と宅悦になるが、これだって、もともと伊右衛門は宅悦に間男を勧めたのだから理屈はちゃんと合っている。

脚色者小池健三の言によれば、1991年に東京芸術劇場で上演したものを今度の上演時間に合わせて大幅に改定したものだという。15年前のその上演を見ていないのはこちらの手落ちといわなければならないが、吉村ゆうの演出上演台本と合わせて、原作の勘どころのつかみ方、それを松井誠の芝居としてアレンジする「目」の働かせ方は只者ではない。歌舞伎の『四谷怪談』に垣間見る人間心理やストーリイの荒唐無稽は、歌舞伎の約束事に助けられて成立しているが、人間心理を現代に納得させられるよう丁寧に追い、歌舞伎とは違う劇として成立させようと試みた、と小池は言う。

フームと思ったのは、おこも(つまりお菰さんである)という群集を一種のコロスとして登場させ、「聞いたか聞いたか」「はじめは終り、終りははじまり」といった巷の声、ひいては天の声として『マクベス』の魔女のような役割を果たさせる。Deed寿の音楽も、太鼓をパーカッション風に演奏して、単なる音楽の効果以上の効果を狙っている。おこもにせよ、太鼓の演奏にせよ、その衣装は時代劇の約束=通念にはまったく囚われていない。

この春に見た串田和美の演出による『四谷怪談』にも、共通する手法があったと思うが、いずれを支持するかはいろいろな意見があるにせよ、串田だ蜷川だといっているひまに、松井誠があっさりそれを超えているようにも見えなくもない。

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わが時代劇映画50選(その6)『竜虎八天狗』(東映)1954、監督・丸根賛太郎

「ジャリ向け映画」の話を続ける。

『竜虎八天狗』はそのあまり有名でない逸品だが、五部作のじつは全編を見ているわけではない。だからこの作をここに挙げるのは、むしろ、何かにつけて戦前文化と戦後文化が混在していた昭和20年代の日本映画の一断面を、子供向け活劇物時代劇に見るための一典型という意味合いでもある。

『笛吹童子』では充分に触れられなかったが、あそこにも、原作者北村寿夫のモダニズムと、尾上松之助以来の活劇映画の思想とが相乗りしていて、反りが合うところと合わせ切れないところとが混在していた。地獄の妖婆に育てられた自然児胡蝶尼という役(高千穂ひづるがじつに適役である)などには、ハウプトマンや鏡花などの影すら窺えそうだし、悪鬼と怖れられる霧の小次郎が、実は胸底にナイーヴな善心を秘めた貴公子であるという人物造形にも、西洋の影を感じさせる。

その反りの不整合をある意味で救い、ある意味で隠蔽したのが、若き錦之助・千代之介の瑞々しさであり、大友柳太朗の霧の小次郎の憂愁のロマン性だった。藤蔓で編んだ架け橋の畚(ふご)渡しとか、肉付きの面とか、霧の小次郎の幻術といった活劇映画伝来の手法は、一方で立川文庫と平仄を合わせつつ、日本的ロマンとでも呼ぶべき、万人の胸奥にまで響きを届かせる魅惑を秘めている。

ふしぎなことに、こうしたロマン性は、間もなく映画隆盛期になりカラー作品が主流を占めるようになるのと反比例するように、時代劇映画の中から薄れていってしまうのだ。

『竜虎八天狗』は、『神州天馬峡』『月笛日笛』など一連の吉川英治の少年小説が原作である。真田幸村の一子真田大助が、天下を奪った徳川家康に、豊臣方の残党とともに立ち向かうという、立川文庫の世界を少しモダンに塗り替えるところに作者の意図があった。猿飛佐助らの真田十勇士に代わる八人の勇士たち、というわけである。

徳川退散をめざして行く先々で、さまざまな縁の糸が結ばれ同志がふえてゆく。三蔵法師が孫悟空以下のお供と出会うのも、桃太郎に三匹の家来ができるのも、鞍馬山を出た牛若丸に伊勢三郎や駿河次郎ら四天王が集まってくるのも、みな基本形を同じくする、力弱い貴種のもとに庇護者のように下層の者が寄り集まるという日本的・東洋的ロマンの「かたち」であって、人と人の関係のコアを思わせる起源神話の末裔である。

真田大助の東千代之介もこの人の佳作のひとつだが、その姉役の千原しのぶが、清楚にして凛とした知性を感じさせて、中学生だった私のひとつの理想的女性像のように思われた。浮世絵風お色気で有名になるこの女優の、あまり人が言わない半面として推奨する。

この映画のもうひとつの面白さは、沢田清、吉田義夫といった二線級の敵役の役者たちの、二線級ならではの魅力である。とりわけ、来喬太郎という忍術使いの役の沢田清が、白面に目張りを利かせた古風なマスクが、もういまの歌舞伎俳優にも見られないような妖しい魅力で忘れがたい。戦前派が見せた最後の底力だったのかもしれない。一方吉田義夫は、このころからその怪異な風貌を知られ始めたのではなかったか。

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随談随筆(その3) 親切な寺だ

昭和の黙阿弥といわれた劇作家の宇野信夫さんは、若いころ六代目尾上菊五郎のために多くの戯曲を書いたが、菊五郎のことは随筆にも倦まずに書いているので、舞台を見たことのないわれわれでも、そのひととなりを知ることができる。

宇野さんが菊五郎に気に入られて旺盛に作品を書きはじめたのは、戦前の、昭和十年代のことで、菊五郎が名優の名をほしいままにしていた盛りのころだが、ある秋、京都の南座に出演することになった菊五郎に同行して生まれてはじめて京都へ行った。若いころの宇野さんは旅行嫌いで、修学旅行すら行かなかったらしい。

京都ははじめてだと聞くと、菊五郎はびっくりして、暇があるとほうぼうへ連れていってくれた。醍醐寺に行ったとき、この寺は時雨がいいんだ、などと話をしているうちに、さあっと、ひと雨やってきて過ぎていった。菊五郎がにっこりして、

「親切な寺だ」

と言ったという話を、宇野さんは何度語っても飽きないという風に繰り返し書いている。闊達な菊五郎の笑顔が、白い歯まで目に浮かぶようだ。

ところで今年、わたしは二度までも、京都で親切な寺に行き合わせた。

あるときからわたしは、金閣寺というものを、もういちどしっかりと見直してみたいと思うようになった。学生時代に見たきりで、そのころは、金閣寺なんて観光名所の定番絵葉書みたいで、金ぴか趣味で銀閣の方が趣きが深い、などと俗流侘び寂び論みたいなことをうそぶいて、あまり熱心に見なかったのだ。

そうではあるまい、と思うようになったのは、金色(こんじき)というもののふしぎな深さに心を惹かれるようになったからだが、そう思いつつもなかなか折がなかった。この一月、仁左衛門と玉三郎が勘平とお輕をやる『忠臣蔵』五・六段目を見に大阪の松竹座に行ったついでに、一泊して翌日、金閣を見に行った。寒中の平日なので、閑散としている。わずかな観光客が交わしている言葉のほとんどは、中国語でなければ韓国語だった。

バスを降りたころからぽつぽつ来ていたのが、やがてちょっとした降りとなった。村雨に煙る金閣はひと際うつくしかった。村雨は、ちょうど見終わって帰るころには上がって、もう晴れ間が見えている。幽玄とか寂びとかいうものは、こういう移ろいのなかにこそあるのではないのか、という気がした。何にしても、親切な雨であり、寺である。

もうひとつはこの夏である。これも芝居を見に来たついでだが、永観堂の見返り観音をまだ見たことがなかったので見に行ったのを機会に、つい隣りの南禅寺の方丈を拝観しているとき、雷が鳴って激しい夕立が来た。その日の京都は梅雨明けの、後で聞けば三十六度という猛暑である。夕立は、しかし京都の雨らしく、ほどなく上がった。

南禅寺といえば山門だが、あのボリューム感の見事さはいつ見ても感服するが、しかし、真夏の午後四時過ぎ、雨上がりの山門の美しさに、わたしはしばし見惚れた。石川五右衛門が絶景と言ったのは春の夕暮れの南禅寺だが、夏の夕暮れは知らなかったのか。

いずれにしても、金閣寺といい南禅寺といい、なんとも親切な寺であった。

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随談第135回 観劇偶談(その64)瓜生山歌舞伎

先週末、京都造形芸術大学内にある春秋座の舞台で亀治郎の『奥州安達原』を見た。その舞台は、そっくりそのまま、今週東京で「亀治郎の会」として公演が行なわれるから、そのみごとな成果のほどはそれを見ていただければわかるし、わたしも「演劇界」に評を書くことになっているから、ここではそういう話はしないことにして、「瓜生山歌舞伎」と銘打った京都での公演についての話をしよう。

瓜生山というのは、大学のキャンパスがその山裾にある東山三十六峰のひとつである。「市川亀治郎の挑戦」というサブタイトルがついた「瓜生山歌舞伎」は、7月29日から31日まで三日間、一日一回だけの、贅沢といえば贅沢な公演だった。

これまでにも、毎年の夏、亀治郎はこの春秋座の舞台で「亀治郎の会」を自主公演としておこなってきたから、ついそれと同じように思ってしまいがちだが、今度はそれと違い大学自身が行なった公演である。正規の公演としては珍しいケースといえる。「京都造形芸術大学舞台芸術研究センター」の主催・企画・制作となっている。

春秋座はいうまでもなく、市川猿之助がこの大学の副学長に就任したことから、大学に働きかけて作った、本格的な劇場である。「京都芸術劇場」という「角書」がついている。もちろん大学の施設だから、教育施設としても使われるのだろうが、ふつうの大学講堂と根本的に違うのは、あくまでも本格的な歌舞伎を上演できる機構を備えた「劇場」であるということだ。こんどの公演では、『安達原』ともう一本、舞踊の『松廼羽衣』があったが、亀治郎の天女が宙乗りで天空に消えて幕となった。

猿之助が作った劇場だから、宙乗りの設備もあるのは当然といえばそれまでだが、セリ、スッポン、廻り舞台、客席の構造にいたるまで、これだけの機構、これだけの細心の工夫が凝らされた劇場というものは、日本中でもそうざらにあるものではない。昭和女子大学のホールが、本格的なクラシック音楽の公演がおこなわれる演奏会場として知られているが、それと双璧といってよい。

別に、自分が関係しているわけでもない一私立大学のPRをしているのではない。ここにそれを書くのは、「瓜生山歌舞伎」の試みが、いろいろな試みがなされつつある現在の歌舞伎にとって、ひとつの注目すべきものになりうる可能性と意義を、充分に持っていると思うからである。大学主催の公演といっても、現実にこの公演を動かしている主体も、それが目指しているのも、大学の宣伝などではなく、あくまでも、現代という状況の中で歌舞伎を如何にすべきか、歌舞伎がどうあるべきかを訴え、現実の中にそれを働きかけようとする運動であることが、よくわかる。

「大学だからこそできる実験と冒険を盛り込んだ、京都芸術劇場・春秋座でしか出会えない歌舞伎の世界を体験していただくための企画」とは、この公演を主軸となって推し進めてきた田口章子教授の言葉だが、まさしくこの言葉には裏も表もない。二回、三回と回数を重ねることで上方文化発信の拠点としての役割を果たしていきたい、とも教授は言う。

証拠は目前、その成果を背負った「亀治郎の会」を見ればわかる筈である。

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