わが時代劇映画50選(その2)『ゆうれい船』(東映・1957年)監督・松田定次

中村錦之助という役者の本質は永遠の少年性にある、と私は思っている。後年萬屋錦之介と名を変えて重厚そうに振舞う錦之介を見ながら、永遠の少年の影をそこに読み取ってしまう私は、違う違うと呟きつづけていた。『ゆうれい船』では、錦之助はまさしく少年の役を演じる。これ一本というなら、錦之助映画で私はこれを挙げる。錦之助の、魅力と芸の源泉がここにくっきりと現れていると思うからだ。

原作は大仏次郎が朝日新聞に連載した小説だが、「鞍馬天狗」なら『角兵衛獅子』や『山嶽党奇談』がそうであるように、これもまた、大仏の少年小説の系列に属する一篇で、です・ます調で書かれている。大仏の少年小説というのは、ロマン性に対する作者独特の理想主義が、最も端的に現われた一分野である。錦之助の持つ純粋な少年性が、最も幸福な形で、原作の香気と反りを合わせている。

錦之助の役は次郎丸という少年で、堺の船乗りだった父親が海上で消息を絶ち、叔父の五郎太夫を頼って京の都に出てきたところから始まる。都は打ち続く戦乱で焼けのが原、呆然としていると鬼夜叉という浮浪児と知り合う。鬼夜叉は次郎丸のやや兄貴分ぐらいの少年だが、この役を何と三島雅夫がやっている。俳優座の、当時すでに長老格だったあの三島雅夫である。誰の案か、この配役は絶妙である。

頼った叔父の五郎太夫は、足利将軍を倒して天下を奪った松永弾正に取り入って財をなす悪徳商人と知れる。一方、貧民を指揮する一揆の首領がじつは男装の姫君で、弾正に滅ぼされた三好家の雪姫、その三好に滅ぼされた佐々木の嫡流だが姫の心情を知って助力をする闊達な快男児佐々木左馬之助、といった人物が善玉方として次郎丸の前に登場する。松永弾正が月形龍之介、五郎太夫が進藤英太郎という鉄壁の悪の枢軸。雪姫が長谷川裕見子、左馬之助が大友柳太朗とこちらも切って嵌めたような配役。さらに前編では回想としてしか出てこないが次郎丸の父親が大河内伝次郎と、いかにもよき時代の東映ならではだが、1957年のこの年を中心にした前後数年間が、その黄金時代である。

配役もさることながら、こう述べたストーリイも、いかにも血湧き肉踊る雄渾なロマンを感じさせるだろう。監督の松田定次は東映調娯楽映画の定番を作った上質の職人監督であり、一種名人芸の域に達していたが、じつは大仏文学の香気というようなことを言い出せば、問題がないわけではない。向かっている方向が違っている。だがその間隙を優に埋めているのがこの当時の錦之助の、ちょっと類のない純粋性と躍動感である。明るく闊達でありながら、というより、明るく闊達であるがゆえにこそ、涙さえ誘われるような響きがある。感動とは、英語ではmovingだが、つまり人の心を動かすという意味であることを、この錦之助を見ていると思い出させてくれる。

前編のラスト、去ってゆく父親の船に向かって叫ぶ次郎丸少年の、人を恋い、遠いものにあこがれるかのような姿が、錦之助そのものと重なり合う場面が印象的である。この場面に流れる深井史郎の音楽が名曲で、ひところ、民放テレビのテストパターン曲に使われていた。但し名作なのは前編だけであって、後編は凡庸な活劇に堕してしまうのが惜しい。

随談第102回 番外・野球相撲噺

土曜日曜のテレビは週刊ニュースが多いせいもあって、WBC優勝のニュースがまだ興奮醒めやらずの調子で続いているのはいいが、そろそろ論調が一定パターンに流れ出したようでもある。中でもイチロー礼賛の声がかまびすしいのは、もっともでもあるが、うっかりするとそればっかりになりそうな感じもあるのがちょっと気になる。

ふだんクールなイチローが率先してチームをよく引っぱった、という。それはその通りであろうし、この論法にはもう一面、イチロー論としての側面もあるから(つまりイチローの新しい一面を発見したという)興味ある話題ではあるのだが、しかしたとえば、もうひとりのメジャーリーガーである大塚の切り札としての働きや、マウンドでの姿から想像されるチーム内での存在ということなど、もっと言われていい筈だ。宮本が打撃練習の投手を買って出たという記事も読んだが、イチロー礼賛の声の陰に目立たなくなってしまいそうだ。

イチローを礼賛することはもちろん結構だが、肝心なのは、なぜ彼がこんどのWBCにあれほど入れ込んだのかということだ。前にも書いたが、メジャーであれだけ、やり尽くすほどやったればこそ、その意義をだれよりも強く感じ取り、だれよりも深く認識したのに違いない。メジャーにあこがれ、あるいはメジャーで生き抜くために四苦八苦している段階の者には、まだそこまで見切ることができないのも、無理がないともいえる。問題は、ジャーナリズムも含めた日本の野球関係者が、今後WBCとの関わりをどう考えるかだろう。

こんどの優勝で、「野球」が「ベースボール」に勝ったのだ、という論が流れはじめているのは注目に値いする。これも、妙な自己満足の方に流れてしまうとよくないのだが、本質だけを考えると、なかなか面白いテーマになる。古来、さまざまな文化が東の果てにある「東海の小島」(啄木の有名なあの歌の、東海の小島というのを日本列島のことだと考えると面白いと西脇順三郎が言うのを聞いたことがある)に流れ着いて、本家とは一種別な文物として日本化したように、明治維新の後、東方から太平洋を渡って「西海の小島」に流れついたベースボールが、日本化して野球となった。往時の鹿鳴館で器用に西洋舞踏を踊ったハイカラ紳士と相似形の今日のメジャーリーグ礼賛者に散々くさされた「野球」が、ともかくもここで(井の中の蛙としてではなく)海外に向けて自己主張する機会ができたわけだ。

ところでめでたく千秋楽をむかえた大相撲は、優勝も三賞もすべてモンゴル力士という結果で終わった。日本史上二度目の蒙古襲来、国難ここに至ったというのは冗談で、これもアメリカ野球がホワイトだけではとうの昔にやっていけなくなっているのと同じ現象と考えるべきだろう。悔しかったら日本人力士が奮起して勝つしかないのである。

(ところで朝青龍と白鵬の優勝決定戦で、右四つになったのは、はじめ右上手が取れなかった朝青龍の方から右を差して下手から引き付けて速戦即決の作戦に出たのだ。それを、右四つになったから白鵬有利と放送したのは、データの浅読みではないか?)

随談第101回 観劇偶談(45)コクーン歌舞伎

コクーン歌舞伎の『東海道四谷怪談』、南番・北番とも初日を見た。どちらも串田和美演出のメスが入っているが、南番は基本的には脚本・場割りとも現行歌舞伎に沿っているのに対し、北番は串田演出が全面的に施される。特に「隠亡堀」以降は串田演出オンパレードであり、かつての猿之助版『千本桜』ではないが「直助編」という趣きでもある。勘三郎の役も、お岩は両番ともだが、南番が与茂七、小平と「いつも通り」なのに対し、北番では直助権兵衛を初役でつとめる。串田演出の主眼も直助をフォーカスするところにあるかに見える。

たしかに、「三角屋敷」が出ないのが通例になってしまった「現行」だと、途中から消えてしまう直助という役は、立者がつとめるいい役には違いないが、所詮は本筋には関わらない脇役に過ぎない。(もっとも役者から見れば、「序幕」と「隠亡堀」でいいところだけ見せて引っ込んでしまう、いわば荒獅子男之助とか、「床下」だけの仁木弾正のような、得な役と映っているのかもしれない。)

しかし『忠臣蔵』とテレコに作った『四谷怪談』の作意からすれば、「三角屋敷」は六段目の勘平腹切りの裏であり、直助は義士になりそこねた勘平に対応することになる。直助がじつは元は武士の生まれだという因果話をちゃんと言わせているのは、その対応を押さえての措置だろう。「三角屋敷」と行って来いで「小平内」を出して小汐田又之丞の足萎えが平癒する場面も出る。直助と小平とふたりの元足軽の生きざまが対照的に描かれているところに着目したのだろう。大詰の「蛇山庵室」も伊右衛門と戦うのはお岩ではなく直助の霊である。

原作の全場面を出すのが北番の眼目だそうだが、要は戯曲の全貌を視野の内に入れ、そこに登場する人物たちのすることを人の世の縮図として眺めようということなのだろう。全場面といっても原作を丸ごと出すのは時間的に不可能だから、その処理の仕方に串田演出がものを言うことになる。「夢の場」などは鳥籠の中に子役のお岩と伊右衛門が入っている。なるほど、ひとつの方法ではある。笹野高史の演じる伊藤喜兵衛が、南番より北番の方が存在が際立って見えるのも、人間社会の万華鏡の一人として映るからだろう。

北番・南番とも、舞台の上手と下手に六面ある大きなボックスを置いて人物の出入りに使うのは、新劇の演出家として歌舞伎の定式を破るための措置だろう。舞台の上に「所作高」と同じぐらいの車付きの舞台を置いて場面転換させるのも、この劇場に仮に廻り舞台があったとしても、きっとこうしたに違いない。(人物、とりわけ集団の出入りについて歌舞伎から離れたいと考える一点で、串田にしろ野田にしろ、去年の『十二夜』の蜷川にしろ、共通しているのは面白い。歌舞伎の大道具の定式というものが、いかに歌舞伎を歌舞伎たらしめているか、このことから逆によくわかるというものだ。)

背景に巨大な仁王像を置いたのが、人間界を俯瞰する「目」を意識させるためなのはわかる。背景の粗いタッチのなにやらの絵は、北番ではいいが南番ではどうか? しかし串田演出と謳う以上、敢えてそうしたかったのに違いない。

随談第100回 番外・野球噺

いま、宮川泰の追悼番組を見ながらこれを書いている。プロ中のプロと出席者も言っていたが、ラテンからジャズからクラシックから演歌から、八双兼学の冴えを見せるあのダンディズムを成立させていたのはまさしくプロフェッショナルとしての意識であり、時にテレビ風の悪落ちに傾きかけても紙一重のところでするりと回避してしまうあたりが、実に水際立っていた。たしかに、プロというのはかくのごときものをいうのであろう。素人くさいところが毛筋ほどもなかった。第一、芸が綺麗だった。かつての桂文楽の言い草ではないが、芸をするものはやはり綺麗でなければならない。

大相撲はまだ12日目で決着がついていないが、栃東がすでに三敗して横綱がお預けになった。先場所優勝後に土俵下で決意表明をしたりしたので、オッとおもったのだが、嗚呼、また元の木阿弥になってしまったのである。大関を狙う白鵬にはあきらかに見えるオーラが、栃東にはない。白鵬は化けたが、栃東は化けていない。化けられない人が横綱になっても、苦労するばかりだろう。ここにも、プロとしての意識の問題が横たわっている。

ところでWBCが天の配剤のような形で終わって、お祭り騒ぎ風ばかりではなく、言われるべきこともかなり適確に言われているようだが、何故私が天の配剤と思うかといえば、日本が優勝したからではない。

もちろん、優勝したことは大万歳である。しかし天の配剤は、韓国に二敗してすでに絶望した後の快挙だったことにある。アテネでもその前のシドニーでも、選手・コーチから報道人から一般ファンにいたるまで、格上意識が付き纏っているのがイヤだった。テレビ中継の解説をしていた星野仙一ほどの人でさえ、ことばの端々にそれが感じられた。敵を知らずして、おのれに甘ければ百戦危うくなるのは当然である。韓国に一勝二敗だったという今回の戦績は、日本のためにも韓国のためにも、さらにはWBCが真の世界選手権としての内容を整えるようになるためにも、まことに結構なことである。

アメリカのメジャーを無上と見るあこがれ・劣等意識と、その他の国々に対する優越意識の同居は、おもえば脱亜入欧以来の日本人の精神構造であって、野球だけに限った話ではないが、クラシック音楽はウィーンに漢籍は中国に、蕎麦は信州にうどんは讃岐に範を求めるのは、きまじめなA型人種である日本人のいいところでもある。高円寺の阿波踊りも本場の安波に留学してこんにちの隆盛があるらしい。メジャーメジャーと草木もなびくいまのプロ野球選手たちの動向も、根本的にはその反映だろう。

イチローの人気が急上昇し、返す刀で松井へ非難が高まっているようだが、(私も松井は参加すべきだったと思っているが)、審判の問題も運営システムの問題も、すべてが誰の目にも明らかに見えるようになったのも、天の配剤である。黒船が来て開国してしまった以上、外国へ行くなというのは無益な話である。小学生がサッカーの方が格好いいと思うのも、つまるところ、サッカーの方が世界へ通じていると思うからだ。解決法はただひとつ、WBCを真のワールドカップにして、日本の野球が世界の強豪に伍して一級国であることを見せること以外にはない。

随談第99回 観劇偶談(その44)菊之助小論

この月の歌舞伎座で菊之助が極め付きの富十郎を向こうに回して『二人椀久』の松山を踊っている。向こうに回して、という言い方はもうひとつふさわしくないかもしれない。新聞には、胸を借りて、と書いたが、こちらは、あまりにも建前的すぎて、じつはもうひとつ面白くない。たしかに胸を借りているのだが、しかしそれだけには終わらない何かを感じさせる。その「何か」こそが菊之助の生命である。

言うまでもないが『二人椀久』は富十郎が雀右衛門とともに文字通り半世紀余り踊り続けてきた、既に新古典である。ふたりが元気一杯の頃は、「お茶の口切」に始まる早間の件りの壮絶なほどのテンポは、雀右衛門の松山がすっと手紙を椀久の腕に投げかける一瞬の間などと、むしろスポーツに近いスリルがあった。むしろそれ故に批判的な目を向ける人もないではなかったが、戦後歌舞伎のひとつのシンボルであったことは間違いない。

それを、菊之助の側から望んで実現した今度の舞台であるらしい。菊之助の踊り振りは、至極正攻法の真っ当なものである。何かもっと目覚しいものを期待した人がもしあったとすれば、むしろ拍子抜けがしたかもしれない。その意味では、先月玉三郎と再演した『京鹿子娘二人道成寺』の方が、はるかにスリリングだった。あそこでは、菊之助は玉三郎を「向こうに回して」踊っていた。そこでも菊之助の踊り振りは正攻法で、玉三郎の「美のための技巧」の限りを尽くした踊り振りと、みごとな対照をつくっており、それゆえの気迫の渡り合いが、踊り自体の面白さともうひとつ、当代の立女形と当代の若女形の一騎打ちの面白さをも生み出していた。

もっとも、それを言うなら、二年前の初演のときの方が、さらにスリリングでショッキングですらあった。そこでは、菊之助は玉三郎に果敢に挑んでいるかのようだった。驚くことに、菊之助はしばしば玉三郎を斬りさえした。しかし呆れたことに、玉三郎はそうして斬らせておきながら、結局は平然と菊之助を絡めとってしまうのである。そういう「勝負」が、幾度となく繰り返される。

こんどの松山は、そういう感じとは違う。相手が女形同士の玉三郎でなく、立役で、しかもはるかに大先輩の富十郎であったからでもあるし、それに第一、ふたりの白拍子花子がもつれ合うのと違い、こちらは恋人同士である。富十郎自身も、長老といわれる年配に至って、かつての鋭さ激しさよりも、踊りのエッセンスをまろやかに踊るという風になっている。

それよりも私が何より心づいたのは、菊之助が踊ることによって、『二人椀久』というこの踊りは、紛れもない平成歌舞伎の古典になるのだろうということだった。かつてのアズマカブキが初演のこの踊りは、長老となった富十郎と雀右衛門の芸様の立派さゆえに気づかなくなってはいたが、じつは、昭和三十年代という「戦後」という時代を色濃く反映していたのだった。それを、菊之助が踊ることによって、踊りの色が変わって、平成の古典を予感させたのである。菊之助のオーソドクシイということを前に言ったが、いま改めて、そのことを思わずにはいられない。

随談第98回 観劇偶談(その43)国立劇場『当世流小栗判官』

スーパー歌舞伎の『オグリ』でなく、『当世流小栗判官』をかれらだけで国立劇場の本興行でやる。これも新聞には別の扱いをすることになったので、ここに書くことにしよう。

国立劇場の3月興行は、右近等猿之助一門の若手だけでひと興行受け持つという破天荒(といってもいいだろう)の興行である。去年の七月の『千本桜・四ノ切』もそうだったが、あれは鑑賞教室といういわば限定版だった。猿之助チルドレンなどという言い方も出来ているようだが、若くてレベルの揃った演技集団として、かれらを活用する国立劇場のひとつの試みとしてこの公演には注目したい。

猿之助が倒れるという予期せぬ出来事があって以来、いろいろなことが云々されているが、猿之助の健康の問題はべつの話として、場合によっては、当面、国立が丸ごと抱えてしまうということだって考えられていいと思う。とかく手薄になりがちな国立劇場の公演に、かれらの存在は貴重な筈だし、かれらにとっても悪い話ではない筈だ。

それはともかく、一生懸命の熱演は当然だが、出来栄えも相当なものである。国立劇場の本興行としてすこしも恥ずかしくない。

右近の判官は、ある程度予測できたとしても、しかし最近の、やや惑いの見えた感もある右近としては、今度のような機会はかえって惑いの雲を払ういい機会であったかもしれない。むしろいつもの余計な力みがなく、この一座でのかしら分という格もある。もう一役、かつて宗十郎がやった矢橋の橋蔵を引き受けて、思いのほか軽いところをみせたのも、ちょっと感心した。よく高校野球などで、地元で評判の断トツのエースとして前評判の高いピッチャーが、ひとりでなにもかも抱え込んで、独り相撲をとって案外もろくも打ち込まれてしまう、という図を見かける。右近にもそういうところがあるような気がしていたが、少なくとも今回は、エースとして見事に完投した。

段治郎の浪七も、最近つぎつぎと大役に抜擢された成果、というだけではない質実さを伴った実在感があった。役者として、尾ひれがついた、というやつである。美貌だけが浮きあがるような感じがなくなってきた。以前想像していたよりも、この人はなかなかのサムライであるらしい。そのことに、ちょいと感心した。

笑也の照手姫はいわゆる仁にあった役の強みだが、ある種の、言葉は悪いが開き直った結果の自信のようなものが感じられた。じつは私は、この人の今後にちょっと関心がある。

しかしこの芝居で一番むずかしいのは、万長の後家のお槙であり、娘のお駒である。これも宗十郎の傑作があり、亀治郎のヒットがあった役だが、それとは比べられないにしても、笑三郎のお槙には大いに賛辞を送りたい。代役での経験があるとはいえ、定高とか戸無瀬などと言った役とも通じる女形の大役を、これだけ手強く演じきったのはたいしたものだ。春猿のお駒は役をよく理解して演じているところに点が入る。努力賞かな。

賞というなら、しかしこの際、個々の賞より先に、まず全員がなんらかの表彰をされて然るべきだろう。所見日だけのことならいいが、残念ながら空席が少なくなかった。これを読んでくれた方々、楽日までまだ日がありますから見に行ってあげてください。

随談第97回 観劇偶談(その42)PARCO歌舞伎『決闘高田馬場』

パルコ歌舞伎の新聞評は別の人が書くことになったので、劇評よりもう少し気軽な形でここに書くことにしよう。

結論的感想をまず言えば、たのしんで見ました。早速に朝日にAさんの例によって犀利な絵解き解析風の評が載ったが、いつもながら巧妙なA氏節である。染五郎の中山安兵衛を間にはさんで、亀治郎の優等生武士史観と勘太郎の民意代表みたいな町人史観を配したシンメトリイ構成(などという言葉はAさんは使っていないが)という解釈は、天晴れな御手の内というものだろう。

今回は忠臣蔵の堀部安兵衛としての安兵衛は出てこないが、当然、そのことはみんな知っているから(パルコに来るような世代は案外知らないかな? とすると、A氏評は深読みし過ぎの独り相撲評ということになってしまうが)、事は忠臣蔵批判まではらんでいることになる。

忠臣蔵まで深読みをすることになると、当然、あの野田版『研辰』を連想することになるし、安兵衛以下が高田馬場へ駆けつける姿も『研辰』の追いかけと二重写しになることになる。それをいうなら、安兵衛が喧嘩の仲裁業に身を持ち崩して剣術の腕がすっかり鈍ってしまったというのは、勘九郎最後の舞台でやった老後の桃太郎を思い出すことになる。ま、そういうパロデイでもあるのかな。(しかしプログラムに載っている安兵衛の駆けつけの写真は、バンツマの映画をぱくった、いやさバンツマに学んだものに違いない。)

安兵衛を献身的に支援していたかと見えた勘太郎のやっている大工が、突如、敵方のスパイだったということになる設定は、A氏風に大真面目にとれば仇討に対する庶民の両面の反応を反映していることになるが、案外、プログラムの座談会に勘太郎が語っている、同時期に同じ渋谷のコクーンで芝居をする勘三郎と七之助から、お前スパイだろと言われたという発言から思いついたのではないかという気もする。

しかし今回一番目立つのは、一に亀治郎、二に萬次郎でありまして(その喜劇的才能はたいしたものだ。じつは私、彼のその才能、前から知っていたけどね)亀治郎二役の内、堀部の娘の方は去年の『十二夜』のマライヤの呼吸、マジメ侍の方は『忠臣蔵』五・六段目の千崎弥五郎の呼吸で本息でやっているから(声の質といい、サシスセソがsha/shi/shu/she/shoになるところまで猿之助そっくり)まあ見事なものだが、(しかもついこの正月、浅草で本物の千崎をやったばかりだ)、見事であればあるほど、それがこの「三谷歌舞伎」の中にすっぽりはまると、そのまま歌舞伎のパロデイに見えることになる。ということを、みんな承知の上でやっているのだろうか? 

思うに、鋭敏且つ頭脳明晰な彼らのこと、おそらくは承知の上であろう。とすると、それはどういうことになるのだろう。別なところで、亀治郎が、歌舞伎を一回壊してしまい、また新しく作り直した方がいい、と語っているのを読んだが、亀治郎に限らず、若い世代の俳優たちは、ある種の「歌舞伎崩壊」のときを直感として予期しているところがあるような気がする。

わが時代劇映画50選(その1)『白扇 みだれ黒髪』(東映、1956年)

時代劇というと剣戟、つまりチャンバラばかりを語ってすませやすいが、それと並んで情話、つまり男女の情愛を描く、軟派時代劇の系譜があった。剣戟を荒事とすれば、つまり和事である。和事の系譜を抜かして、時代劇は語れないというのが私の考えである。

中村錦之助とともに、東千代之介がブームを呼んだのは1954年以降だが、千代之介は、錦之助にくらべると線も細く地味な半面、錦之助にはない江戸の退廃のムードを持っていた。『白扇』はそうした千代之介の味が生きた佳篇である。好評だったにもかかわらず、路線として後が続かなかったのが惜しい。東映のファン層にそれを受けとめる土壌があれば、軟派派のスターとしてユニークな地位を築けたかもしれないが、無理だったか。

原作は前年に朝日新聞に連載された邦枝完二の小説で、『四谷怪談』の誕生秘話といった趣向の上に作られている。帝劇の文芸部出身である完二としては、得意の土俵で相撲を取ったわけだが、「文芸時代劇」というキャッチコピーがついていた。脚本を橋本忍が書いている。監督の河野寿一も冴えたショットを見せて気鋭らしい。

主人公は千代之介扮する田宮伊右衛門だが、坂東蓑助、のちの八代目三津五郎が鶴屋南北の役で出ていて、この南北が、中村座の座主大久保今助をゆすりにきた伊右衛門を知り、その不可思議な行動の謎の中から『四谷怪談』の物語を思いつくという趣向になっている。

座頭の菊五郎から新狂言を求められていた南北は、虫も殺さぬ優男でありながら冷酷無比の伊右衛門に興味を持つ。伊右衛門は夫を信じて疑わない妻の以和をよそに、その妹で松平家の奥女中をしている以志と密会を続け、奥向きで幅が利くようにしてやるための金が目的で辻斬りやゆすりをはたらいている。

元は船手組配下の旗本で理由なく非役に落されたのちも、再び役につくために必要な賄賂も潔しとしなかった伊右衛門が、明から暗へ一転したのは、陰で自分に助力をしていた以志の心根を知り、また以志が落とした拝領の簪を取り戻す際に脅しの手口を覚えて以来だったという過去が、次第に南北の前に明らかになってくる。その過程の綾がなかなか凝っていて面白い。運びにやや省略のあるのが難といえば難だが、語り口は巧い。

南北役の三津五郎が、さすがに映画の俳優にはない風格を見せるのが効いているし、この間に出没する宅悦の東野英治郎とか、お熊の金剛麗子とか、お熊の亭主の原健策といった名うてのバイプレイヤー連も、この頃が脂の乗りざかりだったことがわかる。以志の田代百合子は当時の東映娘役陣のひとりだが、なかなかの好演であったことをこんど見直して知った。

追い詰められてゆく伊右衛門と以志を、南北ははじめ泥中に咲く蓮の花になぞらえて同情するが、最後に至って、夫に裏切られたことを知った以和が錯乱して死ぬ様子を見て翻然と悟る。伊右衛門は泥中の蓮の花などではない。もっと深くもっと哀しい女の心根から生まれたあだ花だ。中村座の閏八月狂言『東海道四谷怪談』の絵看板のお岩の顔に、以和の面影が重なって終わるラストもいい。以和役の長谷川裕見子は、この年のブルーリボン賞の助演女優賞を久我美子とあらそって敗れ、ファンだった私を切歯扼腕させた。

わが時代劇映画50選

この前予告した「わが時代劇映画50選」そろそろ始めます。

近年さまざまな著者による時代劇映画論が盛んですが、卓論は卓論なりに、感服する一方でややむずがゆいものを感じるのも正直なところ。けっきょく、レディメイドではない自前の時代劇論を書くしか仕様がないと心づいたわけです。賛同者が得られるかどうかは、書いて見てのおなぐさみです。

とはいえ、合間を縫ってする仕事ですから断続的な掲載になります。

字数としてもいつもの「随談」と同じですが、別枠の扱いにしようと思います。そこにいささかの自負を籠めたつもりです。

よろしくご愛読ください。おもしろいと思っていただけたなら、ご吹聴ください。

随談第96回 スポーツ偶談(その5)

うかうかしている間に月が変わってしまったが、もう一回スポーツ偶談にしてしめくくりをつけておこう。

オリンピックは結局、起きても寝ても荒川静香ひとりのオリンピックということになって終わった。一将功成って万骨枯れたようなものだが、決勝の演技を見る限り、こういう結果になったのも当然と言うほかないだろう。文字通り完璧という他はない出来栄えで、心技体備わって持てるものすべてが、よい方よい方へと集中したのだ。

答えは、最善を尽くしたら金メダルになっていたという、ご本人の弁に率直に語られている通り、気力と無欲が理想的な均衡を保つ中で演技が行なわれた結果というに尽きる。もうひとつ、これもプロ指向があるというご本人の弁にあるように、彼女には、他者の目に対する意識が確固としてあることだろう。例のイナバウアーを敢えてやった根性がすべてを語っている。要するに「天の時」と「人事」を尽くすことがみごとにマッチしたのだ。

これがなかったら、アルペンの回転で4位入賞などというのは、陸上の100メートルで入賞するのと同等な、つまり下手な金メダルより価値のある快挙である筈だが、すべて吹っ飛んでしまったのは是非もない。

それにしても、フィギアスケートひとつとっても、以前はシングルとペアだけだったのが、いろいろな種目が増えたのにはすこし呆れる。新種目のすべてがいけないわけではないが、なんだか変てこなのや、むりに細分化したようなものもある。夏の大会も同じだが、そういう中で、野球がはずされたという事実は何を意味するのか、もっと考えるに値すると私は思っている。

事情通にいわせればいろいろ裏事情もあるのだろうが、煎じ詰めれば、オリンピックを仕切っている人々の文化的背景の中で野球というものの存在がきわめて希薄だということに尽きる。なじみがないから関心がない。要するにそういうことなのだ。

もちろんそれは偏見以外の何ものでもないが、しかしひるがえっていうなら、ある意味ではそれでいいのであって、そもそも野球(とかアメリカのバスケットボール)のような、プロスポーツとして爛熟しているものは、オリンピックなどに色目を使う必要はないのだ(というのが私の基本的な考えである)。大相撲に外人力士が増え、海外でも相撲が盛んになったとして、そうなったら大相撲自身が(アメリカのメジャーリーグのように)もっと国際色豊かになればよいのであって、オリンピックの種目などに入れてもらう必要はない。

それよりも、日本のプロ野球人がもっと認識すべきは、こんど開かれるWBCのような大会の意義だろう。イチローが随分熱心らしいが、メジャーリーグでやるところまでやった人間には、そこらのことがよく見えているのだ。反対に松井が王監督への義理には悩みはしたが、WBC自体には気乗り薄だったのは、まだイチローほどの余裕がないために、そこをよく見つめる目を持てずにいるのだと私には見える。しまった、俺も出ればよかった、と松井に後悔させるほどの成果を日本チームが、ひいてはWBCそのものが挙げられるかどうかに、野球の将来はかかっていると私は思う。