随談第87回 観劇偶談(その41)勘三郎の鏡獅子

伝統文化放送十周年記念新春特別舞踊公を見る機会があった。

まず富十郎が素踊りで『北州』。身体で空間に描く線の美しさ。その美しさは、もちろん身体の動きが作り出すのだが、それを美しいと感じさせるのは、呼吸であり間であり、それが生み出すスピード感であることが、富十郎を見ているとよく分かる。もちろん曲そのもののテンポがありリズムがあるわけだが、同じ曲を踊っても見る者が美しいと感じるか否かに違いが出来るのは、踊り手の身体の活動と相俟ってはじめて、踊りというものとして「実存」することになるからだろう。芸という瞬間に消えてゆくものゆえの美しさの意味を、つい思わずにはいられなかった。

そのことを最も痛感せずにはいられないのが、井上八千代師による京舞『弓流し物語』である。いろいろな舞の中でもとりわけ京舞は、もし芸のまずい者がやったらゼンマイ仕掛けの人形が動いているように見えかねないほど極端な動きと間から成り立っている。つまり人間が舞い踊る極限の形で、空間に線を描いてゆくその緊張感が、他の流儀にはないほとんど「魔力」といってよい魅力を持っている。

はじめて京舞をみたときの衝撃はいまに忘れない。国立劇場に京舞が東上しての公演だったが、先代の八千代師、小まめ師等々、出る人出る人ことごとく名手としか思えなかった中でもとりわけ忘れがたいのは、井上里春師の『椀久』だった。細い杖一本を腰に差して同じような動きが繰り返される中に、えもいわれぬ陶酔があった。正直に言って、これまで見たあらゆるジャンルの舞・踊り、ダンスの中で、私が最も心を奪われたのは、このときの里春師の『椀久』なのである。

勘太郎と七之助による『棒しばり』もよかった。十二月に歌舞伎座で踊った『猩々』と『三社祭』もそうだったが、この兄弟の踊りは、若々しい溌剌さと、きっちりしつけられた者にしかない端正さとが、ほとんど理想的といってもよいほど、見事なバランスの上に成り立っている。跳躍してふわっと下りる(落ちる)ときの間合いのよさが、求めても得られない快さをもっている。踊り自体はもっと完成度を高めてゆく余地があるにせよ、この間合いと気迫のバランスの上に成り立つ心持ちのよさは、既にかれら独自のものだ。

その、跳躍してふわっと下りる感覚を、ああこれだなと思いながら発見した一瞬が、この日のメインである勘三郎の『鏡獅子』にあった。かつて猿之助が旺盛な元気を誇っていたころ、いかにも高く跳躍して飛び降りるのを得意にしていたが、勘三郎のはそれとは違う。実際にどのようにしているのかはわからないが、見たさまの印象を言うと、フッと空間に浮かんだかと思うと、膝を畳んでそのまま、しかしある間合いを保って(つまり単に物が落ちるのとは明らかに違った間合いを保って)落下するという趣きである。その一瞬の間合いの中に、えも言われぬ充実感がある。

勘三郎の踊りは、かつてのように元気一杯踊りまくるというのとは、随分違ってきている。前シテの弥生の踊りなど、こんなにやわらかく娘の心を踊った人はいただろうかと思うほどだ。

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随談第86回 観劇偶談(その40)松竹座偶評

大阪松竹座を楽日前に見る。八年ぶりという仁左衛門・玉三郎の関西での顔合わせで昼の部など大変な盛況で、着飾った女性も多くよき風情である。夜の部には若干空きもあったが、これは東京ほど都市圏が膨大でない土地柄ゆえで、演目が理由ではないらしい。

『十六夜清心』を「ゆすり場」まで出すのと、『忠臣蔵』を「落人」から「五・六段目」と出すのは、行き届いていてこのふたりらしい。「心中場」だけでも充分うっとりさせられるふたりが、必ずのように「ゆすり場」まで出すのは、ここまで出してこその黙阿弥芝居であることをよく知っていればこそだろうし、玉三郎のおさよがあってこそそれが生きるからでもある。事実、ゆるぎのないよき安定がそこにある。

私の興味としては『五・六段目』にあった。仁左衛門の勘平はこれが三度目、ちょうど二十年ぶりという。その二十年前の歌舞伎座所演の折のビデオを、私はゼミ生に『忠臣蔵』というものを見せる好例として、年に一度必ず見ていて、見るたびに感心している。由良助役者としての定評が出来てしまったこともひとつの理由だろうが、これほどの勘平を演じる機会がなく、ファン以外には知られていないのを、現代の歌舞伎のためにももったいないことだと思っている。果して、二十年ぶりの再会は大いに満足できるものであった。

全体としてはいわゆる音羽屋型で、これは優美な二枚目ぶりを見せる仁左衛門としてよき選択であろう。しかし随所に自身の考えや工夫を主張しているところが面白い。「二つ玉」の解釈、即ち二発撃たず見得もしない。着替えをひとりでする。落入りのときの満足の表情と肉体的苦痛などなど、自己を主張するところが型のマナリスムをシャープに切り裂いて、鮮烈且つ哀切に訴えかけてくる。二人侍を迎えるところで刀身を鏡に髪の乱れを直すのがこれほど美しくも哀しい勘平はまたとないであろう。同時に、逃がすまいとすがり付いてくるおかやに対して、これほど慙愧に耐えない風情の勘平もまたとないであろう。まさに「情けなや」というセリフが、幾層もの意味合いをもって響いてくる。おそらくこれは計算ではなく、この人の芸に関わる感性が、見る者にそう感じさせるのだ。

玉三郎のお軽もまことに結構である。最もこの人らしいのは、「さらばでござんす」という一言にかける解釈と切れ味の見事さと、更にはそれをたっぷりとした情感で包み込めるようになった芸の熟成である。「落人」も、ふたりとも大きく、しかし決して老けることのない、立派な大舞台だった。おかやの竹三郎が、上方役者らしいねばりのある、充分につっこんだ芝居で実力を再認識させる。また段治郎が千崎で、いつもの段治郎の色を消して、芝居のトーンによく馴染んだ上で手一杯につとめているのにも感心した。

愛之助が『義賢最期』を、孝太郎が『矢口渡』をそれぞれもてる力を充分に発揮、好演する。義賢はもう仁左衛門がすることはないだろうから、これからは愛之助のものになるだろうし、お舟も娘方として孝太郎の最も仁にある役どころで、目下この人としての傑作と称してよい。これを足掛りにお三輪やお里が期待できる。段治郎のほかにも笑三郎、春猿、猿弥ら猿之助一門の若手四人が、配慮ある使われ方をし、またよく起用に応えている。

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随談第85回 観劇偶談(その39)

サンシャイン劇場の『獅子を飼う』を見た。兵庫県立芸術文化センターの主催で、初演以来あの阪神淡路大震災を間にはさんで14年ぶりの上演である。

たしかにこれはよく出来た劇である。秀吉と利休の対立葛藤のドラマは多くの近代作家が関心を示してきたテーマだが、この作のユニークさは秀吉を成り上がりの権力亡者ではなく、権力文化人として捕らえたところにある。文化行政者と文化マネージャーの違いはあっても、文化人であるふたりは互いがよく見え、互いの中に自分を見出し、互いに自分を見抜かれてしまう怖れを抱く。他を絶した最大の理解者同士ほど、互いにとっていまいましい存在はない。

葛藤の行き着くところ、権力者である秀吉が権力という蛮勇を揮って非権力者である利休を処刑するが、文化人同士という関係にある彼らにとって暴力は遂に敗北でしかない。処刑されさらし者にされた利休は木偶でしかなく、あきらかに秀吉とわかる黒マントをまとった男が町びとたちに、秀吉は臆病者であり利休は生きていると告げて立ち去るところで劇は終わる。暴力的権力者と非暴力的文化人の対立という図式的構図を越えた次元に設定されているところに、見ごたえもあれば秀作たる所以もある。

新橋演舞場の海老蔵の信長も洋装で宣教師フロイスから世界を知るが、この三津五郎の秀吉も洋装でポルトガル商人のペドロから西洋の知識を得、西洋のダンスまで学ぶ。(緒方規矩子によるこの場の衣裳と、それを着てタンバリンで西洋ダンスを踊る三津五郎が秀逸だ。)アレクサンダー大王の征服のその後をペドロに尋ね、大陸進出の発想をそこから得るが、その実現を言い出すのは、おのれの欲望の限界を利休に見透かされたかと怖れたためである。ペドロという異邦人を通じて第三者の視点を劇中に誘導したのが、この作を秀作たらしめたもうひとつの理由である。ただしペドロ役の立川三貴は全編の語り手であり、日本人の常識(それはわれわれ観客も含めてだ)を相対化する「目」の持ち主として、もう少し水際立ったセリフ術を聞かせてもらいたかった。

文化プロデューサーである利休は、茶会で茶をたて茶碗の目利きをする以外、なにひとつ作り出すわけではない。折からライヴドアの事件が世を騒がせているが、製品ひとつ作るわけでも流通させるわけでもない虚業家と、一脈共通する面がないでもない。そこにペドロという異邦人の目が導入されることによって、茶道という、虚によって成り立つが故に永遠の価値を生じる、きわめて日本的な文化の構造が白日にさらされる。と同時に、文化というもの自体の空洞を突いてもいる。平幹二朗の利休と三津五郎の秀吉の応酬には、演劇というものの本源がセリフを聴くことにあることを思いださせてくれる。

それにしても、14年前の初演のとき、三津五郎はまだ三十代半ばであった筈である。このドラマの秀吉は、忍び寄る衰えを内省しはじめている老後の秀吉であって木下藤吉郎ではない。平の利休はともかく、初演のときに若い三津五郎を秀吉に選んだのは誰か?まるで今日の再演を見通していたかのごとくである。三津五郎は普通の意味での藤吉郎(秀吉)役者ではない。その人物の「目」こそ、この劇を見据えるもう一つの目といっていい。

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随談第84回 日記抄(その3)

もう一回だけ相撲の話になる。

栃東が優勝して表彰式でのインタビュウで、アナウンサーから水を向けられる前に自分から、来場所は上をめざして頑張りますと言ったのでオッと思った。こういう言葉を自分から言い出すというのはそうあることではない。面白くなりそうである。

前にもこのブログに書いたことがあるが、真面目で謙虚なのはいいのだが、この栃東という力士は、きっとアタマもいいのだろうが、新聞などで見ると、自分のことを分析しすぎて評論家みたいなことを言っていることがよくある。ご本人にしてみれば、反省癖が強すぎる結果、そうなってしまうのだろうが、勝負師というものはあまり他人に向かってそういうことを喋るものではない。朝青龍だって人一倍反省はしているはずで、だからこそ、前の場所負けた相手におなじ手を喰らうことが絶対といっていいほどない。インタビュウで水を向けられても、マアよく考えて、などという程度で軽くあしらってしまい、べらべら取り口についてこまかく解説したりしない。そういうことは腹の中に納めておけばいいのである。プロの相撲取りだなという感じがする。

もちろん栃東自身にそんなつもりはないだろうが、敗因などを客観的に緻密に口にしてしまうと、その瞬間に、反省の弁のつもりが第三者に向かった解説になってしまうのだ。事実、これまでの栃東は、自から自縄自縛に陥っている感があった。そんなことを喋っているより頭を真っ白にしてがむしゃらにやった方がいいのに、と思うことがよくあった。プロの相撲取りというより、アマチュア臭い感がないでもなかった。敢えていうが、ケチ臭かった。

同じようなことを考えていた人がいるらしい。夜の番組の優勝力士インタビュウを見ていたら、ある人から、あれこれ考えたりするのはアマチュアのすること、プロの力士ならもっとどっしり構えていろと言われて、先場所の故障のあとも、余計なトレーニングなど一切せず、相撲の稽古だけをやっていたと話しているのを聞いて、わが意を得た。

土俵下で、上を目指したいと広言したのは、そういうこととはまったく違う。マジメ優等生の自縄自縛から自身を解放する湧き上がる力があって、その勢いが言わせた言葉に違いない。こう来なくては、面白くない。

前回も書いたが、この場所は大分多士済々になってきた感じがする。優勝争いに大勢がからんだという現象面のことだけを言っているのではない。ひところは、体型から人相まで、同じような印象の力士が多く、取り口も単調になっていたが、それもかなりよくなってきた。「角逐」という言葉は相撲のためにあるようなもので、その意味からも「角力」と書く表記をもう少し復活させたい。そもそも「角界」という言葉もこの表記があればこその言葉ではないか。安馬だったか、決まらなかったが、二枚蹴りを見せたりもしていたが結構なことだ。吊出しという技も最近ほとんど見かけない。四つに組んで揉み合うということが少なくなったからで、「すまいぶり」(この言葉も最近聞かないが、往年の志村アナウンサーがよく使っていた)にコクがなくなったことのひとつの端的なあらわれといえる。

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随談第83回 日記抄(その2)

大相撲初場所の7日目を桟敷席で見物するという幸運に恵まれた。この前見たのが3年前の夏場所だから大分新しい顔に変わっている。しかしその3年前、朝青龍はすでに横綱だったのだ。独り横綱の状態はかくも永く続いているのであって、いかに独り天下であるかが改めてわかる。

場所は東方の記者席のすぐ後ろで、桟敷席としては最前列になる。土俵まで10メートルあるかないかという距離だから、鬢付け油の匂いが席までぷーんと届いてくる。十両の最後の一番に駆けつけたので、幸い土俵入りを見ることが出来た。この前は見はぐったので、朝青龍の手数入り(この言葉、最近聞かないね)を生で見るのははじめてである。拍手を打った後、手をすり合わせるところがテレビで見ていてもちょっと気になるが、せり上がりは腰が入っていてなかなかよろしい。

思えば羽黒山、照国以来、すべてではないが何人もの横綱の土俵入りを見てきたことになる。誰のがよかったかといえば、断然羽黒山にとどめをさす。仁王様のような隆々とした両手を左右に広げてせりあがる不知火型の豪快さ、スケールの大きさというものはなかった。不知火型は次の吉葉山以降、短命な横綱が多いとかいってやる人が少ないが、羽黒山は40歳近くまで取った史上でも稀な長命の横綱だったのだから、不知火型短命説というのもいい加減なものなのである。羽黒山は、それも引退の前年に全勝優勝をしている。その千秋楽に千代の山を下手投げで破った一番と、引退の年の初場所、新大関の栃錦を極め出しで破った一番は、実際にはラジオの実況放送で聞いて、後に雑誌のグラビアの連続写真を見ただけなのに、この目で見たかのように鮮やかに覚えている。特に栃錦との一戦はこの大横綱の最後の勝ち星となったのだった。

ところでこの7日目は、魁皇と千代大海の大関ふたりがろくに相撲が取れずに負け、翌日と翌々日にそれぞれ休場してしまったのだから、そう毎場所見るわけにもいかない以上、これが見納めにならないとも限らない。34歳で再入幕を果たした北桜が、独特のサービス精神溢れたポーズで塩をまくのが今場所の話題のひとつになったが、例の高見盛よりもむかしながらの相撲取り気分が感じられて悪くない。(指揮者の岩城宏幸氏が楽屋で「タカミザカリをやって」から指揮棒をとることにしているというエッセイを書いていたが、これはちょっといい話に属する。鏡を前にウンウンと力んでいる岩城氏の姿が目に浮かぶ。)

前回見たときには朝青龍の魅力が圧倒的で、二、三を除いたほかの力士がくすんで見えたが、その点でも今度はなかなか多士済々のように思われた。北勝力というのは気合相撲でちょっと半端なところがある力士だが、相撲取りらしい気っ風がなかなかいい。やめた貴闘力に風貌もよく似ている。注目の琴欧州は、序盤に二敗した硬さが少し尾を引いているのかややおとなしやかだったが、風情に雰囲気があるところがいい。役者でも野球の選手でも、芸だけでなく雰囲気があってはじめて名優であり名選手であり名力士なのだ。つまるところ、われわれは、その雰囲気を愉しむために劇場や球場や国技館まで足を運ぶのだし、その雰囲気ゆえに、何十年後までも鮮やかな記憶として生き続けるのだ。

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随談第82回 日記抄(その1)

1月某日 晩飯後しばらく椅子の上に寝そべりながらテレビを眺めるということをよくやる。この日もそうしていたら、「その時歴史が動いた」という番組が始まった。松平アナウンサーがとくとくと新釈講談を読むような例の番組だが、この日のテーマは近松門左衛門がはじめて世話狂言『曽根崎心中』を書いたのが「そのとき」という設定だった。

見るともなく見ていると、「曽我狂言」の説明のところで思いがけない映像が現れたので、思わず跳ね起きて画面に見入った。昭和31年10月封切りの東映映画『富士の夜襲』の一場面である。中村錦之助が曽我ノ五郎、東千代之介が十郎になる曽我兄弟の一代記を描いた、当時は大作といわれた作品で、私にとっては曽我兄弟に関する知識のベースとなっている代物だ。画面は、千代之介の十郎が月形龍之介の工藤祐経に斬りつけ、月形がウームと崩れ落ちると、錦之助の五郎と肩を抱き合う(後ろの方に高千穂ひづるの大磯の虎が写っている)という場面で、15秒かそこらもあっただろうか。

それにしてもNHKには味なことをするスタッフがいるものだ、と妙に感心した。だって松平アナウンサーと近松門左衛門と錦之助・千代之介の東映時代劇という組み合わせはほとんど三題噺に近いではないか。まさかこんなところで『富士の夜襲』に絶えて久しい対面ができるとは思わなかった。(このあたりのふところの深さが、痩せても枯れてもNHKというものかもしれない。ちょっと買いかぶりかな?)

曽我物というと最近は『対面』以外は滅多にお目にかかれないが、(今月の国立劇場では『鴫立つ澤の対面』という珍しいのが出た)、この映画には千恵蔵が頼朝役で特別出演して、錦之助と「敷皮問答」をしたり、伏見扇太郎の御所の五郎丸が女装して油断させ五郎に後ろから取っ組んで床板を踏み抜いたところを召し取る場面とか、幼時の兄弟が由比ガ浜で斬刑になるところを梶原景時(大川橋蔵の役である)が救う場面とか、以前なら周知のお馴染みの有名場面をこの映画のお陰でインプットされているものが少なくない。

この映画にはまた、三代目時蔵が曽我祐信かなにかの役で出ている。錦之助が映画入りするときには猛反対したという時蔵も、すっかり親馬鹿になって錦之助映画にちょいちょい特別出演している。その手の一つで『お役者文七捕物暦』というのでは、劇中劇で女暫の花道の件がかなりながながと映っていて、三代目の一時代昔の古風な役者振りを偲ぶ貴重な映像となっている。この他にもたしか、土蜘蛛かなにかをアレンジした作もある筈だ。

暮には時代劇チャンネルで『山を飛ぶ花笠』を見た。かねて見たいと思いながら果たせずにいたもので、つまりあの梅幸が映画に初出演した作品である。昭和24年の大映作品で、梅幸はこの映画の撮影中に父の六代目菊五郎を亡くしたのである。梅幸の役は女形役者で、澤村国太郎が師匠の役で始めの方にちょっと出てくる。(妹の沢村貞子、弟の加東大介もちょっとした役で出る。つまり映画側としては、小芝居の宮戸座の出とはいえ、歌舞伎に心得のある者を配したのだろう。)それにしても、昭和24年の梅幸はいかにも若い。菊之助とそっくりの表情をするショットもいくつかあった。献身的に尽くす恋人役が花柳小菊だが、この人は『富士の夜襲』では曽我兄弟の母の満江の役である。

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随談第81回 観劇偶談(その38)新春各座評判記 前進座歌舞伎『三人吉三』

吉祥寺の前進座劇場で『三人吉三』を出している。いわゆるお正月メニューでなく、冒頭の「大川端」で、こいつぁ春から縁起がいい、というのを新年に利かせてある以外は、いつもの前進座流で押し通すのがかえっておもしろい。以下の文章は前進座の機関紙に向けて書いたものだが、ここにも載せさせてもらうことにしたものである。

矢之輔の和尚吉三、国太郎のお嬢吉三、菊之丞のお坊吉三という、前進座にとっては三世代目のトリオによる『三人吉三』だが、この第三世代が上演回数が一番多いのだという。だが舞台ぶりを見る限り、手馴れた芝居をしているというマンネリズムはまったく感じられない。脚本も普段省略されたり、原作にはないが筋や人物関係を明確にするために必要なセリフを随所に補うなど配慮も行き届き、演者も新たな工夫を怠らない。

たとえば様式美で知られる序幕の「大川端庚申塚」で、お嬢吉三が厄払いの声を聞いたあと、杭に掛けていた足をはずしてツラネのせりふを続けるなど、様式の中にリアリズムを交える面白い工夫がある。厳しくいえば、男の声と女の声の切り替えなど、黙阿弥の様式性とリアリズムの間をいかに前進座歌舞伎として確立するか、まだ工夫の余地はありそうだ。土左衛門伝吉が十三郎の身投げを救う件は普通の上演では出ない場だからなおさら無理もないのだが、祥之助ほどの練達のベテランにして、七五調のリズムに乗ったセリフがいかにも言いにくそうだ。

じっくりと芝居をする場面になると、前進座らしい質実な地の芝居のよさがじわりと物を言ってくる。「大恩寺前」で伝吉がお坊吉三に、小僧セリフはそれだけかと凄むところなど、この老盗賊の複雑な過去を背負った人生を裏打ちした見事さで、黙阿弥の芝居の奥の深さを焙り出す。和尚吉三も眼目の「吉祥院」では地芸の確かさを見せる。お坊とお嬢も衆道の関係にあることを踏まえ、互いに死を決意する場面など、すぐれた雰囲気を見せた。

三人の吉三はそれぞれ適役だが、とりわけ菊之丞のお坊が得がたい仁のよさを見せる。

脇の役々も黙阿弥の世界を生きる人物として誰一人おろそかにできないが、皆々努力が窺われる中で、中嶋宏幸の源次坊がよく黙阿弥劇の雰囲気を掴んでいる。

ちょっと付け加えておくと、『三人吉三』はこれで、大歌舞伎で普通にやるいわば当代でのスタンダード版、勘三郎のコクーン歌舞伎版、それに前進座版と三種類のバージョンが揃ったわけだ。それぞれに相当のいわれがあり、それぞれに存在意義がある。前進座のは、(一度国立劇場で先代国太郎が文里一重の件を出したが)場立ては普通の松竹歌舞伎と同じだが、上記のように「大川端」で伝吉が十三郎を救う件を出すなど、随所に前進座らしい改訂を施している。よく言うことだが、洗練された松竹歌舞伎とは違った、これはこれでユニークな存在を主張し得る『三人吉三』であることは間違いない。東京での公演はもう終わってしまったが、この後各地を廻り(北陸が多いようだが、豪雪の影響が気がかりだ)2月半ばに大阪の国立文楽劇場にかかるらしい。チャンスのある方にはお奨めする。

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随談第80回 観劇偶談(その37)新年各座評判記・『信長』篇

新年各座の評判記、今回は『信長』と行こう。

見ようかどうしようと迷っている人がいたら、見ろと答えよう。おもしろいか、と問われたら、うん、なかなかいい脚本だと答えよう。いい舞台か、と問われたら、うん、なかなかいいよ、海老蔵はね、と答えよう。言ってしまえば、答えは以上に尽きる。

評判だけで海老蔵を知っていた人が、この信長を見たら、なるほど、音に聞こえた海老蔵とはこれかと思うだろう。既に海老蔵を知っている人が見たら、海老蔵は一段とオトコになったと思うだろう。いいけれども、まだ青いなと思っていた人が見たら、大人の男を演じられるようになったじゃないかと思うだろう。テレビの大河ドラマだけで海老蔵を知って、海老蔵ってセリフを怒鳴るように言う役者だと思っていた人が見たら、海老蔵って静かなセリフも結構言えるんだなと思うだろう。そう、つまり海老蔵は、役者としての階段をいままた登ったのである。それも、かなりの大股で。

信長物のドラマってパターンが決まっている、大体想像がつくから見なくてもいいや、と思っている人がいたら、私はまあそう言わずに見てご覧と言おう。史実は根本だけ押さえる。人物関係などをめぐる細かい経緯は大胆にドラマの展開を優先して組み立てなおす。しかし信長は神になろうとした、という根本テーマは、作者の発想の自由にまかせていると同時に、安土城発掘などから得た新見解を巧みに取り込み、それをドラマの根本に生かしている。『ヘンリー四世』だのなんだの、シェイクスピアの歴史劇だってそういう作り方をしているではないか。そう、斎藤雅文の新脚本はなかなかの上出来である。

ポスターで、海老蔵の信長は洋服を着ている。これは海老蔵自身の発想であるらしい。劇の中で信長は、宣教師フロイスから地球儀を見せられて、地球が丸いことを理解する。同時に、日本が世界の中でいかにちっぽけかを理解する。宣教師たちが、丸い地球の裏側からやって来たのであることを理解し、西洋の学問技術の素晴らしさを理解する。同時に、西洋人の考える神の性格を知って、それなら自分が神になろうと直感する。信長は日本で最初に世界を見た人物だというのが、海老蔵が洋服を着て信長を演じようと考えた理由であるらしい。いや、洋服を着ない信長なら演じなかっただろう。

そういう信長を、海老蔵は、尾張のうつけ殿の若き日から、世界を見、みずから神になろうと発想した壮年期、本能寺の最後まで、それぞれに真実感と実在感を感じさせつつ演じ、そのどれもが格好いい。もしこれが、海老蔵を見せるためだけに作られたドラマであったとしたら、目的は100パーセント達成されたと言っていいだろう。

だがそう言ってしまうには、この脚本は出来がよすぎる。信長の妹お市と妻濃姫の関係、秀吉と光秀の関係、史実の勘所だけ押さえながら大胆に改変し、しかもそれぞれの人物の本質を実感させるだけに描いている。だがその人物たちを舞台上に造形するには、海老蔵以外の演技陣がいかにも弱い。秀吉役と濃姫役にはそれなりの実感があるとしても、光秀役とお市役は、ドラマの人物の半分ぐらいしか演じていない。もっと力のある配役を揃えられたなら、海老蔵を見るためだけのドラマから、この作の真価がさらによく理解されるだろう。

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随談第79回 観劇偶談(その36)浅草歌舞伎評判記(その2)

浅草歌舞伎評判記の続き。

少し亀治郎の話をしよう。『鳴神』は獅童が相手である。本来は鳴神上人の方が主役だろうが、この場合どうしても女性上位になるのはやむをえない。獅童もなかなか頑張っているし、こういう役はいわゆる歌舞伎味が濃厚にある人がやるとそれがかえって裏目にでることもままある役だけに、獅童のスポーツマンのような直線的な身のこなしも一種のスケールの大きさとも見られて、獅童としては狙い目の役どころであるかもしれない。

こういう役だと、顎のしゃくれた顔に隈がよく乗って、死んだ延若に似てくるのも面白い。『蜘蛛絲』の渡邊綱になると一層なつかしいほど延若ばりのいい顔になる。歌舞伎の場合、いい役者に舞台顔が似ているというのは、往々、単にそれだけの意味に終わらない。獅童は、よく指摘されるように、これという役の経験が少ないために役どころがまだ定まらないでいるが、今度のこの二役は、ひとつの指針になるかも知れない。(もう一役の定九郎は、期待したが残念ながらはずれだった。定九郎は延若の傑作のひとつなのだが、松羽目物との違いがそう一筋縄では行かせてくれないわけだ。この辺が難しいところである。)

ところで亀治郎だが、先にも言ったようにこの絶間姫は、脚本を眼光紙背に徹するほどに読み込んで、読み込んだことをすべて表現せずにはいられないといった演じ方をする。何がかほどまでに亀治郎を駆り立てるのだろう? 教わったとおりになぞるというのとは正反対の行き方である。頭脳の明晰さとおのずからプロデュースせずにはいられない主体性とは、これからも亀治郎には肉付きの面のごとくつきまとうに違いない。亀治郎論としては実に面白いテーマだが、現実の舞台成果としては、それは必ずしも好結果を出すとは限らない。その意味からも、まさに猿之助の再来である。

『蜘蛛絲』はまさしく亀治郎のプロデュース力が成果を上げた好例であり、亀治郎自身の演技もすぐれているが、しかしこの狂言の中でわたしが一番目を瞠ったのは勘太郎の源頼光の古風なマスクであり、おっとりとした芝居ぶりである。ここには、勘太郎の演技プランや計算を超えた、いわば無意識のなせる領域があるに違いない。普通の劇評風にいえば、勘太郎の素質のよさということになるのだが、祖父の十七代目勘三郎から父十八代目を経て勘太郎の中に豊かに流れ込んでいる、これぞ歌舞伎役者の血ともいうべきものを感じずにはいられない。亀治郎の計算づくの遂に及ばない領域がその先にある。

亀治郎は『忠臣蔵』でも千崎をつとめているが、五段目では意外に見立てがなく、逆に六段目では息が詰んだ演技でじつに素晴らしい。千崎という役のお手本のごとくである。ダブルキャストの亀鶴の方は、五段目は亀治郎にまさり、六段目では(これもなかなか好演なのだが)やや劣る。思うに五段目の方が六段目より様式性が強いために違いない。

ほかの役々ではベテラン勢は別として芝喜松のおかやが第一等の出来。この人は国立劇場の研修生出身者中での名優である。門之助は去年の『封印切』のおえんでは失望したが、今度の一文字屋お才は悪くない。このあたりの役どころを是非我が物としてもらいたい。男女蔵が六段目の郷右衛門で、それらしい大きさと貫目があったのにもちょいと感心した。

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随談第78回 観劇偶談(その35)浅草歌舞伎評判記(その1)

新年おめでとうございます。初春のお噂は「新春浅草歌舞伎」から。新聞の紙面の都合でいつもの夕刊の劇評欄ではなく、今朝、つまり7日付朝刊のコラムに載せたが、なにぶんスペースの事情もあるので、それを補う形で評判をするのを新しい年の第一回としよう。一般読者を対象とする新聞と違って、おのずからもう少し気儘な書き方で行こう。

大当たりあり玉砕あり、平凡なのはひとつもなかったという意味でも、今年の浅草は活気があって面白い。たとえ玉砕であっても、彼らにとって、平穏無事よりもはるかに価値がある。大当たりは勘太郎の勘平である。ただしそれは点数評価で最高点という意味ではない。点数評価で言うなら、最高点は亀治郎の二演目だ。雲の絶間姫、『蜘蛛絲梓弦』の六役早変り、ともに水も漏らさない。若手といわず、あの六役をあんなに水際立って変われるなんて、他に誰々がいるだろう。まさに猿之助の再来である。いや、土蜘蛛というあやかしの存在の陰りまで感じさせる点、明るい一方だった猿之助よりむしろ上かもしれない。

雲の絶間は脚本の文言の末まで読み解いて、花道の出から、石高の山道であることまでいちいち演じてみせる。それが出来るということ自体、既に大変なことだが、古劇のおおどかさを損なう半面を考えれば、凝っては思案に及ばずの一得一失ともいえる。

勘太郎の勘平は、そういう意味では未成品である。しかしこの未成品は大いなる可能性を秘めた未成品だ。そもそも浅草歌舞伎でかっちりした丸本時代物を出したのからして珍しい。浅草歌舞伎は若手の道場でもあるが同時に若い観客獲得の場でもあるから、つい辛気臭い丸本時代物は後回しになりやすい。しかしいつまでもそういうことばかり続けていては、やがてそのつけが廻ってくるのは目に見えている。『忠臣蔵』の五・六段目を新春歌舞伎に出して勘太郎と七之助に勘平とおかるを交替で勤めさせるという企画自体がヒットである。当然、勘三郎の指導であろう。おかるは玉三郎をわずらわせたらしい。

勘太郎は勘平・おかるどちらもよかった。きちんと義太夫狂言としての間が取れていて、しかも情感が瑞々しい。去年一年間、勘太郎は階段を一段一段登るように地道に力をつけていくのがよく分るような進歩を見せていたが、それが地力として養われていたことを証明してみせたのだ。未成品でありながら若い人ならではの実感があって、ベテランの勘平にはないドラマとしての感動がある。

玉砕とさっき言ったのは、じつは七之助の勘平である。ひたむきさは言うも更だが、ひとり相撲に陥ってしまったために、七之助自身の熱意には心打たれても、「ドラマ勘平の悲劇」の情感としてそれが伝わってこないもどかしさがある。実感に頼って顔を動かしすぎるのもよくない。しかし現在の七之助としては無理もないともいえる。反省はしなければならないが、悲観することはない。

一方おかるはよかった。若女形の美しさとおのずからなる愛嬌は、たぶん天性のものだろう。先月の『重の井』でも、七之助の腰元の匂い立つような美しさは、随一、目立っていた。今度の成績がどうのということではなく、また今はいろいろな経験をするのもいいが、やがては若女形の道を主体に歩むことになるべき人ではないだろうか。(この項つづく)

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