随談第163回 歳末偶談・若手役者野球各賞見立て

去年の暮、若手花形の一年間の成績を野球の各賞に見立てたのがどうやら好評らしかったから、今年最後の記事として、これを吉例にやっつけて年越しとしよう。

まず本塁打王兼三振王が海老蔵。11月の『勧進帳』の弁慶、10月の『対面』の五郎、1月の『信長』を三傑とする。ホームランは数よりも飛距離、三振も魅力ある三振をするのがオーラの因。『四の切』の忠信は結果は三振だが、打球が場外へと消えた大ファウルが凄まじかった。三振王が強打者の証しであることは歴史が証明している。

『勧進帳』では富樫、『対面』では十郎と、海老蔵と組んで大飛球をファウルにさせなかったのは菊之助の功績である。十郎などを見ていると、彼の本領が祖父梅幸と同じく、若衆方の延長にある二枚目にあることがわかる。しかし女方も優にその領域であることを何よりも証明したのが、2月玉三郎と踊った『京鹿子二人娘道成寺』だった。名内野手としてゴールデングラブ賞という手もあるが、大タイトルにふさわしい華麗さを思えば最多勝投手がふさわしい。

最多勝より玄人好みなのが最優秀防御率というタイトルで、これは亀治郎以外にはない。

1月の『鳴神』などは防御率という点では大変なものだが、わっと湧かせるにはちょいと損の卦。同月の『蜘蛛絲梓弦』と4月金比羅での『かさね』『比翼稲妻』のお国、5月演舞場での『櫓のお七』もよかったが、何といってもめざましかったのは亀治郎の会での『安達原』の袖萩と貞任だ。6月のロンドン公演で海老蔵と踊った『かさね』の新聞評に、エクリプス(日蝕)で海老蔵を隠してしまったというのがあった。

勘太郎に首位打者をやりたいが、怪我で半年を棒に振ったため残念ながら規定打数不足だ。しかし暮の京の顔見世で踊った『猿若』は、去年三月、父親の襲名最初の月に踊った同じ役に比べると大飛躍は歴然としている。1月浅草での『蜘蛛絲』の頼光もよかった。五十歳を過ぎた勘太郎というのはきっと凄くなっているはずだ。

七之助には何をあげよう。一月に兄と競った『六段目』のお輕、夏の旅での八重垣姫など兄をカバーしての活躍で、打率はかなり高かった。でも、首位打者にはどうかな? むしろセーブ王か?

秋の『元禄忠臣蔵』連続上演で亀寿の好演が目についた。第一部での大石瀬左衛門、磯貝十郎左衛門、第三部での大高源吾、どれもよかった。淡白で清潔感のある芸質は、むしろ新歌舞伎に合っているのかもしれない。最優秀中継ぎ。

松緑は11月演舞場の『番町皿屋敷』の播磨はセリフを謳わず直截に演じてこの狂言を本卦返りさせたかのような新鮮さがあった。このあたりに松緑の道が拓けそうだ。染五郎はパルコ歌舞伎や『細川の血達磨』などアイデア物が先行。しかし『血達磨』は見はぐったので悪いが愛之助ともどもタイトルなし。もちろん、見なかった責任は私にある。しかしそろそろ古典の大役での快打一番がほしい。

新人賞は『江戸の夕映』『紅葉狩』の尾上右近と「大石最後の一日」で細川内記の梅枝。少々慌しいけれど、まず本年はこれ切り。どうぞよいお年をお迎えください。

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随談第162回 観劇偶談(その77)新派再論

この前新派復権のことを書いたが、本当にこれは、演劇界全体としてももっと真剣に考えるべきことではあるまいか。これは、「劇団新派」という一劇団に関わる話ではない。新派という演劇が、日本の演劇界からなくなってしまってもいいのか、という話なのだ。

演劇史のおさらいをするわけではないが、新派という名称は、もともと、歌舞伎を「旧派」とみなしてそれに対する新演劇という意味だった。やがて歌舞伎を「旧劇」とみなして「新劇」というもうひとつの新演劇が起こったときから、「新派」は「旧劇」と「新劇」の中間に位置するジャンル名になった。新劇にいろいろな劇団や流派があるように、新派にもいろんな劇団や流派があった。それがだんだん細ってきて、新派という演劇ジャンルは「劇団新派」という一劇団とイコールになった。だから、もし劇団新派がなくなってしまったなら、新派という演劇ジャンルが演劇界からなくなってしまうのだ。

新派というと、すぐ『金色夜叉』や『婦系図』や『滝の白糸』が持ち出されるが、そういう、いわゆる新派古典ばかりが新派ではない。新派のもうひとつの黄金時代は、じつは第二次大戦後にあった。昭和二,三十年代、北条秀司や川口松太郎や中野実などといった作者たちがつぎつぎと新作品を書き、花柳章太郎や初代水谷八重子やが舞台化していたころ、新橋演舞場や明治座といった劇場で、毎月のように新派の舞台がかかり、これほど高い水準を保った演技集団はまたとないと思われる演技陣をそろえていた。

『京舞』とか『太夫(こったい)さん』といった名作はその中で生まれたのだが、それほどの名作ではなくたって、これらの作者たち、とりわけ北条秀司という作者の当たり作の打率の高さといったら驚異的といっていい。いまの新派にもしもう少し観客動員に余力があって、常打ちという形での公演が可能だったら、当時作られた佳作たちの幾つかは上演の機会を与えられて、現代の観客をも充分に楽しませ、感動させることもできるはずである。

ということは、裏返していうなら、あたらこれらの佳作たちは、上演の機会を与えられずに、埋もれてしまっているということになる。これは、大変な損失ではあるまいか。そうしてそのことに気がついている人が、どれだけいるだろうか。これはもはや、一新派だけの問題ではない筈だ。

まったく同じことが、かつて新国劇の消滅とともに起こったのだった。ここでも、ことは『国定忠司』や『月形半平太』だけの問題ではない。たとえば『霧の音』のような作を、もうわれわれは見ることはできないのとすれば、これは、日本の演劇にとっての大損失ではあるまいか。

名作は誰がやっても名作たる普遍性をもっているにはちがいない。しかし演技集団としての新派なり、新国劇なりの力があって、それらの作は最もよくその魅力を発揮したのであることも、また間違いない。昨年だったか、菊田一夫の『花咲く港』を新国立劇場で新劇の俳優たちがやったのと、池袋芸術劇場で東宝劇団でやったのとを見比べても、それに見合った土壌に咲かせてこその花であることを、思わざるをえなかったではないか。

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随談第161回 随談随筆(その4)髭を立てる

ひさしぶりの随談随筆である。

日ハムの小笠原が巨人に移籍がきまって、巨人入りの噂が流れたときから囁かれていた通り、トレードマークだった髭を剃り落として、野武士から勤番侍みたいにのっぺりしてしまった。心機一転、自分の意志で剃ったと本人は言っていたが、なんだかもう、先が見えてしまったような感じで、風船がしぼんでしまったみたいな軽い失望感がある。わたしは自分では髭をはやす気はないが、小笠原の髭は剃るべきでなかった。

髭というと思い浮かぶ話がふたつある。

ひとつは古い「サザエさん」で、いつも来る集金人(だったかな)が、あるとき鼻の下にちょっと立派な髭をつけて現われたら、サザエさんもおかあさんも別人かと疑って信用しない。集金人がやむなく髭を剃ると馴染みの顔があらわれる。クスクス笑いながら金を払うサザエさんに、集金人が「髭をたてたんです」とシブイ顔で言う表情が絶妙だった。「髭を立てる」という、近頃あまり聞かなくなった表現を、小学生だったわたしは、この漫画でおぼえたのだった。

もうひとつは、大仏次郎の「鞍馬天狗」である。尊攘運動が盛んな当時の京都で、同志たちの行動が新撰組など敵方に筒抜けになっているらしいという噂を聞いた鞍馬天狗が、やがて同志を売っていたスパイを見つける。スパイは、天狗がふとしたことから知り合い、たがいに好意をもちあった、小さな田舎町からでてきた、腕も立ち、人柄も純朴と見えた人物だった。ところで、この人物が顔中いっぱいに無精髭をはやしている。小説の最後に、故郷(くに)に帰るという男を見送って、鞍馬天狗はこう言う。

「君、髭を剃りたまえ」

無精髭は、人を惰性に流させる。社会活動家によくある無精髭男が、大仏次郎は嫌いだったに違いない。自分の奉じる崇高な運動に比べれば身なりなどはどうでもよい、という思い上がりが、事をあやまらせるのである。

そこで思い出した髭にまつわる第三の話が、かつて二枚目スターの代表のように思われていたゲイリー・クーパーに、さる人が男のおしゃれの秘訣は?とたずねると、ウムと一瞬考えたクーパーは、毎日かならず髭を剃ることだ、と答えたというのである。もっともこの話、当時の髭剃りというのは、まず蒸しタオルで湿りをくれておいてからシャボンを泡立てたのを塗りたくり、それから剃刀を使うという、手間のかかるものだったことを知っておく必要がある。それを毎日必ず繰り返すというのは、一種セレモニーに似てくる。セレモニーというものは、ある日突然、これを放擲したらなんとすがすがしいだろうという誘惑に駆られるものなのだ。

小笠原には髭を剃るべきでなかったと言っておきながら、矛盾したことを言うようだが、じつはそうではない。毎日綺麗に髭を剃るのも、髭をたくわえる(という表現もかつてあった)のも、惰性に流されるのと正反対の意志的な行為だという点で共通する。髭は「生やす」のではなく、「立てる」か「蓄える」かするものなのだ。巨人に入って髭を剃った小笠原が、髪を切られて怪力を失ったサムソンのようにならなければさいわいなのだが。

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随談第160回 スポーツ随談(5)松坂騒動

松坂のレッドソックス入団交渉がまとまって、60億円という金額について破格という者、いや安い買い物をされたという者、どっちが正しいのか知らないが、安いですよという説をなす人たちの顔をテレビで見ていると、その共通点がなかなか面白い。

つまり、いかにも得意満面なのだ。アメリカ通の国際人であることの恍惚が顔にみなぎっている。60億という数字に仰天、思考停止状態で批判めいた俗論や常識論を吐いている、国外の事情にまで目の届かない田舎者どもを憫笑する得意の思いが、隠しようもなくあらわれている。ひとりふたりならず、これまで見たかぎりのこの説の論者が例外なく同じ人相をしているのだから、これは間違いようがない。

そこで考えざるを得ないのは、なぜ彼等はあんなに嬉しそうなのだろうということである。張本勲氏のようなコクスイ派が、自分には一銭も入らない話などしたくもないというのは、いろいろ恩惑はあるにせよ、差し引きすれば正直な言であることは間違いない。リクツで考えればその位もらったって当然だとは思っても、自分の手の届かないところで大金が飛び交っているのを知れば、クソオモシロクモナイと思うのは人情の自然である。

あのコクサイ派の人たちにしたって、60億のうち1円だって自分の財布に入ってくるわけではない。にもかかわらず、あの嬉しそうな顔わいやい。つまりは、コクサイ派エリートたることの恍惚という以外にはない。ボクちゃん、こんなにアタマイイのよ、というやつである。

思えば、鹿鳴館の昔から、いや征韓論、いや朝鮮出兵、いやもっと一足飛びに仏教伝来の昔から、コクサイ派知識人は、アタマの悪いコクスイ派の感情論を前にすると、ああいう顔をして、困リマシタネエ、アノヒトタチニハ、と憫笑したのだろう。仏教でも漢字でもその他なにやかや、文明の匂いのする文物は、みな海をわたって「舶来」したから(七福神だって舶来の神々だ)、日本人のDNAには日本文明誕生のときから舶来崇拝が織り込み済みなのだ。

イチローや松井への喝采は、世界のオザワ小沢征爾などに対する喝采と同根の性格を持っている。本場へ乗り込んで本場者を負かした同胞への賞賛の喝采である。日本人が一番尊敬に値すると考える英雄は、舶来のものを本場の人間と互角以上にわがものとした者のことなのだ。そう、この瞬間から、コクサイ派の顔の下からコクスイ派の顔があらわれる。怪人20面相の仮面の下から別の顔が現われるように。つまり、幕末の攘夷浪人が鹿鳴館のハイカラ紳士に変身したように、コクサイ派もコクスイ派も、もとを正せば同じものが、右に揺れるときはコクスイ派、左に揺れるときはコクサイ派になるだけの話であって、極めて日本的な心理運動なのである。

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随談第159回 観劇偶談(その76)松たか子・寺島しのぶ新派入り?

というのはもちろんウソです。?マークが半角にしかならないので、本当はもっと小さくしないと、スポーツ紙の大見出し風にならないのだが、まあこれで我慢してください。

と、ここまでは冗談。しかしこんな冗談からでもなにかの拍子で駒が出ないでもないかと、淡い望みでもかけたくなろうというものだ。冗談ではない。このままいったら、新派は、現在の八重子・久里子の女優人生とともに消滅するのを待つしかない。

今月、新橋演舞場で水谷八重子・波乃久里子に園佳也子(と笹野高史)が加わって『三婆』をやっている。演舞場で今年たった一回の新派公演である。それも、打ち日は二十日間だ。二十日間でもなんでも、とにもかくにも「新派の牙城」新橋演舞場でせめて一回、新派の公演をやったというそれだけでも、関係者の心意気というものかもしれない。

どうしてこういうことになってしまったのか。理屈を言い出せば切りがないが、要するに、八重子・久里子のあとを背負って立つ人材が育っていないからだ。何故育たなかったのか。それとも、育てなかったのか。内部の事情は一切知らないが、とにかく、これが現実である。殷鑑遠からず、新国劇が滅びてしまったのも、辰巳・島田のあとが育たなかった、あるいは育てなかったこと以外にはない。「れば」や「たら」は抜きにしての話である。

八重子にしても久里子にしても、新派と限らず、現代の演劇界全体を見廻しても、ざらにはない役者である。名優といったって然るべきである。去年九月の『京舞』を見て、つくづくそう思った。ふたりに限らず、あれほど高度な舞台空間を作れる演技集団なんて、そうあるものではない。喜多村・花柳はおろか初代八重子・翠扇すら知るはずのない若手たちでも、ちゃんと新派らしい匂いのある芸をしている。若い女優たちが、芸者衆の出の衣装で揃ったときの壮観など、どう逆立ちしたって、新派以外の女優では、まさにプロとアマの差がある。

さりながら、八重子にしても久里子にしてもいつまでも若いわけではない。またふたりだけで、新橋演舞場を年に何回も満員にできなくったって、無理もないことである。というわけで、表題に掲げたような暴言になる。

松たか子と寺島しのぶが新派に入ってごらんなさい。他人もうらやむ強力劇団に変貌する。もちろん、新派古典も勉強してもらうが、そればかりにこだわることはない。いま現にやっているような新しいものもどんどんやればいい。彼女らが、新派女優としてそれをやれば、それも新派の演目になるのである。そうすれば、世人の固定観念にあるような、新派って歌舞伎ほど古典でもなく中途半端に古い芝居をやるところ、というつまらぬ偏見も、論拠を失ってしまうだろう。いきなり加入というのが、決心がつきかねるなら、「参加」という名目にしたっていい。菅原謙二だって安井昌二だって、はじめは参加だったのだし、それに、昔の菊五郎劇団における海老サマ時代の十一代目団十郎みたいで格好いい。

と、ここまで話がきたら、さらに倍する暴言を吐こう。歌舞伎の家に生まれて女優になりたいと思う女の子には、新派女優になることを義務づけるというのはどうだろう?

ジョウダンからコマが出る日を待とう。

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随談第158回 今月の一押し(その8)尾上右近は天才である

今月の海老蔵もたしかに凄い。たったひと役、それも夜の部の一番最後に出て来て、一日の芝居をさらってしまう概がある。

『紅葉狩』という狂言、じつはあまり好みでない。九代目團十郎というオジサンて、ああいうものを作って得意になっていたのかと思うと、明治という時代がいかにクダラナイか、そぞろ思い半ばに過ぎるような気がして、いやになってしまったこともあった。まあまあ、そう言ったものでもないさと自分で自分に言い聞かせて、思い直して見れば、それはまあ、いいところだってないわけではないことぐらい、もちろん知っているけれども。まあ、いずれにせよたいして面白いものではない。

ところが、こんどは実に面白かった。海老蔵の更科姫が、まずいかにも怪しげである。これはただごとではすまないぞ、と見ただけで思わせる。もちろん誰がやったって、あれが実は鬼女だということはわかるが、それはじつはストーリイ展開が始めて見た人にでも読めるように出来ているからで、しかも現代ではあの役は女形のものになってしまっているから、前シテの間はもっぱら神妙に踊る。海老蔵だって神妙に踊っているのだが、ただごとではないことを予感させるのが、それこそ余人をもっては替えがたい海老蔵ならではの面白さである。(それに今度は、妹の市川ぼたんが腰元役で出ているから、同じ顔をした姫と侍女が並んでいるのが、マグリットのだまし絵でも見ているようで一興である。)

やがて維茂と従者が眠りに落ちたのを見澄ますと、大股を開いて鬼女の正体を一瞬、見せる。ここが凄い。大股の開き方が度をはずれているのである。しかもそれが、ふつうの更科姫が90センチ開くところを1メートル以上も開くというような、見たさまだけのことに終わらないところに、海老蔵の異能の人たる所以がある。この仕種の意味が全然違ってしまうのだ。普通の更科姫は、ここで実は鬼女であることをちらりと見せるだけで、本当の変身は後シテになってから見せる。もちろん型だから海老蔵だってそうするのだが、しかし本当は、この大股を広げた一瞬に、更科姫は、いや海老蔵が、鬼になってしまうのである。われわれは、目の前で変身を見ることになる。同時に、これこそがドラマだと実感する。いや、じつにおもしろかった。もうこうなれば、後シテになって鬼女の姿になるのはつけたりみたいなものだ。

と、そんなに面白いのなら今月も、今月の一押しに選ぶかというと、わたしもこれでヘソが少し曲がっているから、そうはしない。同じ『紅葉狩』の中で、いまのひとくだりの後、素晴らしいものを見て、そちらに心を奪われてしまったのである。

鬼女の正体を見せて姫主従が引っ込んで舞台に凄愴の気がみなぎると、尾上右近の山神が登場する。これが素晴らしい。こちらは異能ではなく、することなすこと、すべてが格に入って力感が美しく溢れ出す。これぞ踊りだ、と思わずにはいられない。こういう山神は勘九郎時代の勘三郎以来か、いやもっと上かもしれない、などと思いをめぐらしたりしているうちに、一陣の山風のごとく、山神は去っていってしまう。ああもっと見たいと思わせるところが、憎い。というわけで、今月はこれが一押しである。

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随談第158回 スポーツ随談(その4)ドテラの納会

松坂の60億円騒動が大変な話題だが、既にしたり顔の論客たちが盛んに論じているから屋上屋を重ねることもあるまい。むしろ井川で30億円が転がり込むことになった阪神のエライ人が、こんなに貰っては日本の野球がダメになりはしないかしらと言っているのが面白い。同じことを批評家が言うのより、何層倍ものガンチクがある。

松坂では、西武球団の納会というのに出席し、ドテラ姿で盃を受けていると、先輩投手の石井が宴会場の一番端の席でドスの利いたおっかない顔で松坂の方をにらんでいる。コレはちょっと凄いなあと思っていると、画面が変わって、正座した石井が松坂にお酌をしているショットが映った。オイ松坂チョット来い、というようなセリフがその間にあって、こういう場面のような次第になったのに違いない。

ほんの数秒のこの二つのシーンを見ただけで、石井という先輩選手の胸中やら人柄やらが透けて見える。石井っていい奴だなあ、とも、人生ってつらいよなあ、とも、人間バンザイ、とも、その他いろいろな受け取り方が、人さまざまに出来るだろう。もしこの場面を歌舞伎でやるなら、石井の役は左團次がきっといいだろう。外題は『乱飛弗剛球』(みだれとぶどるのつよだま)、場面は三幕目「西武球団納会の場」である。

それにしても、プロ野球チームの納会というのは、巨人が熱海の温泉旅館の大宴会場で一同ドテラ姿でやるのはよく知られているが、西武も、場所は知らないがやはり一同ドテラ姿でやっているらしい。いまどき、こんな格好でこんな形式で忘年会だの納会だのをやるのは、よほど平均年齢が高く、意識も旧弊な中小企業ぐらいなものだろう。

別にドテラがいけないわけではないが、しかしこの納会の光景がなんともオカシクてやがてカナシイのは、日本のプロ野球というものがいかにオジサン体質の社会であるか、これほど雄弁に物語るものはないからだ。(サッカーの選手たちも、ドテラを着て納会をやるのだろうか。かの中田のドテラ姿というのも興味があるが・・・)

(そういえば、楽天の野村監督が胃腸薬のCMに出ているのがつい笑ってしまう。長塚京三の部長さんらしい人が忘年会の会場で社員たちに「飲む前に」と言うと、社長とおぼしい野村が「飲む」と言ったまま、しばし間が空く。と、長塚部長が「・・・です」と場を取り繕って締めくくる。野村のボケ役がなかなか絶妙なのだが、ニンソウ・フウカク共に、いかにも中小企業の社長らしいのがおかしい。)

阪神ファンのオジサンたちを見れば明らかなように、日本のプロ野球を支えてきたのはニッポンのオジサンたちである。いかに改革が必須だといっても、あのオジサンたちを切り捨てたりしたら罰が当る。しかしもっとエライおじさんたちも含めて、日本のオジサンたちの最も苦手とするのは、国際感覚の土台にある非人情な人間観とドライな金銭観である。ポスティングなどという生き馬の目を抜く修羅場のルールに阪神の重役さんが途惑うのも無理はない。ディープインパクトの失敗も、煎じ詰めれば競馬界のオジサンたちの国際感覚の疎さにある。ここで言うオジサンとは、かならずしも年齢に関わらない。私の見るところ、ミキタニ氏もホリエモン氏も所詮はオジサンである。ムラカミクンはどうかな?

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随談第157回 昭和20年代列伝(その9)ひばり三絶(3)

美空ひばり三絶の残る一曲は「お針娘(はりこ)ミミーの日曜日」である。『伊豆の踊子』と同じ昭和29年の野村芳太郎監督の松竹映画『青草に坐す』の主題歌、作詞木下忠司、作曲は黛敏郎、この時代の黛敏郎は才気とウィットに加え軽快で垢抜けた若々しさが抜群だった。映画音楽も数多く手掛け、松竹女優の桂木洋子と結婚したのもこの頃だったと記憶する。わけてもこの「お針娘ミミーの日曜日」のハイカラ感覚は水際立っている。バタ臭いことがこんなにも格好いいというのは、それだけでも稀有なことだ。

木下忠司の作詞がまたいい。1コーラス目の冒頭が「六日も空を見なかった、六日も土を踏まなんだ、だからミミーの日曜は、リュクサンブールに幕が開く」、2コーラス目は「お針娘ミミーはパリジェンヌ、ダニー・ロバンが大好きで、白い晴れ着がよく似合う」、3コーラス目が「モンマルトルのカフェーで、ちょっと真似してカルヴァドス、見たよな殿御と思ったは、ジェラール フイフイ フィリップ」という、いってみれば歯の浮くような「お巴里・お仏蘭西」ぶりなのだが、これが黛の曲に乗ると女の人生の一断面を卓抜に切り取ったかに聞こえるところが心憎い。(それにしてもダニー・ロバンだのジェラール・フィリップだのという名前がまさに1950年代である。)

そうして、ひばりがじつによく歌っている。同時期に「伊豆の踊子」とこの「お針娘ミミー」と、対照的でもあるふたつの傑作を放っているのは、すなわち、この1954年こそが彼女のもっとも輝かしい季節である証左なのだ。ひばりと二歳違いで当時高校生だった私の兄が、何を思ったかある日突然、音楽はバッハと美空ひばりに限ると言い出してラジオをかけまくっていたので、バッハと当時のひばりの歌はいやでも耳に入っている。これもある種の反面教師だろう。(ここでひとつ訂正。前回の「伊豆の踊子」の歌詞にもうワン・フレーズあったのを書き忘れてしまった。すなわち前回紹介した歌詞の後に「おらが親さま離れていても、今度逢うときゃ花も咲く」と続くのである。)

思うにひばりという才能の本質は、一言でいうなら「おしゃま」というところにある。

おしゃまとは要するに女の子の才気のコケットリイだから、当然、嫌味に通じる半面も持っている。売り出したころ、サトウハチローから小生意気な小娘と批判されたのも尤もともいえるのだ。それがこの昭和28、9年ごろ、ちょうど花の乙女の季節にさしかかって、早熟の天才少女から蝉脱していろいろな可能性を秘めていることを見せ始めた。様々な可能性を感じさせることそのものの哀切さ。後年のひばりがいかに国民的大歌手であろうと、所詮それは、このときの予感の中にあった可能性の中の一筋でしかない。そのことを知っている現在から振り返るとき、それは人生そのものの哀切さとなって感じられる。

ところでこのパリのお針子の青春の哀切を謳った主題歌を持つ『青草に坐す』という映画の物語は、別にパリとは関係がない。山の手のアッパーミドルの家庭に育った高校生のイニシエーション・ドラマなのだが、相手役の田浦正巳、先生役の大木実、姉の桂木洋子、さらには笠智衆その他の大船調映画の栄華の極みの空気を伝える俳優たちを駆使して、若き野村芳太郎が溢れる才智を傾けた佳編である。

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随談第156回 昭和20年代列伝(その9)ひばり三絶(2)

美空ひばり三絶の(その2)は「伊豆の踊子」である。昭和29年、若き日の野村芳太郎監督の松竹映画主題歌、これも若き日の木下忠司の作詞作曲である。木下忠司は「喜びも悲しみも幾年月」だのなんだの木下恵介監督の映画音楽が有名だが、この「伊豆の踊子」の方が曲としてすぐれていると思う。いやこれは、日本人作曲家による近代日本の歌曲として有数の名曲ではあるまいか。

この五月、三百人劇場の野村芳太郎作品特集で久しぶりに対面し、映画そのものも、野村監督若き日の機知と瑞々しい情感のマッチした名画であることを再認識した。昨年暮、戦前の田中絹代版を見ての感想はその折のブログに書いたが、ひばり版の方がはるかに勝ること数等である。ひばりもいいが、石浜朗の一高生もこの人生涯のはまり役だし、何よりダメ兄貴役の片山明彦が傑作だ。由美あづさとか雪代敬子などの女優たちも、その後の世代の女優たちになくなってしまった、昭和の初期という時代を体現できる「日本の女」の匂いをもっている。

田中絹代版の主題歌「雨の日も風の日も」というのも、リアルタイムでは知らない私のような戦後育ちの人間でもいつとはなしに覚えてしまったほどの有名曲だが、それに比べひばり版の方は、もうひとつ知名度が高くないのは、名曲必ずしも大ヒットしないという、歌謡曲の人気というものの一種の宿命というほかないのだが、しかしもうひとつ突っ込んで考えれば、ひばりが国民歌手的な規模で人気と支持を獲得してゆく過程でぶつかった、いくつかの分岐点のひとつに、この曲があったのだという風に思えてならない。つまりひばりを支持する人気の質が、この曲にはある一定以上の支持を与えなかったのだ。

さりながら、昭和29年、十八歳のひばりの歌う「伊豆の踊子」はまぎれもない名曲である。次回に述べる「お針子ミミーの日曜日」などとともに、この頃のひばりは、高音に情感と抒情性があって、後年の「国民的大歌手」になってからのひばりしか知らない向きには信じがたいほどの清冽さがある。

曲は、ごく短いフレーズと同じ旋律の繰り返しで、単調なようでそれがかえって悠久につながるような、舟歌のように果てしなく繰り返されるような趣きが、興趣が尽きないという意味では曲想は違うがシューベルトみたいだ。「三宅出るとき誰が来て泣いた、石のよな手で婆さまが」「まめで暮らせとほろほろ泣いた、椿ほろほろ散っていた」「江島生島別れていても、こころ大島燃ゆる島」という、これで全曲である。言うまでもないが、「こころ大島」は「こころ逢う島」と掛詞になっている。

おそらく、心あるファンには忘れがたい思い出とともにいまも生きているのであろうが、それだけに留めておきたくない思いが私にはある。ズバリと言えば、ひばりヒット曲としてはやや高踏的に傾き、歌曲として評価されるには、どうせひばりの歌謡曲だとみなされて、識者にははじめからその存在すら知られていないのかも知れない。「川の流れのように」や「悲しい酒」ばかりほめていないで、ひばり歌謡にはこういう曲、これだけの達成もあるのだということを訴えたく、今回はやや肩に力が入ったブログになった。

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随談第155回 今月の一押し(7)サプライジングな弁慶

歌舞伎座は『先代萩』特に仁左衛門の八汐、三津五郎の沖の井に菊五郎の政岡という「竹の間」(もうひとつ、団十郎の仁木も近来での仁木である)、新橋演舞場は『勧進帳』の海老蔵弁慶、どっちにしようか三秒迷った挙句、この欄はなるべくサプライズのあるものにしたいので、二ヵ月連続はちょいと気が差すが、その破天荒な目覚しさを買って海老蔵にしよう。国立劇場の坂田藤十郎の「伏見撞木町」の大石も、上方の型による真山青果劇みたいでサプライジングだが、これはちょっと冗談が過ぎる。

「竹の間」も、特に仁左衛門がねちねちと意地の悪い御殿女中ぶりを自ら乗って、楽しんでやっているのが面白い。こういうのを見ると、この人もやっぱり上方役者なのだと改めて思う。二代目鴈治郎に教わったというのもさこそと思わされるが、東京の役者ではこうはいかない。三津五郎にしても、いまとなっては菊五郎にしても、考えてみれば立役三人の女形役による「竹の間」というのも珍しい(つまりサプライズだ)が、この配役が成功している。団十郎の仁木も親叔父まさりの仁木だし、これだけ面白い『先代萩』はそうはない。歌舞伎座ならではの大人の芝居である。

しかし日本シリーズで、大人の落合監督率いる中日が、永遠の少年めいた新庄に名を成さしめたように、「不思議の国の王子」海老蔵の憑依のごとき弁慶の前には、この「大人たちの先代萩」も光を失ってしまう。これまで幾度見たか知れない『勧進帳』だが、こんな『勧進帳』、こんな弁慶は見たことがないという意味では、これまで見た数々の素晴らしい弁慶たちも色褪せて見えるかのような錯覚に陥ってしまいそうだ。新聞評に、弁慶の荒ぶる魂が海老蔵の身体を纏ったようと書いたが、一言で言うならそれに尽きる。

七年前の、海老蔵大ブレークの第一ページとなった弁慶も凄かったが、あの時は、まだあきらかに未熟な弁慶だった。むしろその未熟さそのものが魅力だった。下手なのは誰の目にもわかったが、そのことを問う声はなかった。そもそも、当時の海老蔵自身が、弁慶というには若すぎた。つまりはじめから、ヤング版弁慶だったのである。

だが今度のは違う。いかに若くとも、すでに海老蔵は一個の大丈夫である。男の匂いがぷんぷんしている。これこそが弁慶だろうと思わせる。これまで見てきた名優たちの弁慶は、壮年の、弁慶よりも年齢のいった弁慶役者たちのみごとな役者ぶりや風格を通して見る弁慶だった。いわば年齢不詳の弁慶である。もちろん、歌舞伎の座頭役というものはそういうものであり、それで100パーセントいいのである。だが今度の海老蔵を見ると、そういう暗黙の約束事を超越している。そこが凄い。一陣の竜巻を見るのに似ている。

もうひと役の『千本桜』の忠信も余人の企て及ばない忠信だが、変てこというなら弁慶以上に変てこである。とりわけ本物の忠信で出てきたところはまるで病人である。猿之助に、あそこの忠信は病み上がりだと教わったそうだが、それを颯爽たる忠信の付け味として見せるに留めるのが丸本時代物というものである。狐言葉は義太夫を踏まえたセリフの拙さが露骨に出る。ところが、狐になってからそれを物の見事にひっくり返してしまう。まさに異能の役者である。

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