隋談第41回 上村以和於映画噺(その2)

わが映画前史その2、というあたりのお話。つまり前回のよりはもっとはっきり覚えているばかりでなく、それなりに批評眼の芽生えみたいなものもあったりするが、所詮は大人に連れて行かれて見た、というたぐいの話である。

エノケンをよく見た、と前回も書いたが、たぶんエノケンならと親も安心して連れて行ったのだろう。残念ながら題名はほとんど覚えていないが、断片とはいえシーンはかなり目に焼きついているから、エノケンのものをもしまとめて見る機会があれば、ア、これがそうだ、というのが結構見つかるかもしれない。(前回書いた『逢引』のクロスワード・パズルのシーンなんてまさにそれだった。)

『鞍馬天狗』は残念ながら「見た」という記憶だけ。『エノケンの東海道』というのはかなり覚えている。悪い奴に大石で殴られたために記憶喪失になって数の勘定が、ヒイ、フウ、と二つまでしか数えられないという設定で、お福チャンという女の子と東海道を旅をする。道中敵に追われて見世物小屋に紛れ込んでお福ちゃんがロクロ首になったり、一ツ家の鬼女の家に泊まったり、いま思うと、後で寄席や歌舞伎に親しむ土台はエノケンの映画で作られた面も少なくない。

『ホームラン王』のことは4月の「野球噺」にも書いたが、昭和23年に川上と青田が共に25本ずつ打ってホームラン王になったとき、エノケンが真ん中で川上青田を両脇に従えるという三幅対でバットをかまえているポーズのスチール写真が有名だった。

しかしなんといってもはっきり覚えていて(しかもこの1月、テレビで放送したのをしっかり録画して確かめた)、いまもおおいに役に立っているのは『エノケン・笠置のお染久松』である。なにしろ『新版歌祭文』の「野崎村」なるものを、歌舞伎や文楽よりも先にこの映画で知ったのである。奉公先の油屋の番頭をあきれたボーイズがやっている。最後にお光がクリクリ坊主の尼さんになるところで「こんな女に誰がした」が流れる。あのお光は誰だったのだろうと長年ずっと謎のままだったのだが、テレビで見てやっと謎が解けた。高杉妙子という、戦後初の『真夏の夜の夢』で妖精のパックをやった女優である。

しかしこの映画ではエノケンは完全に笠置シヅ子に喰われてしまっている感じで、そういうことは今度見直して分かったことである。笠置シヅ子といえば、シミキンが横山隆一の漫画のデンスケをやって、笠置がマーケットを見て回りながら「買物ブギ」を延々と歌う場面だけがいまなお鮮明である。ずっと後、帝劇のロビーで同じベンチに並んで座り合わせたことがある。地味なつくりのオバサンで、知り合いらしい老紳士と話しているのが聞くともなく聞こえてしまう。辰之助をしきりにほめていた。もちろん先代である。

この春ごろ、エノケンの『らくだの馬さん』のフィルムが発見という記事が新聞に出て、妙な気分になった。これはもう高校生になってから自分の小遣いでリアルタイムで見ているのだ。池袋東映で右太衛門の(しか『あばれ大名』とかいった)映画と抱き合わせで見て、中村是好の馬がおもしろかったのをはっきり覚えている。そういうものが「発見」というのには、軽いショックを感じた。

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随談第40回 上村以和於映画噺(その1)

よほど小さいときから歌舞伎に親しんでいたのだろうと買いかぶってくれる人もあるようだが、実はそれほどの「おませ」ではない。少なくとも映画の方がずっと早くから身近にあった。つまり、ごく普通の話である。

一番古い映画の記憶というのを、このあいだ訊かれたが、どうもはっきりしない。いずれにせよ小学校1年前後だが、当時中野の鷺宮に住んでいたので、日本映画なら野方の西武座、洋画なら高円寺の平和劇場が定番だが、ときに新宿のヒカリ座とか青山のなんとかいうとかいう映画館へ連れて行かれることもある。はっきり覚えているのは日劇で『我が青春に悔いなし』を見て、それから実演があって、金語楼が出たのと二葉あき子が「夜のプラットホーム」を歌ったのとタップダンスがあったことで、プロの芸人の舞台というものを見たこれが最初であろう。もうひとつ、当時よくあった、日が暮れてから学校の校庭に白布を張って映画会というので、「象を喰った男」というのをみた記憶がある。いずれにせよ、こういう中のどれかであることは間違いない。

西武座ではよくエノケンを見たが、ここは新東宝の作品をよくやったらしく、鐘ががらんがらんと鳴るタイトルが子供心に印象的だった。のちに資料に当たってみて、多分一番古い記憶は、高円寺平和で見た『我等の生涯の最良の年』であろうと自己判定する。一九四六年本邦公開というのが、そう判断する根拠だ。

ずっとのちに『逢引き』を見たとき、シリア・ジョンソンの人妻がトレバー・ハワードの愛人と逢引きをしてわが家に帰ると、夫が暖炉の前の椅子に掛けてクロスワード・パズルに熱中している場面で、一気に子供の時の記憶が甦った。文字通りのデジャヴィである。もうひとつよく覚えているのは、ヒッチコックの『断崖』でケイリー・グラントとジョーン・フォンティンが車に乗って断崖の上を走るシーンだが、もっともこれらはのちに見直して確認したから言えるので、小学校入学前後の子供の断片的記憶に過ぎない。

これらはたいがい母が自分が見たいから私を連れて行ったまでで、もちろん自分から見ようと思って見たわけではない。これは日本映画だが、場面は銀座かどこかの都会の繁華街で、道路のこちらをヒロインが歩いていると、反対側から「××子さん」と声をかけてニッコリしながら横断してくる男がいる。と、車が走ってきて男がひかれてしまう。ヒロインがあっと顔を覆う。と、つぎの場面が仏壇で男の位牌が写る、というただそれだけの文字通り記憶の断片なのだが、これが映画のモンタージュというものを知った最初という意味では貴重な記憶ということになる。(それにしても、あれは何という映画で、俳優は誰だったのだろう。なにかの拍子に知れないかといまでも時々思い出す。)

十七世勘三郎と同い年の母がよく懐かしがっていたのはロナルド・コールマンとグリア・ガースンの『心の旅路』で、これもはるかのちに銀座でやっているのを見て、教えてやったら当時もう八十歳を過ぎていたがひとりで見に行ってきて喜んでいた。(あれはグリア・ガーソンではなくガースンと言わないと「なつかしくない」のである。)

と、このあたりがわが映画前史と言おうか。(もちろん、つづく)

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随談第39回 観劇偶談(その15)

この三年ほど、毎年八月の楽しみは桂歌丸の円朝シリーズを聞くことである。落語を聞きに寄席や落語会に通うということをしなくなってから久しいが、いい噺家のいい話を聞きたいという欲求は常にある。しかし聞きに行くという習慣、そのための情報収集の努力をなくしてしまったので、別に文楽・志ん生爺だの円生・彦六爺だのを気取る気はさらさらないにもかかわらず、いま盛りの人たちはほとんど聞いていない。

去年の夏、浅草演芸場の前を通りかかって、こぶ平がトリを取っているというのでふらりと入って、久しぶりにいい気分を味わった。勢いがあって、昔の三平とよく似ていながら違うべきところは違う、自分の話芸を確立している噺家ならではの快さがあった。いい正蔵になるに違いないと思った。

一番熱心に通ったのは、その正蔵の先代(彦六というのはどうもピンと来ない)や円生、小さん、先代(といわなければならないのだね)馬生などがいろいろな落語会の常連だった時代で、この人たちそれぞれに一番油の乗ったところを聞いたのだと思う。文楽はやや衰えが見えていたが、むしろそうなってからの境地のようなものもあったと思う。文楽というと、きちっと決まった芸ということばかりが言われるのは、それ自体はもちろん間違っていないが、文楽という噺家の真髄を語ることにはならないように思う。最後の年の春に聞いた「景清」などは、みずから陶酔境に入りつつ客席をもそれで包み込んだ忘れがたい名演だった。すぐに席を立つ気になれず、しばらくそのまま座っていたかった。

ところで歌丸だが、この人の語り口がいま言ったような、つまり私が一番親しんだ世代の人たちに通じる味わいをもっているのが、私には快い。落語を聞く快感というのは、つまるところ、噺家の語り口を聞くところにあるのだと私は思っている。つまり文章でいえば文体である。漱石でも鴎外でも荷風でも、それぞれあの文体をもって語ればこそ、その説くところが身に染み入るのとおなじである。

歌丸の語り口が円生を彷彿させるのはおそらく円生をよく研究しているとおぼしく、しかし円生には円生の仁があり、歌丸には歌丸の仁がある。もちろん円生を知らない世代の人が歌丸を聞いて、それはそれで充分に堪能することができる。しかしたまたま円生をも知っていれば、歌丸の語り口に円生の語り口をダブらせ、しかし歌丸自身の語り口がそこから立ち上がってくるのを愉しむこともできる。落語が伝統芸だということの真髄はその辺りにあるのだと思った。

おととしから始まった『牡丹灯篭』が、「お札はがし」「幸手堤」ときて今年が「関口屋」。

伴蔵、山本志丈、お国、宮野辺源次郎といった人物たちを、義太夫でいう「カワリ」とも通じ合う、わずかな間、わずかな口調の変化、わずかな仕草、わずかなこなしひとつで歯切れよく、くっきりと語り分け、描き出してゆく、その面白さあざやかさ。ひさしぶりにいい「噺」を聞いた満足は、落語ならでは味わえないものだ。

「関口屋」はやや地味で、暗い噺だからと一席終わった後で、芝翫さんでも踊れないような踊り、といって「どうぞかなえて」を踊って見せた。まさに噺家の踊りであった。

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随談第38回 観劇偶談(その14)

歌舞伎座で話題の串田和美版『法界坊』を見た。五年前の平成中村座開場の時以来だが、印象からいうとかなり違って感じられるのが面白い。もちろん手直しや変更もあるが、もしかするとそれ以上に大きいのは歌舞伎座という器のせいかもしれない。

この前は平成中村座というもの自体、こちらも初体験という珍しさやいい意味での戸惑いもあったし、なによりも、見廻土手や待乳山がすぐそこに本当にあるという臨場感が想像以上に大きかった。串田氏がそれをどこまで計算に入れていたかどうかはわからないが、中村座という小屋自体がその周辺という、より大きな芝居小屋の中に入れ子のようにくるまれていた(ということを観客に無意識の内に感じさせる)効果が、じつに大きかったことが今度改めてわかった。

こういうと今度がつまらなかったように聞こえるかもしれないがそんなことはない。ドラマ全体が明確に立ち上がって来たという意味では、今度の方がすぐれているだろう。この前は上に言ったようなことも含め部分が突出し、こちらも充分に全貌を捉えるゆとりがなかったせいもある。

在来版がコンヴェンション(といったって、在来版のあのやり方やあの感性というものは、想像だがおそらく大正以降に出来上がったものだろう。わたしはあそこに戦前という古き良き時代のハイカラ趣味の気配を感じている)のなかに埋没させていた、あるいは、演者観客の共通認識としてさらりと通り過ぎているところを、その都度、あるいは掘り起こし、あるいは引っ掻きだしして突出させ、激辛や激甘のスパイスを利かせる。そのやり方に、反発や悪趣味を覚える人も当然あって不思議はないし、百発百中というわけにはいかないのも当然だ。掛け捨てのものもあるだろうし、こののち定着してゆくものもあるだろう。結局のところはそれは観客がきめることになるわけだが、いまはむしろ、それを作ってゆく過程そのものが大きな魅力となって、客席に反響しているのが、その一隅に座っていて感じられる。自分もいまそういう現場に立ち会っているという臨場感。それこそが一番の魅力なのだ。

批評というとどうしても、あそこがいい、ここがよくないという風に、スタチックに捉えてしまうことになりやすい。こまかいダメ出しならそれでもいいが、そういう批評に仕方では、客席で観客が爆笑したりハッとしたりする、そのものを捉えることは出来ない。もちろんそれを文字で客観的に書き取ることは不可能だが、しかしそこに目を向けなければ、そこを掬い取ろうとしなければ、批評の方が負けていることになる。

舞台の上に、むかしの劇場にあった「羅漢台」という観覧席を作り人形(と見せて生身の人間をもぐりこませるといトリックにはまんまと一杯喰った。人形にしては妙に実在感があるなと不審には思っていたのだが、まさかそれ以上は気がつかなかった)を並べたり、回り舞台を敢えて使わなかったり、「新劇人」(という言い方は嫌味かもしれないが、この際許してもらおう)らしい工夫とか、物思うネタはいろいろあるが、それも含めて、いろいろ刺激的な舞台ではあった。

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随談第37回 観劇偶談(その13)

>亀治郎の会を見た。東京で開くのは初めてだが、妙なもので京都で開くのとでは大分感じが違う。旅の気分も手伝っているのかもしれないし、あの華やかな女性たちの姿が見えないせいかもしれない。しかしここらで一度、東京でやっておくのはいいことだろう。噂には聞いていたが見るのは今度がはじめてという人は少なくない。

今回は『矢口渡』に『船弁慶』だが、完成度という点ではこんどが随一だろう。型が定まっているものだけに演技に集中しやすかったかもしれないし、いわゆる仁にあった演目だったともいえる。これまで亀治郎が成功している役というのは、何らかの意味で集中力を必要とする役が多い。(限られる、と書こうとして実はちょっと遠慮した。)お舟も知盛もその点で同類である。

この前「俳優偶論」で『小栗判官』の青墓長者の娘のことを書いたが、自分の思いの中で自己完結してしまうという意味ではお舟も同じだ。『鮨屋』のお里と劇としての設定は似ていて、わが家に現れた貴種に一目惚れしてひとり相撲を取るところが同じなので、この『矢口渡』という芝居は出来の悪い『鮨屋』のように言う人もあるが、お里はのちにかなり頭脳プレイを見せるのに対し、お舟はまっしぐらに突き進む点が違う。(それにしても、維盛にしても義峰にしても身勝手といえば身勝手だが、二人とも娘の思いを受け入れてセックスを交わす、いや、情をかけてやるところが貴種たる者のやさしさというものなのである。抱き合って、右手を額のあたりにかざす、あのポーズこそくせものである。)

閑話休題。今度の亀治郎を見て、ホオと思ったのは、そうした一途な思い込みからくる集中力はもちろんだが、それに加えて、いままでになかったふっくらとした華やぎが見えたことである。これがどういうところから生まれたものか。離見の見に通じる何かをつかんだのか、先月の『十二夜』で何か得るところでもあったのか、そこらは想像の域を出ないが、ともあれ、この春頃の芸の痩せた感じが払拭されたのは大いに喜ばしいことである。

『船弁慶』はおそらく期するところあったに違いない。そう思わせる気迫であり、出来だった。知盛もさることながら、感心したのは前ジテの静のたおやかさである。ここにも、集中力だけではない、ある種ゆとりと呼んでさしつかえないものの芽生えが感じられる。よくいう言い方をすれば、いつもより役者が大きく見えた。

今回のもうひとつの収穫は、段四郎が元気を回復して手強く、立派な頓兵衛をみせてくれたことである。頓兵衛が花道を入るときの、蜘蛛手蛸足というのの完全な形というのを私は残念ながらまが見たことがないが、今回蛸足の方はともかく、かなり満足できるものを見ることが出来たのではないか。ともあれ、段四郎の回復はおおいに喜ばしい。

そのほか、亀鶴の六蔵と、門之助が義峰、舟長とも役のツボにはまっているのが快かった。

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随談第36回 観劇偶談(その12)

毎年夏のささやかな楽しみは「東宝現代劇75人の会」の公演である。普段は芸術座などの舞台で脇を固めている人たちが、自分たちの公演を年に一度持つのである。

芸術座の舞台がざっと四〇年、常にあるレベルを維持してきた、あまり目立たないが実は大きな根拠として、この人たちの存在を抜きに考えることはできないだろう。しっかりしたリアリズムを根底にした演技。主役はその時々のスターが入れ替わっても、固める脇は変わらない。芸術座の舞台の信用は、ある意味ではこの人たちが作り、支えてきたのだともいえる。

昨今若い世代にもてはやされる芝居を見ても、つくづく感じるのは、どういう傾向の芝居であろうと、根底を支えるのは、地道なリアリズムなのだということである。ひと頃、糞リアリズムということが言われ、超現実的な内容・感覚の芝居が当り前のようになった。しかしその手の舞台をも見るにつけ、根底を支える地道なものがなければ、結局空疎に陥らざるを得ないという、ごく当り前のことを思うことが多くなっている。

去年の夏、新橋演舞場に久しぶりに松竹新喜劇がかかった。『大阪ぎらい物語』の幕が開いた一瞬、私は息を呑んだ。大正頃の大阪の船場の店先に老舗の手代や丁稚や女中たち、職人や物売り、街の人々がまさしく生きてそこにいる。圧巻だった。松竹新喜劇という集団が持っている底力というものが、まざまざと実感された一瞬だった。しかも以前と違い、彼等は毎月常打ちの公演をしているのではない。普段は個々別々に、さまざまな舞台に分散してかせいでいるのが現状である。それが、いざとなればこれだけの充実感のある舞台を作り出すことができるのだ。まさに、これぞプロフェッショナルである。

いまこれに拮抗できるだけの叩き上げた腕をなんとか持ちこたえている集団といえば、花柳界を舞台にしたときの新派ぐらいのものか。(九月の『京舞』が楽しみだ。)こういう芝居を古くさいだの何だの言うことはたやすいが、それではこれだけの臨場感のある舞台を作れるかといえば、さてどうだろうということなのだ。

もちろん、新派における花柳界、新喜劇における一時代の大阪の市井のような一定の「様式」を持った世界であればこそ、こうしたことが可能であるのは事実だろう。東宝現代劇の場合は、現代という「様式」を失った時代を演じる以上、新派や新喜劇のような独自の世界を作るというわけにはいかない。そこが難しいともいえる。しかし去年の公演で上演した『花咲く港』は、すくなくともこの春新国立劇でのより現代的な感覚の演出による舞台よりも、すくなくとも戯曲の世界を感じさせる臨場感に関する限り、確かな「劇的現実」を作り出していた。

決して無条件に賞賛するのではないが、こうした地道な努力こそ、現代のような演劇界の状況の中で、(あえて古風な言い方をするなら)「地の塩」ともいうべき価値がある。

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随談第35回 日記抄(その2)

種々の原稿締め切りやスケジュールが錯綜してだいぶ間が空いてしまった。

少々PRめくのでこういう場に書いてしまっていいかなという気もしないでもないが、誰にとっても悪いことではない筈だから、書くことにしよう。

先日、雑誌『演劇界』の企画で座談会があって出席した。「演劇の新展開と劇評の現在(いま)」というテーマで、出席は串田和美、松岡和子、長谷部浩、児玉竜一、上村以和於、司会・伊達なつめという顔ぶれである。この顔ぶれで想像がつくであろうように、この数年、歌舞伎に俄かに目に付くようになった「異種乗り入れ現象」を反映している。とりわけ、串田氏が、歌舞伎座第三部で出す『法界坊』の稽古中、時間をやりくりして出席してくれたことで、話題や問題提起が一層ヴィヴィッドなものになった。

編集サイドとしてのコンセプトの問題もあるし、もちろん時間の制限もある。充分語りつくせたとも思わないが、終了後、出席者全員で会場だったホテルの地下のバーでもうワンクールあったように、ノリとしてはまず悪くなかった。『演劇界』近年での好企画である。

出来れば、よき程合いを見てもう一度やれれば、初顔合わせゆえの探りあいを乗り越えた、もう一段ハイレベルの座談会ができるであろう。

こういう場合、とかく話をつまらなくするのは、出席者がそれぞれの立場代表みたいな気になって、国会の族議員ではないが、蛸壺の中からの発言に終始しがちなことだが、その手の低レベルの発言がひとつもなかった(もともとそんなレベルの出席者ではないから当然とはいえ)のは、この座談会を意義あるものにしたと思う。

内容は九月末に発売の十一月号を見ていただくとして、若干のPRもふくめてちょっとお知らせをした次第。

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