随談第17回 観劇偶談(その7)

今日の話題は正確にいえば「観劇」ではなく「画展鑑賞」である。さらに正確にはそのお噂。しかも疾うに期日が過ぎてしまった代物である。「中村吉右衛門スケッチ展」が銀座の吉井画廊で開かれたのは今月の中旬。せめて月が変わらない内に書いておこう。

吉右衛門の画伯としての腕前のほどは、知る人にはつとに知られているが、前に何かの折に見たときの印象にくらべても、一段とすっきりとあくが抜けて、絵筆の技巧の進歩と自身の心境の深まりがうまい具合に、程よく足並みをそろえているような感じを受けた。

お父さんの故白鸚が、若い頃画家志望だったというが、こういうものは、画才ももちろんだが、多分に、それもかなり深いところでの、気質の問題のような気がする。いわゆる「絵心」のあるなしで、もしかすると「人種」の分類ができるかも知れない。実の親子・兄弟でも、絵心のあるなしはまた別のようだ。

ルオーに傾倒しているという播磨屋は、欧州への旅先でも絵筆を取っていて、今度の展示の中でも佳品が多い。強いてルオー調などということを狙ったりしているわけではないが、でもルオーが好きだというのは、見ていてなんとなくわかるような気がする。

しかし今度の展示の中で私が一番気に入ったのは、それとは別に、『秋の歌舞伎座』と題する一点だった。歌舞伎座の前を築地方面へ行き過ぎてすぐの道を左に折れると、ちいさな社があったり、あまり大きくない柿の木が実をならせていたりする、ちょっと閑散とした感じのある一隅がある。歌舞伎座の建物の高いところに小窓があって、そこから朱鷺(とき)色の腰元の衣装をつけた女形の役者が外を眺めている。ちょっぴり哀感があって、それこそ小さい秋がそこにある。そういう、「秋」を描いた一品だった。

「あれがいちばん気に入りました」と言うと、オオと、あのいかにも播磨屋風のシャイな笑顔を見せて、「正面の絵はどなたもお描きになるので、役者ならこういうところを描こうと思いましてね」という答えだった。

後になって、窓辺の美女は誰を描いたのですかと訊くのを忘れたのに気がついた。私の推理では、吉之丞氏をちょっぴり若返らせて描いたのかなと思うのだが、どうですか?

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随談第16回 上村以和於野球噺(その5)

野球噺の一回目だったかに、メジャーから帰ってきた興味のある選手というので、小宮山と吉井のことをちらっと書いたが、その吉井がきのうの対巨人戦で素敵なピッチングをしてくれたので、いまいい気分である。思えばあれを書いたとき、吉井はまだ二軍にいたのだ。今年になってから、年俸五百万円でテスト入団したというのだから、むかしの栄華などを考えていたら誰にもできることではない。

近藤唯之氏の『背番号の消えた人生』というのをかつて愛読していた。第一線で鳴らしたプロ選手たちのその後の人生を追った記事だが、近藤氏独特の泣かせのテクニックは承知の上で、それでもなおかつ唸るほど面白かった。中でもいまなお忘れがたいのは、かつて(まだ弱かった頃の)広島カープで四番を打っていた興津選手の記事である。

現役時代、高円寺に豪邸を建てて住んでいたその家から、引退後、興津は水道工事の見習いから始めて、やがて工事屋さんになって注文先を廻るようになった。その家から、というところが面白いが、ある日、穴を掘っているときに、水道管にシャベルをぶつけてしまって勢いよく水がふきだしてきた。どうやっても水はとまらず、ようやく修理が終わったときは全身びっしょりなどというものではなかった。さすがに気の毒に思ったかして、その家の奥さんがご主人の下着を出してきて、よろしければこれをお使いくださいと言ってくれたというのである。

まあそれだけの話なのだが、いま記憶を頼りにこうして書いている内に、こういう話を集めたら『徒然草』の現代版みたいなものができはしまいか、という気になってきた。現役時代のまま豪邸に住んで水道工事に出かけるというのもいいし、気の毒に思った奥さんがご主人の着古したのを申し訳なさそうに差し出すというのも、なんともいい。水道管から噴出する水の勢いと格闘し、悪戦苦闘する元四番打者というのに至っては、さぞかしヘラクレスのように美しかったに違いない。まさにここには人生があり、人の世を生きる哀しみと喜びがある。

子供のころ球場に足を運んで、何故か顔をよく覚えている選手というのがある。有名だとか、プレイが格好良かったとかいうのとは別に、子供心にも印象に残り、いまもくっきりとその顔だけが思い出せるというのは、どういうことなのだろう。

東急セネタースでこの前書いた白木と並ぶエースだった黒尾とか、有名選手だからという意味ではなくて、中日の西沢の笑顔とか、まん丸な眼鏡がわすれがたい野口次郎とか、眼鏡はもうひとり、阪神の御園生とか、きれいな投球フォームだった清水秀雄とか。

ところでこの回は、小学生のころに親しんだ野球カルタというのを再現してみようと思ったのだが、何たることか、確実に思い出せるのが十枚ぐらいしかないことがわかった。五七五の最初の五文字が出てこないのが数枚、絵札だけなら覚えているのがざっと二十枚。

一枚だけ言うと、いろはの「い」が、「一打よく川上満塁ホームラン」というのである。「見送ればボールの球を櫟振り」などというのもあって、たまたま覚えていたカルタのお陰で阪神の櫟(いちい)などという選手がいたことが思い出せるのである。

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随談第15回 俳優偶論(その1・片岡愛之助)

(新しいコラムを始めることにした。題して「俳優偶論」。ミニ俳優論の趣である。随時、不定期に書いていきたい。)

片岡愛之助に会う機会があった。6月の明治座の『五瓣の椿』に出演するので、他紙の記者氏と一緒に出演の弁を聞いたのだが、大勢集まってのいわゆる記者会見と少し趣きが異なり、質問側が二人だけだったためもあってか、オフレコの話なども問わず語りに出るなど、30分余りという会見時間の割りには内実のある、なかなか興味深いひとときであった。

印象を一言で言うと、(少し古いが)オヌシヤルナ、という感じである。

端正で温厚な、気さくな中にもどう転んでも行儀悪くならない、身についたジェントルネスは、いかにも松島屋の人らしいが、その中に時折、不羈とすら言ってよいものを感じさせて、ホオ、と内心舌を巻かせる。怜悧というと、冷たい感じがして本来いい意味で使うべき言葉ではないが、しかしその言葉が持っている頭脳の明晰さと、意志的なたたずまいは、先に言った端正なジェントルネスという衣で包むと、なかなか魅力的である。想像していたよりも、大人、を感じさせた。もちろんそれは、若々しくないという意味ではぜんぜんない。

会見の主たる話題は、当然、『五瓣の椿』出演にあたってにあるわけだから、たとえば共演の女優菊川怜に話が及ぶと、初舞台で座長芝居という、歌舞伎でならありえない事態の中で彼女がいかに対処しているか、如才のない表現をするのはこういう場である以上当然だが、女優菊川怜というものを感じる、という言葉が愛之助を通して語られると、通り一遍の外交辞令ではなく、見るべきものを見ながらの言であることを察知させるのだ。

役者である以上どんな役でもやります、という。誰でも言う言葉には違いなくとも、この人の場合、その奥に強い意思と、自負と、その上にある見通しを持って言っているのだということがわかる。プロフェッショナルとしての自覚は、歌舞伎の役者なら持っていない人はないだろうが、それが単なる自負で終わらないところに、愛之助の愛之助たる存在の面白さがある。つまり、いま自分のいる位置をあやまりなく、的確に見ていながら、同時に、遠くを見ている人、なのである。

片岡秀太郎を父にもつ上方の役者として、当然という以上に、上方の歌舞伎を隆盛にするための努力も惜しまないが、関西でいま歌舞伎がどういう形でいるのか、それを見据える目は冷徹である。松竹座の看板を見ながら通りすぎるひとびとの目には、いま歌舞伎が来ている、であって、誰がなにをやっている、ではない。

現実を見る目と同時に先を見る目と、ふたつながらに持たないようなら頼りにならない。上方歌舞伎塾のこと、シアタードラマシティという与えられた場のこと、平成若手歌舞伎のこと。それらを語る愛之助には、智者の勇がある。どういう叡智をこれから見せるか。

歌舞伎俳優が歌舞伎の外に出るとき、私は最低次のことを求めたい。歌舞伎役者って凄いんだ、と思わせるか、何かを歌舞伎に持ち帰るか、せめてどちらかをしてもらいたいのだ。『五瓣の椿』で愛之助はなにをしてくれるだろう。

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随談第14回 上村以和於野球噺(その5)

前回古田のスーツ姿の話をしたが、もう少し続きをしよう。

去年のスト騒ぎのときに、オーナー連と時間ぎりぎりまで交渉しその足でナイター球場へ駆けつける。そのときのスーツ姿が、とても野球選手とも思われない板につき方だったわけだが、あんなに板についてしまうところが、古田のエイリアンたる所以なのであって、野球選手としては実を言うと少し似合いすぎるのである。

もう三,四年も前、脚光を浴び出した頃だからいまなら違うだろうが、ソフトバンクの松中が何かの表彰を受けた時のスーツ姿なんてものは、とても見られたものではなかった。体育会の高校生がひねたようなものだった。松坂がプロに入った当初のスーツ姿というのも、そういえば妙なものだったが、まあ、あれでいいといえばいいのである。あれで、永年スター選手として人目にさらされていくうちに、清原ぐらいにはなるにちがいない。

清原といえば、今年に入ってからの、つまり頭を丸めてからの人相の変わり方というのはなかなか興味がある。表情が明るくなったのは、誰もが言うとおり、いきづまりが行くところまで行ってかえって吹っ切れたのだろうが、あのコワモテぶりというのはたいしたものだ。体形とか、想像するところの性格やらなにやら、かつての別所といろいろな点で似ているように思うのだが、大河ドラマで比叡山かどこかの僧兵の役に使ってもよさそうだ。

荒事というのを説明するのに、いまならスポーツ馬鹿みたいなものとよくいうのだが、男は単純にして明快、強いこと、たのもしいことがそのまま、人間としての魅力になったらたいしたものだ。なかなか、そううまくはいかないのは、野球選手といえども齢を取ればそれだけ人生の汚濁にまみれなければならないからだが、比叡山の悪僧に見立てられるなぞは、おそらく上の部といっていいだろう。つまり、あれでもうちょっと、おのずからなる愛嬌が出るようになれば、武蔵坊に見立てる目も出てくるわけだ。

先に小宮山をどこかの企業のエンジニアに見立てたが、むかし阪神のエースだった小山などは、芥川比呂志が、テレビのお陰で世の中には自分に瓜二つの人間がいることを知ったといって喜んだほどの知性派ぶりだった。ツーアウト満塁のピンチに次打者をショートフライに打ち取り、吉田が取ってスリーアウト、ほっと表情を緩めたときの顔がとりわけそっくりだったというのだから、芸がこまかい。

さらにひと昔前、巨人で三番の青田、四番の川上のつぎに五番を打っていたのはレフトの平山だが、塀際でジャンプして敵のホームランをレフトフライにしてしまうのが十八番だったこの人は、職人、それも板金とかブリキとかを扱うような、女っけとはあまり縁のなさそうな男っぽい、オッサンみたいだったので、ほんとうにオッサンという仇名だった。

ついこの間、『エノケンのホームラン王』という1949年制作のなつかしの映画にテレビで対面したが、三原監督以下、巨人軍選手総出演が売りのこの映画の中で、(つまり一リーグ時代最後の巨人軍のメンバーが見られるわけだ)三原、川上、千葉、中島康治などと並んで、セリフがもっとも多いのが平山だった。

昔のプロ野球選手には個性的な顔がいろいろあったという、年寄めいたオハナシである。

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随談第13回 観劇偶談(その6)

これを言うと、エッと不審がられることもあるのだが、新橋演舞場で年一度恒例の「舟木一夫公演」のファンである。芝居が一本にヒットパレード式のコンサートという例の形式だが、芝居も悪くないが、コンサートに於ける舟木一夫の初老のダンディーぶりがなかなかいいのである。

もともとややシャイな清潔感が『高校3年生』以来の売りだったわけだが、それに年の功のちょい不良ぶりがブレンドされて、いろいろな業界・各ジャンルを見回しても、あの齢の取り方というのはたいしたものだと思う。来し方行く末、なにを商売にしても、上手に齢を取るというのはそれだけでも見事といっていい。今年は還暦なので、赤い詰襟を特注したのを着て学園ソングを歌うというシャレがついたが、ぶざまにならないのだからえらい。

本来はむしろ訥弁なのだろうが、それが適度にくだけて、軽いノリではこぶトークも悪くないし、見ものは、客席のファンから手渡される花束だの紙袋入りのプレゼントだの、ときには手紙だのを、歌いながら手がいっぱいになるだけ受け取っては(それを置く台がちゃんと用意してある)適度に捌く具合が、それだけで芸になっている。別にもとからのファンだったわけではないから、『銭形平次』(だけはなんともなつかしいし、小節のきかせかたなど実にいい)などいくつかを除けばあまりなじみというわけではないのだが、退屈することはない。

芝居も、(NHKの朝ドラマ『オードリイ』で、むかしの千恵蔵だの右太衛門だのをミックスしたような剣豪スターの役をやっていたっけ)目張りの入れ方を甘くしすぎるのが玉に瑕として悪くない。筋目の通った演目を選び、脇役に筋目の通った人材を招くあたりにも、腰の座り方がわかる。今年は『瞼の母』だが、水熊のおはまに香川桂子、夜鷹のおとらに英太郎、金町の半次郎の母おむらに一条久枝というのだから、掛け値なしの一級品ぞろいである。

ところで、ここでぜひ書いておきたいのが、その一条久枝である。私はこの人は、現在の日本のすべてのジャンルを通じての女優の中でも、幾人か指折り数えられる第一級の人だと思っている。先代水谷八重子と演じた、たとえば『金閣寺』など、人の世の労苦を誠実に、しかしさらりとたくましく、生き抜いた女を、あくまで脇の分を守りながら演じて,この人ほど、胸を貫く深さを持つ人はいない。大正とか戦前とか戦後とか、いろいろな呼び方をする日本の近代の、その時代その時代の実質感を、その役の人生を感じさせる(繰り返すが、あくまで脇の役の分を律儀に守りながらである)演技をする人はほかに知らない。

だが残念なことに、彼女への評価は、私の見るところ、充分になされているようにはどうも思えない。現にこんどの筋書きの扱いを見ても、上に挙げたあとのお二人に比べ、ひとまわり小さいのだ。そんなこと、どうでもよろしいのですよ、ともしかしたらご当人はおっしゃるかもしれないのだが、私としては、ひそかに切歯扼腕しているのである。

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随談第12回 観劇偶談(その5)

紙面の都合で新聞に書く予定がないので、この場で埋め合わせをしよう。前進座の国立劇場公演である。

『佐倉義民伝』は嵐圭史の宗五郎が持ち前の誠実一筋の芸でひたひたと押して行くのが、いかにも前進座らしくて好感が持てる。そうはいっても、根が二枚目役者の上に父祖伝来の和事味が抜きがたく身体に備わっている人だから、翫右衛門から梅之助へと伝承されたものとは、する仕事は同じでも、すっきりとした趣があって肌合いは異なる。序幕の「門訴」で百姓たちとは着るものも違うのはいいが、男前で少々伊達男に見える。そうであっても構わないとも言えるが、観客の共感を得るには身体を考えた衣装を選ぶべきだったか。しかしおのずから一同の頭領であり、ただ誠実に訴えようと説く辺り、押さえは充分利いてよき頭領ぶりである。自宅に帰ってきて、女房や子供に丁寧な言葉遣いで話しかけるところもいかにもその人らしい面影がある。

正直な芸風だから、二代にわたる勘三郎のようにそくそくと情に訴え、子別れで涙腺を刺激するという風にはならない。もっともここは子役次第の一面もあるが。(十七代目勘三郎が旧新橋演舞場でやったときの橋之助のうまかったこと!)

ふつうのやり方だと、宗五郎に警告を伝えにくるのは幻の長吉だが、渡しを渡ったことが役人に知れ、甚兵衛が身を投げて死んだと村人が知らせに来るように合理的改訂がしてあるのも、いかにも前進座である。しかしそれなら、禁制の渡しをわたればこうなることは知れている筈、宗五郎は心無いことをしたようにも見えかねない。パンフレットでも触れているが、「甚兵衛渡し」は「子別れ」の後にしたほうが矛盾がすくなくなる、というのが私の意見である。藤川矢之輔が先月の『息子』以来、老人役ばかりなのは巡りあわせである。

もう一本の『権三と助十』は快調である。大歌舞伎でやるよりも庶民性が強いのは座の体質であり、この芝居ではそれがなにより有効だ。梅雀の権三に中島宏行の助十、国太郎の女房から梅之助の家主以下、いわゆるアンサンルの良さがこういう芝居だとものをいい出す。なかでも味な配役は、ついさっき、宗五郎等の訴えをニベモなくはねつけた六十歳を過ぎた佐倉藩士の役だった山崎竜之助に松浦豊明が、こんどは相長屋の願仁坊主の役というのは、なかなかしゃれている。

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随談第11回 上村以和於野球噺(その3)

先日古田が2千本安打を達成したとき、二塁ベース上で届けられた記念ボールにサインをし、外野席に放り込むということがあった。大方は好評だったと思うが、張本勲氏がこれに対してクレームをつけた。格好よすぎるというのだ。自分が選手として同じグラウンドにいたら妬ましく思ったに違いない、という。ファンにサービスするのなら、希望者を募って抽選で決めるべきだ、というのが「張本理論」である。

こういうのは、どちらが正しいかという問題ではない。正しい正しくないというなら、どちらも正しいのだ。私はあのときの古田を見ていて、好もしいと思ったくちだが、なぜそう思ったかといえば、結局、古田らしいな、と思ったことが決め手になっている。あれは古田に似合った行為だった。ネットのオークションなんかに出さないでほしいですね、というコメントの笑わせ方も古田らしい。だから好もしいと映ったので、ああいうやり方やああいうコメントの仕方が似合わない者が同じことをやったとしたら、キザったらしいとか、ウソくさいと映ったに違いない。

その一方、張本ほどの名声に包まれた人でも、古田の行為を見て俺なら妬ましいと思うというのも、また面白い。彼は彼で、自分に似合った解釈をし、自分に似合った批判をしたわけだ。そもそも、張本と古田が同じような感性の持ち主だったとしたら、その方が気味が悪い。

古田は去年のストライキに至る騒動の際に、選手会長として取った一連の行動で一躍、野球ファンだけに留まらない支持を受けたが、あの場合での、昼は時間ぎりぎりまで交渉し、その足でナイターの球場に駆けつけるという行動が水際立って見えたのも、「私流」に解釈すれば、古田によく似合っていたからだ。交渉の場から球場へ駆けつけるときのスーツ姿が実によく似合っていた。格好よかった。あれが、たとえば清原や、現役時代の張本や、いや長嶋だって、あの格好よさは到底出せないだろう。つまりあのスーツの似合い方ひとつを見ても、古田は、日本プロ野球界にあってエイリアンなのである。

誤解のないように言っておくが、私はいわゆる「知的な」選手を、そうでないタイプの選手よりいいとは必ずしも考えない。選手としてはなるほど「知性派」かもしれないが、それは現役選手としての間のことであって、選手をやめたらただの人だった、という程度の知性派なら、いくらもいるし、そんな知性派はすこしも面白くない。古田のユニークさは、そうした並みの知性派とは一線を画したところにある。ついでに言えば、私は去年の騒動の際の選手会の言動に必ずしも全面的に賛成してはいるわけではない。

昔、東急フライアーズのエースで白木儀一郎というピッチャーがいた。この人はたとえば打者を投ゴロに打ち取ったとき、取ったボールをキャッチャーに向けて剛速球で投げ(三塁ランナーが本塁突入するわけでもないのに)、キャッチャーから一塁に投げてアウトにするという人を食ったことをやった。現役を引退して、某有名政党から参議院に出てかなり長く議員をつとめた。しかし政治家として、水際立った働きをしたという話はついぞきいたことがない。

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随談第10回 観劇偶談(その4)

勘三郎襲名の五月興行を見た。劇評はいつものように「日経新聞」と「演劇界」に書いたからそれを読んでもらうとして、ここでは『研辰の討たれ』のことを書いておきたい。

見終わってつくづく思ったのは、襲名披露という場に襲名披露の演目として演じられた『研辰』が、既になんの違和感もなく受け容れられているということだった。最後の幕が下りるときに場内から起こった拍手は、やや大袈裟にいうなら、古典的な静謐さすら感じさせた。もちろん、受けなかったのではない。熱狂よりもむしろ充足感がそこにはあった、というべきか。

もっとも、初日に見た人の話だと、スタンディング・オーベイションが起こったということだが、それは客席にいた野田秀樹を勘三郎が舞台へ招き上げたりしたためでもあったようだ。私の見たのはいわゆる御社日(記者招待日)だったので、もしかするとカーテン・コールは予定されていず、しかし緞帳が上げられてしまったので、下手に入りかけていた勘三郎が心持戸惑いを見せながら、上手下手に合図して、カーテン・コールがおこなわれたが、ここでも「古典的静謐」は続いていた。

襲名披露の演目として『野田版・研辰』を出したのは、勘三郎の強い意志が働いた結果であることは誰にも想像のつくことだが、それへの反発や疑問視する意見がいまでもどこかに底流しているであろうことも、容易に想像がつく。しかし、もう事態は、そうした意見を置き去りにしてしまったのだ、というのがカーテン・コールを見ながらの私の実感である。置き去り、という言い方が悪ければ、もう事は先へ進んでいるのだ、と言い換えよう。

そればかりではない。歌舞伎座の正面ロビーに飾られた7月興行の予告を見ると、何とシェイクスピアの『十二夜』の昼夜一本立て、しかも演出は蜷川幸雄、出演者は菊五郎・菊之助以下菊五郎劇団の面々が主力である。翻訳劇としてではなく、役名なども日本風にするなど、一種の翻案劇のような形を取るらしいとも聞いた。

毎年猿之助と決まっていた7月が、猿之助が倒れた後どうなるかがささやかれていたが、それに対する答えがこれなのだ。蜷川としては当然、野田への意識があるだろう。また近い将来、更に別な名前が登場することも充分考えられる。

近代劇の手法による新歌舞伎がすでに行き詰っていることは、猿之助がスーパー歌舞伎を始めた時点であきらかになっていた。あの方法で真山青果を越えることはもう不可能である。といって、擬古典的手法の限界も、三島歌舞伎でほぼ分かっている。方法は他に求めなければならなかったのだ。

こう考えてくると、この十年来、勘三郎がしてきたことの意味が、誰もが想像していた以上に大きな波紋を広げ始めたことが、改めて見えてくる。

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坪内逍遥没後70年シンポジウム

共催 楽劇学会・歌舞伎学会・舞踊学会・逍遥協会・早稲田大学演劇博物館21世紀COE演劇研究センター

日時 2005年6月5日(日) 13・00~17・50

会場 早稲田大学井深大記念ホール

 【第1部】13・00~15・20

1.映像上映「坪内逍遥博士シェークスピア最終講義実況」ほか

2.シンポジウム 『新楽劇論』を読む
   中島国彦・渡辺裕・竹内道敬・古井戸秀夫・
   (司会)羽田昶
 【第2部】15・30~17・50

1.映像上映・朗読音盤 坪内逍遥作『沓手鳥孤城落月』ほか

2.シンポジウム 「我が邦の史劇」を読む

   河田明久・神山彰・三浦雅士・渡辺保

   (司会)上村以和於

  *資料代 1000円(当日会場受付にて支払い)

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随談第9回 観劇偶談(その3)

「野球噺」はまだ続くのだが、ときに別なものも突っ込むことにしよう。「観劇偶談」というのは、もちろん、最近岩波文庫から復刊された近代劇評家の祖といわれる三木竹二の『観劇偶評』のもじりである。まあ、偉大なる大先達への「トトまじり」ですね。「その3」としたのは、最初の勘三郎の話と、前進座の話をを「その1」「その2」と数えることにしたいからだ。

つい先日、新宿の全労演ホール スペース・ゼロで文学座公演の『風をつむぐ少年』というのを見た。ポール・フライシュマンというアメリカ作家の小説を坂口玲子さんが翻訳・脚色したもので、偶然の事故からひとりの少女を死なせてしまった少年が、少女の母親から、「風見の人形」を作ってアメリカの四隅に立ててほしいと頼まれて、シカゴからシアトル、サン・ディエゴ、フロリダ、東部最北のウィークスボロと旅をするというストーリイである。贖罪の旅であり、自己発見の旅でもある。

狭い舞台に役者は8人。行く先々で出会うさまざまな人物にとっかえひっかえ変わる。少年もさまざまなことに出会う。とくに脈絡はない。これは劇評のつもりではないから、平気でほめてしまうと、じつは坂口さんとは『白塔』という連句の会を一緒にやっている仲間なのだが、一見脈絡のないさまざまな出来事をつないでゆく感覚や呼吸に、付かず離れずという俳諧連句の付け合いの阿吽の呼吸が、実に有効に生きている。あとで聞くと、坂口さん自身、脚色に当たってそれに気がついたそうだ。もちろん、鵜山弘氏の演出の功もあるが、当世風の言い方をすればモンタージュ手法に、計算ももちろんあるが、連句の付け合いという計算づくだけでは出せない面白さがあったのが発見だった。

そう思って気がついたのだが、マジメな優等生だった主人公ブレント少年の姿が、いつしか三蔵法師みたいに見えてきた。つまりわれわれの住むこの浮世には、孫悟空も猪八戒も沙悟淨も、銀閣大王も金閣大王もいるのである。

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