随談第268回 野球談話ふたたび

王貞治氏が引退し、清原が現役引退をして、昭和の野球が終ったとか、昭和の野球の匂いのする最後の選手だったとか、しきりに言われているらしい。まあ、その通りだろうが、清原の場合は、そのことにやや人為的にこだわった気配があって、それを思うと少々痛々しい。番長だの何だのと必要以上に言われ、自分でもそれをことさらに意識したかのような言動を取るのを見聞きするのは、あまり楽しいことではなかった。

西武時代はすばらしい選手だった。折々テレビに映る当時のフィルムを見ても、いい人相をしている。どう考えても巨人に移ったのがよろしくなかった。もちろん不運もあるが、古フィルムを見ても覿面に人相が悪くなった。怪我続きは同情に値するとしても、焦りやらプライドやら自意識過剰やらで、自縄自縛になってもがく姿を見るのは無惨だった。巨人病の犠牲者というほかないが、自ら求めての結果なのだから、ここはあまり同情しにくいと言わざるを得ない。

かつての金田正一や張本にしても、私にとってはいまなお、国鉄の金田であり東映の張本であって、晩年の巨人時代はいらない、というのが正直な思いである。もっとも彼等の場合は、巨人に移ってからもレベルを落さず活躍できたから、まあよかったようなものだが。それにつけても、他のチームで輝かしい実績を残しながら、晩年に至って巨人入りして、見る見る輝きを失っていった選手がどれほどいることだろう? まあそれぞれ何らかの事情があって巨人入りするのだろうが、どうして巨人に入ってみすみす晩節を汚すのだろうと、正直、思わないではない。

しかし清原の場合、救いは、夏に今シーズン限りの引退を声明してから、憑物が落ちたようにいい顔になったことだ。年齢や、その間の苦労を顔に刻みながらも、かつてのよき人相が甦っていた、ということは、つまり、本来の自分を彼は失っていなかった、ということなのだろう。西武時代は楽しい思い出ばかり、最後に仰木監督にオリックスに誘ってもらわなかったら恨みを持って終ることになっていたろうという最後の言葉は、プラスマイナスを差し引きして、結局、この人は「聡明」というものを失わずにいたのだということを物語っている。それにしても、あのときの仰木のおとこ気というのは水際立っていた。番長などといわれてマッチョの臭みを芬々とさせていた清原より、仰木の侠気に素直に応じて感謝の念を忘れない清原の方が、はるかにすがすがしいし、且つ泣かせるに足る。

それにしても思うのは、自分がかくありたいと思う自分を達成することの難しさである。思うに清原は、かくありたいと思う自分に絶えずこだわらなくてはいられない生き方を選んだのだろう。しかしその、かくありたいと思う自分というものも、そのときどきの現実の自分次第で、いろいろに姿を変えも歪めもするのだ。二十余年の波乱に富んだ清原の野球人生は、そのことを私に思わせるだけのものを、最後に示してくれた。私はこれまで、清原という選手に格別な関心を持ったことはなかったが、最後になって、こういう文章を書く動機を与えてくれたわけだ。そもそも、清原のことでブログを書くなど、考えてもいなかった。一代男の最後は、たしかに悪くなかった。

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