隋談第272回 相撲ばなし・野球ばなし

出だしがちがちになっていた安馬も、中頃からようやくほぐれてきて、白鵬との優勝決定戦はなかなかよかった。安馬自身の快心の相撲という意味では、本割の把瑠都を一気に押し出した一番の方がよかったが、決定戦の四つ相撲の攻防というものはなかなかのものだった。組み合い、引き付け合い、しのぎをけずり合って、組み手が変わったりまわしを引いたり切ったり、攻防を繰り返す事に、場内の歓声がオーッとうねるように鳴り響く。これが相撲の醍醐味である。

安馬は以前から注目していたが、体形といい風貌まで、かつての栃の海によく似ている。栃の海は横綱としては悲運の人となってしまったが、柏戸と大鵬が元気な盛りに割って入るように横綱になったときは、ちょうどいまの安馬のような鋭いつっこみから、前まわしを取って土俵を歩くようといわれた出足で、相当の強さを見せた。

安馬は白鵬より一歳年上だそうだが、栃の海も、大鵬よりたしか二歳ぐらい年上だった。自分より若い横綱が、しかも君臨する形でいるところへ、あとから追いかける形でのぼっていくというのは、おそらく他人が想像する以上に苦しいものだろうと想像する。しかも、当時の大鵬も、いまの白鵬も、まだ完成しきっていない、上り坂をのぼりつめようという力の盛りにいる点でも、共通する。うっかりすると、追走する側が進歩を見せても、それを上越す勢いで上っていってしまうということだってあり得るのだ。

白鵬が横綱になったとき、安馬に、同じ一門なので土俵入りの太刀持ちか露払いにという話があったとき、自分は大関になるのだからと言って断ったと聞いたが、ヘエと思った。インタビュウの様子などを見る限り、真面目でシャイな感じだが、それだけに思いの強さがわかろうというものだ。

しかし、ともあれ、久しく出なかった新しい勢力が出現したということは喜ぶべきことだ。伊勢ケ浜部屋では、照国か清国か、一門のかつての横綱大関の名前を安馬に継がせるという話があるようだが、いいことだ。もっとも超アンコ型だった照国はタイプが違い過ぎるから、清国の方が無難か。いずれにしても、土俵姿がきれいで相撲巧者という点で、伊勢ケ浜部屋の力士として似つかわしい。親方の旭富士にしても、兄弟子の安美錦にしても、伊勢ケ浜部屋ほど、部屋の風(ふう)が相撲振りにいまも続いている部屋はいまどき珍しい。照国以下、みな東北人なのも偶然ではないのだろうが、安馬のまじめで朴訥な、少し口の重い喋り方が、なんとなく東北人風なのもなかなかいい。

野球のニュースでは、WBCの選手選考に中日の選手が全員参加を辞退して、落合監督がWBCに対して冷静なコメントをしていたのは、落合らしくて面白い。みんながみんな、ニッポンチャチャチャの大コーラスに加わってしまわずに、冷静な目で見ている人間がいるというのは、この際、大切なことだ。原のような人間が逆立ちしても思っても見ないようなことを、落合が考えているというだけでも、日本のプロ野球の懐の深さが感じられて悪くない。原は原で決して悪いわけではないが、ああいういいヒトばかりになってしまったら、日本のプロ野球は三割方つまらなくなってしまいそうだ。

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