随談第277回 四回目の新年

明けましておめでとうございます。ホームぺージでこのブログを始めてから、これで四回目の新年を迎えたことになります。まずは、年末年始のおしゃべりから。

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前にも書いたと思うが、この数年、年賀状は大晦日に書き始め新年になってから投函するのが恒例になってしまった。本当は、挨拶というものは相手本位にするべきものだから、新年の挨拶は元旦に届くように計らうのが筋というものだろうが、少なくとも今年、いやこの暮の場合は、各劇場の筋書に載せる原稿が幾つも重なったり、頼まれもしないのに自分から応募した論文の締切が正月明けに待っているので、せめてその糸口だけでもつけておかないととんでもないことになる、という焦りやらで、機を逸してしまったためである。

この三ヵ月、ブログの更新が少なかったことにお気づきの向きもあるかもしれないが、このせわしなさは十月頃から続いていて、原稿の締め切りを延ばしてもらう、ということを、この秋はじめて経験した。ちょっと気障なたとえを使えば、職人というものは品物を納期に納めて一人前という、古典的な考えを気取りたい思いが、じつは私の中にあるのだ。

せわしなさの原因のひとつははっきりしていて、前年度から客員教授という肩書をつけてもらって週一日、某大学で前期に世界の演劇史、後期に近代の日本演劇の話をすることになったためだ。一年目は無本で授業をしたのだが、百人を超す大勢を相手だと、ボードに文字を書いても後ろの方の学生に徹底しないからついざわざわする、とか、そうなると喋る方も集中しにくくなって内容が薄くなりがち、とかいった悪循環が生じるという反省から、今年は、事前に骨子を書いたペーパーを配布するというやり方にした。まあ、それはそれなりに効を奏したつもりなのだが、そうなると、今度は、ついその準備にかまけてしまうことになる。世界演劇史の方は、まあ重点的にあらましを述べるのだから、それなりに割り切ることもしやすいが、近代の日本演劇というと、資料調べが面白くなってつい時間をとられてしまうとか、何かと手間を食う。自分のためにもなることだから、と思う気持が、仇にもなる。

じつはこの暮もそうだった。「15年戦争下の歌舞伎」というテーマなので、昭和六年から二十年までの『演芸画報』とそれをバトンタッチした『演劇界』を、この機会にしらみつぶしに読んでやろうと思ったのだが、考えてみれば、単純計算で15(年)×12(冊)=180冊読まなければならない勘定になる。しらみつぶしは到底無理でも、せめて勘所は見落とさず押さえなければ意味がない。と、これもつい、面白さにかまけるということになるし、またそうでなければ、到底こんな作業はやっていられるものではない。

というわけで、おととしの正月の挨拶に書いたのと同じく、今度もまた、紅白歌合戦は年越蕎麦を食べながらチラリと眺めただけで、後はCD寄席。先代金原亭馬生の『柳田格之進』、先代桂文楽の『富久』、彦六の林家正蔵の『年枝の怪談』、六代目三遊亭円生の『三十石』といった極め付きの名演を堪能しながら宛名書きをするという、至福の時間を過ごすことと相成った。

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