随談第288回 退院後八日間

3月31日に退院して八日が経った。その前後寒い日が続いたために、開花はしたが花を咲かせずにいた桜が、ちょうど退院を待っていてくれたかのように見事に咲き出した。わが家から五分も歩くと石神井川が流れていて、両岸から川面に向けて枝を張り出すように咲く風情はちょっとしたものだ。遠くからわざわざ見に来るほどの名所にはなっていないので、近隣の人だけが花見を愉しんでいる。人手も程ほどなのがうまい具合である。それにしても、花見はやはり四月がいい。二十一世紀の最初の年の3月31日は歌右衛門の命日で、雪月花が揃ったのが珍しいというので話題になったが、その後年を追うごとに、三月中に花見をするのが当り前のようになってしまっていた。

退院から三日後には歌舞伎座を終日見て、翌日に新聞評を書き六日に掲載になったのが、復帰後初仕事である。もっとも、入院してはじめの二日間は腹痛のためベッドの上で唸り通しだったが、三日目には痛みも薄らいだので、歌舞伎座の筋書の原稿を病床で書いた。『先代萩』の話だったからよかったが、厄介な資料調べが必要なものだったら困ったろう。幸運といえば、歌舞伎座と新橋演舞場と国立劇場と、三月は三座で歌舞伎があったのをすべて見て、劇評も書いてしまった後だったからよかったが、入院がもう一週間前だったらお手上げになるところだった。もっとも、『演劇界』の『独道中五十三駅』評の校正は病院のベッドの上の仕事だったが。文化講座やカルチャー関係には迷惑をかけてしまったが、最小限度ですんだのは僥倖というより他はない。

それにしても、潰瘍というのはほとんど出し抜けに襲ってくるもののようだ。数日前から、時折、腹痛が襲ってくることはあったが、疲れと冷えのせいだろうぐらいに思っていた。(事実、暖かくしてひと眠りすれば、何ともなくなっていた。)二〇年前に患った経験からも言えることだが、潰瘍の原因は過労かストレスに決まっている。思えば去年の十月ごろからこの二月半ばごろまで、次々と色々な仕事を引き受けてほとんど休みがない状態が続いたのが遠因に違いない。気をつけるべきだったのは、病魔というものは、その多忙の真っ最中には襲って来ず、ひと息ふた息ついてホッとしたところに忍び寄って来て突如匕首を揮うのだ、ということである。論より証拠、イチローの胃潰瘍発病はそれを絵に描いたようなタイミングではないか。おそらく、連戦中にも時には激痛に見舞われていたのだろうが、それどころではないと押さえ込んでいたのに違いない。事がすんで、ホッとした隙に病魔が匕首を揮ったのだ。

それで思い出したのは、労災の過労死の判定で、過酷な残業が何ヶ月も続いた後、ようやく一日休暇が取れて家族サービスをした夜、倒れたというサラリーマンが、その一日の休暇があったがために過労死とは認められなかったというニュースを、大分以前だがニュースで聞いたことがある。だが実は、そのようやく取れた一日の慰安が曲者だったのだ。倒れたのは休暇を取った後だから過労死とは認定されないなどというのは、人間の心理の綾を知らない、机上の屁理屈以外の何ものでもない。

入院中は見なかったWBCをビデオで見たが、松坂だなんだより、今回は岩隈が殊勲第一。それと、青木とか中島、内川、片岡といった小兵の名手の手練の小技が鮮やかだったのが印象的である。それにしても、以前から思っていたことだが、岩隈という選手の色っぽさというものは大変なものだ。にっこり笑ったときの口元など、ほとんど女性である。

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