随談第292回 退院後一ヶ月

退院は三月の末日だったから、ちょうどひと月経ったことになる。退院といっても、飲酒はもちろん食事にも何かと制限があるから、保護観察つきの仮釈放みたいなもので、入院が二〇日間だったから、〆て四十九日、アルコールから遠ざかった計算である。酒を飲む習慣がついて以来、未曾有の長期に及んだわけだ。しかし意外なほど、飲みたいとは思わない。酒が恋しいとも思わない。そういうものだと観念しているからで、ではこの機会に、これきり酒を絶とうなどともまったく思っていない。そうと決めたら、未練がましいことやわがままらしいことをするのが嫌なだけだ。(こういうことは、しばしば、親が反面教師になるものだが、私の場合もその例外ではない。父親というものは、ぶざまな姿を倅に見せるのが、教育として最も効果があるわけで、これはおそらく永遠の真理であるに違いない。すくなくとも、自分の親を見ながら、ああいう風になりたいと思いながら大人になる人間と、ああいう風にはなるまいと思いながら大人になる人間と、人類に二種類あるとしたら、私はあきらかに第二の人種に属することになる。もっともこれは、他人から見てどう見えるかとは、もちろん、まったく別の話だが。)

というわけで酒はまあいいとして、厄介なのが外でする食事である。これは、思いの他に不自由なものだ。ランチひとつ食べるにも、みな制限に引っ掛かる。世の中というものは、要するに、健康な人間だけを対象に作り上げられているのだということを、病人になってみてはじめて痛感する。胃だの腸だの十二指腸だのにやさしい食べ物というなら、昔ながらのお惣菜を食べていれば問題はないわけだが、和食というのはいかに温和なものかということに改めて気がつく。そこへ行くと、イタリアン、フレンチ、洋食はどれも潰瘍にはよろしくない。西洋人って、潰瘍になったら何を食べるのだろう。そもそも、向こうの人というのは、みな神経が太いから潰瘍などにならないのだろうか? 

もっとも、お陰で4キロあまり減って、ウェストがベルトの穴ふたつ近く細くなった。身が軽くなった感覚が、思いのほかに気持ちがいい。ふと思い立って、試しに、ざっと十年近くもはけなくなっていたジーンズを試してみたら、誂えたようにぴたりというサイズで、身に添う感覚が快い。忘れていたジーンズのはき心地がよみがえって、以来、このところ専らジーンズ党になってしまった。何となく若返ったような気持になるのも、ひとつの効用というものだ。それと、いわゆるコーディネートが、どんなものにも意外なほどうまく合うのも一得だし。

さてそうなって、ジーンズをはいて街を歩いてみると、改めて、男も女も、年齢を問わずジーンズ姿の多いことに今さらながら気がつく。ざっと見たところ、十人のうち三人ぐらいはいるのではないかしらん。年配者にも多い。なるべく若い気でいたいという、現代の人間の意識の反映でもあるような気もするが、そうであったとしても悪いことではない。

しばらく歌舞伎の話を書いていない。書くことは沢山あるようで、どうしても書かなくてはと思うほどの気持が湧いてこないままに、つい間遠になってしまった。入院などという体験から、われ知らず、少し冬眠状態になっていたのかも知れない。そういえば、二十日ぶりにわが家に帰ってきたときの、わが家がわが家でないような不思議な感覚は、あれは何だったのだろう?

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