随談第298回 日馬富士の優勝

日馬富士の優勝はよかった。何と言っても新鮮である。いざ優勝が決まってみると、それは想像していた以上のものがある。間際まで、優勝するとは想像し難かった意外さも、新鮮味を倍加した。大関での優勝、それもまだ昇進して日の浅い若い大関というのもいい。何がなし、ずっと続いてきた地図が書き換えられそうな予感をさせるからだ。

しかし何と言っても、この優勝を価値あるものにしたのは、本割と決定戦と、千秋楽での二番の相撲である。本割の琴欧州戦がよかった。立会い、その後の展開、完全な失敗で、長身の琴欧州に双差しを許した上、片手バンザイという絶体絶命の体勢になったところから文字通り乾坤一擲の首投げで逆転、一発で仕留めた勝負勘と勝負根性が素晴らしい。テレビで解説をしていた北の富士氏が、伝説の栃錦・大内山の一戦を連想したと言ったのは流石である。栃・大内戦は、大内山の猛突っ張りを掻い潜っての首投げだったから、展開はまったく違うし、2メートルを超える大内山がオランダの風車みたいに大きく弧を描いて投げられたのだから、絵模様にも差はあるが、一瞬の勝負に賭けた勘と度胸には相通じるものがある。胸がすいた。北の富士氏の言を受けて、身体の大きさと身長の差は共通しますねとアナウンサーが受けたのも、褒めていい。(いつも相撲放送のアナの悪口ばかり言っているが、これは、なかなかよく受けた。)前に、その風貌から、日馬富士を栃ノ海になぞらえたことがあるが、この一番の、ズバリと切り落とすような鮮やかさと度量を感じさせる見事さは、栃錦以来といっても大袈裟ではない。

優勝決定戦もよかった。相撲内容としてはこちらの方が完璧に近く、左差しで喰いついて、機を計って片手で相手の膝を叩きながら下手投げを打って、連続業で決めた。これは、昭和37年夏場所、関脇だった栃ノ海が横綱の大鵬に渡し込みで勝って初優勝したときの相撲を思い出させた。

白鵬は、この一番と十四日目の琴欧州戦で見ると、双葉山風の受けて立つ自然流の相撲を心掛けようとして、やや後手に回ったきらいがある。大鵬や双葉山風の、すべてに応じ流れに従う相撲は、たしかに王者の安定感があるが、下手をするとやや甘い相撲になりかねない。今場所の白鵬には、負けた相撲以外にも、若干そういうきらいがあったと思う。

朝青龍のことは、おそらくいろいろな方面から言いたい放題の批判が出るだろうが、ベテランの横綱らしい大人の風格はなかなかよかった。相撲というものは、勝負ばかりでなく、土俵を通じて見る力士たちの風情やら風格やらにも、見逃せない味や面白みがある。そういう意味から、今場所の朝青龍は私には興味深く、また好もしかった。優勝決定戦前の支度部屋風景で、準備運動をしている日馬富士に朝青龍が声を掛けに来たシーンなど、なかなかよきものだった。白鵬がひとり鉄砲柱に向かっている光景も印象的だった。

高見山の東関親方が停年で退職するというので、実況の合間に特集があったが、観客入口で切符のもぎりをしている光景が印象的だった。私も、もぎってもらった覚えがある。去年の不祥事続きの折、相撲界出身者だけで協会を運営することに批判が続出したが、それはそれとして、昔の人気力士が年寄として入場券をもぎったり場内整理をしたりする光景はなかなかいいものだ。プロ野球なんかでも、球場の入口で往年の強打者や名投手に入場券をもぎってもらえたらどんなに嬉しいことだろう。

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