随談第302回 幸四郎句集『仙翁花』

幸四郎が『句集・仙翁花』を出版した。三月書房の小型愛蔵本というのは、知る人ぞ知る珠玉のシリーズだが、その一冊として出したのだから、並みの役者の本とは訳が違う。この小型本は、昭和36年に、福原麟太郎と内田清之助という錚々たる著者の随筆二点を皮切りに、年にほんの何冊かというペースで刊行されている息の長いシリーズで、今日ではやや稀になってしまった「文人」という名にふさわしい書き手たちの、風格ある大人の文章を読むことが出来る。多くは随筆だが、戸板康二、郡司正勝、岡本文弥、小沢昭一といった人たちが、このシリーズで「句集」を出している。いわゆる「俳人」ではない、まさしく「文人」の句集である。つまり幸四郎は、そうした「文人」の仲間入りをしたことになるわけだ。「並み」ではないことがわかるだろう。

幸四郎は、じつは既に十年ほど前に一冊「句集」を出している。正確には『松本幸四郎の俳遊俳談』という題で朝日新聞社から出したのだが、ちょっと見には句集とは思われない。人気スターならではの豪華写真集といった体裁の大形本で、それがじつは「句集」でもあるというところがユニークだった。見ると、なかなかいい句がある。当時朝日新聞の有名コラムだった『折々の歌』にも、紹介されたほどだ。ちょうどそのころ、私は『21世紀歌舞伎俳優論』という、ちょうど新世紀を目前にして、歌舞伎界の第一線を担うであろう俳優たちについて、毎月ひとりずつ随筆風に論じて行くという連載を『演劇界』に書いていたので、幸四郎の回の時に早速、その中から何句か引いて「幸四郎論」をものしたことがある。(連載が終ってから、少し書き足して三月書房から出したのが『21世紀の歌舞伎俳優たち』である。)

幸四郎という人は、舞台で見る限り、相当の意識家で、そこがよかったり、ときにはマイナスになったりする人だと、私は思っていた(いまでも思っている)のだが、句を見ると、ちょっと様子が違う。もっと自然に息づいているというか、自由にしているというか。そこが面白い。それは、役者松本幸四郎を知る上でも、人間松本幸四郎を知る上でも、じつにインタレスチングなのだ。たとえば、

朱夏の陽にまどろむでゐる役者かな

ぼたん雪降るをながめてゐたりけり

幾千の木洩日いだき山眠る(この句が、たしか「折々の歌」に引かれていたのではなかったかしらん。)

などといった句を幸四郎が作るとは、そのころ私が理解していた幸四郎像からは、ちょっと意表を突かれたような気がしたのだ。(つまりそれだけ、当時の私の「幸四郎理解」というものが浅墓だったというわけだ。)

今度の句集は、その『松本幸四郎俳遊俳談』に載せたものに、その後に作った作品を合わせたもので、だから幸四郎の俳句の全貌を知ろうと思ったら、この一冊ですむことになる。その後の作にも、なかなかいいのがある。

キホーテの五十路の旅の青しぐれ

ジーザスと見まごう野路の案山子かな

あんまり沢山紹介すると売行きにも関わるだろうから、このぐらいにしておこう。興味のある方は、どうぞ一冊お求めください。決して損はしない筈とは、保証してもいい。

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