随談第310回 名古屋場所あれこれ

日馬富士の横綱昇進の話題で持ち切って始まった名古屋場所が、日馬富士の「は」の字も出なくなり、白鵬大横綱論が飛び交いはじめる中で終った。日馬富士は、大関昇進の場所もそうだったが、どうも片真面目なあまり固くなる傾向があるらしい。琴光輝などと違い勝負度胸はありそうに見えるのだが、度胸や勝負勘を管轄する司令塔と、クソ真面目に作動する管制塔と、指揮系統が二極に分裂しているのかも知れない。

琴光輝は俗に言う蚤の心臓というのの見本みたいなもので、優勝のチャンスかと思われた安美錦戦など、最後の仕切りで安美錦が手をついているのに手を下ろせない。駆け引きなのではなく、逡巡なのだ。後のインタビュウで安美錦が、左から攻めようと思ったのだが立会いが合わないので戦法を変えたと話していたが、完全に読まれていたわけだ。普段から、琴光輝と琴欧州は、立会いでいつまでも手を下ろさないことがよくある。駆引きかと思っていたが、そうではないらしい。二人とも、戦略で下ろさないのではなく、躊躇していて下ろせないのだ。つまりは自分のことだけで一杯だからで、ことに琴光輝は自分充分のいい態勢になると、後生大事に守りに入って攻めようとしないので、結局何のための勝負なのか分らない結果になってしまう。勝負師になり切れないイイ人なのだろうが、皇太子さんのところの愛子姫が琴光輝のご贔屓なのだそうだから、愛子姫付きの侍従にでもなったら、気は優しくて力持ちの、宮内庁史上最強の侍従になれるに違いない。

琴欧州は、しかし、先場所白鵬を投げ飛ばした辺りから、やや吹っ切れてきた感じがする。腰が下りて、足が地に着いてきた。今場所も、朝青龍戦と日馬富士戦は立派な大関の相撲だった。負けた白鵬戦だって、四つになって右からオッつけて寄りつめたところなど、かなりの力を感じさせて悪くなかった。優勝した白鵬が支度部屋で髷を直しながら記者団に優勝の弁を語っているテレビに見入りながら、あそこに坐りたかったと語ったそうだが、その言やよしというべきである。

朝青龍は、勝敗よりも、何かの拍子に見せる表情に、盛りを過ぎたベテランらしい風格が漂っているのが印象的である。34年ぶりという櫓投げもよかった。昭和20年代に活躍した櫓投げの名手羽島山は、たしか一場所に櫓投げだけで何勝もしたことがあったのではなかったかしらん。全員が理詰めな相撲ばかりになっては面白くない。

白鵬が土俵下の優勝インタビュウで、相撲道を追求し双葉山のような力士になりたいと語ったのは、モンゴル力士がどうしたのとしたり顔で談ずる人士の少なからぬ中で、痛烈な皮肉というものである。イチローや松井が仮に、タイ・カップやベーブ・ルースのような選手を目指したいと言ったら、アメリカ人はブーと叫ぶだろうか。それにしても、夜のスポーツニュースで野球解説の与田のインタビュウに答える白鵬の日本語の、何となめらかになったことか。これだって、日本の相撲取りはおろか野球選手の「頑張りますので応援よろしくお願いしまーす」一点張りを思えば、思い半ばに過ぎると言わねばならない。充分に組み止めておいて、一発で仕留める投げ技の切れ味は、確かに双葉山流に違いない。

しかし双葉山はともかく、大鵬と比べても、対戦相手の貧困さは往時に比べ否定できないだろう。個々に見れば好力士は少なくないのだが、強豪曲者とりまぜ多士済々という感じがいまひとつ物足りない。安美錦が好調で技能賞を取ったのは、贔屓としては喜ばしい。栃若時代に、若乃花をしばしば破り、双差し名人でりゃんこの信夫と異名のあった信夫山の速攻と、体重が倍以上もある鏡里に三連勝した鳴戸海の妙技を搗き混ぜたような存在と見て、私は珍重しているのだが。勝利の弁を語るインタビュウのとぼけたような応答も、紋切り型の多いいまどき、なかなか味があって面白い。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です