随談第314回 映画の中の昭和20年代

神保町シアターで佐田啓二特集をやっている中から、ほんのぽつりぽつりだが、いくつか見ることが出来た。佐田啓二もさることながら、昭和二十~三十年代の映画を見たいからだ。作品自体への興味もむろんあるが、それ以上に面白いのは、そこに切り取られている映像が語ってくれるさまざまなことの雄弁さである。しかし『君の名は』三部作をはじめ、お目当ての作品の上映日時と、こちらの都合がうまく出会うのは、ほとんど天の配剤のようなものだ。久しぶりに典型的な木下恵介の世界にどっぷり浸るのもいいかと思って出かけた『この広い空のどこかに』も、完売札止めだったし。

そんな中で『自由学校』に出会うことが出来たのは幸いだった。これは小学生のときに、母親に連れられてリアルタイムで見ている。この手の社会風俗を風刺した映画は子供にはよくわからないことが多いが、獅子文六の原作小説は、当時隆盛を極めていた新聞連載小説のなかでもとびきり評判のもので、わが家でも、父が大の気に入りで、あそこがうまい、ここが面白いと、食事のときに母に向かって話しているのを耳学問に聞いていたから、子供なりに勝手はわかっていた。半世紀余りの記憶の奥底から、オオと叫び出したい程に甦るショットがいくつもある。子供の記憶というものは、実に確かなものである。記憶違いももちろん多々あるが、それはそれで、記憶と実際のギャップが多くのことを無言の裡に語ってくれる。

淡島千景と佐田啓二がやっている当時のアプレゲールを戯画化した二人の役が、懐かしいという意味では何とも懐かしいが、映画としていま見るといかにも浮いている。二人が連発する「トンデモハップン」とか「ネバースキ」とかいった流行語は、当時は一世を風靡したもので、当時の『サザエさん』にも出てくる。ちょっと通訳しておくれとお母さんに助けを求められたサザエさんが、ハンサムなGIでもお客に来たのかと出てみると、「なーんだ、チヨコさんじゃないの」。つまり知り合いの娘さんがすっかりアメリカナイズされたアプレ娘になって、「うちのパパ、とっぽいのよ。だからネバースキ」などとやっている、という落ちがつく。トンデモハップンは「とんでもない=じょうだんじゃないわ」、ネバースキは「NEVER好き(こっちは日本語)」つまり「だいっきらい」というわけだが、流行語としては短命だった。わずかに「とっぽい」という形容詞だけが、ある人種の急所をつかまえている分生き永らえた。「とっぽい奴」は、当時もいたし、いまも間違いなくいる。

劇中、清水将夫扮する気障な男に誘われて高峰三枝子が歌舞伎座で歌右衛門の『娘道成寺』を見る場面がある。この映画は昭和26年製作だから、出来立てほやほやのいまの歌舞伎座で、襲名早々の歌右衛門が『道成寺』を踊っているわけだ。当然、ほんの短いショットなのだが、わざわざタイトルに麗々しく断っている。このころの松竹映画にちょいちょい歌舞伎座が出てくるのは、たぶん、社内で何か指令でも出ていたに違いない。二階の吹き抜けロビーがよく使われるのは、あそこが一番「映画的」な場所というわけだろう。

それにしても、この映画は、主役の佐分利信と高峰三枝子に淡島佐田の若手スター以外の重要な脇役に、清水将夫の他にも、田村秋子、三津田健、杉村春子、竜岡晋、小沢栄、東野英治郎などなど、当時の新劇の名優たちがまだ若い顔で続々出てくる。あきらかに彼等の仁と芸を宛てにした配役である。名画から粗製乱造作品に至るまで、「新劇の名優」達なしに当時の日本映画はあり得なかったが、新劇俳優を論じる新劇の論者でそこに目を向ける人があまりいないのは何故だろう? それで思い出すのは、こないだ死んだ山城新吾が映画の現場で実感した「三すくみ説」というのを唱えていた。歌舞伎の俳優は結構映画の俳優を買ってくれる。映画俳優は新劇俳優に一目置く。新劇俳優は歌舞伎の役者にコンプレックスがある、というのだが、なるほど、うまいところを穿っている。

『鐘の鳴る丘』も見た。じつに面白かった。ラジオドラマの映画化によくある、原作に拠りかかった荒っぽい脚本なのだが、焼野が原の新橋駅頭といい、昭和23年という時代が見事に映像の中に切り取られている。菊田一夫作詞、古関裕而作曲のあの主題歌は、われわれ世代の者の耳に貼りついていて、たぶん痴呆症になっても忘れることはないだろう。ところでここにも、往年の名優井上正夫が出ている。映像でその姿を見、声音を聞くだけで、想像するばかりだったその人の芸が、なるほど、と判ったような気がする。

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