随談第315回 文楽見物記

今月の文楽は第二部に人気が集中。すでに完売という。第三部の『天変斯止』に若手大夫が揃うあおりで、切語りが顔を揃えるからというより、住大夫人気が原因だろう。いわゆる御社日に都合がつかず別の日に行ったら、第二部だけはもう席がなく、普段は御簾のかかっている特別室での見物となった。しかしこれが、予想外に面白い体験となった。もっともこの部屋から見るのは別に初めてではない。稚魚の会だったか音の会だったか、歌舞伎を見たことがあるが、文楽の舞台をこの部屋から見た結果は、ちと大仰に言うと、ちょいとした「新発見」だった。

普通の客席よりも目の位置がぐんと高いので、平素見慣れたのとは別なアングルから舞台を見ることになる。額縁舞台とよく言うが、まさしく舞台がきれいに額縁の中に納まっていて、そのフレームの中を人形が遊弋するかのように見える。大夫・三味線の坐る床も、舞台と床がひとまとまりのセットとして、きれいに絵面に納まって見える。人形と、大夫・三味線が常に一つのものとして視野の中にあることが、これだけの違いとなって印象づけられるわけだ。もうひとつ、舞台・床とも、客席で見ているときにはフラットに感じられる照明が、ここから見ると、やや光度を落としている客席との対照のせいでか、何とも言えず明るく、じつに美しい。これも、普通の客席では気づかないことだ。

さてその第二部の『沼津』を綱大夫・清二郎と住大夫・錦糸が前後に分けて語る。大変な豪華版といわねばならない。住大夫は期待にたがわず。もっともそれは当然そうあるべきもの、むしろ、予想外といっては失礼だが、このところ生気のない床が続いていた綱大夫が、宿場の棒鼻から平作内の前段までを語って、さすがと思わせる実力を見せる。つまりは、コトバの巧さである。すっかり小音になってしまっているので、語り出しの立場の情景などはよく聞き取れないが、「旦那もし」と平作が十兵衛に声を掛け、ふたりのやりとりが始まると、見る見る状況は一変する。義太夫は、特に世話浄瑠璃は、つまるところコトバこそが生命であることが改めて痛感される。これこそ紛れもない大人の芸である。

第二部はもうひとつ、嶋大夫が『酒屋』を語る。コトバの巧い人だから、人物の語り分けも的確、巧いには違いないが、いかにもべちゃべちゃした「嶋大夫節」になるのが難。得意の演目だけに却って欠点も出る。この二月に聞いた『襤褸錦』の「春藤出立」のような感動はない。春藤次郎右衛門の骨格の大きな時代物らしい人物のスケール、それにも増して阿呆の助太郎の人物・状況を浮き上がらせて粛然とさせたのが、蓑助の人形ともども、いまも忘れがたい。大きに感服、この人への認識を改めさせる名演だった。

もうひとつ面白かったのが、第一部の『鬼一法眼』で津駒大夫の語った「書写山」で、時代物の二段目らしいロマン性があって、これはちょいとした拾い物といってよい。この人も芸歴すでに四十年。若いころはなんとも不安定な浄瑠璃を語る、というより歌う人だったが、恰幅風貌、重みがついてなんとなく津大夫に、たとい万分の一なりと似てきたのは、芸がそれだけ進んだ、というより、芸がしっくり身に備わってきたのだ。そういえば寛治も、風貌風格、お父さんが彷彿されるぐらい、よく似てきた。

「書写山」といえば、文楽でも、昭和41年の国立劇場開場のときに復活されたのだが、歌舞伎でも、奇しくも同じ昭和41年に一度だけ、出たことがある。瀬戸内海で入水した先代團蔵の引退興行で、團蔵は『菊畑』の鬼一をつとめ、その前幕として、若き日に見覚えていたという「書写山」を復活上演、孫の銀之助に鬼若を演じさせて死出の置き土産にしたのだった。銀之助、いまの團蔵のことである。その後再演の折がないが、團蔵たるもの、折角の祖父の遺志をせめて一度、後世のために生かす機会を実現するのがつとめではあるまいか。役の仁からいって、現松緑にうつすというのも、ひとつの方法としてよさそうな気もする。先の権十郎が、『野晒悟助』を辰之助経由で現菊五郎に伝えたように。

『天変斯止』は、老齢に至った作者の夢みたいな、シェイクスピアの中でもあまり面白い舞台に出会わない芝居だが、夢幻劇風の感覚が人形に合っていないこともない。どうかと思ったエアリアル英理彦など、人形ならではの軽味が生きている。とはいえ、歌舞伎版『十二夜』の大成功の夢を文楽でも、というわけにはいかない。これで文楽に新作品誕生、とまで言えるようになれるかどうかは、観客の支持次第。功はひとえに、琴をうまく使った清治の作曲にある。

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