随談第319回 楽天騒動

楽天イーグルスの野村監督の去就をめぐる騒動がなかなか面白い。これぞ、野村ぼやきイズムの集大成の如き趣きがある。それでなくとも、このシーズンの楽天監督としての野村は面白かった。毎晩のスポーツニュースで、試合終了後の記者団とのインタビュウでの「野村語録」を面白がって報道していたのが、もろもろのことを雄弁に物語っている。他球団の監督であんな待遇をされた監督は一人もいない。また事実、あの夜毎の野村談話はなかなか面白かった。

しかしよく聞いていると、とぼけているようで実はなかなか正直な人であることも見えてくる。喰えない人物、には違いないが、そうとばかり見ていると、却ってたぶらかされるに違いない。クライマックス・シリーズの出場を確定した日、万歳、と言ったひと言が、その意味からも白眉だった。クライマックス・シリーズで対戦した印象を、ソフトバンク監督の秋山が、野村さんは本気だ、まるでヤクルトの頃みたいだ、と語っているのも意味深長だ。

去就をめぐる話は、要するに球団経営者連に、ある種の感覚の欠落があるのだと私には見える。今度の騒動のいきさつを新聞で読んでの勘や、五年前、球団経営に乗り出したときの楽天社長の人相風体や人品骨柄や態度物腰をテレビで見ての勘から、そう察するだけの話だが、かの人一人だけのことではなく、ある種の雰囲気や傾向が感じられる。

つまり、理は球団側にあるのだ。昨年で当初の約束の三年契約の期限が切れ、一年の約束で契約を延長したのだから、一年経ったいま、約束通りにしましょう、それがどうしていけないんですか、というわけだ。どこも、何ひとつ、間違っているわけではない。野村も、たぶん、そんなことは分っているに違いない。

それにも拘わらず何故怒ったのか。ひと言でいえば、しゃらくせえ、からだろう。そう思わせるものが、球団経営者連にあるのだと思う。新聞を読み、ニュースで聞いて、わたしはそう感じ、たぶん野村もそうだろうと勝手に思って、何分目か共感し、半ば肩を持つような気分になっている。要するに、同じことを言うにも、物の言い方、話の持って行き方というものがある。それを、怠った、のではなく、無視したか、あるいははじめからする気がないのか、あるいはまた、知らないではないが、つまらぬことだと思っているか。たぶん、そこらのどれかだろう。

記者たちを相手に、野村監督がぶちまけている不満の言のいちいちを真に受けることはない。騎虎の勢いで言っているだけで、内容は要するに、これだけやったのだからもう少し人情味のある対応をしてくれてもいいではないか、ということで、今さらそんなことを言ったってどうなるものでもないことは、野村自身分っている。俺にこんなことを言わせるなよ、というのが本音に違いない。要するに、しゃらくさいのだ。

それにしても、楽天の経営者に限らず、同じ五十年配の、最近脚光を浴びだした新しいタイプと見られる経営者や政治家に、同じような雰囲気を感じることが多い。新内閣のナントカ大臣になった前原などという人にも、共通するものを感じる。自信家で独善的で、青臭い。つまり、成熟の度が年齢、立場、経歴の割りに低いのだ。この手の人類がひとつの「人種」として社会の各方面にはびこるのかと思うと、危ういかな、という取り越し苦労もついしてしまいそうだ。もっとも、それがひるがえって野村ぼやきイズムの集大成を引き出すきっかけとなったのならば、それはそれなりに、天晴れというべきか?

それにしても、CSの一,二戦で、岩隈と田中が完投したのはよかった。久しぶりに、エースと呼ぶにふさわしい姿を見た気がする。もちろん、頭脳的な采配で、B級投手の小刻みな継投で逃げ切ったりするのもそれはそれで面白いが、はじめからナントカの方程式などと言って、判で押したように決めてしまうのは味気ない。山崎が、いいベテランぶりでいい顔になったのも、興味深い。中日にいた頃は、ただの力持ちのクマさんだったのだが。

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