随談第599回 再・再開の弁

またしても大分ご無沙汰してしまった。要するに、前回書いたようなわがパソコン事情が、その後実はあれだけでは終わらず、あれこれやってみた挙句、新規に買い替え(た方がいいでしょうと勧められ)ることとなり、又もや手元に機器がない状態が長く続いのと、それに伴うあれやこれやで暇取ったのである。一番のダメージは、バックアップ(などという用語の意味するところを今度初めて身に染みて認識した)が完全でなかったためにかなりの分量の原稿やメモの類が永久に回復不能となったことだが、それもこれも、根本の理由は、エレキテルとか機械のたぐいを(理解としては受け入れていても内心深くでは)つい敬遠したくなる私自身の性癖から、さまざまな操作方法を習得するのを煩わしがって覚えようとしないのを、おそらくパソコンの方でもそれと察知して、一定以上にはこちらの言うことを聞いてくれないからと考えるのが、一番の正解であろう。機械だって、心底愛してくれない主人に一定以上の忠誠心を持ち得ないのは無理もないのである。

新しいパソコンはこれで三代目ということになるが、先代の二代目としては、8月に3週間ほど手元に戻ってきていた間に、前回の随談第598回のほかに、『演劇界』10月号に書いた「歌舞伎と深川の特集記事と、歌舞伎座の筋書に書いた秀山祭、大阪松竹座の9月新派公演『ふるあめりかに袖はぬらさじ』の記事などが、つとめてくれた最後のご奉公ということになる。前回に書いたような無理を強いたことが寿命を縮めた結果となったわけで、「彼」にしてみれば、ヘボの騎手に乗られて迷惑だった馬のようなものだろう。

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七月、八月と当世流の風が吹き抜けた歌舞伎座が秀山祭で別の顔を見せたかのよう。これも歌舞伎、あれも歌舞伎か。

吉右衛門は、聞くところによると肩を痛めたとかで、水野邸の湯殿の立ち回りにせよ、逆櫓の松のマスゲームにせよ、充分とはいかないのが玉に瑕には違いないが、もっともこちらは、長兵衛や樋口や松右衛門で卓抜のセリフを聞かせてくれれば文句はないわけで、長松に「天秤棒を肩に当て人参牛蒡を売って歩こうとも商売往来にねえ商売を、必ずやってくれるなよ」と言い聞かせる長兵衛のせりふなど、いまどきちょっと聞かれないものだろう。

もうひとつ、よく言う「やつし事」の芝居でも、知盛みたいに一旦本性を顕してしまえば銀平の方はほとんど消えてしまうのと違い、樋口になっても松右衛門たることは消えてしまうことはないのがこの芝居のユニークなところで、今度の吉右衛門を見ていてそのことがよく分かった。と同時に、その点にこそ、播磨屋二代の(おそらく初代もそうであったに違いない)芸の懐の深さの所以があることも、今度見ていてもよく分かった。

(とはいえ、歌舞伎座の筋書に「樋口次郎兼光実は船頭松右衛門」と書いてしまったのは「つい」や「うっかり」では済まない失策で、これはお詫びする以外はない。せめてこの場を借りて訂正させていたくことにしたい。もちろん、正しくは「船頭松右衛門実は樋口次郎兼光」である。)

(ついでにもうひとつ。初代がなくなった時のエピソードで、急の訃を聞いてのちの白鸚の八代目幸四郎が弁慶に紛争のまま駆け付けたが間に合わなかった、と書いたのも、「急の訃」を聞いてから駆け付けたって間に合わないのは当たり前で、ここは「急を聞いて」とするべきであった。)

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『毛谷村』も悪くなかった。六助の染五郎とお園の菊之助の芸の背丈が揃っているのが、この牧歌的でほほえましいユニークな佳品の良さを引き出したとも言える。上村吉弥のお幸も、吉之丞亡き後のこの役はこの人のものと言うに足る。

松貫四作『再桜遇清水』に至るまで播磨屋オンパレードの中、昼の部第二『道行旅路の嫁入』ばかりは、混じりっけなしの山城屋爺孫、じゃなかった母娘水入らずの33分間。
「娘、おじゃ」とセリフも入って花道を入るところなぞ、これぞ山城屋流「男の花道」というべきか。

『再桜遇清水』はもうちょいテンポアップを図り、枝葉を切り揃えるなりすれば、現役レパートリーとして優に通用するだろう。

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やや旧聞となってしまったが「双蝶会」と「研の会」が今年も開催され、それぞれに上首尾だったのはめでたい。「双蝶会」の方は勉強会と名付けてあり「研の会」は自主公演と名乗っているのは、名称だけのことなのか、それとも意あってのことなのか? そこらの含みも興味深い。

(研の会の『矢口渡』で市蔵の頓兵衛がなかなかいい。柄から言っても仁から言っても如何なものかと配役を見たときは、正直、思ったのだったが、どうして相当なものである。脇役者としてこれからが働きどころ。刮目してこれからを見よう。

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文楽は『朝顔日記』の「笑い薬」を咲太夫がつとめたが、かつての巨体が、前回あたりからめっきり小さくなって、人相まで別人のようになってしまったのが心痛む。流石に芸には齢を取らせていなかったが、この段は、かつて相生翁が語るのを聞いたのが、いまとなっては貴重な体験だった。この人も、我々の知る晩年は、かつて綱太夫や若太夫と同格の地位にあった人とは思われないほど霞んでいたが、この「笑い薬」ばかりは流石だった。

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今年の夏もOSKの公演が4日間とはいえ新橋演舞場にかかったのは嬉しいことである。かつてのレビュー全盛時代にはSKD、日劇ダンシングチームと、東京でも盛んなものだったが、今や純粋なレビューが見られるのはこのOSKの東上公演で渇を癒すのみとなってしまった。小むずかしい芝居に走らず、ただただ、次々と繰り広げられる場面が夢のように通り過ぎて行く疾走感がレビューの醍醐味で、こういう感覚は他には求められない。東上公演は今年で何回になるだろうか。心なしか、メンバーの様子に自信に満ちてきたような感じが見えるのが結構なことである。今回で創立95年との由、1世紀続いたのだから、冗談でもなんでもなく、これはもう近代日本の生んだ古典芸能であって、明治150年の今日、和菓子屋なら古典でパン屋だと古典ではないという類いのリクツでは間尺に合わないことがいろいろ出てくるであろう。(間尺ではなくメートルセンチか?)

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松竹新喜劇の公演も毎夏の愉しみだが、毎度ながら何に感心するといって、たとえば「新」と冠を付けた『親バカ子バカ』で、女子社員の役のような登場人物に至るまで、ちゃんと「大阪人」であることだ。天外の成金社長がカウスボタン(大阪ではカフスボタンとは言わないらしい)を付けた腕の何故か微妙に短い感じなどというものは、大阪の役者でなければ到底表わせるものではない。あのカウスボタンを見るだけで、嗚呼、確かにこれぞ大阪の芝居だと得心させる。ここが値打ちである。作品としては、やはり『鼓』が屈指の名作であることを改めて思った。先代の天外の此花家梅子が今も目に浮かぶ。

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明治150年といえば、オペラ『ミカド』を新国立で見る機会があった。演出者の苦心、歌手たちの好演もあってなかなか面白かったが、一方で「国辱オペラ」、もう一方で欧米人種の一方的な黄色人種蔑視といった先入観が久しく貼り付けられていた段階から、ようやく今、抜け出したところなのだという感を強くしたのも事実である。そうしてまた、じつはこれ、日本人に仮託した英国人による英国人批判の作だったのだということも、今にしてわかった。そう考えると、今度の演出は少々「日本的」過ぎはしないだろうか?

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