随談第328回 浅草歌舞伎のお噂から

あけましておめでとうございます。昨年は3月と11月から12月にかけてと二度も長期休載が出来、申し訳ありません。そればかりでなく、時代劇映画50選とか1950年代年代記とか、永らく中断したままのテーマ別の連続物なども多々あり、これらは続行の意志はありながら目前の多忙にかまけているわけで、これまた、申し訳なく存じております。折を見て、少しずつ再開するつもりながら、やはり何と言っても芝居の話が基盤にあってのこと。というわけで、新年最初の話題はまずは各座の噂から。

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新聞の紙面の事情で今月の四座の内、浅草歌舞伎の評が載らないので、それの補いという意味も含めてその話題から始めよう。

ひと口に言えば、今度の浅草は一に勘太郎ということになる。『安達原』の袖萩と貞任、『草摺引』の朝比奈、『将門』の大宅太郎の三役、どれもいい成績だがとりわけ貞任がいい。

現在の若手花形で義太夫時代物の骨法を一番きちんと身につけていること、とりわけこういう悲愴味を帯びた骨っぽい役に仁が適っていること、芸質に写実主義一辺倒でなく一種飛躍のできるロマン性を秘めていること(もしかしたら音羽屋系より播磨屋系か?)等々、まず貞任役者としての条件を備えている。骨格の大きさを感じさせるところもいい。こういう点は親父まさりといえる。最後の詰め寄りで、刀を左手で抜く早業は見事にやってのけた代わり、紅旗を翻すはずみに客席へ放り投げてしまうというハプニングを生じたが、こういうのは物のはずみであって、いいことではないが、ことごとしく咎めるには及ばない。袖萩は、貞任に比べれば今ひと息だが、決して悪い出来ではない。むしろ、勘太郎の女形には、ちょいと現代の第一線どころにも見られないような古風な味があるのを、私はひそかに珍重している。あれでもうすこし熟してきたら面白くなるに違いない。

と、いま貞任について言ったことはそのまま、大宅太郎にも朝比奈にもいえることで、特に朝比奈は、先物買いをしておいて決して損はしない筈である。前にも言ったが、二十年後の勘太郎は面白い筈だ。

七之助は『将門』の滝夜叉を取ろう。しかしいま、この人はゆるやかな上昇カーブを描いている最中で、進歩をしていることは間違いないが、これと明確な評をすることは、正直、いまはちょっとしにくいところにいる。滝夜叉に可能性を見、『御浜御殿』のお喜世に素質のよさを見、『安達原』の義家にしつけのよさを見る、というところか。

亀治郎が、女形は一切なしのマッチョ路線なのは、偶然かそれとも自ら選んでのことか?その面白さもあれば、損の卦もある。『草摺引』も五郎は、もちろんしっかりしたものだが、あまり仕出かしたとも思えないし、『御浜御殿』の富森も、亀治郎ならもっと出来るかと思わせられる。結局、『悪太郎』が珍しさもあって一番儲かる。じつは、存外に愛嬌があるのが分って、私としては少し嬉しかった。じつは、と言ったのは、この人に役者としての愛嬌があるかどうか、ちょっと心配だったからだ。これは父の段四郎にあって、伯父の猿之助に意外にあまりないもので、天は二物を与えないという好例である。鬼才、俊才にして、これが不足のために可惜、大成し損なうという例だって時にないではない。ともかく、修行者役の亀鶴の好演もあって、久しぶりの『悪太郎』はなかなか悪くなかった。

さて愛之助だが、『御浜御殿』をどう評したらいいのだろう。決して拙いのではない。むしろ巧いのだが、それがそのまま評価に直結しないもどかしさがある。風貌も芸質も仁左衛門によく似ていて、習いも習ったりというほど上手にやっているのだが、なまじによく似、うまいために、却ってよくできたコピーのような感を与えてしまう。思うにこの辺が、こうした新しいものの難しさなのだろう。いわゆる古典の型物などだったら、よく写したとむしろほめられるところかも知れない。若手に新歌舞伎はむずかしい。

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