随談第333回 相撲騒動(その2)

初代若乃花の話をもう少し続けよう。若乃花というとよく語られるのが、土俵の鬼と呼ばれた異名と、土俵の中に金が埋まっていると若い者に教えたという逸話だが、どちらも、この人がどんな相撲取りであったかを明快に語っている。朝青龍が引退会見で、土俵上のマナーのことに質問が向けられると、土俵に上がったら鬼になると答えたのと、土俵外での行状に何かと金の噂がつきまとうのとを、もちろん、短絡させるわけには行かないが、しかし両者の土俵人生を語る上でのキーワードが「鬼」と「金」であるというのは、おもしろい符合ではある。

初代若乃花が土俵の鬼と呼ばれるようになったのは、初優勝を目前にした大関時代、ぐらぐら煮立ったちゃんこ鍋の熱湯を全身に浴びるという悲惨な事故で幼い長男を亡くしながらなお、土俵を勤めたことからだったし、土俵に金が埋まっているという若い者への教えはもちろん比喩であって、その心を現代語訳するならハングリー精神と訳すべきだろう。

しかしその土俵上の闘魂と出世への意欲とを、土俵に金が埋まっていると表現する実に端的で明快な精神に、若乃花という人間像が鮮やかに浮かび上がる。巷間噂される朝青龍にまつわるマネーの問題とて、つきつめれば、ハングリーという一語に還元され得るに違いない。つまりそれは、相撲という「伝統芸能」の根底を支える根元に触れているのだ。

太宰治に、まだ戦前、国技館で大相撲を見物したときの小文があったはずだが、相撲を稚拙で貧しい民芸品だか何かになぞらえていたのではなかったか。当時は双葉山の全盛時代で、不敗の横綱が敗れて「我、いまだ木鶏たり得ず」と語ったのを、太宰は、横綱の語る箴言は哀しいと評している。当時、ようやく作家として遇されるようになった太宰が、新聞社かなにかから招待されて、往時の両国国技館の桟敷に座ったときの言である。太宰一流の気取ったポーズの陰に、鋭く本質を射抜く目が感じ取れる。

相撲を国技と呼んだのは板垣退助だと聞いたが、この言葉には、歌舞伎座を国劇の殿堂と呼ぶのと同じで、いかにも明治という時代の匂いが芬々とまつわりついている。太宰が直感的に感じ取ったのは、もっと土俗的な、それだけもっと古い民俗の層につらなる何かだろう。

横綱の品格というイメージを最初に作ったのは、明治の角聖といわれた常陸山という大横綱である。好敵手の二代目梅ヶ谷と「梅常陸」と呼ばれた相撲人気が、明治末という時代に国技館という巨大な建造物を建てさせたのだから、ここに今日の相撲につながるひとつの原点がある。つまり、「国技」とか「国技館」という言葉と、常陸山の示した横綱の「品格」とは、この時点で、二にして一なるものとして確立されたのだと見ていい。行司の装束が、足利時代の武家の風俗になったのもそれ以降で、つまり国技としての格式を整えたのだろう。梅常陸の時代までは、紋付に裃袴という江戸の勧進相撲以来の服装である。いまも神社やお寺の豆まきで見るあの姿だが、あれはつまり江戸時代の町人の正装である。

常陸山は、常に相手を受けて立ち、相手に充分に組ませてからおもむろに料理するのが横綱相撲だという、横綱の理想像を作り上げた。ところがこの常陸山が、あるとき大敵を破った誇らしさに、土俵の廻りを勝ち誇って一周したと言う話を、むかし何かの本で読んだ記憶がある。いまとなっては確証できないのが残念だが、事実としたら朝青龍のガッツポーズどころの話ではない。

その次に横綱の品格というイメージを作ったのは、双葉山である。写真で見ても剛勇という感じの常陸山に対し、静的で、一種宗教的で(いまここで蒸し返す必要はなかろうが、双葉山にある種の宗教への志向があったことは隠れもない戦後史の一事件に関わっている)、フィルムに残る土俵入りの様子を見ても、神々しくさえある。まさしくそこには「品格」があるかのようである。相撲ぶりも、後の先という、受けて立ちながら一合するときには既に自分の方が先んじているという、常陸山の打ち立てた横綱像に沿いながら、より洗練された横綱像に塗り替えた。これが、いまもって理想の力士像であり、「品格」なるものの本尊である。

ところで、白鵬が双葉山の土俵入りを真似ようとして、頭がお留守になり、肝心のセリ上がりを忘れてしまったというお笑いぐさが、朝青龍引退騒動と同じ今場所に起ったという偶然は、もしかすると、相撲の神様の悪戯かもしれないし、天の示した暗示かもしれない。品格を言うのはいいが、あまり持って回って振りかざすと、かえって滑稽にもなる。近代の相撲が作り上げてきた「品格」という陽の面と、太宰が直感したような、一種物哀しくさえある土俗や芸能としての陰の面と、その両面があってこその国技大相撲なのではないかというのが、私の考えなのだが・・・。(まだ続く)

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