随談第336回 蕃空婆五輪異聞

浅田真央なんぞすっ転んじまえ、と思っていた。浅田選手には何の恨みもない。むしろ好印象をもっている。しかし浅田真央と上村愛子しかいないかのようなオリンピック前からの報道の姿勢には、反吐が出そうだった。直前に行なわれた四大陸選手権とかいう大会で、初日のショートプログラムで浅田は三位だった。翌日のニュースショーを見ていたら、女性のキャスターが、ぜひ浅田選手の逆転を期待したいですね、とやっている。だがその時点で首位にいたのは外国の選手ではなく、鈴木明子選手だった。あたしが勝ってはいけないんでしょうか、ともし本人が知ったら言うだろう。私は心から、鈴木選手に同情したくなった。一寸の虫にも五分の魂とはこのことである。こんな理不尽な報道があるだろうか? 金メダルなんかクソ喰らえだ。

まあしかし、あの結果は順当なところだったろう。素人の勘で見ているだけだから、聞いた風な技術評だの、採点法がどうのと言う気はないが、スピードスケートのメダリストだった清水宏保氏が、キムヨナは登場した一瞬にして場内を自分のものにしてしまう力がある、と新聞のコラムに書いていたのは、その通りだろうとテレビを通しても得心できた。(それにしてもこの清水という人は、ついこの間まで現役選手だったとは思われないような、冴えのある文章を書く。)私の好みからすれば、シャ-プで切れ味がいい中に清楚な色気のある浅田の方が、見ていて快感があるが、しかし全体としてキムの方が一枚上なのは確かだろう。存外に大きかった得点差は、技術上のミスだけのことではない。勝負の場、という現実を、浅田自身も周囲も、マスコミも、顧みようとしなかったことの反映だろう。

浅田にとっては、追っても追っても一枚上に向こうがいる、というのは辛いことに違いない。むかしメルボルンからローマ大会のころ、水泳の山中という選手が、新記録をどんなに出しても、一枚上にローズというオーストラリアの選手がいて、勝負ということになるとどうしても敵わなかったのを思い出す。キムヨナvs浅田と同じ図式だが、総合的な戦略を構想するしたたかさにかけて、日本人というのはかなり致命的に音痴なのかもしれない。(日米戦争を見たって、よくもあんな程度の作戦でアメリカと戦争をしたものだとしか思えないではないか。)

長洲という十六歳のアメリカ国籍の日本人の少女が、怖いもの知らずで、呆れるほどのびのびと屈託なくプレイをする。オリンピックで楽しくやるにはあれに限る。四年間、苦労に苦労を重ねた安藤よりも上位に入って、安藤さんに勝っちゃった、という一言は、可愛くもあれば、これほど残酷な言葉もない。

オリンピックを見るたびに思うのは、人間というものは何だってこんなにまでして人と争うことを愉しむのだろう、ということだ。そもそもスポーツというものがそうなのだが、オリンピックがとりわけそれを考えさせるのは、四年ごとに(この四年という、長くも短くもない皮肉な時間が曲者なのだ。これを考えた奴は、もしかしたサタンかもしれない)世界中から、いろいろな競技の選手が集まってくるということが、こんなことを考えさせるのだろう。オリンピックとは、グローバリズムによる寛永御前試合である。

浅田よりもはるかに僅差で金メダルを逃したのは、女子のスケートの追い越しナントカという競技だった。だがその日は、チリで起きた大地震が原因の津波騒ぎが日本中を襲って、NHKは終日そのニュースを繰り返して、折角の銀メダルもおちおち放送してもらえなかった。津波がもう二日早く来ていたら女子フィギュアの決戦の日だったわけだが、もしそうなっていたらNHKはどうしただろう?(これは、なかなか興味深い問題である。)

昔の冬季大会といえば、日本人選手は「惜しくも予選失格」とか、参加40名中三十何位とかいうのがほとんどだったから、妙な愛国心などに煩わされずに外国の一流選手の超絶技巧(としか思われなかった)を堪能したものだった。種目も少なかったから、スキーならアルペン種目とか、スケートなら長距離種目がいやでも目についたが、いまや、終日テレビに貼りついてでもいないかぎり、日本選手のいない、いてもいないが如きその手の種目は、どこでやっているのかという有様である。種目のふえるのもいいが、たとえばフィギュアスケートのペアのフリーとアイスダンスの違いって、どこでどう線引きをするのだろう? 腰パン王子などというのが登場したりするのも、つまりはオリンピック商法の蒔いた種であって、開会式で入場行進よりアトラクションに手間隙を掛けるのも、トッピングとやらで客を釣るカレーライス屋やラーメン屋みたいに見えてくる。世界中から大小さまざまな国の選手が寄り集う入場行進こそが、オリンピックの神髄だろうに。

オリンピックに見る善きものふたつ。カーリングの女子選手の三白眼と、月光仮面みたいなユニホームで疾走したスピードスケートの女子選手が、ゴールと同時に頭巾を脱ぐ一瞬にこぼれ出る、やまとなでしこの風情。

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