随談第337回 記憶で切り取った光景=昭和20年代(その1)

つい先週、前川八郎という名前を新聞の訃報欄で見つけた。「巨人の最高齢OB」という見出しのついた小さな記事だった。沢村栄治だのスタルヒンだのというビッグネームの影に隠れてしまったのは余儀ないことだが、プロ野球草創期の記事を読むと、ちょいちょいその名前が出てくるので、子供の頃から名前は知っていた。戦後も一年間だけ、阪急ブレーブズでプレーをした(ということは、今度はじめて知った)というから、それとは知らずに見ていた可能性はあるが、なにせ小学校入学前のことだから雲をつかむような話でしかない。つい去年、巨人の復刻ユニフォームを着て東京ドームで始球式をしたのはテレビのニュースで見たし、何年か前、孫だかひ孫だかが甲子園に出場したとかでテレビに出たのも見た記憶がある。歴史上の人物が出てきたような、不思議な感じだった。97歳という。つまり、プロ野球の最も古い選手の上限が、ほぼ一世紀だということでもある。

偶然というものの不思議は、まったく同じ日の東京新聞の地方版に、上井草球場の記事が載っていて、昭和十一年、結成当時の「東京セネタース」の選手たちの写真が添えてある。前列の選手が片膝を立てて座り、後列の選手が横一列に立つという、見るだに昔なつかしい団体写真である。(以前は、試合開始前などに、グラウンドでそういう写真を撮っている光景をよく見かけたものだが、近頃ははやらないらしい。)そこにまだ若い顔で写っている当時の主力だった浅岡投手も、現在96歳だという。つまり、前川と浅岡が投げ合う巨人―セネタース戦というのも、おそらくあったことになる。そんなふたりのことが、同じ日の同じ新聞に載るという不思議!

この二つの記事を読んでいる内に、俄かに、上井草球場の情景が記憶の中から甦った。上井草球場は、一度だけ、見に行った記憶がある。戦後、神宮球場が進駐軍に接収されていたために、六大学リーグ戦を上井草でやっていた一時期があり、そのほんの短い期間の貴重な体験なわけだ。東明戦と慶立戦だったかを見て、東大が明治に勝ったということだけ覚えている。たぶん、東大がリーグ戦史上一度だけ二位になったことがある、そのシーズンであるはずだ。大人たちは、まだ「東大」という言葉が口になじまず、「帝大」といっていたことも覚えている。(そういえばいまのJRのことも、大人たちは「国電」ではなく「省線」と言っていた。鉄道省の省線、というわけだ。)

最近は、映画も新しい作品を見るより、神保町シアターや池袋の新文芸座などで、昭和二十年代・三十年代の映画を見ることが多い。懐旧趣味ももちろんあるが、それ以上に、そこに写し取られている情景を見るのが実に面白いからでもある。もちろん、作品としても見るけれども、しかしいわゆる名画だけが面白いのではない。また、そういう観点からは、時代劇(ももちろん、それはそれとして面白いが)よりも現代劇のほうがはるかにインタレスチングである。つまり、好奇心を刺激される度合いがはるかに強い。

数行の記事。一枚の写真。ひとながれの映像。それらが私の中に眠っていた記憶を目覚めさせる時、数限りないものが、甦り、私を刺激する。記憶で切り取ったさまざまな光景が立ち上がる。これは、ただ見過ごすにはあまりにも惜しい。

というわけで、これから時々、その種のことを書きとめていこうと思い立った。「その1」としたのは、詠んでくださる方々をダシにしての宣言のつもり。もちろん、勝手気ままの、断続的な連載である。

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