随談第338回 三階席東側「ろ」の19

今月の歌舞伎座は三部制の第一部と第二部の間が50分もあいているので、久しぶりに三階まで上がってみた。三階ロビーの、物故俳優の写真が飾ってある辺りへは時々行くが、場内に入って席に座ってみたのは、本当に何年ぶりだろう。普段はお客が入っているから、なかなかこうはいかない。それにしても、歌舞伎座の三階席から眺め下ろす場内のパノラマというものは、なんという壮観だろう。これは、他の劇場の三階席では決して味わうことの出来ないものだ。あの空間の容積の大きさ、二階席から一階席、さらには舞台へと続く距離感の醍醐味。思わず上げそうになった嘆声を、私はそっと呑みこんだ。

かつて、いつも「その場所」に座ることに決めていた一時期がある。前売り開始日に行列して、一時間かそこら待つ。常連の、顔馴染みみたいな人もできる。歌舞伎だろうと三波春夫だろうと、何をやるのかに関係なく、前売りの日には習慣として並ぶことにしている、などという人もいた。勘三郎がリチヤード三世をやったが、むかし左団次が新しい芝居をやった頃のような感激というものがない、などと話を聞いてくれそうな相手を物色してはもちかけるので、敬遠されている老人もいた。(この人、「リチャード」ではなく「リチヤード」と言ったっけ。「ちゃ」ではなく「ちや」である。)そんな風に、一時間かそこら並んで、さて自分の番になる。香番表という、厚焼きせんべいぐらいも厚みのあるボール紙のボードに各階の座席表が描いてあるのが積み上げてある。各階について一枚が一日分だから、相当の嵩になる。ここ、と好みの席を指定すると係の女性が色鉛筆でその席を塗りつぶす。コンピューターが導入されるまでは、どの劇場でもこれが当たり前だった。

そんなにして順番を待って、さてどんな席を買うかというと、三階の東側「ろ」の19、または20というのを昼夜1枚づつ買う。いまでもそうだが、三階東側「ろ」の席は三階B席だから、一番廉い席である。当然だが、窓口の女性は何ごともないかのように泰然とその席を色鉛筆で塗りつぶし、札束を数えるようにチケットを捌いて渡してくれる。それを買って、私のその日の用事は終る。望みの席を無事入手した満足感と、空しいような感覚とが胸に疼く。大学院生だったが、歌舞伎とは畑違いのことを専攻している。もう歌舞伎など見るのはやめてしまおうと、足を遠ざけるということを、その頃も、その後も、何度繰り返したことか。子供っぽい、一種の反抗心と、罪悪感とが同居していたのだった。

三階東側「ろ」の19は、孤独な席である。A席である「い」側と、B席である「ろ」側と、前後二列しかない。座ると胸の高さまである鉄製の手すりに両腕と顎を乗せて、斜め上から舞台を見下ろす。この格好がすでに、かなり孤独感に溢れている。当然、チョボ床は見えない。だから私は永いこと、竹本というものに無関心だった。居所も、ずいぶんと違って見える。あるときたまたま、ふとした出来心から正面の席を買ってまん前から舞台を見おろしたとき、アアこういう風に見えるのかと、改めて驚いたものだ。三塁側の高いスタンドから見るのに慣れていた者が、ネット裏の席に座ったのと同じ理屈かも知れない。二重の上の中央にいる役が、平舞台の上手寄りに入る役より、右手にいるように見えたりする。もっともそのお陰で私は舞台の上の居どころというものに関心をもつようになった、と口を拭って書いたら、嘘ではないが、じつはちょっと格好をつけ過ぎた言い方になる。

しかし場合によっては、東側「ろ」の19は、極上の席になる。『助六』の出端、『勧進帳』の幕外の飛び六方、『俊寛』の見る見る陸地が海に変わってゆく変転のおもしろさ。こういうものは、一階席では到底味わえない。昭和39年の五月、『菅原』の『道明寺』が出て十一代目團十郎が菅丞相だった。幕切れ、前月襲名したばかりの田之助の苅屋姫を後にして菅丞相が花道へ歩いてゆく。ずーっと、息を詰めて見おろす中、十一代目の菅丞相はそのまま歩きつづけて、花道の逆の七三まで行ったところで、つと本舞台を振り返って 袂をくるくるっと巻いて天神の見得をした・・・ように私の記憶の中にはいまもその残像が残っている。だがいうまでもなく、十三代目仁左衛門は普通の七三で見得をした。これはビデオにも映像として残っていて、間違いない。以来、この問題は謎となって、私のなかに留まっている。十一代目は、本当に逆の七三で見得をしたのだろうか? それとも、私の思い込みに過ぎないのだろうか? 普通の七三で振り返るより、逆の七三までの長距離、息を詰めて歩いて、それから見得をした方が、画竜点睛の効果は一倍増す筈である。少なくともその一点に関する限り、十三代目のあの神品にもまさって、私の中では、十一代目の記憶が鮮やかである。そうしてこれこそ、あの心まずしかった日々の私にとっての、三階東側「ろ」の19で見た無上の舞台の思い出であったといえるだろう。

久しぶりに座った東側「ろ」の19の席は、次第に客席に人が詰まってくる気配の中で、私にさまざまなことを思い出させた。それこそは、私にとっての歌舞伎座とのひそかな決別のときでもあった。

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