随談第341回 歌舞伎座さよならをめぐるよしなしごと(その1)

感傷に浸ってばかりいるつもりはない。歌舞伎座との別れは、歌舞伎そのものについてだけでなく、現在の社会のなかでの歌舞伎というものについて、いろいろ考える種を与えてくれた。

面白いと思ったのは、歌舞伎座の建替えということがニュースになり始めたとき、現在のまま保存せよという声が上がったのは、むしろ普段あまり歌舞伎を見に来ない(と思われる)人たちからであったことだ。これには正反ふたつの面があって、ひとつは、歌舞伎を見る見ないに関わらず、東京という街の風景としての歌舞伎座という建物が、想像以上に多くの人たちに愛されていた、良しと見られていたということだろう。それは、まずめでたいことと言ってよい。だがもう一面からいうと、これは、歌舞伎座という器には関心があるが、歌舞伎そのものにはそれほど興味はないということの反証でもある。歌舞伎座という器ごと盛られているおせち料理か何かのように。さよなら公演のとりわけ最後の二ヶ月、はじめて歌舞伎座の中に入ったわ、という声をロビーで直接耳にしたのが一度ではなかったという事実が物語るものは何か? ここが、話の難しい分かれ目である。(そういえば、吉右衛門の五右衛門がウヌと投げた手裏剣を菊五郎の久吉が柄杓で受けたときの、オオと驚くどよめきは、なんともウブなそれであった。)

いまの歌舞伎座がじつは四代目であるということが、近頃になってかなり言われるようになった。明治以来四代の歌舞伎座の変遷は、時代時代の歌舞伎そのものの変遷を反映しているのだということも。16世紀や17世紀の石造りの建物がごく当たり前のように立ち並ぶヨーロッパの古い町を支えている思想と、建替えるのを暗黙の前提とした木造建築の思考法が根元にあり、その上に、新しいものこそ進歩の反映と見る黒船ショックの後遺症やら何やらと絡み合った進歩(近頃は進化と言うのがはやっているらしい)思想が接木されているという、近代日本人の精神構造が、ここにも反映していることは間違いない。

一方、歌舞伎座をけしからんとする論をなす識者も、昔から後を絶たない。舞台の間口が広すぎる、これは松竹の儲け主義一辺倒のあらわれである、というあたりに大体集約される。江戸の歌舞伎小屋を再現すべきだという論も、その延長線に立つものだろう。いまそのことについて議論を始める気はないし、その手の論をなす識者の善意も疑う余地はないが、しかし私は歌舞伎座が好きである。何故なら、歌舞伎座によって私は歌舞伎を知り、愛し、夢を見てきたからである。金比羅の金丸座がどんなによくとも、(私は金丸座で團十郎と時蔵の『鳴神』を見たとき覚えず涙を流した。歌舞伎座で『鳴神』を見て泣いたことは一度もない。そもそも、『鳴神』を見て感動のあまり涙を流すなんて、考えられないではないか。だがそれでも)金丸座と同じようなものを銀座に作って、そこで毎月の興行を見たいとは思わない。私が歌舞伎に見た夢は、歌舞伎座のあの空間があって見た夢だからだ。

前回、東京ドームよりも後楽園球場の方が、両国国技館より蔵前国技館の方が良かったと言ったのも、ただの懐古でも感傷でもなかったつもりである。歌舞伎座についても、同じようなことは、避けがたく生じるに違いない。それは、確かに避けがたい。だから、そんなことに構っていたら、一歩も前に進めず、新しいものを作ることなど出来はしない。だからこそ、いまの歌舞伎座にさよならすることになったわけで、そのこと自体に私は何の異論もない。

歌舞伎座の三階席の急勾配を私が良しと見るのは、たとえば国立劇場の三階席と比べた場合、上手側の一番奥の席、つまり花道の付け根と対角線上の一番遠い席に座ったとき、国立劇場では舞台との一体感というものはほとんど絶望的にしか感じられないが、歌舞伎座の同じ席ならそれほどのことはないだろう。多少遠くはあっても、同じ箱の中に入っているという一体感は失われないからだ。おそらくそうなるであろうように、三年後にできる新しい歌舞伎座の三階席の椅子が大きくなり、前の席との間隔も充分にとってゆったりと背凭れにもたれて(若い奴等はタラバガニみたいな長い脚を投げ出したり組んだりしたりして)見られるようになったら、現在の三階席のあの濃密な空間は失われ、こんどのカブキザって何だか雰囲気ないわねえ、などとブーブー言い始めたりはしないかしらん。(まだ続く)

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