随談第585回 舞台随想(その1)

(むしろ「つなぎ」のようなつもりで書いた前回分だったが、予想外に長い掲載になってしまった。標題を「今月の舞台から」を「舞台随想」と改めます。)

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今月は、歌舞伎座の新芝翫も結構だが、国立劇場がお徳用である。何しろ、菊五郎の勘平と吉右衛門の大星が見られて、料金も歌舞伎座の3分の2ですむのだ。

菊五郎の勘平はこれで何度目だろう。またか、と思ったりした時期もあったが、その頃だって別に手を抜いていたわけではない。このクラスが顔を揃えて通しで出せば、判官と勘平は菊五郎と判で押したようになるからで、かつて父の梅幸も判官とおかると決まっていたのとよく似ている。そうしてよく、マンネリなどと陰口も聞かれたものだった。一面、それもそうには違いないが、しかしいま振り返れば、判官もおかるも、やっぱり梅幸のが一番懐かしく思い出されるのだから面白い。菊五郎の勘平もそれと同じようだが、今度のを見て、ちょいとこれは、今までとは別物だぞという気がする。することなすこと、無駄というものがない。無駄な力が入っていない。一段奥の境地に入ったのだ、と思わされる。

たまたまこの夏、尾上右近が自主公演「研の会」で五・六段目の勘平をしたのを連想する。まったく同じ型でつとめながら、片方は克明も克明、一挙手一投足に気を配り水も漏らすまい、という意識に満ち溢れていて、そこが秀才ならではの魅力でもあり面白いところでもあり、将来の展望へ夢を膨らませたくなるところでもあり、一方同時に、息も抜けない息苦しさに見ているこちらもへとへとになった理由でもある。菊五郎のはそれと対照的といえば手っ取り早い。菊五郎三傑の一と見て間違いない。(後の二傑は? とりあえず思いつくのは,一に『吉野山』の忠信、二に『幡随長兵衛』の水野、というのはどうだろう?)

歌舞伎座の『御浜御殿』で仁左衛門がこれも何度目とも知れぬ綱豊卿を、玲瓏玉の如き、余計なものの抜け切った境地で、呼吸している。呼吸している、というのも舞台評として妙なようだが、名演だの絶妙だの、技芸神に入るだの、よく使う劇評用語ではどれもピンとこない。

このところ、とりわけ肩の故障から再起して以降の仁左衛門というものは、ちょっと大仰に言えば一種仙境に入ったような感じで、透明感たるや只事ではない。ときとして、あまりにもこうなり過ぎては逆に影が薄くなってしまうような気がすることもないでもないが、いつぞやの菅丞相とか今度の綱豊卿のような役では、過去の誰彼に照らしても、ちょっと思い出せない独自の境地を思わせる。

「七段目」の大星というと、十三代目仁左衛門のを見てから、それも30年前の国立劇場20周年の時より、それより約10年前、公文協の地方公演を小田原まで追いかけて見たときに、それまで知っていた白鸚や松緑等東京の諸優の大星とはまるで別物なのを知った驚きが、あれから40年近くたった今なお、深く私の中に残っている。まさに祇園で遊ぶ由良大尽、「はんなり」というのはこういうことなのかと知った。無論、当代のも結構だが、何といっても戦前の祇園を知っている十三代目のようなわけには行かないのは是非もない。ああいう由良大尽は、おそらく見ることは叶わないであろう。

まあ、そういうことは置いておくなら、また国立劇場に戻って吉右衛門の大星が、東京風の大星としてまず言うところない。こころなしか、前段の遊蕩に韜晦しているときのセリフがやや小音なのが気にならなくもないが、最後の九太夫折檻の懸河の弁で帳消しにする。遊蕩に韜晦するさまと、九太夫折檻の懸河の弁絶の落差の大を自然に覆いくるめてしまう懐ろの大きさが、吉右衛門の吉右衛門たるところであろう。

この他にも東京勢の大星には、幸四郎もいるし、亡くなった團十郎もいたが、そうしたあずまおとこの大星たちの「ますらをぶり」とひと味ふた味違った、菊五郎の由良大尽というのを一度見てみたいものと、かねて私は思い続けている。祇園ではなく銀座だろう、などという減らず口は置いておいて、あれだけの勘平を見せてくれたいま、こういう大星もあるぞというのを「おねだり」しておきたい。

さて新・芝翫の盛綱がなかなか結構である。芸の上では、先月の『熊谷陣屋』よりいいのは生締の捌き役という「仁」に関わることでもあろうが、芝翫型を演じるにあたってのやや手探りの感や、團十郎型への未練も感じられなくもなかったのに比べ、迷うことなく取り組んでいる感じがいい。とかく難渋になりがちなこの芝居が、明快で、それでいて、丸本時代物の量感や奥行きを感じさせるのが値打ちである。とにかく、熊谷・盛綱と、二つの陣屋物をこれだけ見せたのだから、自信を持って然るべきである。

義兄の十八代目勘三郎が襲名の時、『盛綱陣屋』を出して驚かせたことがあった。襲名興行は三カ月にも及んだからいろいろな試みをする余地やゆとりがあったからでもあるが、盛綱とは、とそれまでの「勘九郎」から見て意表を突かれた。ところが本人の話によると、盛綱という役には前々から興味があって、何故かというと、長男坊の気持ちがよく書けているからだという。「だって、次男坊ってのは自分勝手だし、ずるいでしょ?」というのが勘三郎の意見だった。自分の都合だけでなくあれこれ気を配って勝手なふるまいはできないのが長男坊というものだ、と勘三郎は言った。なるほど『盛綱陣屋』というのは、弟の四郎高綱の勝手なふるまいを兄の三郎盛綱が全部自分の責任で引き受けて後始末をしてやるという芝居である。目の付け所のユニークさ面白さはさすが勘三郎だと思ったが、しかしそれなら、むしろ高綱の方が普通皆が思っている勘三郎のイメージに近いであろう筈ではないか? へーえ、と思った。この人はこの人なりにいろいろに気を配ったり、長男坊としての自分を盛綱に重ね合わせていたのだ。勘三郎という人を知る上でもこの「盛綱論」のユニークさは興味深いが、もっともこの長男盛綱に対する弟高綱は、まさか義理の弟の新・芝翫のことではないだろう。

ところでその勘三郎の盛綱は、いろいろ面白いところ、巧味を見せたところ、勘三郎一代の芸を見る上ではなかなか興味深いものだったが、しかし盛綱らしさという一点で、新・芝翫の方が私としては戴ける。当代の盛綱役者としてリストに加えられるものと言っていい。それはもちろん、見たさまだけのことではない。

(勘三郎と言えば、父の17代目も、後半生は兄の初代吉右衛門十八番へ次々と食指を動かすようになって、盛綱も二度にわたって手掛けたが、細部には処々に巧味を見せながら成功と呼ぶにはためらわれる、という体のものであったのを思い出す。)

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