随談第357回 初代若乃花のこと

若乃花といえば、私にとっては「初代」とわざわざ断わるまでもなく、「あの若乃花」しかいない。あれだけ激しい稽古と相撲振りで鍛え上げた人であるにも拘らず八十二歳という長寿に達したのは、本質的に強靭な身体だったのと、やはり時代の違いだろう。横綱で還暦過ぎまで永らえた人は珍しいというのが、今日でもまだ生きている世界である。

思い出は尽きないが、それよりむしろ、その死を伝えるマスコミの報道に、間違いというわけではないが、やはり往時を知らない人が調べて書いていることから来る違和感を多々覚えざるを得ないので、それを私なりに正しながら、思い出すことどもを語ってみることにしよう。

テレビのニュースやワイドショーを見て今更ながら痛感するのは、余儀ないこととはいえ、若乃花の土俵ぶりを実際に知っている司会者がほとんどいない、いたとしてもいわゆる栃若時代の末期を知っているのがせいぜいらしいということである。つまり、若乃花が横綱に昇進した昭和33年辺りが、新聞を含めマスコミの現役世代の知識の上限であるようだ。

「栃若時代」は短かった、という。それはまあ、定義の仕方の問題でもあるから、そういう見方も分らないではないが、しかしそれは、十年にわたるふたりの対戦の最後の三年かそこらでしかない。つまり、二人が横綱同士で対戦した期間は、栃錦の晩年の三年弱に過ぎないということである。どうしてそういうことになるのかといえば、まず二人の実年齢とそれ以上に土俵経歴に、かなり大きな食い違いがあるからで、ここを見ないと本当のことは見えてこない。

栃錦は大正生まれ最後の横綱であり、若乃花は昭和生まれ最初の横綱である。戦争と戦後という時代背景を考えると、これは年齢差以上に世代の違いとして現れる。栃錦の入門は昭和14年(ちょうどその一月場所の4日目、双葉山が70連勝目に安芸ノ海に負けた日だったという)、若乃花は戦後の昭和二十一年である。つまり土俵経歴に七年の差があるが、同時に、栃錦は戦中の相撲黄金時代と軍隊生活を体験しているが、若乃花はそれを知らない。「古き良き時代」を知る者のムードが栃錦の土俵には漂っていたが、若乃花の土俵ぶりはいかにも戦後派のそれだった。これは是非善悪とは別の問題として、見る側の受け止め方に関わってくる。

第二に、ふたりははじめ、割拠する群雄の一人として頭角を現し、悪戦苦闘しながら周囲を切り平らげて頂点に立った存在だということである。相撲は個人競技だから誰だってそうではないか、というのとは、ちょっと意味が違う。たとえば柏鵬は、すでに幕下時代に頭角を現し、入幕したときは既にスターだった。大鵬の納谷、柏戸の富樫は幕下時分からすでに知名人だった。同様に、栃若以前のスターといえば千代の山だが、この人は栃錦より後に入門し、杉村といった幕下時代から大器と騒がれたちまち追い抜いて入幕し、横綱まで駆け上がった。この前書いた『三太と千代の山』という映画は、その千代の山の新横綱当時の颯爽たる英姿の記念碑なのである。あの映画の中に出てくる、小結か関脇と思われる栃錦は、千代の山に次ぐスターとして、知らない人が見たらいわば弟分のような存在のような扱いになっているが、実は、実年齢はともかく土俵経歴からいけば栃錦の方が古参なのだ。栃錦が注目され出したのはちょうどあの映画に撮られた小結時分からで、それも技能賞を毎場所独占するからで、大関になる力士とは思われていなかった。

若乃花は、その栃錦の更に後から、小兵だが目立つ存在として追いついてきた力士で、やはり大関になるような存在とは思われていなかった。彦山光三という、その当時の相撲評論の権威が「異能力士」と呼び出したのはそれから間もなくの28、9年頃からで、大物食いだが同等以下に星を落すので、星勘定はあまりぱっとしないのをそう呼んだのだった。しかしその昭和28、9年、栃が大関で若が小結から関脇頃の両者の対戦が、栃若戦としては一番白熱して面白かったのではないだろうか。栃錦の元結が切れてざんばら髪となり、水が入ったとき紙縒りか何かで束ねている映像が残っているはずだ。

当時は、羽黒山・照国という戦前に既に横綱だった老雄がまだ頑張っており、戦後まもなくに台頭した東富士に千代の山、その後から出た鏡里、吉葉山といったところが横綱大関の強豪、うしろからは大内山や朝汐などの巨漢力士も追い上げてくる、栃若はそういうところへ肉薄し、苦闘しながら切りなびき切り従えて、独自の道を切り開いていったのだ。40貫、150キロ、あるいは6尺4、5寸、2メートル近い強豪連の間へ、はじめは80キロ台、後にもせいぜい百キロちょっとという身体で切り込み、切り開いたから、それが強烈な印象となって焼きついたのだ。これが栃若前期、この群雄時代の颯爽さが原点である。(続く)

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