随談第360回 「チャンバラ節」考 (修正版)

このHPの「お知らせ」の欄にも紹介しておいたが、この程、森話社というユニークな良書を出している出版社から、『映画のなかの古典芸能』という本が出た。というと何だか他人事のようだが、神山彰・児玉竜一ご両所の編集により、いわば講座形式のテーマごとの分担執筆で、かく言う私も一枚噛んでいる。「日本映画史叢書」全13巻という大きな企画の最終巻で、この卷は題名通り、古典芸能がいろいろな形で映画と関わり合う、その諸相をさまざまな面から述べるというもので、私にお鉢の回ってきたテーマは「映画音楽と純邦楽」というのだった。

こういう場合、大抵は、与えられたテーマについてトータルな観点から抜かりなく通観するというのが普通のようだが、下手をすると、ああいうのもあるこういうのもある、と羅列して読者を退屈させるだけに終りかねない。はじめに編集の意図を聞いたとき、ふと閃いたのが、小学生のころラジオからしきりに流れてきた、久保幸江という当時大人気だった歌手の歌う『チャンバラ節』という歌だった。

久保幸江というのは、日本髪の芸者のお座敷姿で拍子良く歌ういわゆる日本調歌手だが、まつげの長い目に赤々と塗った口紅がちょっとバタ臭い印象だった。小唄勝太郎とか赤坂小梅とか市丸といった、戦前から戦後まで息長く活躍した「本格派」とは違う、リズミカルで戦後の匂いが芬々としたところに特徴があり、その分、歌手としての寿命は短くとも戦後という一時代を語る上で抜かすことのできない、その意味で忘れがたい歌手だったといえる。『チャンバラ節』のはやったのは昭和二十七年だが、その前年に歌った『炭坑節』がまさに一世を風靡するものだった。朝鮮戦争を背景にした軍需景気のシンボル、というのが定説となっている。「月が出た出た、月が出た。三池炭鉱の上に出た、あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ」という歌詞を知らない小学生は当時いなかったろう。『トンコ節』、続けて出した『ヤットン節』というのは曲名からみても明らかな、二匹目の泥鰌を狙ったものだが、『野球拳』というのがもうひとつの大ヒットだった。つまりお座敷で酔客と戯れるための歌で、「野球するならこういう具合にしやしゃんせ、投げたならこう打って、打ったならこう受けて、ランナーになったらエッサッサ。アウト、セーフ、ヨヨイのヨイ」といって拳を打つのである。昭和三十年正月、片岡千恵蔵が多羅尾伴内になる『隼の魔王』という東映映画で、久保幸江が芸者の役で特別出演して、千恵蔵扮する多羅尾伴内七変化の内のまん丸眼鏡のおっさんの役と野球拳をする場面を覚えている。

『チャンバラ節』は、当時ヒット続きだった久保幸江としては、ONE OF THEM という程度のヒット曲であったのかも知れないが、しかしわれわれそのころの小学生としては、ラジオを通じて自然に耳に入り、おのずから覚えてしまった歌だった。「むーかし侍さんが本気になってチャンバラしーた、いまじゃ女が派手にチャンチャンばらばら、男はかーなわないよ」云々という歌詞を、あの「千鳥」の合方のメロディでリズミカルに歌うのである。歌舞伎の『俊寛』で、沖から赦免の船が海原を渡ってくるところとか、俊寛と瀬尾が切り結ぶ場面など、一幕中、ふんだんに下座の黒御簾から聞こえてくる、歌舞伎好きならだれでも知っているあの曲である。何故『チャンバラ節』のメロディが「千鳥」の合方かというと、かつてサイレント映画の時代、チャンバラ、つまり立ち回りの場面になると、楽隊(これを下座と称したらしい)が和洋合奏で「千鳥」の合方を伴奏として弾いたからで、『勧進帳』の「延年」などとともに、歌舞伎から出て映画にもちこまれた「邦楽」の代表だったわけだが、さてそれから先は、どうぞ本を読んで下さい。

題して『チャンバラ節考』。木下恵介監督の『楢山節考』など、大家巨匠の手になる芸術映画には、文楽や能その他、それこそ「純」邦楽がさまざまな意匠の下に使われているが、そういうものよりも、職人型監督が量産し、ジャリやらミーハーやら、映画ファン一般が、毎週々々新作が封切られるたびにまるで使い捨てるように見ていた、俗に言うプログラム・ピクチャーの方が、いまの私にはこよなくなつかしいし、また振り返ってみるだけの意味があるような気がする。ちなみに『チャンバラ節』は、『花嫁花婿チャンバラ節』という、デビュー間もない若き日の若尾文子の出演する、何とも安手で安直な映画の主題歌だった。『楢山節考』より『チャンバラ節考』というわけである。

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