随談第375回 今月の忌辰録より 花柳小菊・浦里はるみ、それから田浦正巳(修正版)

気がつけば早や月末である。本当は先月だったが、花柳小菊が死に、今月に入って浦里はるみが死んだ。往年の、よき時代の時代劇らしい、むかしの女人の匂いを持った、おとなの女たちである。

花柳小菊は、たしか神楽坂の花柳界から出た人だが、まだ一人前の芸者になる前に十四、五歳でデビューしたのだ、といった生い立ちのことなどを、まだ健在だったころ、「徹子の部屋」にゲストとして出演したときに、語っていたのを思い出す。阪妻や千恵蔵、右太衛門といった戦前派の大物スターの相手役をつとめた、永い経歴があるわけだが、たとえば梅幸が昭和二十四年にはじめて映画出演した『山を飛ぶ花笠』のとき、相手役に選ばれている。歌舞伎俳優の相手役という、普通の映画女優ではちょっと荷の重い役割を託されるというのも、彼女が身に具えている素養を見込まれたのだといえる。いかにも花柳界から出た人ならではのたたずまいといい、細面に柳腰の容姿といい、もう、当世の女優にはまったく失われてしまった女の匂いを持っていた人で、それは、玄人でなければ身に備わることのない種類のものだった。

そういうものを、現代の日本の映画界は、そもそも失ったことすら知らず、従って惜しむことも知らない。従って、というべきか、彼女の訃報の記事は小さかった。小さくとも顔写真が載り、数行なりとも映画女優としての経歴が書き添えてあっただけでも、まだしもとすべきなのかもしれないが、投書欄に、84歳という女性の、映画を見ることが最大の楽しみであった時代、立錐の余地もない座席で花柳さんの美しさに酔い痴れた、貧しい私たちの青春の一ページを彩ってくれた女優さんでしたという投稿が載ったのを以って瞑すべしと思うしかない。

ああした風情をもった女優は、現代のような社会には出現しないであろうから、その意味では、最後の存在といっても過言ではないだろう。訃報を知ったとき、たまたまさる人と「東映時代劇歌仙」と題して文音ならぬメール便で歌仙を巻いていた折でもあったので、次のような一句を物した。短句で、

御高祖頭巾のその柳腰

というのである。紫の御高祖頭巾がいかにも似合う人だったが、柳腰ということでは、もう少し後輩の喜多川千鶴と、先日亡くなった千原しのぶとが三絶であろう。年配からいっても、戦後時代劇のはなやかだった昭和三十年代の作品では、姐御役やお局の役などがイメージとしては多かったが、お局といっても、当今の女優たちの演じる大奥物とはまるで違ったものだった。似て非なるもの、という言葉があるが、似てすらいない。前にも書いた千代之介と錦之助が曽我兄弟になる『富士の夜襲』では、兄弟の母の満江のようなやや老け役に近い役を演じたのも、印象に残っている。

浦里はるみは、新派の出だと聞いたが、当時はまだこちらが新派というものへの認識不足で見ていないから、彼女の舞台の記憶はない。デビュウ当初から大変な貫録の姐御ぶりだったので、年齢を聞いて驚いた記憶がある。悪女が巧い人で、姐御役もさることながら、何といってもいいのはお局役で、これも前に書いたが、昭和三十年の『ふり袖侠艶録』という『加賀見山』に設定を借りた作品で、美空ひばりのお初、千原しのぶの尾上に岩藤を演じたのが大傑作だった。こういうことを言うと笑う人もありそうだが、この三人の役のはまり方というものは、いま思っても、歌舞伎を映画にもどく、「もどき」という観点から見て、当時の娯楽時代劇というものがいかに隅には置けない内容を備えていたか、心ある人は思うべきである。(そのころの通念からすれば、どうせ「ひばり映画」だろうと、歌舞伎はもちろん映画の批評家だって、まともに見た人はおそらく、限りなくゼロに近いに相違ない。)

花柳小菊や浦里はるみと同じ舟に相乗りさせるのは、じつはなんとも不似合いだが、同じ月の訃報という一点で田浦正巳の死をここに書くことになる。たまたま知った田浦正巳の死は、新聞にも載らなかった。とんと噂を聞くこともなくなっていたが、いかにもこれは寂しすぎる。全盛期の木下恵介監督作品の常連のひとりではないか。私としては、たまたま去年、『この広い空の何処かに』と『女の園』を見たのが、せめてものなぐさめだが、脇の役をつとめるこれらの作品を見れば知れるように、田浦正巳というのは育ちはいいがへなちょこの青年が妙に実感がある。当時のライバルというなら石浜朗だが、石浜の好青年ぶりにはない屈折があるのが妙だが、この人の最も栄光ある作品といえば、これまた美空ひばりだが、昭和二十九年の松竹映画、『青草に座す』という野村芳太郎監督若き日の傑作青春映画である。美空ひばりとしても有数のものと推奨して憚らないが、ここの田浦はなかなかいい。へなちょこが、ナイーヴと変じて輝いている。

若いころの野村芳太郎監督というのは、市川崑監督ともまた違った輝かしい才気と瑞々しさに溢れていて、この作は、野村芳太郎初期の佳作としても推奨に値する。木下忠司作詞・黛敏郎作曲の『お針子ミミーの日曜日』という和製シャンソンを、十八歳位と思われるひばりが、高い声で晴れ晴れと歌う主題歌は、日本歌謡史の上からも美空ひばり傑作集の上からも、何故みんなもっと喧伝しないのかと不思議でならない名曲である。

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