随談第381回 よしなしごと(その4・大相撲慈善場所開催を!)

大震災の報道の陰で、八百長相撲疑惑力士処分の記事がほそぼそと伝えられている。一方、サッカーやプロ野球でチャリティ試合を開催という報道も伝えられ、一歩先んじたサッカーは老兵三浦がシュートを決めたりして、またもや好感度ナンバーワンとなった。プロ野球はセ・リーグの開幕をめぐってミソをつけて、またしてもサッカーに水を開けられそうだが、まだ致命傷ではなかろう。

一方、致命傷を負ったままの大相撲は、白鵬や把瑠都が街頭で募金をしている姿がテレビに映った。募金ももちろん結構だが、思うのはいまこそ相撲協会は「大相撲チャリティ場所」を開催すべきだ、ということである。それも、よくある一日だけの花相撲形式ではなく、向こう十五日間、とは言うまいがせめて一週間ぐらい、本場所と同じ形式で、というより、本場所の「格」で、行なうのだ。本場所の格だから、成績も何らかの形で番付に反映させる。もとより異例だが、三月の本場所を自ら中止にするという前代未聞の「異例」を行なったのだ。もうひとつの「異例」を行なえないことはなかろう。三月場所に代る「準本場所」と位置づければいい。

本場所の格なのだから、全力士が出場する。初っ切りや相撲甚句など、花相撲めいたサービスは一切いらない。肝心なことは、全力士、土俵に専念して、いい相撲を取ること。その一点。被災者のことを思ったら、まさか、いい加減な相撲は取れまい。相撲というのはこんなにいいものなんだぞ、ということを観客の前で、目の当たりに実証して見せる。相撲って、こんなに面白かったのか、と観客に納得させる。つまり、大相撲の神髄を天下万民に見せ、大相撲の醍醐味を知らしめる。それに尽きる。

そうしてその間は例の八百長疑惑追及のナントカ委員会は活動を中断して、何なら、例の疑惑の力士も、今生の思い出に出場させたっていい。そもそもあの手の連中は、年齢から来る衰えや、致命的な怪我などが理由で出世の見込みがなくなったところから、細く長く現役に留まろうとしてああいうことに手を染めたのであって、これが最後と思えば、必死になって相撲を取るだろう。もし素晴らしい相撲を取ったなら、疑惑まっ黒の三力士だか四力士だかはやむなしとしても、灰色力士はシロと見做すことにしてやったっていい。どうやって、誰が見分ける? 勝負審判がプロフェッショナルの意地と誇りにかけて、目を光らせるるのだ。見抜けなかったら? 見抜けないほどの(八百長)相撲を取ったのなら、それはもう八百長の域を超えているのだから、つまり八百長ではないのである。(これは冗談ではない。いうところの八百長って、要するにそういうことではないのか?)

ちょっと話を脱線させる。選抜高校野球で、被災地から出場した東北高校が、全力疾走、全力野球でプレーをし、勝敗に関係なく見る者にアピールした。高校野球なのだから、そうあるべきだし、それでいいのである。私だって、ホロリとした。しかしプロ野球だったら、それではいけない。昔、巨人の遊撃手の広岡は、鈍足だったり、凡打だと全力疾走をしない打者の時は、ちょいとスナップを利かせた一塁送球を山なりに放ってアウトにした。ちょっと皮肉な、そこがまたいかにも広岡らしい、名人芸だった。走者の足が一塁に駆け込むひと呼吸前に、ストンと、ボールが一塁手のミットに収まる、その間のよさったらなかった。広岡より更に昔、東急フライヤーズのエース白木義一郎は、ピッチャーゴロを取ると矢のような球をキャッチャーに向けて投げる。キャッチャーも心得ていて、それを一塁に転送してアウトにする、ということをやった。これも、ちょっぴり相手をなめていて、皮肉な、しかし何とも味な、観客サービスだった。何と素敵ではあるまいか。(そう思いませんか?)少なくとも私は、高校野球で(「走塁」ではなく)「守備」についたり戻ったりに全力疾走をするのを見るより、かくの如きプロの「洒落た」プレーを見るのを好むものである。(もちろん、全力疾走で守備につくことをモットー(売り?)にして人気を博する選手がいたって、ちっとも構わない。それもまた、プロのひとつのあり方である。)

この二つの例で、私の言わんとするところはお分かりいただけるであろう。そう、何事によらず、プロの「興行」とはかくのごときものなのであり、あるべきなのである。大相撲また然り。審判委員が全員ダマサレルほどの「八百長相撲」を取ったとすれば、それはもう八百長ではないのだ。アマチュアとプロの違いはそこにあるのだ。大相撲をめぐるカンカンガクガク(だけでなく、諸事何かにつけて)当節、アマチュア主義万能であり過ぎる。(アマチュアリズム自体がいけないというのではありませんよ、念のため。)

さて、閑話休題である。要するに、相撲協会は、このような趣旨の「慈善大相撲興行」を開催して、全力士、横綱からフンドシカツギ(と、敢えて言う。プロなのだから、妙にデモクラチックな巧言令色に甘えるべきでないからだ)までの全力士が、プロフェッショナルの相撲取りとはかくなるものか、という相撲を取って、見に来てくれた見物を唸らせるのだ。

開催場所はもちろん両国国技館だから必要経費以外はかからない。費用はすべて自分持ち。もちろん有料。(金額はどのぐらいがいいか? マア、本場所よりは安くすべきだろうが。)収益は全額、被災者支援のために寄付する。(チャリティなのだから当然だ。)放駒理事長は、総ての膿を出し切るまでは、などと実行不可能なことを何時までも言っていないで、「大相撲慈善場所」を、英断を揮って実施すべきである。膿を出し切ってから、ではなく、満身創痍でも、プロならではというところを見せるのが、真のプロではないか。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です