随談第393回 『芸の心』を読む

コンピュータに関するドガチャガが続いて、神経も脳味噌も不慣れな作業でいらいらするはで、心ならずも大分永いこと、古い壁新聞を貼り付けたままのような状態が続いてしまった。お詫び申し上げます。書く材料というのは、野菜や魚介類と同じくやはり時季のものだから、時期を逸してしまうと、書こうという心持ちが殺がれる。亀治郎が井上ひさしをやったりしたのも、もういまさら古証文を出しても始まらないだろう。(もっとも、多少遅れても是非書いておきたい、というほどでもなかったこともあるかもしれないが。あれは、それはまあ、いい経験ではあったろうが、芸という観点から見て、亀治郎は何か得るところがあっただろうか?)

そうこうする内に「あれ」から4ヶ月の余が経ち、ある程度予想されたことではあるとはいうものの、政治や原発問題など、案の定(とは言うまい、案以上に)二極分解し、悲喜劇的様相を呈してきたいま、この分では、「某氏」なども、ダメ首相と言われながら粘りに粘っているうちに、風向きが変わって、あっぱれ原発を止めた名首相なんぞと言われる日が来ないとも限らない。

お蔭で、というべきか、その陰で、というべきか、海老蔵がごく静かに、舞台に戻ってきた。あれほど、海老蔵の舞台復帰はいつか、と騒いでいたTVのワイドショーはまるで無関心である。風向きが変わったのだ、と考える他はない。(海老蔵復帰の舞台については、いまここには書かない。当座の評は新聞に書いた通りである。詳しくは、『演劇界』に書いたから、八月上旬に出る九月号をご覧いただきたい。)

そんな中、三月書房から、八世坂東三津五郎と安藤鶴夫の対談『芸のこころ』が出版された。昭和四十四年に日本ソノ書房というところから、「心の対話」シリーズの一巻として出たものだが、今度はそれを底本としたいわば決定版である。「心の対話」シリーズというところが、ミソでもあり、あまり心、心、と強調すると、どうしてもミソがミソ臭くなってしまうところが出るのは避けられないが、そこらはまあ、読む者の読み方次第であって、これを機会に四十余年ぶりに読んで見ると、なかなか面白い。この本が出たのが四十四年の六月、安藤鶴夫が死んだのがその九月、というタイミングである。

自分から、「感動鶴夫」と「感動三津五郎」と言っていた二人だし、たぶん、安藤の側から出てきた企画と思しき形跡があり、安藤が煽りに掛かっているところがあるのが玉に瑕なのは確かだが、四十年も経った今となっては、それもまた、「ひとつの風景」として見ると別趣の興味ともなるだろう。まあ、よきにつけあしきにつけ、「感動」し「慷慨する」二人ではある。

三津五郎の対談本といえば、これもつい最近、雄山閣から復刻本が出た、武智鉄二との『芸十夜』が名著の誉れ高いが、これはその、相手を変えての三津五郎語録の余滴版として読むのが、一番いい読み方だろう。もっとも、「余滴」といったが、『芸十夜』の方は昭和四十七年の出版だから、時系列としては「余滴」の方が先ということになる。

昭和四〇年代といえば、安藤鶴夫にしても三津五郎にしても、名声は赫々として社会全般に及んでいた。絶頂期といえる。ふたりとも、テレビ文化人でもあったから、まず日本中、知らぬ者とてなかったろう。しかし一方から言うと、このころは大学紛争が盛んだったり、高度経済成長の様相が誰の目にもはっきり見えてきた時分でもあったわけで、(三億円事件があったのはこの前年だし、よど号ハイジャック事件が起るのはこの翌年である)、そんなことが、二人をしてしきりに慷慨させたり慨嘆させることにもなるのである。

まっとうな読みどころとしては、もちろん、第一部の「芸のこころ」にあるのは当然だが、むしろ第二部の「日本人のこころ」や第三部の「世間のこころ」で二人がしきりに慷慨する「光景」も、「時代を読む」という意味では、捨てがたいともいえる。そうした意味をも含めて、三津五郎節・アンツル節満載の一書として、楽しめることは疑いない。

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