随談第397回 新作歌舞伎って何だろう?

八月の花形歌舞伎は、三部制の三部それぞれに、まるで見本市のように、各時代の新作歌舞伎がメインの演目として配置されている。第一部の『花魁草は』、昭和五十六年に北條秀司が梅幸・菊五郎父子を年上の女と若い愛人の役に設定して書いた、戦後歌舞伎の一典型。第二部の『東雲烏恋真似琴』は話題の作者G2に作・演出を依頼した話題の平成新作歌舞伎。第三部の『怪談乳房榎』は、夙に戦前、大阪の二代目延若が園朝の怪談噺を芝居に仕立てた戦前の大阪芝居の、いまとなっては唯一の生き残りと言ってもいい、これも典型といえる。

さてこうして、それぞれを比べて見て、一番面白かったのが第三部の昔出来の大阪芝居、ついで戦後の新作、最後から一番が平成出来の新作だったが、いまここで順位をつけるのが目的ではない。(ベストの作品の品評会ではないから、別の作品をもってくれば、もちろん順位は変るかもしれない。)ただつくづく思うのは、歌舞伎というものがどういうものか、どうあるべきものか、という考え方の違いが、こうして並べてみると、時代によって実にくっきりと現れているということがひとつ。もうひとつは、ひいてはそれが、これからの新作にひとつの指針というか、ヒントになるのではないかということである。

『花魁草』は、北條秀司の作としては格別の出来というわけではない。実は今度も、予告を見たときまったく覚えがなかった。さる人に知ってるかと訊かれて、知らないと答えてしまったほどだった。そういえば、と思い出したのは大分後になってからで、同じ月、菊五郎は、多賀之丞に勧められたとかで『嫗山姥』をやったのだっけ、ということとからめて、ようやく記憶が甦ってきた。まあ、そんな程度の、北條さんとしてはごく並製の作なのだが、さて今度、ちょっきり三十年ぶりに再会してみると、結構面白いのだ。並製であることに変りはない。これを機にどんどんやれ、などという気はない。しかし、むかし梅幸、こんど福助のやっている大地震で吉原を焼け出された花魁が、同じく芝居町で被災した役者とそのまま駆落ちの形になって、事実上夫婦になりながら伯母と言いふらす年上女の心情をうまくつかまえて、それなりにウェルメードの芝居に仕上がっている。要するに、内容といい演劇としての形式といい、戦後出来の新作物の常套を一歩も出ない作品なのだが、裏返せば、戦後に作られた新作歌舞伎というもののレベルが、いまこうして見ると、相当のものだったのだということを改めて認識させられた、と言っていい。要するに、芝居を見ている、という気にさせてくれるのだ。

と、こんな今更でもないことを改めて考える気になったのは、次にG2作の平成新歌舞伎を見ながらだった。この作の悪口を言ったりこき下ろしたりする気はない。G2氏が筋書や『演劇界』の橋之助との対談でくりかえし語り、作中でも、これこの通りとしきりに吹聴しているように、歌舞伎好き落語好きで、たとえば野田秀樹氏や串田和美氏などに比べると、歌舞伎に対する先験的親和力を有する人であることは、容易に見て取れる。浮世草子からヒントを頂戴したという、人形を愛してしまった男というテーマもいい。だが、どうしてあんなに芝居をいじくり回すのだろう? 芸中二時間二十分というのは、内容の割りに余りにも長大過ぎる。こしらえものの綾やギャグを延々と見せられることになる。ふくらませる、というのとは、あれは違うのではないか? 歌舞伎への親和力、とさっき言ったが、どうもやはり、歌舞伎というものへの過剰な意識が、歌舞伎らしい荒唐無稽の面白さとか、歌舞伎らしいツクリゴトの奇想天外さとかいったものを、無理にも詰め込まなくては、と思い過ぎているような気がする。(G2氏は、きっとイイ人なのだろう。)

思えば北條氏等の活躍した「戦後」という時代は、歌舞伎らしい荒唐無稽とか作りごと、などいったものは、否定すべきものだった。だから作者はなるべく、自然に自然に、ということを心掛けた。それでも、ウェルメイドのお芝居、というものへの職人的感覚と手法は確実に身につけていたから、並製の作でも『花魁草』ぐらいのものは作れたのだ。だが世が移って、荒唐無稽は歌舞伎の特性として何の抵抗もなく受け容れられる時代となって久しい今、歌舞伎なのだから荒唐無稽でなくては、と思い込み過ぎるようになったのではあるまいか? というのが、私の『東雲鳥恋真似琴』を見ながらの感想である。

さてそこで『乳房榎』である。ストーリーは既に円朝が作ってくれてある。後は、早替りだの本水の立ち回りだの、それこそ荒唐無稽なテクニックを如何に有効に駆使して、一夜の娯楽として面白いお芝居に仕立てるか、役者と狂言作者というプロフェッショナルの知恵と技の結晶があれ、というわけだ。大阪の歌舞伎というと、鴈治郎代々のようなものばかりつい考えてしまうが、こういう、ストーリーを追いかけながら歌舞伎ならではのテクニックを駆使し、役者の芸や愛嬌や色気を存分に発揮しながら縦横に演じる、延若流の大衆芝居のほうが、むしろ上方の芝居の真髄のような気がする。(『夏祭浪花鑑』や『天下茶屋』のような芝居も、本来そういう芝居なのだろう。)かつて旧明治座で猿之助がしきりに見せた復活物もそれだったわけだ。いまにして、猿之助の慧眼が思われる。『乳房榎』にしても、三代目延若が父からつないでくれたものを、勘三郎が乞うて教わったからこそ、いまこうして伝わったわけだ。はからずも猿之助と勘三郎の名前が出たが、延若を含めてもいえることは、共通するのは、ゆるぎなく歌舞伎を信じ、それを演じてのける確固たるテクニックである。G2氏に限らないが、平成の歌舞伎作者たちも、もっとストーリーを信じた方がいいのではあるまいか?

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