随談第410回 プロ野球選手はグラウンドで帽子を脱ぐな(修正版)

セ・リーグではヤクルト、パ・リーグでは日ハム、ついで西武を応援しているので、結果はともかく、今年のクライマックス・シリーズは、地デジに切替って以来テレビの操作が何だかややこしくなってしまってから見なくなっていたBS放送を、何とかガチャガチャやって、家にいる限りは見た。リーグ戦末期から神宮球場に三度も足を運んだのも、近年では珍しい。まあ結果は、残念ながら実力通り、順当なところであったろう。ヤクルトなど、中日が白鵬とすればせいぜい日馬富士がいいところと思われる。何人かのスター選手を別にすれば、打率が二割そこそこか、外野手でも一割台などという選手がほとんどで、しかしそういう貧打で、3対1とか2対0ぐらいで勝つというのも、なかなか乙なものではある。外野手のくせに打率1割2分でシーズン中本塁打ゼロという飯原のホームランで中日に勝ったのは愉快であった。もし日本シリーズの出場していたら、かつて万年最下位だった大洋ホエールズが、三原監督率いるようになった初年、大毎オリオンズに四タテで勝ってしまった故事が思い出されたりしていたのだったが・・・

ところで、この文章はクライマックス・シリーズの評判をすることが目的ではない。近ごろ気になる野球風俗というか、ファッションというか、あるいは単なるだらしなさか、ともあれ、近ごろのプロ野球でちょっと気になるのは、選手がグラウンド、ダッグアウト内を問わず、帽子をすぐ脱いだり、それどころか無帽でいる光景を、以前に比べちょいちょい見かけるようになったことで、私はそれが気に食わないのである。理由はまず、だらしがない、という気がする。観客見ている前へ出たら、制服制帽、身なりをきちんとしていなければ、そもそも失礼ではないか。ダッグアウトは楽屋ではない。塹壕という、戦場である。(ついでに言うと、同じ意味で、試合途中で降板した投手が、ユニフォームを脱いでしまい、なにやら肩にあてがって治療中みたいな格好でいるのも、アメリカわたりの野球医学から始まったことなのだろうが、私に言わせれば、出番はすんだとはいえまだ試合は続行中なのだから、ちゃんとユニホームを着ているべきだと思う。なんだかパジャマ姿で人前へ出てくるようでみっともない。)

理由の第二は、プロ選手にとっては、試合のときの姿が、観客に見せるすべてであるべきだ、ということである。帽子をかぶっていると、選手はみなそれぞれに、精悍でいい顔に見える。ところが帽子を脱ぐと、いきなり日常の素顔があらわれる。アア、この選手はこんな顔をしていたのか、という興味もないではないが、概して私はこれが気に入らない。多くの場合、帽子をぬいだ途端に幻滅する。現に帽子を脱いだ顔は、ほぼ例外なく、緊張感がなく、だらしがない。

中日の和田という選手は、ちょっと往年の小鶴を思わせるところもあったり、敬服に値する名選手だと思っているが、ところがこの人、中日の選手のなかでも帽子を脱いだ顔をよくテレビ画面に見せることでは一、二を争う。帽子をとると急に、そこらの飲み屋のおじさんみたいになってしまう。西武の本塁打王中村は、この二、三年来頓に風格が出てきて、バットを構えたときの貫録は、まるでベーブ・ルースの再来みたいで惚れ惚れする。ところがその中村が帽子を取るとにわかに、宅配便でも配達に来そうなそこらのオニイチャンになってしまう。この二人だけの話ではない。一事が万事だ。

プライベートな姿を、なにかの番組で見せるのはいい。ファンには、グラウンドでの英雄を見るだけでなく、スター選手の素顔をみたいという心理があり、そこでは、英雄も私生活に戻れば飲み屋のオッサンみたいだったり、ホームラン王が隣りのアンチャンみたいであったって、少しも構わない。だが試合に臨んでグラウンドにいるときは、それではいけない。そうではないだろうか?

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です