随談第415回 今月の舞台から

歌舞伎が三座もかかった師走の東京。討入り日も過ぎた今更、劇評でもあるまいから、話題あれこれということにしよう。

○三座とは言い条、大人の芝居は国立に尽きる。吉右衛門は三十年ぶりという『御浜御殿』がセリフがちょいとつかえる他は、5年前の「最後の大評定」と合せ、当代歌舞伎の『元禄忠臣蔵』と言うべく、又五郎の富森の大健闘も推奨物。前頭筆頭ぐらいの力士が果敢に横綱に突っかかって行く面白さがあった。とかく、両横綱の対戦みたいだったり、時には富森のほうがエライ役者だったりすることもままあるが、この方が本当らしい。それにつけても、国立劇場には『元禄忠臣蔵』が何とも似つかわしいことよ。

○国立劇場といえば、筋書の「出演者のことば」のページが面白い。イエ、中身の話ではなく、1ページに三人ずつ載っている顔写真だ。とりわけ先頭ページの、上から大谷桂三、澤村宗之助、澤村由次郎が出色。桂三がなかなか風格あるダンディぶりで、優良企業のオーナー社長のよう。下段の由次郎また、温顔を黒スーツで包んで忠実温厚な専務サン、中段の宗之助が、眉までかかったオカッパ頭にストールをグルグル巻きにした軽装で、ナントカ製紙のバカ副社長ではないが、ギャンブルで社費を使い込みでもしそう? と、そう思ってみれば、何故か今月は皆さん、ダークスーツにネクタイをきちんと締めていて、それぞれ、年齢相応の役職者だったり、若手エリート社員であったりのように見えるからオモシロイ。中に一人、白髪で和服姿の播磨屋は創業者かな?・・・と、『元禄忠臣蔵』ならぬ『サラリーマン忠臣蔵』もどきの見立てデシタ。

○平成中村座で四役で五幕に大奮闘の菊之助。最も本役たるべき桜丸よりも、オッと思わせた、しかも自ら志願したという武部源蔵よりも、一番ぴったりだったのは『松浦の太鼓』の大高源吾だったというのは、皮肉といえば皮肉。この辺りの機微は、歌舞伎鑑賞上の奥の院とでもいうべきムズカシイところか。『関の扉』の薄墨は結構でした。それにしてもこの人、踊りにかけては既にお父ツァンをずっと抜いている。

○勘三郎については、とにかくもうしばらく、黙って見守っていることにしたい。

○日生劇場の「七世松本幸四郎襲名百年」というふしぎなタイトルは多分前代未聞だろうが、ひ孫三人にヒイ爺さんゆかりの明治歌舞伎ばかり、しかも所も日生劇場で、という企画は、よく考えるとなかなか味のある企画である。ハイカラ歌舞伎と言おうか、歌舞伎モダニズムと言おうか。どうせのことなら、ヒイ爺さん初演で本邦初の創作オペラという『露営の歌』を、こういう機会に染五郎にさせたかった。(イヤ、本当に。)

○『碁盤忠信』を復活し、『錣引』を復活し、『勧進帳』だは義経という染五郎が、今回最も労多くしていささか割りを喰った形。とりわけ『碁盤忠信』の大詰、同じ二本隈を取った相似形のような扮装で海老蔵とふたり並ぶと、睨んでご覧に入れるのが身上の海老蔵が浚ってしまうのは、気の毒だが仕方がない。碁盤忠信だから荒事、という考えだろうが、染五郎の柄を考えたら、白塗りに生締にでもするべきだった。それにしても、忠臣の忠信が押戻された挙句、三段に上って見得をし、敵役として名高い横河の覚範が押戻しとは、善人悪人とりかばや、というわけだろうか?

『錣引』にしても、46年前、東横ホールで先の権十郎がやったのが目に残っているが、当時はまだそれほどの貫録ではなかったとはいえ、あの羽子板のような役者ぶりは天性のものだから、景清の錦絵美はなかなかのものだった。これもまた、染五郎では仁が違う。とかくに損の卦だった染五郎、日本シリーズだったら負けチームで孤軍奮闘した選手に贈られる敢闘賞でも進呈していい。

○結果的に一番難が少ないのは『茨木』ということになる。松緑は、鬼というより怪猫じみるが、よく研究し神妙に無事つとめ上げた。海老蔵の綱は、何といってもこういう役にはぴったりの容姿風貌で、例の幕切れの舌を出した見得も見栄えがするが、ひと呼吸あって体を決めてから見得をするのは、普通の歌舞伎芝居のやり方で、こういう新しい芝居の息ではない。そこが、歌舞伎モダニズムたるところの筈だ。

○『勧進帳』は、ちょっと困った。いくら睨みが売物とはいえ、弁慶がああ睨んでご覧に入れてばかりいては・・・。海老蔵、惑いの時節か?

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