随談第417回 歳末雑記(その1):村上春樹の新著を読む

最近知り合いになったフランス文学者のT氏に勧められて、村上春樹の新著『小沢征爾さんと、音楽について話をする』を読んだ。なかなか面白い。『1Q84』(などは、T氏と親しくならなかったらたぶん読まなかったろう)なんかよりはるかに面白い。

小説の方の村上流の気取りはあまり感心しないが、こちらの気取りは気にならない。インタビュアとして、実によく話を引き出して見せる才能だけでもたいしたものだ。相手の信頼を得ていればこそ出来ることで、詳しいことも詳しいが、小沢の方もそれだけ喋る気になったればこそ可能になった仕事だということがよくわかるのが、そのまま、面白さになっている。小沢がまだ駆け出しの頃といえば60年代当初だが、当時はまだ前時代の巨匠大家たちが健在だったから、ルービンシュタインの演奏旅行に連れて行ってもらって遊び人ぶりをじかに見たり、ピエール・モントウと話をしたことがある、などというだけで、ヘーエと感心することになる。(実際には、猿翁のおじさんと話をしたことがある、ぐらいのタイムスパンなのだが、何だか、初代鴈治郎や五代目歌右衛門と話をしたことがある、というぐらいの感覚に襲われる話である。)

しかし何といっても白眉は、マーラーをめぐってのやりとりで、ユダヤ人マーラーよりも世界市民としてのマーラー、というのが小沢にとってのマーラーであり、そこらが村上春樹の世界と反りが合うところなのだろう。ひいては、演歌だって基本的に西洋音楽から出てきているのだから五線譜で説明できる、演歌など一度も聞いたことのないカメルーンの音楽家にもちゃんと演歌は歌えると思う、という辺りに急所があるのに違いない。(以前、山本直純のやっていた『オーケストラがやってきた』というテレビ番組で、森進一にオーケストラで伴奏をつけたことがあったが、実は小沢が、森進一さんが出てくれるなら、と註文をつけたのだという。森進一を選んだ、というところが面白い。)別なところで、小沢は、日本人、東洋人にしかできない西洋音楽のあり方っていうのがあるかも知れない、そういう可能性を信じてやっていきたい、とも言っている。

いま力を入れている若手の演奏家への教育を、オーケストラでなく弦楽四重奏で行なっているというのも、なるほどなあと思わせられる。弦楽四重奏に基本があると思うからで、つまり、オーケストラでは演奏しながらすべてのパートの音は聞こえないが、弦楽四重奏なら、互いにすべての音を聞きながら演奏するからだという。この辺りになると、小沢節も「芸談」らしくなってくる。つまりこの本には、近頃にない面白い「芸談」が満載されている。ああ、それはね、日本の「間」という考え方と同じですね、なんて言葉も出てくる。

グレン・グールドとカラヤンがはじめてベートーベンの三番のピアノ協奏曲で共演したとき、こういう曲の場合、普通はソリストに合わせるところをカラヤンは自分のスタイルで押し通した。貫録の違いだというのだとか(つまり当時のグールドは、大横綱カラヤンに対する新小結ぐらいのものだったのだろう)、指揮者というのは「ある程度棒振りとして場数を踏んでくれば、息の取り方がわかってきます。ところがね、そういうのができない指揮者って案外いるんです、そういう人は、いつまでたっても下手なままですね」なんていうのは、まさしく芸談以外の何ものでもない。

こういうのを読むにつけても、近頃出る歌舞伎の本って、いくらなんでも啓蒙主義万能になりすぎているんじゃないかしらん。

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