随談第420回 正月芝居日記(その2)

1月5日(つづき)

前回『加賀鳶』の「木戸前」の勢揃いで三津五郎の春木町巳之助を本寸法だと言ったが、『矢の根』と言い『金閣寺』の大膳と言い、この月の三津五郎の役々はすべからくその趣きがある。特に『金閣寺』は、三津五郎ばかりでなく各役それぞれに寸法が揃っていて、特にこの手の芝居はこういうことが大切なのだなと、改めて感じ入った。大膳・雪姫・藤吉・直信・鬼藤太・慶寿院みなその役のツボにはまっている。

歌六の白塗りは、前にも書いたが、私のひそかに珍重するところだが、果して、ただののっぺりでもなよなよでもなく、味わいにひとつひねりが利いているところが、女方がつとめる白塗りと微妙に違って、この種の役の本領に適っている。直信とか、『鮓屋』の弥助とか、世話物なら『髪結新三』の弥七とか、といった役は、やはり立役から出るべき役なのだろう。つまりこの手の役の色男というのは、どんなに金と力がなかろうと、やはり「男」なのだ。その感覚が、女方だとなかなか出にくい。思ってもごらん。「彼等」はみな、どう考えても頼りのない男であるにも拘わらず、惚れ合った女に命もいらないと思い詰めさせている。擬着の相はお三輪だけに限った人相ではない。弥助がお里とデキテイルか否かという議論がいつかあったが、あれはデキテイルに決まっているのだ。脚本の上がどうであろうと、この手の男はそう思わせるような感覚が必要なのであって、弥助のパロディである『矢口渡』の義峰なんか、筋の上ではお舟とヤッテイル暇などない筈にも拘らず、デキテイルと考えないとあの芝居は成立しない。要するに、そう、見ている者に思わせるかどうか、に懸っているのだ。立役でも、そういう二枚目役者というものは、現在ほとんど絶滅品種といってよく、三代目左団次と勘弥亡き後、この感覚の持主が忘れ去られようとして久しいが、今度の歌六で辛うじて、その渇を癒す希望が持てそうである。

『金閣寺』ではもうひとつ、菊之助の雪姫が秀逸だった。玉三郎に教わったらしいが、縛られる桜の木を舞台中央にしつらえるのもそうだが、(これは絶対、この方がいい。直信を迎えるにも、後を追うにも、縛られた縄がいっぱいにピンと張るのが、二人が束の間にも身を接することが出来ないことを、ひしひしと、視覚上からも見る者に感得させる。それにそもそも、上手に立てると中央から下手寄りの見物には、冒頭、文字張りの上手屋体の雪姫の姿が邪魔になってよく見えない。(歌右衛門はどうしてああしたのだろう?)、この前の『娘道成寺』が前に玉三郎と踊った『二人娘道成寺』から多くを盗んでいるのと同様、菊之助は目の前のこの先達の美神から、貪欲に多くのものを学ぼうとしていることが、いろいろな形、いろいろな面で見ることができるのが、何とも面白い。面白いといえば、あれだけ多くのものを学んで(盗んで)いながら、たとえば爪先鼠の件の花びらの散らせ方とか、花道を入るとき七三でおこついて鞘走った刀身を鏡にして髪を撫で付けたりしなかったりとか、自分の意志、自分の考えを、通すべき時には通している。この辺の菊之助の、大胆さというか不敵さというか、このやさおとこの肝の太いことは実に端倪すべからざるものがある。

『め組の喧嘩』の大詰の鳶と角力の喧嘩が、昔に比べ下手になったと言う声を、見終わってから幾人かの人から聞いた。そうかと思わないでもないが、そういう人が皆、私より若い人なのがおかしい。角力取りの方は今度は四ツ車が左団次で九龍山が又五郎だが、左団次がもっと若く精力的で、先の権十郎とふたり両力士で並んだところは、実に見事なものであった。四ツ車はいまだって立派だが、少々老けたのは仕方がない。又五郎の九龍山は、やや地味目だが、重心の低いアンコ型で、琴奨菊みたいにがぶり寄りでもしそうで悪くない。それにしてもこの芝居、当然観客も鳶の方を応援することを頭から前提にしているのは、風俗研究のネタになりそうである。戦前には双葉山と、戦後では急死した横綱の玉乃海が、それぞれの盛んな時代にちょうど『め組の喧嘩』の上演があって、招待されて見に来たのが写真になって残っているが、相撲取りとして、どう思って見たのだろうと考えると、ちょっと興味がある。(また続く)

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