随談第430回 空さだめなき花曇り-花形忠臣蔵のこと-(その2)

菊之助の判官のことから話を続けよう。何といっても、祖父梅幸以来、父祖三代に渉る判官役者としての仁は揺るぐことがない。梅幸の場合、同時代に他にもすぐれた判官役者はいたにも拘わらず、現代人に最も受け入れやすい人物像としての判官であったところに絶対の優位があった。いわばそこに、現代歌舞伎の正統性を築いたわけだ。菊之助にも、その優位はまず間違いなく受け継がれている。

今回、判官ひと役だけと聞いて、もしそれが菊之助自身の意思からのことだとしたら、この人の芯の強さというものに、舌を巻かなければなるまいと思った。確かに、判官を勤めた役者は他の役は演じないという教えはある。だが、祖父の梅幸だって、四段目で切腹した後、おかるに変るのが恒だったではないか。菊之助の場合、そういうことよりも、初役でつとめるについてこのひと役に専心したいということであるのだろう。果して、仁や柄といったこと以上に、その役にしっくりと重なっているという意味で、今回、菊之助の判官以上のものはない。本物、とよく言うが、まさしく、この判官は本物である。よし未成品であるにせよ。少なくとも大序に関する限りは。

三段目になると、少し疑問が生じてくる。「喧嘩場」とはいうものの、師直に向かって意気込むタッチが強い。尤もそう思うのは、私が無意識の裡にも梅幸を規範として見ているからで、あれでいいと思った人もいるかもしれない。声も、太い声を使っている。梅幸の判官は、如何に意気込み、憤怒の情に駆られても、やや高音の、美しい声を乱すことはなかった。トーンが一定していたから、急に別人になったような唐突感がなかった。歌舞伎の常套語句を使うなら、立役の肚になることはなかった。それでこそ判官様だと思わせたのである。

前回、獅童の若狭助の居どころのことを言ったが、菊之助の判官も、師直との応酬の際舞台の中心に出て芝居をしている。師直とふたりの芝居でなくて、判官の芝居になってしまったようにも見える。もっとも、こうした演技上の微妙な点について、断定的な言を弄するような趣味は私にはない。ただ、オヤと思ったまでである。しかしそのことと、さっき言ったようなこの場の判官の演技に、何か関わりはありはしまいかと、疑問が生じたことは確かだ。

そこで思うのは、話が元に戻るようだが、今度の配役が判官ひと役と聞いたときまず思った正直な感想は、おかるも見たかった、ということだった。もちろん、勘平という路線もある。判官-おかるなら祖父と、判官-勘平なら父と同じ路線である。祖父は、勘平は演じなかった。父は、若い頃は別として、道行以外おかるは演じない。私がひそかに怖れるのは、菊之助は将来、判官ともうひと役という場合、おかるよりも勘平の方を選ぶのではなかろうかということである。もちろん、勘平もきっといいだろう。しかし、おかるを演じる菊之助をあきらめたくないものが私に中にあるのは否定できないし、そのことと、さっき「喧嘩場」の判官のタッチの強さが気になったということが、微妙に関わり合っているのも、おそらく確かであるに違いない。

染五郎の話に移る前に、松也の顔世のことを言っておきたい。今度の「花形忠臣蔵」で、一番仕出かしたのは松也だろう、ということである。たおやかで、匂うような気品があって、この人ゆえにすべてが始まったということを得心させる。『仮名手本忠臣蔵』は、顔世ゆえに始まるドラマであって、賄賂の高でも、幕府の裁決への不満でも、まして塩田の権益争いでもない。松也の顔世は、この女人あって、ということが、げにもっともと思える顔世であった。

染五郎が大星を勤めるのは、花形世代のエースという意味からも、高麗屋播磨屋、一家一門のいずれから見ても由良之助を勤めるべき者、という意味からも、当然視されてのことであったと思われる。その観点からする限り、初見参としてはまずまず、後は経験と年功である、という評価になるであろう。父の幸四郎もそうだが、染五郎にも、名家の長男に生れた者の持つ、統領の風というものがあるのが強みである。

と、こう言ってしまえば、話はそれでおしまいのようなものだが、他方、今度の由良之助を見ていて改めて思ったのは、祖父にも父にもなく染五郎だけにあるもの、の存在である。もしかするとこの人は、大星以上に判官の役者なのかも知れない、勘平だっていけるだろう、ということである。四段目で、なすべきほどのことをすべてなして後、残りの諸士と共にゆらりと立ち上がる。別に演技といってどうというところではない。そういうところで、この「大星染之助」は、いかにもヤワな二枚目なのである。まだお若いから貫目がちょいと不足だ、というだけのことなら、経験と年功の問題だといえばすむだろう。もちろん、そういう側面もある。しかし翻っていえば、ヤワな二枚目であることは、役者として何も弱点でも困ったことでもない。祖父白鸚に勘平は出来なかったが、孫の染五郎には出来るというまでのことだ。その辺りのことを、染五郎はよくよく知るべきだ、ということである。

とは言うものの、と思う。染五郎以下の花形世代で大星が出来るのは、といえば、染五郎と海老蔵ぐらいしか思い当たらない。そうだ、勘九郎もいけるだろう。いま中村座で『小笠原騒動』の実悪の犬神兵部をやっているがなかなか大したものだ。それこそあの若さで、とちょいとびっくりした。ずばずば動けて、それなりの大きさと貫目があって、つまりミドル級ならではのよさといえる。とまあ、大星候補は他にいないわけではないが、良くも悪くも、今後染五郎に大星役者としての大方の期待がかかることになるのは目に見えている。要は、そこらあたりをどう汲み分けて行くかであろう。

亀治郎の勘平の話をする余地がなくなってしまった。また(続く)としよう。

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