随談第436回 新漫才・おもだかやおめでたや(PARTⅡ) その1

八五郎:いよいよ澤瀉屋一家4人同時襲名の開幕、香川照之改め九代目市川中車のスタートですが・・・

家主:ちょいと待った。香川照之改め、と言ったが、本当に「改め」なのかね。歌舞伎の時は中車だが映画やテレビに出るときは今まで通り香川照之でやると、去年の襲名発表のとき確か言っていたのじゃなかったかね。

八:でも、「口上」の席で彼、本当に泣いていましたよ。まさに感涙にむせんでいた、という感じでした。場内も一瞬、思わず粛として声なしでした。本当に本気なんだなと伝わってくるものがありました。

家:だからといって映画やテレビも市川中車でやるとは、まだ正式に言ったわけではないんだろう? 聞くところによると亀治郎、いや猿之助も、夏に「亀治郎の会」をやるとかいうが、こっちは更に妙な話だ。襲名をしたならもう亀治郎ではない、別人格ではないか。襲名というのはそういうものだ。むかし林不忘という名前で『丹下左膳』を書き、牧逸馬の名で犯罪物や実録ものを書き、谷譲次の名で『めりけんじゃっぷ』なんてのを書き分けた作家がいたが、そういうのとは意味が違うのだ。

八:落語家または喜劇俳優としては柳家金語楼、落語作者としては有崎勉なんていうのもありましたっけ。

家:それなら趣旨が通る。役者と作者は別物だからね。吉右衛門だって脚本を書くときは松貫四だ。十一代目團十郎も二九亭十八の名で脚本を書いた。

八:『鳶油揚物語』(とんびにあぶらげものがたり)ですね。亀治郎、いや猿之助だって、将来、喜熨斗ナニガシの名で「スーパースーパー歌舞伎」なんてのを書くかもしれませんよ。猿翁さんだって喜熨斗政彦の名前でいろいろやっています。「亀治郎の会」の場合は、これまでその名称で続けてきたので、今度の第十回でけじめをつけようというんでしょう。将来は「春秋会」を引き継ぐのでしょうが。

家:とにかくだ。襲名ということが何故近代個人主義の今日でも意味を持ち得るのかということを考えなくてはいかぬ。

八:猿之助はわかっていますよ。引幕の福山雅治さんの作という、猿翁二代と段四郎と猿之助自身と四人の隈を取った顔を重ねた顔がデザインされていましたが、あの趣向は、おっしゃるように襲名とは一人であって一人に非ずという意味合いなのではありませんか。はじめは何故猿之助にならねばならないのかとも思い、亀治郎の名に愛着があったが、初日の舞台に立ったら百パーセント猿之助になろうと思ったという、口上の言葉を信じましょうよ。信じてもいいと、あたしなどは思いましたがね。なにしろ大家さんと違って、人間の出来が素直ですから。

家:しかし猿之助になってから「亀治郎の会」というのは納得できない・・・

八:まあ愚図愚図言っていないで。それより新中車は如何でした?

家:「口上」で顔を上げた時、先の中車に面差しが似ていたのにはびっくりした。これは、と思ったね。

八:舞台に飾ってあった前の段四郎さんの笑顔の遺影にもよく似ていますね。血筋だから似ていたって不思議はないわけですが、何かそれだけではないものを感じさせますね。

家:そうなのだ。正直に言って、これまで今度の襲名のことについてどこか釈然としないものを覚えていたのだが、あの顔を見て、これは生半可なことではないと思った。あの顔は、単に血縁だから似ているというようなものではない。

八:それにしても『小栗栖の長兵衛』とはうまい演目があったものですね。若き日の初代猿翁さんが大正九年に初演したれっきとした澤瀉屋の狂言で、いまの段四郎さんなんかもよくやっていましたっけ。

家:同じ岡本綺堂でも二代目左団次にあてて書いた『番町皿屋敷』や『鳥辺山心中』では無理だったろうが、こっちはまあ新劇みたいなものだからな。こういう演目が目の前にあったとは天の配剤のようなものだ。まるで誂えたみたいだ。

八:大家さん、今日は何だか運命論者みたいなことをおっしゃいますね。察するところ、新中車にひそかに肩入れしたくなったのじゃありませんか?

家:何を馬鹿な。しかし好感を持ったのは事実だ。

八:初代の猿翁さんが昭和33年に当時のNHKのスタジオで撮った『小栗栖の長兵衛』の映像があって、それをなぞるのだと言っていたそうですが。

家:あの映像は私も知っている。亡くなる5年前だからまだまだ元気とはいえお歳だから、さすがにちょっと息が上がっているところはあるが、初代猿翁という人がどんな感じだったかはよくわかるね。とにかくあれを新中車がよく学んでいることは確かだ。ウーイ、なんてオクビを漏らすタイミングまでよく写している。なぞってなぞり抜いたというところだが、あれだけなぞれればたいしたものだ。一番感心し、安心もしたのは、声に歌舞伎として違和感がなかったことだね。歌舞伎の他の演目をやる上でも、これなら希望が持てる。

八:夜の部の開幕前の口上で、猿之助が、舞台の袖で見ていて、初日二日目にはまだまだと思ったところも三日目には見違えた。普通ならひと月二月かかるところを三日でやってしまうのだからやっぱり才能があるんだなあ、などと、十歳も年上の者をつかまえて兄貴分みたいな口ぶりでしたが、言っていることはその通りと思っていいんでしょうね。

家:あの口上は面白かった。去年の発表以来、マスコミや世間の関心は新中車に集中しているが、こと歌舞伎の舞台に関しては自分が取り仕切るのだというところをはっきりと示したわけだ。それでこそ、彼は昔の亀治郎ならず、我こそは四代目猿之助であるということを、世間にも中車にも宣言ことになる。

八:ほらご覧なさい。彼はちゃんとわかっているのですよ。

(続く)

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