随談第447回 (またしても)貼り混ぜ帖

思わずも丸ひと月、更新なしのままになってしまった。今これを、と思うほどの話題があまりなかったせいもあるが、何となく小忙しかったせいでもあり、つまりは、これというほどの理由があったわけでもない。

新しい歌舞伎座について、劇場についての概要とスケジュールの概略が発表になったが、劇場内部が凡そ旧歌舞伎座の規模を踏襲すること、来年4月から向こう一年間、お目見え興行があるということ、といった概要の概要といった程度にとどまって、もう一歩具体的に踏み込んだ内容には及んでいない。どういうメニューになるかが一番、誰だって関心のあるところだが、勘三郎の病状、染五郎の怪我の経過など、新陣容の主力となるべきところに不確定要素があることが、具体案を作りかねる要因になっているとは、これも誰だって想像がつくことだ。

染五郎が退院してその回復状況を、幸四郎が「奇跡的」と言ったという。これも、取りようによっていろいろに解釈できるわけで、こういう事柄について迂闊なことを無責任に言いたくはない。

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相撲の話をしよう。東京場所だったので、今場所も二度ほど、国技館に足を運んだ。相撲博物館で栃錦展をやっているのでそれも見る。もう少し現役時代のいろいろな写真を展示してくれればとも思うが(私はベースボールマガジンで出している『相撲』という雑誌を取っていたから、グラビアなどに載っていた写真をあれこれ覚えている)、まあこんなものか。何といっても、場内で放映している昔の画像が一番興味の種だが、こうしてみると、テレビの画像として残っているものよりも、ニュース映画のフィルムに残った画像の方に真骨頂があることを、改めて痛感する。つまり栃錦などの世代までは、テレビよりラジオ、ニュース映画が主力だった時代なのだ。栃若といっても、テレビが普及した両横綱対決のころは、栃錦はやや老境に入っていて若乃花の方が優勢だったが、二人の本当に凄い激戦はそれ以前、(今度も放映されているが、大関と小結だった昭和28年春場所の二度水が入った一番のように、)ふたりともびりびりと神経が行きわたっていて、瞬時も休むことがなかった。

それで思い出すのは、昭和31~2年頃から何時ごろまでだったろうか、場所が終わるごとに「夏場所決戦の記録」とかなんとか言ったタイトルがついて、その場所の好取組のフィルムを編集したものを、映画館で上映していたものだった。30分か、あるいはもうちょっとあっただろうか、幕内上位のいいところまで見せるから、内容としても結構充実していた。(そうだ、いま思い出した。石原裕次郎の『鷲と鷹』と、『誘惑』という伊藤整原作のなかなか気の利いた映画に、『秋場所決戦の記録』と三本立てで池袋日活で見たことがあった。栃錦が若乃花を高々と吊り出して、若乃花は横綱昇進がお預けになったのだった。)テレビはまだ、我が家の場合近所のラジオ屋が宣伝半分サービス半分で、店先で放送を見せているのを見に行くしか手がなかったから、こういう映画が充分商品価値があったのである。

日馬富士は、まあ、よかったと思う。千秋楽の白鵬との決戦はテレビで見たのだが、ああいう死闘という感じの相撲を見たのは久しぶりといっていい。(もっとも、はじめ組み合ったときは、これは日馬富士は失敗したかと思うぐらい白鵬有利だったのに、その後低く低く食いついてゆくのにまかせるばかりで、案外無策に見えたのは少し物足りない。)日馬富士は身体つきといい、風貌といい、喋ると少しズーズー訛る感じといい、むかしの栃の海によく似ている。(栃の海は青森だったが、他のモンゴル力士はそうでもないのに、日馬富士だけズーズー言うのはどうしてだろう。)栃の海も小兵で、スピードがあって技が切れ、大鵬と柏戸を連破して横綱になったときなどは颯爽としたものだった。(吉田秀和氏の『現代の演奏』に確かその時のことが書いてあったのではなかったかしらん。)残念ながら栃の海は短命に終わってしまったが、べつに縁起でもないことを言うつもりではない。

今場所は、全体的に言っても、なかなかレベルの高い取り組みが多かった。近年では随一だろう。先場所は、臥牙丸みたいな体力に任せたような大味な相撲が多かったが、今場所は妙義龍とか安美錦とか高安とか、味のある相撲を取る力士がよかったし、隠岐の海とか枡ノ山のような相撲取りらしい相撲取りとか、なかなか結構だった。

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さっきの、「秋場所決戦の記録」と三本立てで見た『鷲と鷹』と『誘惑』だが、昭和二九年の後半から制作を再開した日活が、はじめは文芸路線のような感じが強くあったのが、『太陽の季節』『狂った果実』以後、方向転換を始める、この二作品はちょうどその端境期を表徴する作という意味で、思い出すと懐かしい。『鷲と鷹』はつい最近、テレビで再会したが、裕次郎映画の中でも(大きな口をきくには、私は裕次郎映画の良い観客ではないが、しかし察するところ)有数の傑作ではあるまいか、とかねがね思っていた持論の正当さを再確認した。「何ともバタ臭い」という評が当時あったが、しかしなかなか上等なバターと言っていい。これだけスマートにバタ臭いというのは大したものだ。(主題歌も、裕次郎の歌の中で、その良さが一番よく出ている。)もう一本の『誘惑』は中平康監督の中でも、その才気がじつにスマートな形で表れている点が出色で、思えば渡辺美佐子という女優を、私はこの映画ではじめて見たのだった。いまはすっかり新派の役者になっている安井昌二が当時は日活の専属で、貧乏画家の役で、化粧っ気のない渡辺美佐子に向かって「君、化粧し給え」と言う。そう安井に言われて、鏡の前でおずおずと口紅を塗るシーンの渡辺に、高校生だった私はちょいと惚れたのだったっけ。

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プロ野球の話もするつもりだったが、結構長々しくなってしまった。まだシーズンが終わったわけではなし、またのこととしよう。

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