随談第468回 いよいよ(PART 2)

新しい歌舞伎座の本興行が始まった。同じように作ったとは言っても、やはり実際に動き出してみると、勝手が違う点、不慣れな点、まごつくところ、いろいろ見つかってくる。むしろロビーに出てからが、と前回書いたが、時代の求めに従って種々の改善をしたところに、余儀ないことだが、一方を立てれば一方が立たず、という面も出てくる。

開演前や入れ替え時の玄関前、表通りの混雑を緩和するため、更にはバリアフリーの必要から、玄関を少し、ほんの何メートルかのことに相違ないが、後ろに下げた。入口の石段もなくした。更には、一階・二階・三階すべての出入口を二重扉にした。これらはすべて、改善である。それに伴ってどういうことが起こるか? といえば、一階ロビー、古風な言い方をするなら大間が、心もちだが、寸が詰まった。面積にするなら、ほんの何坪かのことだろう。初めての人なら、こういうものだと思って不足とも思わないに違いない。だから、ちょっと狭くなりましたねェ、などとぼやくのは、懐古趣味と片づけられても致し方のないことなのだろう。でもやっぱり、昔のゆとりが恋しくなったりするのも亦、致し方のないところでもある。

同じ理由で二階のロビーも寸が詰まったから、吹き抜けの奥の、襲名や追善の折などに贈り物だの、故人を偲ぶ写真や遺品だのを陳列するスペースが無くなった。それはまあ仕方がないとして、ロビーの長椅子が少なくなったり、(この前も書いたが)三階のおでん食堂やカレーコーナーがなくなったりしたのは、ちょっとブーイングが起こるかも知れない。

東側と西側のロビーにエスカレーターがついて三階まで楽に上れるようになったのはもちろん改善だが、その代わり一階にはトイレがなくなったとか、その他、いろいろ言い出せば出て来るだろう。二階西側と地下にあった大きな食堂がひとつになって三階に移った、というと、エーッという声が起こりそうだが、この食堂、昭和通りに面して大きな窓がはまっていて、なかなか快適そうである。という具合に、同じ場所同じ面積の所に建てたのだから、さまざまな長短が出てくるのは当然というものだ。

場内の座席の並べ方が幾分変わったために、席によってはいままでとちょっと感じが変ったり、幕間や終演時の人のはけ方が幾分、以前よりは滞り加減のような気がしないでもない。(今までは8席ごとに通路があったため、舞台の芯の前は通路だったが、今度はその中央部分が10席の座席となったり、それやこれやで人のはけ方が多少変わったのだ。)しかしこれとて、座席が大きめになった、という改善の結果なのだから致し方のないところに違いない。三階席が、花道のスッポンが見えるようにしたために急勾配になったことは、前回書いたが、三階の観客からどういう声が上がるだろうか。

舞台の機能に関わる、ツケの音が少し重いような気がしたとか、照明の感じも少し変わったかな、というようなこともあるが、これについてはもうしばらく様子を見ることにしよう。

         ***

それにしても、このところのマスコミが何と熱心に報道してくれることだろう。経済効果が何十億とか試算した経済学者もいるらしい。もしこれが、松竹のPRだったなら、どうせ宣伝だろうと世間は高をくくるだろうが、マスコミが「報道」としてPRしてくれるのだから、その説得力たるや比較にならない。歌舞伎座は、いまやスカイツリーとはいわないが東京駅級の新名所となったわけで、なるほど、幕間にロビーから外を見ると、表に大勢の人だかりがして、上を見上げてスマホをかざしたりしている。

先月の顔寄せ・手打ち式が終わったのが二時半過ぎ、7時開演のシアタークリエまで時間があるのを利用して、三原橋の銀座シネパトスが閉館になるその最終企画で、銀座を舞台にした往年の映画特集を二月からやっていた最終の二本立て、どちらも成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』と『女が階段を上る時』を見た。昭和26年と35年の作で、なるほどこの10年間に銀座がいかに変貌したかがよくわかる。昭和26年といえば先代の歌舞伎座が建った年である。三原橋自体が、川が埋め立てられて名ばかりの橋になるという、いかにも「戦後」という時代を象徴するような存在であり、その半地下といういかにも半端な空間に、いかにも三流然とした映画館と、それに相応の飲み屋が並んでいるのも、そこだけ昭和三〇年代が取り残されているような不思議な一画だった。歌舞伎座のすぐ近くで、歌舞伎座と入れ違うように姿を消すのも、もののあわれを覚えずにはいられない。

もうひとつ、更にマイナーな話。我が家の筋向いに古くから営業していた銭湯が、これも三月末で廃業したのだが、その銭湯の建物が、戦前か、戦後としても間もないころに建ったと思われる、破風のついた瓦屋根という昔ながらの「様式」を保っていた。歌舞伎座なんて銭湯の親玉みたいなものだと言ったのは、たしか某都知事であったと思うが、何のことはない私は毎日、さながら歌舞伎座を何分の一かに縮小したような、歌舞伎座そっくりの屋根を眺めて、歌舞伎座不在の間も親しんできたのだった。屋根の反り具合といい、いまどきの大工や屋根屋には到底作れないであろうちょっとしたものだ。いずれ取り壊されるのであろうが、ここでも、歌舞伎座と入れ替わりに、ひとつのささやかな「歌舞伎座のような風景」が消えてゆくわけで、私はほんのちょっぴり、感傷を味わっている。

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さて、何と言っても舞台である。團十郎と勘三郎がいなくなって、歌舞伎の危機というしばらく忘れかけていた言葉がマスコミに踊った。みな一丸になって、と歌舞伎側は答えていた。そうでなくたって、今月のいま、張り切らない者などいないだろう。

事実どれも、なかなかのものである。一日で三部を通して見るのは最高峰級の峰から峰を伝って縦走するようなもの、と新聞に書いたが、現在持てる力を一杯に見せたものと言って間違いない。演目が発表になった当初は、あまり食指が動くメニューとも実は思わなかったが、見終わった今は、まず充分に堪能した。そう、一言でいうなら「堪能」というのが一番ぴったりだろう。

『熊谷陣屋』と『盛綱陣屋』が並ぶのも気が利かないような気がしていたが、それぞれ、これだけのものを見せてくれれば満足という他ない。吉右衛門と仁左衛門が、それぞれに主役をつとめ、要の役でつき合っている。その他の役々も、これだけ役者が揃えばやっぱり面白いなあということになる。

強いて優劣をつける必要もないようなものだが、『熊谷陣屋』の丸本物ならではの厚手な感触は得難いものだと思う。これぞ丸本時代物という実在感である。吉右衛門は、ある意味ですでに熊谷を越えてしまったというか、熊谷より役者が大きくなってしまったというか。だからマイナス的な要素があるとすれば、切実感というか痛切感というかは、この前の時の方があったような気もする。しかしそれをも蔽い尽くして余りあるのが、『熊谷陣屋』という一篇を構成している骨格の大きさを、これ以上は望めまいと思うほどに備えていることである。少なくとも、これほど大きな容量を持った熊谷を私は見たことがない。

玉三郎の相模というのは珍しいと言ってもいいし、菊之助の藤の方は初役だが、それぞれに、行き届いた丁寧な仕事ぶりでいい。更に感心したのは歌六の弥陀六で、年寄り役ということを必要以上に強調せず、それよりも平家の武人平宗清という本性を骨太に演じ出して見せる。仁左衛門の義経が扇の要の位置に立って、あとの4人が見事にシンメトリイを作る。なるほど、この一幕はこういう風に出来ている芝居なのだということが、これほど鮮やかに浮かび上がって見えたことはない。仁左衛門は、たとえば弥陀六を呼び止める際に四天王に目顔で命じるとか、花道へ行きかかる熊谷に敦盛の首を差出しながら自分も顔をそむけて泣いている心を見せるなど、随所に心を配った、おそらくは自身で考えた工夫の数々を見せる。ただ仁左衛門の柄からいっても、緋縅の鎧より、紫の鎧にした方がふさわしい義経のような気がする。

盛綱は、仁左衛門ははじめやや抑え気味のような印象を受けるが、最後の懸河の弁舌が見事で、それまで伏せられていたカードがすべて、有効なカードとして生きてくるのを見る趣きがある。抑え気味と見えたのはペース配分というより、芝居の運びへの配慮というべきだろう。吉右衛門の和田兵衛というのは四半世紀前に一度だけ(それも、当時の孝夫の盛綱で、というのは単なる偶然だろうか?)という珍しいものだが、こういう和田兵衛は初めて見た、と言いたくなるような、実在感と奥行のある人物になっている。はじめの、盛綱と謎の掛け合いのようなやりとりから、終局の、すべてを見通した上で肚を見せる人物としての奥行まで、仁左衛門の盛綱と見事に平仄があっている。『熊谷陣屋』といい『盛綱陣屋』といい、二人が主客入れ替わっての共演は、私にとっては今月随一の見ものだった。

加えて特筆すべきは芝雀の早瀬、時蔵の篝火のふたりの嫁同士で、肚を探りながら思い遣る心の働きが手に取るように見える。東蔵初役の微妙も併せ、三人の女たちが今月もうひとつの見ものである。まだ幼すぎるかと思った子役二人も大健闘だし、かなり足の具合が痛々しいが我当の時政というのはこの人の傑作のひとつだろう。

菊五郎の爛熟の極みの弁天小僧というのも、まさに大人の歌舞伎であって、これぞ菊五郎酒造醸造の特級酒のようなものだ。團十郎に代って吉右衛門が、これもごく若い頃にやったきりという日本駄右衛門をやっていて、頭巾を被った顔が白鸚さながらなのに驚く。見事に二階堂信濃守の重臣であり、同時にギャングの親玉の精悍さを併せ持っている。しかし今度の『五人男』で何よりウームと思ったのは、「勢揃い」でのツラネの見事さだった。普段、結構ぞろっぺいにやることもままあるのだが、五人が五人、黙阿弥の繰り出した言葉の綾を大切に謳っている。たとえば「人に情を掛川から金谷を掛けて宿々で」と息を切らずに言う。「忍ぶ姿も人の目に月影ヶ谷神輿ヶ嶽今日ぞ」と、これもひと息で言う。それだけで、どれだけ諧調に陰影と、うねりが増すことか。この辺が、こけら落しならではの気の入れ方か。

大分、長話になってしまった。この三つで代表することにさせてもらうが、他のどれどれも併せて、当代歌舞伎の実力を見せたというところ。助六が意休の前で香炉台を真っ二つに切って見せて「ちょっとしたってこんなものだ」と言う。何だかあれを思い出した。

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