随談第474回 今月の舞台から

勘三郎随想はひと休みして、今月の舞台から新聞評に書いたことへのプラスアルファ、もしくは余燼、落穂といったところを幾つか拾ってみよう。

プラスアルファというにはちと当てはまらないが、『石切梶原』の吉右衛門が圧巻だ。若い頃から飛び切り堂に入っていた役だが、こういう芝居を面白く見せるための条件をほとんど満足すべく備えている。梶原が何を考え、何をしようとしているか、セリフ、しぐさ、肚、すべてが鮮明に見えてくる。加えて、男も錆びたりと思うばかりの色気と愛嬌。義太夫狂言の醍醐味というのはこうした辺りにあるのであって、太い筆に墨をたっぷり含ませて一文字を書くような充実感といえばいいか。先月の熊谷もそうだったが、今の吉右衛門を見ていると、ある意味で役よりも役者の方が大きくなっているのを感じる。白鸚や松緑といえども、こういう豊かさはなかったのではるまいか。

熊谷梶原は言うも更として、先月の『盛綱』の和田兵衛に感服した。ああいう和田兵衛は初めて見たと思った。別に変った型をしたのではない。普通だと、盛綱役者につっかうほどの貫録のある立派な役者がつき合えばそれでよし、古怪な味でもあればなおよし、といったぐらいにしか考えないが、吉右衛門のを見ていると、あの役が何のためにああして始めと終わりに出てくるのかがくっきりと見えてくる。和田兵衛が冒頭かけた謎が、すべてが終わろうとする最後になってその意味を顕在させる。そのときの和田兵衛の大きさ。

そんなことは脚本を読めば判るではないかと言うなかれ。それこそが内実を伴った質実な存在感をもって「そこにある」ことの意味である。和田兵衛はたしかに盛綱の「知」に対する「剛」の役だが、「腹の切りよう早い早い」をはじめ盛綱の痛いところを突く「知」の言葉をたくさん持っている人物でもある。それを伴った上での、あの「古怪な」扮装なのだ。そこのところに気づかせてくれた和田兵衛だった。何度も見た芝居でありながら新たな発見のある芝居。生身の舞台を見る意味も、愉しみもそこにある。

期待した『京鹿子娘二人道成寺』だったが、そうして今度だって、初めて見た人なら充分に満足出来たであろうような出来栄えだったが、初演・再演の印象をもって見た目には、ちょっとオヤと思い、オヤオヤと思っている内に終わってしまった、といおうか。印象から言えば、全体にフラットになった感じがする。

振りが変っただろうか、と幾人かの人に訊くと、あゝ変わったという人と、変わってないよ、という人と両方ある。筋書の邦楽の連名を見ると、藤間勘世という知らない名前が載っている。たとえば手鞠をつくところで、玉三郎は手鞠をつきながらひとつところをぐるりと回るのを(つまりスピンだ。ただしきわめてゆっくりした)、菊之助は(まるでトラックを一周するかのように!)びっくりするほど大回りに回る。(一昨夏、被災地救援のためのチャリティ舞踊会で『浮かれ坊主』を踊った時に、100㍍の選手のような太腿の筋肉の発達ぶりに驚いたのを思い出す。)そういう部分に手を加えてあるのかもしれない。しかしそういうことよりも、前はもっと、ふたりの花子が、時に形影相添うかのごとく時に競い合うかのごとく、時に姉妹の如く時にレズビアンの如く、絡み合いもつれ合いする間に、その意味を見る者に問いかけてくるような、知的な興味も加わっためまぐるしいまでの面白さだったと思うのだが、今度は、ふつうの『二人道成寺』に近づいて、それぞれのパートを受け持って踊るという感が強い。フラットな印象、とはじめに言ったのはそういう意味である。

見るこちらの印象にもよるだろう。初演の時は、玉三郎がリードして菊之助が果敢に挑み、ときにふた太刀三太刀、したたかに切って玉三郎の小手からツッと赤い血の流れるのが糸の筋のように見え(たというのは、もちろん、こちらの錯覚であり妄想に違いなく)て、オッ、菊之助もなかなかのサムライだなとびっくりしながら更に目を凝らす、といったスリリングな面白さだった。再演では、二人のもつれ合いそのものの面白さだったが、今度は、もう踊りとしてはむしろ若い菊之助の方が優位に立つかに見えながら、芝居上手の玉三郎が折り目折り目でキマるごとに盛り返し、優位を渡すまいとする、そういう踊りに変わっている。火花の散るような芸のぶつかり合い、という感じは薄れている。

歌舞伎座の話題をもうひとつだけ、と限るとすれば、『廓文章』の終局近く、幇間の役で登場する千之助に驚いた。身体のキレ、身のこなしが子供とは思われない。することなすこと、堂に入っている。この少年、あるいは天才か?

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花形連が四人あつまった明治座では、勘九郎の『実盛物語』がお薦めだ。はじめはちょっと地味目に見えるが、演じ込んでゆく内に、若さゆえの華やぎが流露してくる。亡き勘三郎は実盛は一度きり演じていない。サービス沢山の実盛だったと覚えているが、勘三郎として特に挙げるほどのものとも思われない。これは、勘九郎の方が親勝りである。親父よりうまいと言っているのではない。芸の骨格が、勘九郎の方が丈高く、丸本物としてこの芝居にふさわしいものを持っている、という意味においてである。亀蔵が瀬尾で、不充分ながら平馬返りをしたり、好感度の高い舞台でもある。

染五郎が与三郎と『将軍江戸を去る』の慶喜で、どちらも悪いわけではないが、結局、いつもの染五郎という枠の中に納まってしまうようなのが物足りない。この人、とんでもない失敗もしない代わり、予測を超えてびっくりさせるといこともないのは、何故だろう。そういえば、愛之助についても同じことが言える。『鯉つかみ』であれだけ大奮闘しながら(それだけでもう充分だとほめてやってたっていいのだが)、結局は予定調和の如くに納まってしまう。少し厳しい言い方をすれば、何の役をしても、結局はいつもの染五郎、いつもの愛之助に終わってしまう。二人とも、頭が良すぎるのかもしれない。級長さんはどんなにバカをやっても結局は級長さんであることから逃れられないように。染五郎がテレビでやっている孝明天皇なんて、ちょっとしたものなのだが。

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前進座が恒例の国立劇場公演で『御浜御殿』と『一本刀土俵入』と新歌舞伎の二本立てという企画は悪くない。どちらも前進座としては松竹歌舞伎にはないミソがある狂言で、ある意味、これが駄目なら前進座としてはちと面目を失うことにもなりかねない。

『御浜御殿』は前進座ならではの原作尊重で、たとえば綱豊と助右衛門のやり取りで松竹歌舞伎が慣習的にカットしているセリフをきちんと言ったり、前進座らしい良さも随所にありながら、どうも感触がふにゃりとしているのは、綱豊の圭史がセリフがところどころ怪しかったり、やや持て余し気味に見えるためでもあろうか。(それにつけても豊島屋の代々には、根っからの和事師の血が流れているのだなあ。)

助右衛門が「御座の間」へ案内されて行く途中、庭を歩いてゆくようにしたり、大詰の立ち回りも道具を回したり花道まで来て切り結んだり、前進座にしては贅沢な舞台面が続くが、却って緊迫感が損なわれるきらいもある。案内役の小谷甚内の役を梅之助が特別出演風にやっていて、腰の物を預かったりすると(もっともこのセリフは原作にあるのだが)、それならあの槍を助右衛門はどこから持ち出したのだろう?などと、変痴気論みたいなことを考えたくなる。この辺が、凝っては思案にあたわずというところ。「上の巻」のお浜遊びで、座の女優たちが一生懸命「道中事」を勤めるのを見ていると、あゝ前進座だなァとつくづく思ったりする。

そうした中、芳三郎の助右衛門はがなかなかいい。肩を怒らして武骨者らしさを見せる工夫など、ちょっぴり八代目三津五郎を思い出した。柄としては、同じ三津五郎でも九代目に通じ合う。

『一本刀土俵入』は座の財産演目を矢之輔が引き継いだお披露目という感もある。お蔦が茂兵衛を思い出すのが、茂兵衛が波一里の子分に出合い頭に頭突きを喰らわすのを見てではなく、茂兵衛が外へ出ようとする前に、意気込んで相撲の仕切りの形になるのを見て「ア、思い出した」と言うと、茂兵衛はすっと外へ出て戸を閉め天秤棒を前へ置き、手をついて深々と頭を下げる。翫右衛門以来のいわば「前進座の型」だが、矢之輔の息もよく、今度もなかなか印象的だった。

筋書に矢之輔が伊勢ノ海部屋訪問記を書いているが、招待でもされたのか、夏場所の初日を翌日に控えた勢が見に来ていたのは、良き光景だった。

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河竹登志夫さんが亡くなった。現代に生きる長者の風格が見事な人だった。親しくしていただいたのは二〇年に満たない間のことでしかないが、包容力の大きさを常に思わせられた。その死は予期せぬことだったが、新しい歌舞伎座の開場を待って逝ったかのようなタイミングは、さまざまなことを思わずにいられない。

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