随談第596回 五月のいろいろ

各種の締め切りが次々と行く手に立ち現れて更新が随分間遠になってしまった。舞台のことは新聞評でお許し願うこととして、訃報やら世上の噂から、いつもの二、三回分をまとめた簡略版でお許し願うことにしたい。

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とは言え、舞台のことにまったくのノー・コメントというわけにも行くまいから、新聞評に言い残したことを幾つか。

まず坂東家の三代4人の襲名だが、これだけ余分なデコレーションのない襲名というのも、何だかずいぶん久しぶりだったような気がする。新・楽善はこれで五つ目の名前を名乗ることとなったわけで、私としてもその五つの名前のそれぞれの時の思い出を持つことになる。やはり、亀三郎から薪水になった頃のことが一番なつかしいが、今更、病気のことを言うのも却って失礼だろうから、ただ、それ以来のこの人の越し方を見てきた一人として、さまざまな思い無きを得ないとだけ、書いておこう。大庭と朝比奈と、襲名の二役では取り分け、朝比奈に深く熟したものがあったのが一入の感慨だった。これだけの朝比奈は、当節、他に求めことは出来まい。熟成度に於いて、父の十七世羽左衛門を抜いていると思う。

新・彦三郎については、規矩整った挙措、高く伸びやかな声、わけても後者は坂東家の芸風に新たな境地を拓くもの、と新聞に書いた通りである。今後この人を、周りがどういう風に遇してゆくかにも、どれだけ大きな花を咲かせることが出来るかが関わっている。同時に、彦三郎自身にも、祖父もおそらくそうであったであろうように、立場上脇の役をつとめることも多かろうが、単なる脇役者ではない、高い志を持ち続けてほしいと思う。

新亀蔵は俣野に近江、それに四変化の神功皇后に善玉、通人に『石橋』の獅子の4役で、俣野の荒若衆がベリベリした中にも行儀のよい芸であるところに、祖父以来三代につながる坂東の家の家風が偲ばれる。ただ一つの意外な疑問は、これだけの俣野でありながら、目が(うまい表現が見つからないが)な、言うなら俣野でなく亀蔵の目のままであるように思われたのだが、どうだろうか?

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菊五郎の魚宗に感服した。先頃の『四千両』と言い、昨秋の勘平と言い、何度もやった役を今までと違えたわけでもないのに、この冴えは、作って作らず、自ずから神に入る境地と考える他はない。この人の越し方も、新・楽善と同じくらい見てきたわけだが、先の辰之助と三人、同時襲名した昭和40年5月の六代目十七回忌の折の歌舞伎座を挟んで、前年10月、東京オリンピックのさなか東横ホールでの若手だけの『忠臣蔵』通しと、同時襲名の翌月の東横ホールの、薪水の『石切梶原』、菊之助の弁天小僧、辰之助の『土蜘』というのが、夢のまた夢のように、しかし確かな手ごたえを以て、三者それぞれの原質を見た記憶として私の中で像を結んでいる。

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新彦三郎の坊やが六代目亀三郎として立派な初舞台ぶりを見せた一方で、同時に初目見得の寺島真秀(まほろ、と読むのだそうな)坊やの方にテレビの報道が集中してしまう。マスコミ、とりわけテレビというもののオソロシサ、残酷さを思わない訳に行かない。

もっとも、『魚宗』にお使い物の酒樽を届けに来る酒屋の小僧を勤めた真秀少年があっぱれの舞台ぶりであったことは、もちろんそれとは別の話である。先に言った昭和40年5月の六代目菊五郎十七回忌に二代目松緑がやはり『魚宗』を出して、この酒屋の小僧の役をしたのが八十助、つまり十代目三津五郎だったのだから、今は昔の夢には違いない。

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5月中に聞いた訃報といえば、月丘夢路に日下武史ということになるが、昭和29年6月に日活が映画製作を再開して、各社からスター、非スターを問わず俳優が移籍した中で、松竹からは北原三枝とか三橋達也とか大坂志郎とか相当の顔ぶれが揃った中で、月丘夢路がトップスターだった。井上靖の新聞小説の映画化『あした来る人』とか『銀座二十四帖』とか、川島雄三監督のものがなかなか悪くなかった。(川島監督の方も、日活に移ってからの方が、今なお傑作の誉れ高い『幕末太陽伝』とか『洲崎パラダイス』とか、このころが一番瑞々しかったが、これには月丘は出ていない。)そうこうしている内に石原裕次郎が出現して、『鷲と鷹』という発端の数分を除いては全場面船の上という一風変わった映画で、(ついでだが、裕次郎のアクション物ではこの作を以て私は最上とする。主題歌が実にいい)父親の仇を討つために貨物船に乗り込んだ裕次郎を追って密航者としてもぐり込んだあばずれ役をしたのが、当時の月丘としては変った役だったのと、『素晴しき男性』というミュージカル仕立ての作で姉の役で出たのがあった。どちらも井上梅次監督で、この後『嵐を呼ぶ男』だの何だの、裕次郎ものの定番が確立するその前夜の作で、『鷲と鷹』では月丘が愛人役だが、『素晴しき男性』では北原三枝が恋人役になる。つまりこの辺に、分水嶺があったわけだろう。

松竹時代は、誰でも知っているのは小津作品『晩春』の原節子の友人役だが、昭和28年から年に一作づつ、秋の大作として後の白鸚の八代目幸四郎を迎えて時代劇の大作を撮ることになった、その第一作の『花の生涯』でも儲け役を演じ、第二作の『忠臣蔵』では幸四郎の内蔵助に瑶泉院をつとめたり(映画の瑶泉院として、私の見た中で最上位としたい)、高田浩吉の『伝七捕物帳』シリーズで女房お俊というのも懐かしい。むしろこれが一番よかったかもしれない。この役は、三作撮ったところで日活に移籍したので、草笛光子が二代目お俊をつとめることになるが、月丘の方は日活に移ってから『おしゅん捕物帳』という、当時の娯楽時代劇としては珍しい女優が主演の捕物帳を撮っている。以て、いかに人気があったか分かるであろう。晩年、もう画面からも舞台からも遠ざかって大分たってから、一度だけ、演目は覚えていないが、帝劇だったか芸術座だったかに姿を見せたことがあったが、あれは忘れてしまった方がよかったかもしれない。それにしても、死亡の報は新聞でもまずまずの扱いをしてくれたのは何よりだった。妹に、月丘千秋という、整っているという意味では姉よりもオーソドックスな美人だった女優がいて、随分いろいろな作品に出ていた筈だが、遂にこれという決定打を放つことなく終わってしまった。ある意味では姉よりこちらの方が、いまとなっては懐かしい感じもする。(まだ健在だろうか? いや、大分前に訃報を聞いたような気もするが・・・)

マスコミの扱いというなら、日下武史の訃報の記事には、しばらく現役から離れているとこういうことになるのか、という典型を見る思いである。あれだけ、いわゆるマスコミ露出度も高かった往時を知る者はまだまだ少なくない筈だが、マスコミの現場の第一線にはもういないということか。私にとっては、昭和38年に日生劇場が出来て、劇団「四季」と、文学座から脱退組が結成した「雲」とが、自分たちの公演を交互に行なったり、十七代目勘三郎が『リチャード三世』をした時は、四季・雲双方から出演したり、といった頃が懐かしい。藤野節子がアヌイの『ひばり』でジャンヌダルクをした時に、けん玉を発明したというフランス王の役で、けん玉をしながらセリフを言うのだが一向に上手くいかない。『どんつく』の太神楽とは違うのだからけん玉が下手でもいいようなものだが、あゝやっぱり新劇だなあ、と妙なところで思ったのを思い出す。

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東京場所であるにもかかわらず、夏場所は遂に国技館に足を運ぶことがなかった。前売り1時間半で全席完売になり、窓口を開く前に販売打ち切りとなったからだ。相撲人気が上げ潮のところへ稀勢の里人気が加速させたからだが、今後は窓口での前売りはしないという。不祥事続きで人気低迷の時にも変わらぬ熱心さで窓口に並んだのは誰だと思う、などとボヤいても、今後はネット販売を全国展開します、という大義名分の前には聞く耳など持って貰えそうにない。

歌舞伎座でも、かつては、前売り発売日に行列の中に並んで、窓口に辿り着くと、香盤といって、厚さ数ミリはあろうかというボードに座席表を書いたものが、25日分、高々と積み上げてある。たとえば何日の昼の部の三階A席、という具合に注文すると、積み上げた山の中からその日の分を抜き出して見せてくれる。ここ、と指さすと、前売り係のオネエサンが色鉛筆で一席一席、売れた席を消して行く。前売りというと、ついこういう光景が思い浮かんでしまう。

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稀勢の里の途中休場というのは、こういうことになりゃしないかな、というかねがね抱いていた危惧が、やっぱり、という現実となって現れたというのが率直な印象である。だって、先場所13日目の、怪我をしたときのあの様子を見れば、ただごとではないことは素人目にもわかる。いや、こういうことは素人の直感の方がえてして当たっているものなのだ。こうなったら、かつての千代の富士がそうであったように、まずきちんと治すべきものは治すべし。それ以外はない。

しかし、弟弟子の高安の活躍が兄弟弟子の美談を生み、大関昇進という快挙を生んだのだから、相撲界の上げ潮ぶりは、弱り目に祟り目だった数年前のマイナス札が全部プラス札にひっくり返ったようなものだ。高安の新大関ぶりもなかなかいいし、結構なことである。切符が簡単に手に入り難くなってしまったことを除いては。

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アキレス腱断絶で十両に下がって、今場所も六日目に2勝4敗になったときにはどうなることかと思った安美錦が、その後挽回してなんと千秋楽に優勝を争うことになった。一度は行司の軍配をもらったのが、物言い取り直しになって負けとなり、フイになったのは余儀ないこととは言え、最高齢十両優勝というレジェンドになりそこなったのは、逃した魚は思いの外に大きかったかもしれない。白鵬復活優勝の陰のちょいとしたグッドニュースとして、社会的にも良き話題になり得たであろうに。

やはりアキレス腱断絶で再起後もはかばかしい成績をあげられず幕下中軸にまで下がってしまった豊ノ島の方は、放送を気を付けて聞いていても戦績を報道してもらえない。特別扱いをしないという方針があるのかもしれないが、あれだけの力士の戦績や現況を知りたいと気にかけている相撲愛好者は少なくない筈だ。時には話題にかけて然るべきではないか。 

テレビの中継放送が始まるのは十両の取組みの中程からで、それまではBSの中継を見るわけだが、十両の取組みは前日に発表になり新聞にも載るから出番の時刻の見当もつき、対応ができるが、幕下以下のこととなると普通には分からない。それにそんなに早い時間からテレビに噛り付いているわけにもいかない。

もうひとつ、BSから地上波に切り替わるとき、あと30秒で地上波の放送に変わります、などと画面に予告は出るのだが、時刻になると取組み中でも構わず、機械的に切り替えてしまうのは、いかにも心無いわざではなかろうか。
       

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