随談第498回 今月の舞台から

歌舞伎座の杮落し公演が早や三月目になる。「3」という数は多数を表わすというが、なるほど、何事も三回目となると、いつもの××、といった感覚が生まれ始める。たとえば玄関を入ったらまず右手へ折れて、地下一階へ階段を下りてロッカーに荷物を預け、それから手洗いに入って身を整える、という行動パターンが私の場合出来つつある。上手奥に出来た喫茶室で働く人たちも、四月のときはもう気の毒になるほどの不慣れの様子だったが、三月目ともなるとそれなりの習熟の気配を見せ始めている。注文がちゃんと通っているのだろうかと心配になったりすることも、やがては、しないですむようになるであろう。(そうでなくては大変だけどね。)

ロビーを歩くのが、まだ慣れない。どこがどう通じているか、おおよそ頭に入ってはいるのだが、まだまだ勝手知ったる我が家の庭のようなわけには行かない。三階席を覗いてみると、出入り口の付き方が大きく変わり、従来は三階のロビーの平面がそのまま三階席の最前列の床面につながっていたのが、今度は、ロビーから中に入ると三階席の中腹辺りに入ることになり、ちょいと面食らう。勾配が急になった分、舞台との距離感に微妙な差異があるような気がする。

三階についてもうひとつ。女性用の手洗いに行列が出来た時に、ちょっと人目にさらされるような感じになって具合が悪いという声を女性の知人から聞いた。ここらは、設計者が男性であるが故の盲点か。それと、これは全フロアに関わることだが、ロビーにベンチがないのは,座りたければ自分の席に戻るしかないわけで、これはやはり、ちょっと具合が悪い。エスカレーターを設けたためその分スペースが足りなくなった、一方を立てれば一方が立てられなくなった帰結なのだが・・・

音響についても、やはり席によっていろいろな意見が出ているようだ。一階席の座席の高さと舞台の高さのバランスも、席によって微妙に違うらしい。まあ、すべてに完璧ということは不可能なことで、ああだこうだ言い合うのも賑わいの内だともいえる。

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さて舞台だが、最初の月のような客席が固唾を飲んで開幕の瞬間を見守ったような雰囲気は大分薄れて、よく言えばそれこそが落着きでありゆとりであり、安定感というものだが、舞台にもそれは、おのずから反映しないわけにはいかない。

開幕劇は、もう鶴だの亀だのの出てくるような祝典曲ではなく、橋之助の不破に勘九郎の山三、それに魁春が留女という『鞘当』である。勘九郎がもうすっかり、自分というものを自分の手にしっかりと捉えた大人の役者に成長しているのに目を見張る。橋之助も立派なマスクが生きて結構だが、但しこの不破、顔が白過ぎないか。もっとベリッと猛々しくないと、それでなくともハンサムな橋之助だから、のっぺり伴左衛門になってしまう。二枚目役者だ、という意識が白粉の分量をつい多めにさせるのか?

三津五郎の『喜撰』が大結構。こういうものを見ると、大和屋四代ほど一貫した芸の風を感じさせる家も珍しいとつくづく思う。古格を守り、楷書で書いて、やがてそれが深まり、とろりと芳醇な味わいに熟成してゆき、やがて七代目のごとく自在の芸境に達する。そういうことを可能にするのは三津五郎代々だけであろう。当代は、襲名の時にまず楷書できちんと踊り、十三年後のいま、ようやく柔らかにほどけ始めている。十年後には更に深い味になっているに違いない。そういうことを、見るわれわれも共に年齢を重ねながら味わってゆくという楽しみ方。完塾した時だけが正しくて、それまでは未熟だというのではない。その時々を、われわれの方も熟してゆきながら、味わい、親しんでゆくのだ。こういう楽しみ方こそ、まさに人生そのものを楽しむことと重なり合う。時蔵のお梶がまた素敵である。独特の硬質の色気がこの役、この踊りにまことにつきづきしい。すなわちこの『喜撰』が今月の白眉であり、お奨めである。

吉右衛門の『俊寛』は、四月の熊谷、五月の梶原もそうであった如く、どこを突出させるのではない、円環のごとく全き芸になっている。だからどこを捉えてどう評するということが難しい。ただ先月先々月に比べ、こころなしか燃焼度がやや低い気がするのは、これもまた三カ月目ということのなせるわざか。この三カ月、團十郎に代ってつとめた役も含めると、吉右衛門が一番負担が多かったのではあるまいか。

それで思うのだが、吉右衛門に限らず、菊五郎にせよ幸四郎にせよあるいは仁左衛門にせよ、こけら落しの三カ月がすんだら、ひと月二た月、休ませてやりたい。ひと月二十八日間興行というのも、疲労を蓄積するだろう。勘三郎が亡くなった時、誰かが、これは過労死だと言ったが、猿翁の倒れたのにしても、自ら求めて働いたにせよ、身体を酷使したことは間違いないのだ。菊五郎の土蜘が四天王との立ち回りで、片足立ちで花道から本舞台へと跳んでくるという矍鑠たる処を見せたが(嗚呼、菊五郎に「矍鑠」などという言葉を使おうとは!)、まずこれは芸の意地ひとつでしたことだろう。

仁左衛門など、丹左衛門といい工藤といい、もちろんいいものに違いはないが、やはり疲れているのを感じる。くれぐれも大切にしてもらいたいと切に思う。『対面』の冒頭の部分、幕が落ちると工藤が二重の上に立ち身でいて、それから下に降りて「高座御免」を言ってから高座に座るという演出は、十三代目が晩年、身体をいとって工夫した仕方らしいが、ちょっと落ち着かない気がした。冒頭いきなり大薩摩が始まるのも違和感を拭えない。

『俊寛』は大顔合わせといっていいが、『対面』は海老蔵の五郎、菊之助の十郎以下、芝雀の虎はともかく、孝太郎の舞鶴、七之助の少将から大名たちに至るまで、配役が大幅に若くなっている。『土蜘』の四天王や間狂言の面々にしても、『助六』の並び傾城など壱太郎が先頭なのだからその若いこと若いこと。まさに近未来図だ。

もっとも、齢を取るのは悪いことばかりではない。左団次など、瀬尾にせよ意休にせよ、何度やったか知れない役だが、一種飄々とした趣きが現われて、する仕事に変りがあるわけではないが、なかなか風情があって素敵である。東蔵の満江にしても、あの小柄な人が、海老蔵と菊五郎の五郎十郎を従えたところの実に立派なこと。四月の『盛綱』の微妙にせよ、田之助が膝の故障で出ない今(東蔵がどうのこうのでなく、満江をこの人で見たいという思いも別にあるけれど)、こうした役はこの人のものになった。蓄積された実力を、いまこそ、十全に発揮できる時を迎えたのである。

さて海老蔵だが、『対面』といい『助六』といい、これはどうしたことなのだろう? どう言えば、どう考えればいいのだろう? これが、かつてのあの、輝いていた海老蔵だろうか? 痩せて頬がこけたということもあるかも知れないが、そんなことは本質的なことではない。セリフの難のどうのこうのも、もちろんあれでいいわけではないが、いま始まったことではない。あんなに、自らも暗く、且つ、暗い翳に包まれたような五郎や助六が、いや海老蔵が、あるだろうか? 剥き身に取った紅隈がどす黒く見える。あの五郎は、工藤への復讐の念に燃える怨念の虜なのだろうか?

たしかに、海老蔵は一種の凄みを秘めた役者である。父十二代目より祖父十一代目に近いと目されるのも、容姿や風貌以上に、その点に最も根源的な理由がある。(犬丸治氏はそれを「怒気」と言い当てた。)助六にせよ『暫』の権五郎にせよ、その凄みが現人神の怒りという、荒事の本質に通じ、われわれは海老蔵を通じて、助六や鎌倉権五郎が、いまわれわれの目の前に、手を伸ばせば届きそうな、まさに「そこ」にいるような実感を味わったのだった。セリフが浮き上がろうと、多少の難があろうと、これぞ荒事だと実感したのだった。それもこれも、あの輝きに包まれていたればこそである。

あの海老蔵はどこへ行ってしまったのだろうか。率直に言おう。助六の出端の約20分間、私は暗然たる思いで見つめていた。本舞台に行って「芝居」が始まってからは、少しずつ、生気を取り戻すかのように尻上がりに良くなっていったので、少し愁眉を開いたけれど。一方菊之助は十郎も福山のかつぎも共に、自分の成長してゆくペースを知る者の、すくすくと伸びてゆくすこやかさが感じられるのが快かった。しかし何と言っても、海老蔵と菊之助と二枚揃ってこそ、歌舞伎の将来の展望は大きく開けるのだ。海老蔵をいま惑わせているものの正体は何なのだろう? 海老蔵は私が将来を最も期待する花形役者である。このままでは困る。本当に困る。

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国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で『紅葉狩』のような舞踊を演目に選んだのは初めてのことかもしれない。しかし考えてみれば、全山紅葉のキレイキレイの舞台面といい、お姫様が出てきたり、衣装がぶっ返ると隈取の妖怪だったり、毛ぶりがあったり、その他その他、初心の客が何とはなしに抱いている歌舞伎イメージが満載なわけで、ストーリーは見ていれば誰にだってわかるし、これほど初心者向けの演目も少ないかもしれない。問題は、姫の踊りが長いので、あそこで睡魔に襲わせないためにはどうするか、ということぐらいか。(惟茂も、右源太左源太も眠ってしまうのだから、高校生が眠るのも無理はない、か?)

解説が十九歳の隼人と十五歳の虎之介というのは、高校生の集団をどよめかせるには充分だった。内容もよく工夫されていた。むかし、菊蔵だの半四郎だのがやっていた頃とは隔世の感がある。菊蔵のは教頭先生がみずから丁寧に教えて下さるみたいだったが、半四郎は、騒がしい生徒がいると舞台の上から叱りつけたりしていたっけ。虎之介は山神もよく踊ったし、二人には敢闘賞をやっていい。

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このところ三越劇場を本拠のようにして着実に得点を重ねてきた新派が、今月は『金色夜叉』を出したので注目したが、今度ばかりはちと躓いた。考えてみれば、新派古典としての『金色夜叉』はもう疾うに、時代の流れの中で役目を果たし終わっている。せいぜい昭和30~40年代まで、と見るのがいいところだろう。(森雅之が新派に入って寛一をやったりしたのは、もう少し後だったか。吉右衛門の間寛一というのも見ている。昭和50年頃だったか。森雅之なり吉右衛門なりの演技としての興味は別として、芝居としては、時すでに遅しという感は否めなかった。)『婦系図』とはそこが違うのだ。そのことをどこまで見極めての、今度の公演だったろう?

今度の脚本は昭和56年に文学座が上演した宮本研による新版である。新派としても夙に昭和58年に国立劇場公演でトライしているとはいえ、宮本版『金色夜叉』は新劇の脚本であり、杉村春子に赤樫満枝をさせるのが新解釈で、「とり源」の場で新内をよそ事浄瑠璃として聞かせるような、杉村流新派芸を見せる遊びの要素もあるものの(今度もその場面は当代八重子の満枝で面白く見せている)、しかし本質は『美しきものの伝説』の姉妹編であり、「新劇」の脚本である。もちろん、新派が新劇の脚本をやったって悪いわけではない。しかしそれならそれで対応の仕方がある。

文学座の所演では二宮さよ子がお宮を演じた。お宮が何故、寛一ではなく富山を夫として選んだのか、が宮本研の解釈の急所だが、しかし脚本にはそのことは敢えて明確には書いていない。このお宮が富山のプロポーズを受けたのは、むかしの新派古典の脚本で間寛一からののしられたように「ダイヤモンドに目が眩んだ」からではない。では何か? お宮自身にもそれは答えられない。「夢を見ているようだった」と後になってから述懐するのが精一杯の、明治という時代の乙女の、人生に対する夢のなせるわざである。つまりこの脚本のこの役は、若手の女優がするべき役であって、ベテランの大女優が「芸」で見せるような役ではない。たしかに58年の国立劇場では久里子お宮をやっている。しかしそれから30年後の今度も久里子に、と考えたところに誤算があった。このお宮は、八十翁の名女形もつとめる八重垣姫とは違う。

今度なら、お宮は瀬戸摩純だろう。久里子はむしろ、お宮の母に回るべきだった。こんどの高橋よしこも悪くないが、久里子がこういう役で新境地を開いたら面白かったろう。それとも、やはり「劇団新派」として八重子・久里子の二枚看板で売ろうというのなら、新規に、ふたりの「芸で見せる」のにふさわしい脚本を作るべきだった。

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新橋演舞場に五年ぶりで舟木一夫公演がかかった。前にも書いたが、私はこの公演のひそかなファンである。何と言っても、ファンが次々と手渡す花束やプレゼントを受け取りながらヒットナンバーを歌うのが見ものであり聞きものだが、芝居でも、野口雨情だの竹久夢二だの、大正の文化人の役をさせると、現在の各ジャンルを見渡してもちょっとない、いい持ち味を見せるのだ。(若い頃、川口松太郎や先代八重子から新派に入るよう勧められたという話さえあった筈だ。)

今度は里見浩太朗をゲストに『花の生涯』の長野主膳というやや物々しい時代劇だったが、それでも、セリフの緩急や身のこなしなどに、昔の時代劇俳優が身につけていた「時代と世話」の使い分けを心得た演技をするので、気持ちがいい。長谷川一夫でも千恵蔵・右太衛門でも、萬屋錦之介でも大川橋蔵でも、つまりそれが、歌舞伎で修行をした役者としての「教養」だったのだ。ちょっと大風呂敷を広げて演劇史的に見るなら、いま急速に終りを告げようとしている商業演劇としての時代劇という観点から見ても、間接的にせよそうした時代劇俳優の演技伝承の流れを汲んだ舟木あたりが、時代劇の俳優としての「教養」を身につけている最後の役者ともいえるわけだ。(演技の味付けに、いわゆる歌手芝居独特の調味料が加えられているのは是非ないとしても。)

もうひとつ、筋書に水落潔さんが書いている文章に、昭和28年に初代猿翁が演じて以来の『花の生涯』の劇化上演とテレビドラマについて簡単に触れられているが、映画のことが触れていないので蛇足を加えさせてもらうと、劇化と同じ昭和28年秋に、松竹で映画化されている。当時として、かなり力を入れた大作だった。八代目幸四郎の直弼、淡島千景の山村たか、高田浩吉の長野主膳という配役だったが、のちの白鸚にとってはこれが最初の映画出演だったということもあるので、忘れられないために書き留めておきたい。

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