随談第496回 今月の話題 (修正版)

オリンピックの開催地がとうとう東京に決まったというので、世を挙げて唖然とするばかりのはしゃぎようである。ついこの間まで、笛吹けど踊らず、支持率がなかなか上らなかったのが嘘のようだ。オリンピックそのものは嫌ではない。やるのはいいが、あのAさんが得意げにはしゃぐ姿などというものは、あまり見たくない光景である。あの言い出しっぺのIさんが、宿願が実現したというのに一向にテレビの画面に現れないのも不思議だ。(別に見たいわけではないが。)これから7年の間に汚染水はどれだけ流れ出すのだろう。除染した土を入れたビニール袋はぼろぼろにならないのだろうか。それにしても、IOCの委員という人たちというのも、不思議な人たちではある。(もう一度それにしてもだが、グレース・ケリーの倅があの質問者の中にいたとは知らなかった!)

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イチローだ、楽天の田中だ、バレンティンだと、それぞれの選手がそれぞれの記録を打ち立てたのはそれぞれに慶賀すべきことだが、バレンティンの場合、あれがもう10年か20年前だったらどうだったろう? まさか20何試合も敬遠ばかりというわけにも行くまいから、その意味からもバレンティンの実力は評価されて然るべきかもしれない。残り試合が20試合もあったなら、あの記録はローズやカブレラどころか、疾うの昔にバースが破っていたかもしれないわけだ。敵味方を問わずバレンティンに声援を送るスタンドの観衆を見ていると、時代がそれだけ成熟したかとも思えるが、オリンピックの開催地決定に歓声を送るのと、どういう風につながり、どういう風につながらないのだろうか?

それはそれとして、田中の連勝記録を伝える報道の中で、かつての連勝記録として稲尾と並んで松田清の名前が出てきたのは、当然のこととはいえ、一種の感慨があった。およそ、あれだけの記録を残していながら、これほど話題にもならない選手もあまりないだろう。同時期の巨人の若手投手として、先ごろ亡くなった大友工などに比べても印象が薄いのは、めざましかったのが19連勝という記録を残した一年だけのことだったからか。いずれにしても、60年の余も経ってから、リストの上だけにせよ名前が出るのは、記録の余光というべきだろう。

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さて今月の舞台だが、三津五郎が休演となって、『御浜御殿』の綱豊卿を橋之助がするのに注目したのだが、何ともこれが妙なものだった。仁はよし、気合はよし、機嫌もよし、ファンから見たら何とも恰好いいだろう。いやファンといわずとも、私から見たって、これほど舞台が綺麗で、役者ぶりがいい役者というものはそうあるものではない。現に今月の『男女道成寺』の幕切れ、笑みを湛えたいい顔をして幕を切る役者ぶりなどというものは、21世紀の今日に見ることが出来るだけでも、ちょっとした奇跡のようなものだ。役者歴から言ったって、染五郎だ、海老蔵だ菊之助だという前に、橋之助の時代というものがあるべきだと思っている。

だがどうも、いま言った、役者ぶりが良くて舞台が綺麗だといったことが、時として裏目に出ることがある。『御浜御殿』の綱豊卿などというのは、その陥穽にはまりやすい役の最たるものかも知れない。何と言っても格好いいし、役者冥利に尽きる役だろう。橋之助を見ていると、気を入れてつとめているのが如実に伝わってくる。嬉しそうに、機嫌よく、セリフを大時代に謳い上げ、緩急自在、冨森を翻弄する。イヨ、ナリコマヤ、である。だが、青果劇とはあゝいうものなのだろうか? ああいうものだったろうか? 橋之助のあれは、真山青果の新歌舞伎作品『元禄忠臣蔵』の徳川綱豊ならぬ、何かの時代物狂言の殿様ではないだろうか? 同じ赤穂贔屓、大石贔屓の君主でも、綱豊卿は松浦の殿様とは違わなければならない。

橋之助を見ながらつくづく思ったのは、富十郎の綱豊というものを見ておきたかったということだった。実際には、富十郎はいつも富森ばかりで綱豊は一度もやっていない。にも拘らず私は、橋之助を見ながら橋之助の向こうに富十郎の綱豊を見ていた。いや、聞いていた。××だぁ、と詠嘆調に流れることなく、××だっ、と短く言い切りながら、情感が稲妻のように走り去るような、あの、たっぷりとした、それでいながら引き締まったセリフ。そうして更にその向こうには寿海がいる。寿海の声が聞こえる。

富十郎の富森が相手にした綱豊は、勘彌であり現・仁左衛門だった。それほど遠い昔ではない。吉右衛門の綱豊を見たのはついこの間である。そこまでは、ともかくも、寿海以来のひとつのものでつながっていたと思う。三津五郎の綱豊に期待していたのも、それ故だった。

はっきり言おう。橋之助は私の贔屓役者のひとりである。好漢、どうか私の言わんとするところを汲んで、しばし思いを致してはくれないだろうか?

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幸四郎の『不知火検校』が好評のようだ。目に触れただけでも、朝日がほめ東京新聞がほめ、「週刊新潮」で福田和也氏までが絶賛している。私もそれに異を唱える気はない。昼の部の『河内山』に比べても、詰屈としたところがなく、やはりこの人は新作に秀でている人なのだと改めて思う。乗ってやっている感じもいい。だからこれから書くのは、『不知火検校』評というより、36年前の十七代目勘三郎所演を見ている者としての感慨のようなものだ。

十七代目という人は、開場間もなかった当時の日生劇場で『リチャード三世』をやった時、誰だったかが、あれはリチャード三世ならぬリチャードの三公だ、と陰口をきいたという話があるが、やはり何と言っても、柄といい芸質といい、いかに兼ねる役者とはいっても、本領は世話物役者としてあった人だったから、不知火検校などをさせると、その変幻自在ぶりが緩急よろしきを得て面白かったのを覚えている。今度魁春がやっている旗本の奥方の役はまだ三十にもならない若き日の玉三郎だったが、それを一杯はめる具合など、それは面白うござんしたと言いたくなるようなものだった。要するに軽妙な世話狂言の新作としての一佳作だった。

こんど幸四郎が手掛けようとするにつけて、自分の柄や芸風を考えて、脚本や演出を身に添うように改めたのは賢明なことだが、そうなると、いい悪いではなく、世話味が後退して時代味が勝ってくるのは、やむを得ないというより当然と考えるべきだろう。ただ、もともと作者が世話物として書いたものだから、ピカレスクとしてのスケールが前面に出てくる半面、その割にはやっている悪事が小味なのが気になってくる。そこで御金蔵を奪うという話が取ってつけられるわけだが、そこのところがどうもぎくしゃくして芝居がもたれることになり、第二幕以降は痛快さが減点になる。魁春の奥方が恨みを晴らそうという場面も、余計なものを取ってつけた感じだ。原作に手を加えることは構わないが、その手際がよくない。大詰、左団次がやっている検校捕縛に来る役人が寺社奉行となっているのは、下手人が御金蔵を奪った、しかも検校という身分だからというわけだろうが、勘三郎の時は同心か何かで、幕切れもあんな持って回ったものではなかったにもかかわらず、例の啖呵も鮮やかな印象を残したのを思い出す。(もっとも原作者も、初演後に出した「宇野信夫戯曲選集」では同心だが、後に出した「自選世話物集」という一冊本では寺社奉行に直している。検校逮捕には奉行がじきじきに出張らないと、というわけだろうか。)

せっかくの快調の滑り出しが、勿体をつけたために失速してしまったのは、幸四郎がしばらく前に国立劇場でやった『人間豹』を連想させる。惜しむべし。もうひとつ、場内が終始薄暗く、幕間も明るくならないのは鬱陶しい。配役を確かめようにも読むことも出来ない。特に暗くする必要がある場以外は、もう少し明るくして頂きたい。長時間暗い中に置いておかれる身になってもらいたい。

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歌舞伎座の花形一座の『新薄雪物語』は想定外の上出来だった。序幕の「花見」はともかく「詮議」から「合腹」まで、あそこまでやれたのは天晴れというべきである。正直なところ、一番危惧していたのは先ずこの役が若手にとっては一番至難であろうと思われる松緑の伊賀守だが、ともかくもやり遂せたのは、重ねて言うが天晴れというものだろう。次いでの天晴れは七之助の籬である。この人のちょっと老けだちのところは、じつは時と場合によっては気になる要素なのだが、この役では、梅枝の薄雪姫との釣り合いの上からも、それが有効に働いた。

恋の取り持ちの場面というのは、十八世紀のロココ時代の典雅を連想させる。じつは前に時蔵の籬と三津五郎の妻平で見た時にそれと気が付いたのだったが、ついでに言うなら、原作の仮名草子「薄雪物語」というのは、薄雪と衛門の二人が取り交わした恋文二十九通から成る書簡対体小説なそうだが、それなら、近代小説の祖とされる十八世紀イギリスのリチャードソンの「パミラ」と同じ趣向ということになる。読者に恋文の書き方のレッスン書として読まれたというのも、同じである。「薄雪物語」の方が約一世紀、先んじているわけだ。(『鳴神』の、絶間姫が恋の馴れ初めを語る件なども、同じような典雅の匂いがするが、あれも何か典拠がありそうだ。残念ながら浅学にして知らないが、どなたかご存知の向きは教えていただきたい。)

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『陰陽師』は、じつのところ私には、どこがおもしろいのかよくわからない。開演前、玄関ロビーにいたら、修学旅行かと思しい生徒たちの団体が続々繰りこんでくるのを目撃したが、むしろ彼等彼女らに感想を訊いてみたいと思う。彼らが面白かったと言ったら、それは大成功なのだ。私は、終始大音響が鳴り響いているのと(音量は大きくとも、調子が変わらなければ結局のところ単調に陥る)、ここでも場内が終始暗いので、睡魔と闘うのに苦労した。染五郎の清明と勘九郎の博雅の二人のやり取りの場面になるとほっとした。あの二人のコンビは、なかなかよかった。

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