随談第498回 このところのあれこれ

先月になるが、NHKの番組に二つほど、ヒットがあった。ひとつは大相撲中継の七日目、昭和29年と32年の3月の大阪場所の映像が、取組の間を縫って流れ出した。かの力道山が桟敷席から自ら撮影したフィルムだという。東富士や鏡里の土俵入り、まだ大関時代の栃錦と鏡里戦、朝汐、千代の山、信夫山その他その他がそこに映っているいる。それから大岩山の弓取り。しかもこれがカラー映像で、色もまだ鮮度を保っている。日本ではまだカラー映写機というものがなかった時代にアメリカで手に入れたのだというが、昭和29年の3月場所といえば、力道山がシャープ兄弟というレスラーを連れて来て日本の観客の前ではじめてプロレスというものをやって見せて大評判となった、その直後である筈だ。没後50年に当り遺族から寄贈されたものというが、解説に北の富士氏と元黒姫山の武隈親方を招いたNHKの人選もよかった。誰かさんの言い草ではないが、よかった、感動した。こういう映像の力というものは、何ものにも代えられない。

もうひとつは、「おもいで映画」(だったか)という特集番組で、戦前、アマチュアのカメラ好きが家族や街の情景を当時の8ミリの映写機で撮影した映像のさまざまを見せるというものだった。戦後もしばらくまで、8ミリ好きの親戚のおじさんなどと言う人がどこの家庭にも一人ぐらいはいて、暗幕をめぐらせたり雨戸を閉めたりして、ご自慢の映像を見せるのにお付き合いさせられたという経験は、大概の人が持っていたものだった。だがそれも、こうして歴史を語るものとしていま改めて見ると、何と雄弁な歴史の語り部になることか。

どれも思わず嘆声を発しながら見たが、とりわけ心に沁みたのは、最後に放映された、元検事長だかの一家の映像である。昭和6年ごろから12~3年ごろまでだろうか。廣田弘毅首相の秘書官までつとめた人というから、めぐまれた一家には違いないが、そうしたことを吹っ飛ばして余りある。とりわけ、映像には4~5歳ぐらいの少女として映っている長女の人が、14歳で長崎で被爆しながら、80有余歳の上品な老婦人となって登場して、いまはもう滅多に聞かれなくなったような品のいい言葉遣いとたたずまいで往時を語る様子に、別に哀しいことでも何でもないにも関わらず、覚えず涙が溢れるのを禁じ得なかった。そこには間違いなく、かつての日本にあった、古き良き日本人の姿があった。ああいう品の良さというものは、あの世代の方々がいなくなったら、もう永久に見られなくなるに違いない。

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歌舞伎座を見た翌日、神宮球場へヤクルトの宮本選手の最終試合を見に行く。ヤクルト=阪神戦だが、早くに用事が片付いたので試合開始1時間半前に球場に着いたときはもう大変な賑わいである。試合そのものは、ヤクルトの貧打のためにあまり面白いという展開ではなく、バレンティンの60号ホームランが出たのと、宮本の美技と、最後の打席で、ひと頃のようにラッキーゾーンがあったらさよなら本塁打になっていたかもという大飛球があったのが、おなぐさみというところだったが、それにしても改めて思うのは、こうして、阪神側も併せほぼ満員という人数が集まり、心から楽しんでいる人達がこんなにもいるのだ、という事実である。Jリーグの試合というのはまだ見たことがないが、凡その想像はつく。これを善男善女と評するのはいかにも上から目線めいてしまうが、地方都市ひとつの人口に匹敵する人数が球場なりサッカー場というコンパクトな場に集って、善人も悪人も、君子も巾着切も、老若男女ありとあらゆる人士が一球一打に一喜一憂する情景というものは、思えば感動するに値する。

今年の野球界は、ヤクルトの宮本だの広島の前田だの、中日の山崎だの西武の石井だの、(日ハムの稲葉はどうなるのだろう?)、名選手と呼んで然るべき面々がいちどきに引退する。桧山などというのも、あれで阪神の四番かと言いたくなるような何だか頼りなげな四番打者だったが、代打専門になってからは、なかなかいい味を見せるようになった。山崎だって、はじめ中日にいた頃はただの力持ちのクマさんだったのが、いろいろ苦労して楽天に行ってから、同じクマさんでもなかなか趣のあるクマさんに変貌した。役者でも何でも、年功というもののオソロシサである。(先月の『陰陽師』の團蔵など、歳を重ねてそれなりの味が出てきたのには、ホオという感じだったっけ。)

それにしても、皆、90年代からの選手たちである。これで、20世紀の野球人はほぼいなくなったに等しい。

   秋風や二〇世紀も遠くなり

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秋場所は、最後に白鵬が片目パンダみたいな顔になって優勝して終わった。優勝争いという観点からすれば二流、むしろ三流の場所だったが、見る目次第では、決してつまらない場所ではなかった。たしかに、本場所というものは優勝争いを中心に展開してゆくものには違いない。しかし、大関陣が優勝に関わらないのがけしからんだの、外人力士ばかりでつまらないだのと、同じ念仏を繰り返している人たちというのも、私から見れば気が知れない。優勝を一度もしなかった名大関だって、あったではないか。

評判の遠藤は、夏場所の初日を見に行くために秋葉原の総武線ホームで乗り換えの電車を待っていると、すぐ後ろに来て並んだ散切り頭の力士がいて、それが遠藤だった。(つまり両国までの二駅間、遠藤と道行をしたわけだ。)あれはまだ入門二タ場所目だったわけだが、すでに力士らしい色気があり、自然に振る舞っているのに雰囲気があって、頭はザンギリでも一人前の力士としての風格を備えていた。旭天鵬を立会い一瞬に前まわしを引いて鮮やかに投げ捨てるような切れ味を見せるかと思うと、臥牙丸などに立会いから圧倒されてしまったり、まあ、それで少しほっともするわけだが、それにしても、最後の二日間休場したからといって、なぜ遠藤に敢闘賞をやらないのだろう? 既に勝ち越しどころか9勝も挙げているのだから、事実上、場所を全うしているのも同然だし、それまでの13日間、遠藤ほど注目と話題と喝采を独占した者はいないのだ。内容からいっても、当然、敢闘賞をやるべきだった。(かつて輪島が、千秋楽に休場してもなお優勝したことがあった。優勝にして然り、まして三賞に於いておや。)しかも代わりに敢闘賞を貰った松鳳山は、その遠藤に不戦勝して七勝、翌日ようやく八勝できたのだ。三賞選考委員会は最近、該当者なしを頻発したり、少し考えが窮屈すぎる。委員会の実際を全く知る由もないままに、最近の授賞の在り様から受ける印象として言うのだが、誰か有力な少数の意見に振り回されているのではないかしらん、と言ったら言い過ぎかな? 基準を厳しくするのは結構だが、その理由づけにはある種の「癖」が感じられ、しばしば首をかしげたくなる。

今場所は、遠藤だけでなく、嘉風とか、最後になって安美錦まで、好調を維持していい相撲を取っていた力士に限って負傷休場というのが続いた。むしろそのことが、場所の興趣を殺ぐことになったといえる。安美錦の場合は、琴奨菊の寄りを回り込んで残そうとしたときに行司と接触して逃げ場が狭められたために土俵際に詰まり、こらえようとして膝の故障を悪化させたのだが、今場所はこの他にも、行司が力士と接触して転ぶという場面が、私が目撃しただけで三度もあった。すべてが行司の責任というわけではないが、見苦しいとか何とかいうことより、行司の所作の良し悪しが、安美錦・琴奨菊の一番のように勝敗の行方にも影響を及ぼすことにもなる。

それにしても、一に安美錦、二に隠岐の海、三に豊ノ島を楽しみに見ている私としては、隠岐の海が七勝七敗で勝ち越しと小結をかけ、安美錦が九勝五敗で三役復帰をかけた千秋楽に両者の対戦となって、皮肉なことになったと思っていたら、上のようなわけで安美錦が不戦敗になってしまった。遠藤に不戦勝して勝ち越し敢闘賞を貰った松鳳山の場合とともに、皮肉な巡り合わせである。(その松鳳山が千秋楽に八勝目を挙げた相手が豊ノ島というのだから、因果の糸のもつれは麻の如くである。)

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それにしても、国技館にしても野球場にしても、どうしてあゝも、途中で席を立つのだろう? それもプレーや取組の進行に関係なく、だ。野球でも相撲でも、ひと区切り、という箇所が必ずある。立つならそういう時を見計らって立つべきだろうに、時間一杯になってから、打者が打席に入ってから、辺り構わずひょいと立ち上ったりする人が切りも止まない。あゝいう人は何を見に来たのだろう? 自分が急所や勘所を見逃すのは勝手なようなものだが、隣り近所の席で見ている者はたまったものではない。そういえば近くにいたオジサンも、バレンティンが60号を打った瞬間を見逃していたっけ。

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評判の「半沢直樹」なるものを、最後の3回だか4回だかだけ見た。ドラマそのものよりむしろ、愛之助や中車の演じる敵役の官僚や銀行家が見ものだと聞いたので、見ておこうという一種の職業意識からだったが、ドラマそのものも、初めから見ていればきっともっと面白かったのだろう。それにしても、ラストが勧善懲悪に終わらなかったので視聴者から大ブーイングが起こったのは、黙阿弥の言った「三親切」の教訓はいまなお有効性を失わないと見える。それはともかく、たしかに、愛之助にしても中車(というべきか、ここでは香川照之というべきか)の大芝居ぶりは一見に値した。まさにテレビ版大歌舞伎というべきか、現実の歌舞伎でだってあんな大芝居というものは見られるものではない。二人とも、いかにも愉しんでやっている様子がなかなか頼もしい。歌舞伎の俳優が映画・テレビや他ジャンルに出る是非を言う人がいまも絶えないが、これだけ、自ら愉しみ、一般視聴者にも歌舞伎俳優の演技力を示して見せたのだから、これは大いに結構でしたと言うべきである。

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畏友池央耿(この字が文字化けしませんように。耳偏に火と書いて「あき」または「こう」と読ませる。つまりヒナツ・コウノスケの「コウ」であり、池さんの場合はイケ・ヒロアキである)さんから、光文社古典新訳文庫から出したギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』の新訳をいただいたのをよい機会に、ぽつりぽつりと読んでいる。新訳が出なかったら、こういうものを今頃になって読むことはまずなかったろうから、既にそれだけでも、池さんに感謝しなければならない。岩波文庫には昭和21年と、36年と二度入っている。戦前の旧制高校や大学では英語のテキストの定番だったようで、子供の頃、我が家の本棚にもあったのを引っ張り出したのを覚えている。ギッシングというイギリスの文人の名前も、たしかそれで覚えたのだった。

『ヘンリー・ライクロフトの私記』は作者のギッシングがまだそれほどの歳でもないのに、老年の作家ライクロフトに自ら擬して書いた、つまりイギリス版「徒然草」で、双ケ岡ならぬデヴォンに隠棲、心にうつりゆくよしなしごとを書きつづった、という形になっている。イングランド南部の四季折々の風物を描く筆致の美しさに、日本でも早くから人気があったわけだが(確かにそれは、いま、もうそんなところへなど死ぬまで行くこともあるまい私が読んでも、うっとりするほど美しい)、「徒然草」の作者もそうであったように、ライクロフトならぬギッシングも、社会の現実に強い関心があって、それと、瞑想の内に自身を見つめる中から浮かび上がってくる、時にシニカルな一種の箴言風の言葉が面白い。

「本当に貴重なものは金では買えないという。さんざん言い古されていることだが、これは金に困ったことのない人間の浅知恵だ」とか、

「物書き商売の誉れは自由と気位である。実際はといえば、当然ながら何人もの主人に仕えた。作品が編集者、発行人、読者に受けなかったら、どうして筆一本で食えるものか。作品が当たれば、その分、雇い主は増える。物書きは大衆の奴隷である」とか、

「本は図書館で借りて読めばいいのであって、自分の書棚に並べるまでもないと言う人々がいる。どうにも理解できない。本にはそれぞれ独特の匂いがあって、ページから立ちのぼる匂いを嗅ぐだけでその一書にまつわる記憶がそっくり蘇ってくるからだ」とか、

「若い頃、周りを見ては人類に進歩がないことに呆れ返った。今は大衆の姿を見て、よくぞここまで来たと感じ入っている」とか、

「度はずれて傲岸不遜だった時分には、人間の価値をそれぞれの知力と達成の度合いで判断した。それが、年を重ねて、二通りある知の形を峻別しなくてはならないと考えるようになった。すなわち知能と心知で、頭よりも心の方がはるかに大事だという確信は揺るぎない。これまで知り合った立派な人間はみな、頭で考えるよりも心の働きで愚を犯すことを免れている」とか、切りがないからこのぐらいで止めておくことにするが、過激さと良識の間を揺れ動く平衡感覚が、大人の読み物たる所以であろう。

それにしても、光文社古典新訳文庫というのは、よくもいまどきこんな売れそうもない本を出してくれるものと、呆れ且つ感心する。刊行リストに並んだ書名を眺めているだけでも、昭和30年代にでも戻ったような気分になって、甘酸っぱいような追憶に囚われそうになる。七〇年代以降、日本の読書界が教養主義を捨て去ったのは、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹き過ぎたというべきだろう。

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