随談第592回 今月の舞台から

新国立劇場の新しく始まった昭和30年代シリーズの第一弾、三島由紀夫の『白蟻の巣』を見てきた。あまり芳しい出来とも思われないが、それなりに思うところもあった。昭和30年、青年座の第3回公演が初演というから、今は昔の作だが、三島としてはこの前後が、小説なら『潮騒』だの『金閣寺』だの、芝居なら『鹿鳴館』だの『黒蜥蜴』だの『近代能楽集』の諸作だの、歌舞伎でも『鰯売恋曳網』だの、それぞれの分野で一番瑞々しい作品を次々と書いた頃で、私には、三島という人は実際にお付き合いするのは御免蒙りたい人のような気がしながら、作家としてはいまだに好印象を持ち続けていられるのはこの時期に書いた作品群があればこそといって過言ではない。(率直に言って、この頃のものが一番面白いではないか。文章だって、この頃のものが一番実が詰んでいる。)

もっとも、『白蟻の巣』を見るのは今度が初めてだが、やや青臭さが気にかかる面もあり三島の戯曲としてさほどの作とは言えなさそうだ。他の受賞作を見ても相当の権威があったと思われる岸田演劇賞の第二回を取っているが、当時の三島の名声が取らせたという一面もあったかもしれない。もっとも、観念主義について回る一種の青臭さは三島に終生ついて離れなかったものだから、それにもかかわらず魅力と思えるか否かが、成功作か否かを分けるのだとも言える。平田満演じる元華族の農園主苅屋義郎の、妻妙子と運転手百島の心中未遂まで起こした不倫関係を黙認している「寛大さ」なるものの正体が、日本人論にも通じるし、この役のモデルとされる元東久邇宮の若宮という人物の出自を通して天皇論にも通じるわけだが、現代の若手の演出家による「かさなる視点」という、今回のシリーズのテーマに関する限りでは、一応、目的は達せられたことになるのだろう。だがそれだけでは、一杯道具の三幕物という古典主義的作劇と言い、三島dictionによる言葉・言葉・言葉で成り立つ脚本と言い、要するに三島の駆使する言葉の芸術としての面白さが発揮されなければ、「お芝居」としてのうま味は何にもない。X線写真のように骸骨や内臓を剥き出しにして見せて、ハイこの通り三島戯曲を裸にしてご覧に入れました、というだけのことである。

もっとも、これはもはや、言っても詮無いことなのかもしれない。はっきりしているのは、現代の俳優たち、とりわけ若い女優たちにとって、三島の戯曲の言葉をセリフとして言うのは困難、いやほとんど不可能なことだということである。無理もない。戦前から戦後、この戯曲の書かれた昭和三〇年ごろまでは確実にあった、upper middle以上の階層およびその縁辺の女性たちの言葉遣いと言外のニュアンスというものが、既に雲散霧消して久しいのだから。ちょっとした言葉の区切り方、アクセントとイントネーションから立ち現れる気品あるコケティシズム。苅屋妙子を演じる安蘭けいや百島啓子役の村川絵梨のセリフがそういうニュアンスをまったく伝えられないからと言って、彼女たちを責めるのは酷というものだろうと観念する他ないのだ。伝えられないのではなく、それがそこに潜んでいることに全く気付かずに、台本を自分たちなりの読み取り方で読み、自分たちなりの感情を籠めてセリフを言っているだけなのだから。まだ若い演出者も、おそらくそれを知らないのに違いない(と、考える他はない)。

三島の戯曲は、誇張して言うなら、ある時代までの日本の社会に確かに存在した「階級方言」を駆使して作られた「歌舞伎」なのだ。人物はだから、国崩しなら国崩し、辛抱役なら辛抱役、片外しなら片外し、その人物にふさわしい言葉、ものの言い様をセリフとして言わなければ面白くならない。ましてこの芝居、イヤこの戯曲は、昭和二〇年代の(おそらくは前半、まだサンフランシスコ講和条約締結以前の)ブラジルという、戦前以来の秩序というものが崩壊してしまった日本本土の現実から隔絶された「場」を舞台に、旧華族の家庭という、「空疎な遺物」の物語なのだ。それだけ、抽象性が高い。

安蘭けいの夫人妙子はどうしてあんなに現代的にグラマラスなのだろう、運転手役の石田佳央はどうしてあんなにスマートで知的ですらあるのだろう? 「匹夫下郎」という言葉がかつての階級制社会には現実としてあった筈だが、すでに自動車の時代ではあっても、この戯曲の人物たちの認識ではこの男は「車夫馬丁」であり、「おとこ」そのものの肉体を体現した匹夫下郎でなければ、主人義郎が彼ら彼女らに見せる「寛大さ」は意味も奥行きも、「面白さ」も持ち得なくなる。わずかに苅屋義郎役の平田満が序幕で見せていた態度物腰や仕草に、役の奥行への理解が窺われたのは、年の功というものかもしれない。そう言えば、ひ弱な肉体をもって生まれ育った三島がボディビルに凝り出したのも、ちょうどこの作を書いたこの頃ではなかったっけ。

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坂田藤十郎に菊五郎、幸四郎、仁左衛門、梅玉、女形も魁春に雀右衛門に時蔵と、これだけ顔見世並みに揃っていてタイトルが「三月大歌舞伎」なのだから、この月の歌舞伎座は随分と遠慮っぽい。『伊賀越』の「岡崎」を再演するのが眼目の国立から雀右衛門と歌六が掛け持ちだとは、夜の部の始まる前に、雀右衛門夫人から、いまこの時間まだ国立にいます、と聞いてアッと思った。迂闊なことだが、それはそれ、これはこれ、だったのだ。『岡崎』が切れるのが4時過ぎ、『助六』が始まるのが6時半、それも、お谷から揚巻になるのだから、こういう掛け持ちはそう滅多にはないことだろう。『お染の七役』や『伊達の十役』の早変わりとは意味が違う。揚巻からお谷、よりはまだしもか。歌六の、山田幸兵衛からかんぺら門兵衛にしてもだが、この二つの掛け持ちは、この際、余人を以て代えがたいが故の、名誉の掛け持ちというべきであろう。
『岡崎』が内容に見合った量感を失うことなく前回より一段と明晰になったのは、各役各優、それだけすることが的確になったからだろう。とりわけ歌六の役者ぶりが一段と大きく、奥行きが深まった。吉右衛門の政右衛門が、もう少し芝居っ気を見せても、と思うくらい辛抱役に徹したためでもあるが、幕切れのシンメトリーが幸兵衛を頂点とする構図がぴたりとはまって、少しも不足を感じさせない。…とは言うものの、元々この人は老けの脇役だけに納まる人ではない。『輝虎配膳』の直江山城という知る人ぞ知る傑作を見せたのは、今世紀になってからのことである。あれを最後に白塗りの役が巡ってこないのは、吉右衛門と行を共にするようになり、一座の中で脇の要衝を固めることが専らになったからで、それで名声ますます高まったのだから目出度いには違いないが、かつてこの人に勘弥の再来を期待したこともある私としては、半面残念に思う気持ちも捨て切れないのも事実である。

もう一つ、前回を遥かに超えて出色だったのは「藤川の新関」で、前回からわずかの間に米吉のお袖がすっかり一人前の娘方として開花したからで、黄八丈の衣装がぴたりとはまる娘ぶりが、菊之助の志津馬と相合傘の風情などまさに匂うがばかりの好一対。この場が単なる「岡崎」のための筋の上の前哨に留まらず、悲劇の間に欠かせない彩りであることを教えられる。
お袖という役は、『矢口渡』のお舟のようでもあり『鮨屋』のお里のようでもありしまいに尼になるところは『野崎村』のお光のようでもあり、要するに娘役のエッセンスでこねて丸めたような役で、米吉としてはお舟をした経験がよい勉強になっているに違いない。

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さっき吉右衛門の政右衛門がもう少し芝居っ気を見せても、と言ったが、それに付けて思い出すのは二代目鴈治郎の政右衛門だ。幸兵衛女房が糸を繰り政右衛門が門口のお谷に心を遣りながら莨を刻む「莨切り」では、吉右衛門はもっぱら肚で芝居をするから、おのずと顔もうつ向けがちになるが、鴈治郎は顔を上げ目は虚ろに宙をさ迷うといった風情だったし、門口に出てお谷を追いやるところのあっちこっちに気を遣う小心ぶりなど、そこだけ取ればとても剣豪とも思われないうろたえぶりだった。だがこれが、「古き良き上方」の芝居の仕方なのだろう、とも思わせる面白さだった。

関所破りをして取り手に囲まれ、大小を糸立にくるんで雪で覆って隠すところでは、これはたまたま私の見た日だけのアクシデントだろうが、どこへ隠そうかと爪先立ってウロチョロするうち、おこついたはずみに刀が鞘走ってしまったりした。三十六番斬りの剣豪にあるまじきことだが、これも、心逸るさまの形容としての上方流のお芝居だったのであろう。

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それにしても、今になって良いものを見ておいたと思うのは、昭和30年松竹映画『荒木又右衛門』と、32年新東宝『剣聖暁の三十六番斬り』という対照的な二本の映画である。片や後の白鸚八代目幸四郎主演の堀内真直監督、片や嵐寛寿郎主演の山田達雄監督、前者が長谷川伸の原作の映画化という史実の考証を踏まえ、後者は講談に語り伝え来った又右衛門伝説の典型の集大成ともいうべきシナリオという、好対照な内容であったことは、いま思えば天の配剤のようなものだ。昭和三十年代もまだ早い頃までは剣豪荒木又右衛門というものがまだ民間説話の英雄として「現役」であり得ていた(おそらく最後の時代)であったから、こういう映画が作られていたのである。(アラカンは何と、例の『明治天皇と日露大戦争』の明治天皇役と同時の公開である。)

面白いのは、こうした講談をベースにしたものと、史実に拠るものと、文楽・歌舞伎で見る『伊賀越』と、黙阿弥の『日本晴伊賀報讐』と、モチーフとなる物語やエピソードがそれぞれ絡まり合っていることで、荒唐無稽と思われがちな講釈の三十六番斬りだってあながち根拠のない絵空事とも言えまいし(つまり、今度歌昇のやっている近藤野守之助(あの『番隨長兵衛』で水野の朋輩の近藤登之助か?)をはじめとする又五郎を擁護する旗本連中が、三十六番斬りのモデルであろう)、『伊賀越道中双六』として演じられる「奉書試合」や「敵討ち」の場が実は黙阿弥であったりするのは、『仮名手本』十一段目と称して黙阿弥の実録物のアラカルトをはめ込んだりするのと同じことで、「忠臣蔵」にせよ「伊賀越」にせよ、寛永なり元禄なりに現実にあった事件がベースになっていることから離れられないからであろう。(昭和38年12月歌舞伎座で勘弥・延若・扇雀という顔ぶれで「試合」「沼津」「仇討」という出し方をしたことがある。おそらくこの時が、国立劇場は別にすれば、昔風のアラカルト式出し方の最後であったろう。「伊賀越」伝承が「みなさんご存知」であることを期待できなくなった、これが下限であったということか。)

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歌舞伎座の『千本桜』渡海屋・大物浦で仁左衛門が知盛を出し、松緑・延若と東西の型を綜合しての仁左衛門型として集大成して見せたのは敬服に値するが、ただ二つ、桓武天皇九代の後胤新中納言知盛としての名乗りのセリフに省略があったのと、手負いになった知盛が胸に刺さった矢を引き抜いて滴る血潮を呑むという、延若の見せた型を取り入れたのは大いに結構だが、細かいことを言うようだが矢に血汐をぼってりと肉厚に(小道具に注文をしたのだろう)つけてあったのは、やや生々しい感じがして違和感があったこと、この二点を、凝っては思案に能わぬ疑問点とする。あれだと知盛が串刺しのソーセージを齧っているみたいで、義太夫物のトーンとしては生々しさが障りになる。赤い血潮を塗るだけでよかったのではないか?
梅玉が『千本桜』で義経、『明君行状記』で池田光政と、殿様役者ぶりを発揮。いつもクールな梅玉があれだけ芝居っ気を見せるのはよほど入れ込んだのか。前回もよかったのを思い出すが、何時だったかを調べてみたら2001年9月、『明君行状記』が昼の部、夜の第一に山本有三の『米百俵』を出した時とわかって、あゝ、と思い出した。その春成立した小泉純一郎内閣が言い出して俄かに世人の知る処となり、歌舞伎座で早速、吉右衛門にさせたのを新首相自ら見物に来たので大騒ぎだった時だ。小泉首相はその前に、大相撲で貴乃花が大怪我をしながら優勝、自ら総理大臣杯を渡しに来て免状の文言を読まずに「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」と叫んで大評判を取った、その記憶がまだ褪せない時だったから、旧歌舞伎座の二階ロビーから二階席はわんわの騒ぎだった。

閑話休題として、今月の殊勲賞は巳之助の『どんつく』、ちゃんと三津五郎家の踊りを踊って見せたのを評価したい。技能賞は『引窓』のお幸の右之助。あの役は、鳥が餌をついばむようにして貯めた小粒を渡して与兵衛から濡髪の人相書を買おうとする貧に窮した婆と、「濡髪の長五郎を召し取った」と叫ぶ元郷代官の妻という格と、両方を見せなければならないところに人を選ぶ難しさがある。しょっちゅう出る芝居だが、じつはなかなか適任者がいない。右之助は品格あり、さりとて偉過ぎず、結構だった。(但し、布で口を被ってセリフを言うと聴き取りにくくなるのは一考すべしだ。)
今月注目随一の海老蔵の『助六』がまずまずであったのは結構だった。何と言っても助六役者として天成の仁と柄である。今のままだって当代の助六であるのは間違いないが、その割には褒める声がもう一つ大きくならないのは、海老蔵の助六はこんなものではないと思えばこそだと知ってもらいたい。

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新橋演舞場に山田洋二監督の『マリウス』が掛かった。マルセル・パニョルのこの作は、オールド新劇ファンには文学座の舞台で懐かしい思い出と共にある芝居だが、山田監督にとってはそれとは別に格別の思いのあるものという。学生時代に友人の大切にしていた翻訳本を借りて読んだのが知り染めた初め、かのフーテンの寅さん「男はつらいよ」シリーズも、これが原点なのだという。そういえば、寅さん以前に『愛の讃歌』という好篇を作っているのが山田版『マリウス』のいわば第一作で、マルセーユが瀬戸内海の小島の港町、ヒロインのファニーが倍賞千恵子、マリウスが中山仁、今度柄本明がやっているセザールが伴淳、林家正蔵のパニスが有島一郎その他その他という配役でやっている。今度の自ら脚本・演出の舞台版が、いうなら山田版『マリウス』の第二弾、かつての文学座の記憶にどれだけこだわるかで評価は分かれようが、それはそれとして見るなら、当節気持ちよく見られる好舞台と言っていいだろう。

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