随談第591回 よもやまばなし

ここひと月ばかりの間に私のアンテナに引っ掛った訃報というと山中毅、神山繁、船村徹、鈴木清純、ミッシェル・モルガンといったところか。何と言っても感慨を呼ぶのは山中であるのは、時代の記憶と直結しているからだ。
メルボルン・オリンピックというのは、ヘルシンキに次いで日本が戦後二度目に参加した大会、つまり私にとって物心ついて以来二回目のオリンピックで、南半球だから12月に開催、ヘルシンキが夏休み中だったのにこちらは二学期の期末試験と重なっていたのを思い出す。その間にテレビの放送は始まっていたが海外からの実況中継などとてもとてもという段階だから、まだ専らラジオの時代である。
 ヘルシンキで負けて古橋が引退したのを引き継いで、メルボルンでまだ高校生だった山中が銀メダルを取った、というのがこの訃報を伝えるマスコミ流の定番であろう。その間4年間、人がいなかったわけではないが、皆、固くなって決勝まで進めない中で、彗星のように、という言葉通りに出てきた高校生が一人、メダリストになった。その時の金メダリストがマレー・ローズというオーストラリアの選手で、当時は日米選手権とか日米豪選手権とかいろいろあったから、通算すればそれなりに勝ったこともあったように思うが、その後も遂に、オリンピックではこの選手に勝てなかった。対戦成績は拮抗していたが優勝回数で大差がついた大鵬と柏戸の関係と相似形である。別にファンだったわけでもないし、小学生の頃のように無邪気に熱中したわけでもないが、今となれば、当時のさまざまな個人的な思い出と絡まり合って、訃報を目にして淡い感傷に襲われたのは不思議である。いま見ればさほどの作品でなくとも、古い映画を見る機会に巡り合えば、それだけで懐かしいのと同じようなことかも知れない。

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ミッシェル・モルガンというのも、我々(よりむしろもう一つ上の世代)にとって格別な思い出のある女優だが、マスコミの報道はそっけないものだった。今の人たちにとってそんな程度の評価なのか? かの『天井桟敷の人々』というのは、『風と共に去りぬ』などと(対照的でありつつ)並んで、昭和20年代に輸入された外国映画の中でも別格的な存在であった筈だが。もっとも私などの年配だと、公開当時は何せまだ子供だから見たって何がいいのかさっぱりわからない。なるほどこれは、と思うようになったのは、その後ほぼ10年置きぐらいの間隔で繰り返し公開されたのを見てからで、初めは、なんとも不気味な顔をした女優、というので強烈な印象を受けたものだった。大体、外国人が溢れ返っている中で育つ今どきの子供はどうか知らないが、西洋の女性、それも濃いメークをした女優というのは、我々世代の子供にとって、かなり不気味に思えたものだが、彼女はその中でもとび切りの、おそろしいような西洋女だった。『天井桟敷の人々』でも、主役のジャン・ルイ・バローなどよりはるかに印象的に思えたし、その記憶は今も変わらない。

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一月の国立劇場の『しらぬい譚』に亀蔵扮するピコ太郎もどきの人物が登場して大受けだったが、日によっては本物が登場したらしい。あの奇天烈な英語もどきとちょび髭、イマドキのお笑い芸人の中ではちょっぴり古風で違和感のある芸人ぶりが、往年のトニー・谷を思い出させる。と、思っていたら、このほどチャンネルNECOで、昭和29年の東宝映画、市川崑(が監督だったとは、迂闊にも今度はじめて知った)『わたしの凡てを』というのを見ていたら、そのトニー・谷が出てきたのには、感慨ひとしおであった。当時、ミス・ユニバースなる世界美女コンテストで堂々の三位入賞、身長と顔のサイズ配分が8対1なので八頭身という、当時の日本女性として破天荒なプロポーションで話題だった伊東絹子の映画初出演という話題作である。中学生だった私は、もちろん知ってはいたが、見なかったので実は今回が初見である。いま見ると、菊田一夫原作の『君の名は』の焼き直しに焼き直しを重ねたような陳腐なストーリイと言い、むしろそれが興味深い当時の東京や大阪の最先端の、なんとも安っぽい街の情景と言い、良くも悪くも一驚せざるを得ないが、池部良と上原謙が相手役とあきらめ男役、宝塚から映画へ転進してまもない有馬稲子が恋のライバル役という、それなりの豪華キャストが組んである。(だみ声の大阪弁で鳴らした三遊亭百生が有馬稲子の父親役で出てきたのには驚いた。まさしく余禄である。)物語が進んで、いよいよ伊東絹子扮するヒロインがミス・ユニバース日本代表を決める選考会に出場する会場(が東京会館なのは、おそらく実際にもそうだったのだろう)の場面で、司会者役としてトニー・谷が登場する。終戦から8年、GHQが帰ってから1年という、終戦直後の闇市全盛時代とは微妙に違う一つの時代を、ある意味でこれほどシンボライズしていた人物もいないだろう。とんがりのロイド眼鏡にちょび髭、奇怪な英語にソロバンというスタイルは、もちろん計算づくでしたことだったろう。ピコ太郎からトニー・谷を連想したのが間違いでなかったことも確かめられた。ここらが、巨匠監督の名画しか見ない人には解らない、BC級映画ならではの面白さである。

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国会中継を見ていると、大臣に代って答弁をする官僚たちがしきりに、「…と承知してございます」「…と考えてございます」「…と思ってございます」といった言葉遣いをするのが、近頃いやに耳に障る。「ござる」という動詞は「ある」「おる」「はべる」と同義だから、「…と承知しております」「…と考えています」などというのと同じであり、別に誤用ではなかろうが、最近やたらに耳につくようになったのは、官僚に独特の気取り方の流行現象なのだろう。
 それにしても、こういう処に登場する官僚たちの慇懃で馬鹿丁寧且つ取り付く島のないそっけない態度・物腰というものは、よくもこう、何十年経とうと、世の中がどう変わろうと、寸分たがわず、毫も変化しないのには驚かざるを得ない。彼等とて、年配から考えて昭和も末期、もしかすると平成生れさえいるかもしれないのだから、平素は、Tシャツにジーンズで出歩いたり、我が子の運動会には傍目も構わず撮りまくったり、当世風のこともしているのだろうが、一旦業務となると、官僚流の気取りの「型」をきっちり守り抜いているのにはいっそ感心したくなる。もしかするとあれにも、「外務省の型」とか「大蔵省の型」とか、「成駒屋の型
だの「音羽屋の型」だのと同じように、いろいろあるのかもしれないね。
 一方、安倍首相がよく、「…なんだろう」というのも耳に障る。「××法案を今国会で成立させることが是非とも必要なんだろう、と思うわけであります」という風に使う(のが首相の言葉癖らしい)のだが、それほどの大事なら、「なんだろう」というような他人事みたいな言い方は、言葉癖というにはいかにも無責仁じみて聞こえるから、おやめになった方がよろしかろうと思うのだが、如何なものなんだろう。
 もう一つ、この首相の言葉の癖で、文字に直せば句読点を打つようなところでいちいち、「これはですね」「あれはですね」と「ですね」をつけるのが耳に障るが、実はこの「ですね」の「ね」を「よ」に変えて、「これはですよ」「あれはですよ」とすると、尊敬する祖父の岸信介首相の言葉癖になるのだ、ということに、ご本人はお気づきであろうか?(ナニ、疾うに知っていて、お祖父さんの噛んで含めるような説教調を避けて、当世流のソフトタッチに変えている、つもりなのかもしれないが。)

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