随談第520回 今月の舞台から

種々の原稿の締切や確定申告のことなどが重なって、随分間遠になってしまった。もっともその割には、憎まれ口まじりのオリンピック談義のアクセス数が案外目減りしないのを、ヘエーと思いながら横目に睨んでいたのだったが・・・

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さて今月は何と言っても歌舞伎座の「菊吉」共演にとどめを刺す。散々見慣れている筈の狂言が、こんなにも面白い芝居だったのかと、認識を改めることを迫られるようなことがあったりしたら、それは大変なことに違いない。『身替座禅』がまさしくそれだった。

『身替座禅』といえば、つい、あゝ、またあれね、などということになりやすいのだが、幕が開いて菊五郎の山蔭右京が出てきて名乗りの座についただけで、もう、いつもの『身替座禅』、いつもの菊五郎と違う。別に似ているわけではないが、先の十七代目の勘三郎に感じたような大きさと、それを大きく包んでいるような空気がある。

続いて吉右衛門の玉ノ井が出て、二人並ぶ。その舞台の大きさ。その、二人を包むオーラ。オッ、いいですね、と覚えず隣席の利根川裕さんに小声で言った。ウン、これはいい、と利根川さんも応じた。普通、こんなことはあまりしない。覚えず言い、思わず応じた、というのが実際だ。

芝居というのはこういうものなのだ。何が、どこがどういいのか、などということは、何をどう言ったところで、所詮は後から付けた理屈に過ぎない。そう言ってしまったら劇評などというものは成り立たなくなってしまうようなものだが、こういうことも、時にはあるのである。新聞に書いたことを繰り返しても仕様がないが、二人とも、あざといことをいっさいしない。先の勘三郎の凄かったのは、なんといっても朝帰りのところで、歌舞伎座の場内が花子の色香に包まれた右京の一身に蔽い尽くされるかのようだった。そういう凄さは、十七代目独特のもので、今度の菊五郎がそれにまさったというわけではない。しかし十七代目は、後段の玉ノ井とのやり取りのところになると、どうしても、持ち前のサービス精神がむくむくと湧いてきて、観客の反応を求めてしまう。ときにそれが、過剰に奔ることにもなりがちだった。もちろん、それを求める人もあるが、笑って許しながらも、さっきの陶酔との落差に少し、心が覚めるという人もあったろう。玉ノ井役者がことさらに怖い顔をしたりするのも、ありがちなことだった。

こんどの菊五郎も吉右衛門も、そういうことがない。また殊更に狂言めかしたようなセリフ回しにしたりすることもない。ただ尋常に、歌舞伎の狂言舞踊、つまり、狂言に材を取った、松羽目舞台で演じる歌舞伎狂言としての則を守って演じるだけだ。それで、充分に面白い。これは、二人がそれぞれの永い芸歴の中で、互いに認め合い、許しあう境地にあればこそ、あり得ることに違いない。そのことに、私は心打たれるものを覚える。偉とすべきは、はじめに二人を包んでいたオーラが、最後までそのまま、二人を包み続けていたことである。

『身替座禅』とは、こんなにいい作品だったのか、とつくづく思った。その思いが私自身を驚かせた。知っているつもりでいつもつい聞き流してしまう常磐津の文句にも、知らず知らず耳を傾け、その詞章のエスプリに改めて感じ入ったりもした。配役もよかった。又五郎の太郎冠者の程の良さはドンピシャリだし、壱太郎と尾上右近の千枝と小枝も、清楚にして可愛らしく、ほぼ理想的といっていい。

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こんな調子で続けていると長々し夜をひとりかも寝ることになってしまいそうだから、足を速めることにしよう。

菊吉共演のもう一作『勧進帳』についても、同じことが言える。もっともこちらは、『身替座禅』と違って忘れがたい思い出が人さまざま、私個人としてもいろいろあることだから、これによって『勧進帳』感が変ったというようなことは軽々に言えないにしても、なるほどな、と目を洗われるようなところは随所にあった。全体として心づいたのは、歌舞伎としての正統性ということである。荒事がどうの、能ガカリがどうの、芝居の弁慶か踊りの弁慶か、等々、議論はさまざまに尽きなかろうし、富樫の名乗りが舞台中央であったとか、花道の出で弁慶が義経の前に坐るとか、型の記録のような点からもいろいろ論ずべきことはあるだろうが、菊吉両優が心掛けたのは、ザ・歌舞伎「勧進帳」ということであるように、私には見えた。祖父七代目幸四郎を研究したというようなことを、果たして吉右衛門も語っているらしい。(團菊爺の代表といわれた遠藤為春のような人に言わせると、九代目團十郎の創ったのを七代目幸四郎が駄目にしたのだということになるのだが。)

ここでも、富樫の名乗りにせよ、花道での弁慶の諫言にせよ、勧進帳の読上げにせよ山伏問答にせよ、物々しかったり勿体ぶったり、逆に素読みのようだったり、といったことがなく、歌舞伎の正調にのっとりながら実に明晰である。劇としての流れも、殊更なところが少しもなく、それでいて、というより、それによって、両者の心情がくっきりと見えてくる。レベルの高い、正統的なよき『勧進帳』であったというべきであろう。

坂田藤十郎の義経が、花道の出などはやや不安も思わせたが、「判官御手」のしどころでは流石というところを見せて安心させてくれたのはめでたい。歌六が四天王の筆頭の亀井六郎で音調音程整った声で第一声を発するので、以下の四天王のセリフがきれいに揃う。

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義経ではオヤと思われた藤十郎も、『封印切』では流石という他はない。たまたま、元気な盛りの頃の忠兵衛のVTRを先頃見る機会があったばかりだが、八十歳超のいまなお少しも変わるところがないのは驚異的である。とはいうものの、もうこれだけの『封印切』を見られるのはこれが最後かもしれないという思いが、一入の感を抱かせる。成駒屋松島屋、上方勢で揃えたとはいうものの、翫雀扇雀に覚えさせようという配役であって、八右衛門に我当が元気だったら、などと言い出せば切りがない。それにしても、我当の足の不自由はかなりのものであるらしい。

玉三郎が勘三郎の遺児(という言葉は勘九郎・七之助にはもはやそぐわないが)二人を、おとうさまに代って小母様がお相手致しましょう、という感じで、うまく引き立てつつ玉三郎ワールドに見る者を誘ってうっとりさせたり、、幸四郎が数年来執心を見せて取り組んでいる黙阿弥物を幸四郎ぶりで見せたり、それぞれに当代歌舞伎の華というべきであろう。

どうかと思った『二人藤娘』だが、体形風貌が同型の七之助だと、どちらがどうと見分けがつかなくなる瞬間があって、予期以上に面白かった。ふたりで差しつ差されつするところなど、なかなか刺激的である。しかしまた同時に、玉三郎という人の孤独を思わずにはいられなかったのも事実だ。両作品を見ながらつくづく思ったのは、玉三郎の、若い人を引き立てる巧さと、同時に、それにもかかわらずこの人の世界は、結局のところ、ひとりで完結してしまうのだということである。

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国立劇場の『切られお富』については、新聞評に書いたことで尽きている。決して不成績の舞台なぞではない。しかし演目、顔ぶれ、あの陣容で大劇場一カ月公演のボリュームをもたせることには無理がある。あの空席の多さは、時蔵の切られお富の値打ちがわかる観客が払底しているからでは必ずしもない。一カ月の公演に見合ったボリュームに欠ける公演であることを、皆が察知しているからである。『切られお富』はどう見たってやや軽めの二番目狂言、若手に『車引』をさせるなら、もう一本、然るべき顔ぶれで『佐太村』を出すなりしてようやくつっかうところだろう。もともと三月の公演は小劇場での若手の勉強会の含みだったのだ。もう一度、その路線に戻すなり、時蔵クラスが出るにしても、希少価値のある演目を(『切られお富』などまさにそれだ)、むしろ希少価値を売りにして小劇場で見せるという公演があってもいいだろう。

かの先代河原崎国太郎がはじめて『切られお富』を見せたのは、まだ前進座劇場が建つ前、あの場所にあった木造の稽古場だった。みんな、脱いだ靴を手に持って板敷の上に坐って見た。だからこそ面白かったのだともいえるので、後に改築前の新橋演舞場で再演した時よりはるかに刺激的だったのは間違いない。やはり野に置け蓮華草、ということであろう。この昔話、国立劇場たるもの、もって他山の石とする価値はある筈だ。

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猿之助の「スーパー歌舞伎Ⅱ」が大賑わいだが、ひと落着きしたところでどういう声が観客の間から聞こえてくるか、興味がある。

なんだかややこしい理屈が多くて、禅問答みたい、という声も聞かれたが、仏とは何か、仏を刻む仏師とは何かといった議論をかなり念入りに繰り返す。一面としては、「コクーン歌舞伎Ⅱ」の趣きとも言える。芝居を見に行ったら説教をされたという声も聞こえた『オグリ』だの『カグヤ』だのの頃のスーパー歌舞伎に先祖がえりした感じとも言える。こうした作調になることは、前川知大を作者に選んだときに分かっていたことでもある筈だ。とすれば、猿之助たるもの、いわば確信犯として承知の上でしたことか、とも言えよう。

しかし少なくとも私は、このマジメさには好感を持った。どうでした?と問われるたびに、まあ第一作なので少し肩に力が入ったのでしょうね、と答えることにしている。

もっとも、仏とは、仏師とはという議論を、観客の胸にしみじみと通るだけに聞かせた右近の好演が無かったら、印象はかなり違っていたかも知れない、とは言える。右近があって、ようやく芝居になったのだとも言える。あれでこそ歌舞伎役者であって、その一方に佐々木蔵之介ら現代劇俳優たちがいる。

佐々木蔵之介の起用は、ひとまずは成功だったと私は見たい。蔵之介演じる一馬が、だんだん官僚の世界に染まり官僚の論理をもてあそぶようになる、それをセリフとして言えるところに、現代劇俳優としての長所があったことは間違いない。第三幕で宙乗りになったりスーパー歌舞伎的演出で大わらわの場面になってからは、美声だがあの腰のないセリフではどうにもならないこともまた、初めから分かっていた筈のことで、あれを以って歌舞伎俳優のセリフ術と比較して云々するのは佐々木に対して気の毒というものだ。

浅野和之がはじめから小劇場演劇の風で終始したのは、利口なやり方とも、すこしずるいとも言えるが、ドラマと観客を仲介するという役どころから考え出したものだろう。ひとつの正解として認めよう。すくなくとも、観客席からあれだけの共感の笑い声を貰ったのだ。福士誠治は、前に亀治郎の会でやった『上州土産百両首』で、ついこないだ已之助がやった役をやった、あの伝で通す。こちらはまずまず無難というところ。

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安井昌二が死んだ。新派がこのところ連作風に上演した、『麦秋』とか『お嬢さん乾杯』といった、小津安二郎や木下恵介の旧大船調映画を焼き直した一連の作で、なかなかいい味を見せていた。「昭和」を、ごく自然に演じていたのはこのひとだけだった。それの、おそらく延長線上に置かれるべきものとして、森本薫の『女の一生』では、出演者中ただひとり、大正と戦前を、ごく自然に演じていた。戦後の昭和二十年代の映画からスタートして、やがて新派の人となったが、同じような経路を辿って先に逝った菅原謙次とともに、見事に現代新派の俳優になり遂せて終わったのだと言っていい。

もっとも、この人の本当のスタートは、長谷川一夫の新演技座であって、長谷川の吹き替えなどもやっていたらしく、もう大分昔だが、長谷川がまだ盛んだった頃、長谷川をゲストにしたテレビ番組で、長谷川の銭形平次のそっくりをほんのちょっと、やって見せたことがあって、あまり器用な人とも思っていなかっただけに、ヘーエ、役者というものは大したものだと感心したことがあった。(こういう器用さは、だが遂に、本業としては発揮することがなかったのは不思議である。)それから映画に入って、もちろん一番知られたのは『ビルマの竪琴』だが(あのときの隊長の役が三国連太郎だったっけ)、個人的な懐かしさとしては、小津安二郎が脚本を書いて田中絹代が監督をした『月は上りぬ』とか、伊藤整の新聞小説を中平康が監督した『化粧』などというのが思い出深い。

といったところへ宇津井健が死んで、マスコミの扱いが安井の時とはまるで違う大名優逝去のような扱いである。宇津井健は宇津井健でもちろん結構であって、好感を持っていこそすれ悪くいう気は毛頭ないが、ただ、宇津井にこれだけの扱いをするなら安井昌二にだってもう少し、扱い方があって然るべきではないかとの思いは避けられない。もっとも理由はわかっている。活躍の場がテレビにあったか否か、それだけなのだが、それにしても・・・

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