随談第525回 今月のあれこれ

この月の公演が終わっての一夕、菊之助と吉右衛門令嬢の結婚披露宴があった。正しくは寺島家・波野家両家結婚披露宴というのだが、本来昨年秋に行なう筈だったものが出産に伴う新婦の体調のことから仕切り直しになって、このほど改めて、目出度く披露ということになったという経緯もあってか、両家結婚式といっても、菊五郎も吉右衛門も表には立たず、すでに生後半年の子の親となっている若い二人がもっぱらあるじもうけの役を司っている。そこが(式場の席の数から類推するにおそらく六、七百人は優にいようかという)盛大な宴にも係らず、若々しい雰囲気に包まれていて、なかなか良き宴であった。

どなたかのスピーチに、この結婚で歌舞伎俳優のほとんどが縁戚関係になったとあったが、たしか勘三郎の結婚の時にも同じようなことが言われたのではなかったか。歌舞伎が、「歌舞伎という一家」の家業の様相を呈するわけだが、もっとも世間はとうの昔にそういうイメージで見ているのかも知れない。

それはそれとして、思い出したのは今の菊五郎の結婚のときの大騒ぎである。緋牡丹お竜として絶頂期にあった当時の藤純子さんが引退して人妻になってしまうというのは、世の男どもに多大なショックを与える社会的事件と目された。緋牡丹お竜のファンは、AKB48に入れあげる若者とはわけが違って、みんなそれ相応にいい歳をした兄いだったりオジサンだったりの大人たちだったから、そういう男たちの見せる可憐な心根の迫力たるやちょいとしたもので、あゝいう事態は後にも先にも例を見ないものだった。と、どこやらの局が特集番組を組んで、有名無名を問わず、世のお竜さんファンたちに、この結婚をどう思うか語らせるという番組を作ったなかで、一番仕舞いに、当時現役の大関だった貴乃花が登場して(もちろん、親の方ですよ)、独特のぶすっとした調子で、「そりゃ変な男が相手じゃいやだけど、キクノスケでしょ? なら、しょうがないよ」と言ったのが妙に耳に残っている。(そう、あのときはまだ菊之助だったのだ!)

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その大相撲が、しばらく前から少しずつその兆候は見せていたが、この夏場所で一気に人気を取り戻して、満員御礼が十五日間の内、十日だか十一日だか出たという好況になった。もっとも満員御礼というのは一種の景気づけであって、すべての日が文字通りの満員札止めであったわけではない。納税の申告とはわけが違うから、そんなに精密なものではなく、「御礼」が出ているのにまだ空席があるではないかなどと目くじらを立てる筋合いのものではない。私は九日目に見たが、一階の桟敷席がほぼ埋まったかというタイミングで、満員御礼の幕がするすると下り出した。

しかし近年では、土日以外の週日に御礼が出るのは、場所も押し詰まった十三日目ぐらいなものだったから、今場所が久々の盛況であったことは間違いない。お蔭で、いつもは昼過ぎ頃にフリで出かけても一番廉い椅子席が楽々買えたのが、今度は疾うに売り切れで、ワンランク上げた席の切符を買う羽目になった。野球場にふいと出かけて、内野のBの自由席を一枚買ってひとりボケーッと(といっても、私はトイレにもあまり立たないで一球一球、見逃さない)見物する気分というのを私は愛するものだが、それと同じ伝で、国技館でも、東京場所の時は平日にそうやって一番安いいわば天井桟敷で、三段目か幕下の相撲から眺めるのを、このところ通例にしていたのだった。(以前、旧歌舞伎座の三階席に通ったのと、同じデンである。あのころの三階席の切符売り場は正面玄関左手にあって、開演5分前ぐらいに行っても、売り場の女性が銀行員が札束を数えるような慣れた手つきで、ぱらぱらっとチケットを捌いた中から適当な一枚を抜き出して渡してくれる。それをもって三階へ駆け上がって席に着くとちょうど昼の部一番目の幕が開くというタイミングだった。当時毎年二月は菊五郎劇団の公演で、客が詰まっているのは三階席の前三列ぐらいまでで、そういう、至極のんびりと平和な空気の中で、梅幸が「道成寺」や「藤娘」などを踊るのを見るのを、私はこよなく愛していたものだった。)

相撲の話の続きだが、三段目や幕下の相撲がだんだん取り進んできて(そういう中で、幕下格の行司に木村勘九郎と式守玉三郎という名前があることを知った。尤も玉三郎はこの初場所から十両格に出世して、立派な装束を着て名前も変わってしまったが、勘九郎の方は、まだ膝までの短い袴に素足というナリで頑張っている。おそらく次の昇進人事で十両格になれるに違いない。力士だけでなく行司が出世してゆくのを見るのも楽しみの内である)、やがて十両の土俵入りから取り組みが始まり、さらに幕の内の土俵入りが始まる頃になると、いつの間にか席も埋まってきて、力士たちも立派な体格や風情を漂わせる。幕の内の力士というものが如何に立派なものか、いきなりテレビをつけて幕内のお終いの方だけ見るのでは、到底わかるものではない。

もし朝の9時ごろから始まる一日の取組を全部見るならば、野球で言えば中学・高校レベルからプロ野球のトップクラスまでを、居ながらにしてまるでパノラマのように繰り広げられるのを一日の内に見ることが出来るわけだ。歌舞伎も江戸の昔は、朝早くの幕は下廻りの役者の出番で、段々偉い役者が登場してくるように、作られていたものだという。

ところで今場所のこの人気というのは、ひとつには例の遠藤がいよいよ髷を結ってサアこれから、といった期待もあるに違いないが、田中マー君クラスになるか斎藤ハンカチ王子程度で落ち着くのか、まだわかったものではないと私は思っている。たしかに取り口のセンスの良さは相当なものだが、ヤワなたちでもあるし、関脇あたりでとまってしまいそうな気もしないでもない。

いわゆる栃若時代に、成山(なるやま)という力士がいた。遠藤よりもう少しすらりとしていたが、前捌きと速攻の寄り身のセンスの良さは天才的で、その相撲振りと、活躍するときは一場所に大物を何人も喰うところから、「成山旋風」とマスコミが呼んだ。若乃花(もちろん初代である)なども何度かその速攻に苦杯を喫しているのを以てしても、凡庸な力士でなかったことがわかるだろう。だが、成山は結局、大関にはなれなかった。体があまり大きくなかったせいもあるが、「旋風」は毎場所吹き荒れるというわけには行かなかったのだ。特に似ているというわけでもないが、遠藤を見て、久しく忘れかけていた成山を思い出したのは、センスの良さと、相撲振りの綺麗さが連想を呼んだからだが、もうひとつ、その長所たるべき点が同時に、ある種の「ヤワ」な感じを与える点も、一脈、相似形のようなものを思わせるからだろう。

もっとも、栃錦だって若乃花だって、関脇になって人気沸騰してもなお、当時誰も、彼らが将来横綱になろうとは思いもしなかったのだから、玄人だの通だのの予想などというものほど実は当てにならないものはないのであって、先物買いをする人がいても止めようとは思わない。

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NHKのBSで昭和30年代の東映の「ひばり映画」が二本、放映されたので録画して見た。昭和37年、河野寿一監督の『花笠道中』と昭和33年、沢島忠監督の『ひばり捕物帖かんざし小判』の二作である。もうこの頃は東映も爛熟時代に入って大分タガが緩んできて、観客も戦後育ちの世代になっていたのと、一方で当時流行のヌーベルバーグを東映時代劇流に受け止めて、在来の時代劇映画のもっともらしさや重苦しさを取り去った新感覚時代劇が盛んだった頃で、「ひばり映画」というのはそうした方面を専ら受け持つものだった。つまり、一種のミュージカルで、ミュージカルを時代劇でやれるとなると、美空ひばりしかいないことになる。

ちょうど20代のいい年頃で、高音の綺麗な声が出た頃だったから、いま聞いても、なるほど巧い。残念ながら今度の二本とも曲の出来があまり良くないので、その点がちょっと物足りないが、『花笠道中』は相手役が若き日の里見浩太郎で、二人でオペレッタ風に掛け合いで唄う場面があったりする。売り出して間もない里見浩太郎というのは、ちょっぴりだが中村錦之助の売出しの頃に面差しが似たところがあって、色気の具合いも共通するものがある。水戸黄門だの、最近よく見かける、ワッハッハと笑いながら宅配便を届けて回るおじさんになるTVのコマ-シャルのような里見しか知らないイマドキノヒトには、同一人とは思われないに違いない。(片岡千恵蔵が新国劇の舞台と同じ行友李風の原作を映画にした『国定忠治』で、デビューまもない里見が板割りの浅太郎をやってなかなかいい役者ぶりだったのは、リアルタイムで見ている。)

『花笠道中』は37年の作だから、もうすっかり花形としてひばりの相手役を対等につとめているが、『ひばり捕物帖かんざし小判』の方は、ひばりの相手は東千代之介(随分と久しぶりのご対面だった!)で、里見は薄田研二演じる悪家老にだまされて悪の一味の手先になっている純真な若侍という、それでもなかなかいい役だが、もう一人、尾上鯉之助がひばりの兄の殿様の役で出てきたのにはアッと思った。菊五郎劇団の脇役の名手だった尾上鯉三郎の子で芸名を尾上雅章といって、『熊谷陣屋』なら四天王、『助六』なら意休の子分ぐらいの役をつとめていたのが、錦之助や橋蔵の刺激を受けたかして映画俳優になり、B級作品の主演ぐらいは勤めるスターになっていたのだが、その後どうなったのか、歌舞伎に戻ってくる手だてもなかったのか、消息を聞いたこともないままになっている。

これも新感覚の歌舞伎ミュージカルだが、沢島忠という人は、その新感覚派の旗手として売り出した監督で、いまの目で見ると、その新感覚が良くも悪くもやや浮いて見えてしまうのは、何のジャンルによらず、ヌーベルバーグというものの宿命的な悲哀なのだろう。つまりは、在来の正統派(という言葉が適切か否かはともかくとして、人も我もそのように思っている)の時代劇のパロデイでありつつ、それをそう過激に感じさせないように作っているところに苦心が察せられるわけだが、すべてのパロディがそうである如く、パロられる「正統派」がれっきとして成立していないところに、こういう芸当は成り立たない。という意味で、昭和30年当時の東映時代劇というものは見事にその条件を備えていたということになる。ひばりの役は老中だか何かの姫でありながら、市井に住んで女だてらに目明しをしているという役で、松江邸の河内山よろしく大名屋敷に乗り込んだり、といった歌舞伎仕立ての場面で堂に入った芝居を見せるのが一興なわけだが、それをまんまとやってのけてしまうところに、余人には出来ないひばり映画のミソがあるわけだ。

まあ、配役を見てもいま名前を挙げたような幾人かのほかは、随分弱体な顔ぶれで、あまり経費をかけないでもひばりの人気で収益が上がるのを見込んだのであろうような作りなのだが、それでも、当時の東映の、というか日本映画界の、というかが備えていた職人芸の集積のほどというものは、窺うことが出来る。要するに、「型の文化」の強みである。

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それに比べると、と、こんなところで突如、引き合いに出すのはお門違いもいいところのようだが、新国立劇場で見た『テンペスト』のお寒いことと言っても、まったく無関係の話をこじつけることにはならないのではないだろうか。半世紀も昔の美空ひばりの時代劇と(繰り返し言うが決して上等とは言えない作りの作品である)、いやしくも新国立劇場で制作のシャイクスピアを並べる無茶を承知で言うのだが、それにしてもあのツマラナサは、こりゃ御身はどうしたものじゃ、と言いたくなるほどのものだった。

新国立劇場にかつての東映時代劇の職人芸の如き蓄積がないのは当たり前には違いないが、舞台そのものがあゝも痩せていたのでは、良いも悪いも、面白いも何もあったものではない。よほど幕間に帰ってしまおうかという衝動に駆られたが、(休憩後になって何とか持ち直す芝居がこの頃よくあるので)まあまあと思い直して見続けたが、遂にぱっとしないままに終わった。

よろしくないのは、何やら演出をいじくり回せば新しいと思い込んでいるらしいことで、ボール箱を積み上げては崩すというのを、さも新しうござんしょうと言いたげに繰り返して見せる。(冒頭の嵐で難破する場面など、最近の韓国フェリーの転覆事件をパロッているのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。)まず脚本をきちんとおやり下さい、その上での新演出でござんしょうという他はない。困るのは、これが今回だけのこと、今回の演出スタッフだけのことでなく、こういうのが当世の趨勢とも見えることである。日本の現代の演劇というのはこんなものなのだろうか?

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この31日から、猿之助・中車の襲名披露の巡業中央コースというのが始まるという。(襲名披露の旅はまだ終わっていないのだ!)猿之助のお蔦に中車の茂兵衛で『一本刀土俵入』をやるのだそうだが、ところで先月から始まった『ルーズヴェルト・ゲーム』を見ていると、中車の現代大歌舞伎劇風演技はますます病膏肓に入ったかのようでもある。あんな大芝居は、いまどき歌舞伎の舞台では到底できないだろうから、ああいうところで役者気分を味わっておくのも悪いことではないかも知れない。7月にはいよいよ歌舞伎座で『修禅寺物語』の夜叉王に『夏祭浪花鑑』では義平次をやるのだという。思わずウームと唸らないわけに行かないが、ともあれ予断は禁物。まずは駒形茂兵衛を初日の蒲田まで見に行くことにしよう。

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